朝日のまぶしさでフッと目が覚めた。
一瞬、ここがどこだか思い出せず、もそもそと半身を起こした時「起きたか」と開いたドアから顔を出したシズちゃんに盛大に肩をビクつかせてしまった。
そうだ、ここは池袋じゃない。日本アルプスに存在するという静雄ハウスなのだ。
「顔洗え。メシにすんぞ」
シズちゃんはそう言ってあっさり引っ込んだ。
俺はぐるりと自分が寝かされている部屋を見回し、自分の体を見下ろした。
そういえば昨夜、よく分からないタイミングで切れたシズちゃんに、溺死させられそうになってからの記憶が曖昧だ。
何故俺はだるんだるんのジャージを着せられているのか…。
片足には布巾がぐるぐると巻き付けてあった。なんの意味があるのかは、分からないが。
とりあえず起き上がってベッドのそばに置いてあったボストンバッグを引き寄せる。
ジャージを脱ぎ捨て、中から着替えを取り出した。
「シズちゃーん、昨日俺が着てた服どこー?」
着替え終えて部屋から出ると、暖炉の前でシズちゃんがパンを火であぶっているところだった。
シズちゃんは伸びた髪を後ろでゆるく束ねていて、毛先に少し金色が残っているだけでほとんど黒髪に戻っている。
Tシャツ姿でツナギの上着部分を腰で結んだ格好で、サングラスもかけず、タバコもくわえていない。
池袋にいた頃の、金髪バーテングラサン男の面影はほとんどなくなっていることに今更気がついた。
昨日は久しぶりのシズちゃんを前にどう自分を取り繕うべきか、それだけで外見の変化まで気が回らなかったのだ。
ああクソ、あらためて見るといい男だよ見た目だけね。
「服なら裏に干してる。そこに井戸もあるから顔洗って来い」
「ああ、うん」
シズちゃんが顎をしゃくって示したドアを開けると外に出た。
大きなもみの木が生えているそばに物干し竿が立てられていて、俺のコートやらズボンが提げられていた。
そして井戸。
「うわ、レトロだねぇ」
映画で見たような手動式のくみ上げポンプを前に、俺は顎に手をやりしばし考える。
さてこれはどうやって使うものだろうか。
「こんな感じでいいのかなぁ。うう、結構硬い…」
とりあえず取っ手を掴んで上下に動かすと、ギコギコという音と共に空気が押し出されてくる。
「桶使えよ」
後ろからシズちゃんがやってきて、立てかけていた桶をポンプから突き出たパイプの下に置いた。そして俺から取っ手を奪って軽々と上下に動かすと、水が勢いよく出てきて桶からあふれ出した。
「冷たぁ」
しゃがみこんで触れた水が眠気が一瞬でぶっ飛ぶような冷水だったので、思わずシズちゃんを見上げるが、さっさと洗えとまた顎をしゃくられた。
これ嫌がらせじゃないよね?
凍る一歩手前のような冷たさだったが、意を決して水をすくい、顔を洗った。
そしてそばで見下ろしているらしいシズちゃんに「タオル」と目を瞑ったまま手を差し出し、渡されたもので顔を拭く。
水気をふき取って気がついた。
なんかこのタオルすごくシズちゃんの匂いがする。
「ちょっと、まさかこれシズちゃんが汗拭いたタオルとかじゃないよね」
「それがどうかしたか?」
「え、マジで?ふざけんな」
なんで洗った顔をまた汚さなきゃいけないんだと睨みつけようとすると、胸倉を掴まれて引っ張られた。
「いいからメシ食うぞメシ」
「ちょっと服伸びる!服伸びる!」
引きずられて家の中に入り、暖炉の前のテーブルに座らされる。
文句を言おうとした口は、並べられた朝食を見て固まってしまった。
真ん中のボウルに盛られたのは収穫したばかりのような瑞々しいサラダ。目の前の皿には目玉焼きとパン。その端に焦げ目の付いたパンの上の、溶けかけたバターがいい匂いを放っている。
シズちゃんは暖炉のそばの鍋からマグカップに温かいミルクを注ぎ、俺の前に置いた。
そして向かいに座って、深皿から白いフレッシュチーズだろうか、それをスプーンですくうと俺の分のパンの上に山盛りにしていく。
「オラ食え」
「…いいの?」
目の前の食事とシズちゃんとを交互に見ると、変な顔をされた。
「残したらぶっ殺す」
「…いただきます」
シズちゃんから目を逸らしつつ手を合わせ、冷めないうちにとパンを手にして口に運ぶ。
香ばしいバターに素朴な風味の麦パン、淡白ながらも爽やかなチーズの味が口の中に広がる。率直に言うとおいしい。
俺にしてははぐはぐと大口で頬張って、一気に半分食べてしまって、一息つこうとホットミルクを口にするとこれがまた濃厚でほのかに甘く美味しかった。
「…シズちゃん、俺は今正直かなり驚いてる」
「なにがだよ」
「これ美味しい」
そう言うと、シズちゃんはじわりと頬を赤らめた。おお、化物でも一丁前に照れたりするんだ。
「これ、このチーズ、もしかして手作り?」
「あー、一応な。チーズはヤギの乳で作って、そのバターとミルクは牛の乳な。パンは一昨日焼いたやつの残りだ」
本当は焼きたてが美味いんだけど、とこぼすシズちゃんに、俺はやはり驚くばかりだった。
「これ買ってきたパンじゃないの?シズちゃんパンまで焼けるの?」
「別に、慣れたら簡単だぞ」
そっけなさを装いつつも、どこか得意げにシズちゃんは言って、自分もパンをかじり始めた。
「野菜も食え」
言われて、フォークを持つ。ボウルには青々としたレタスやきゅうり、真っ赤なトマトがざっくり盛られている。
傷もないツヤツヤした野菜はおいしそうだけど…
「シズちゃん、これちゃんと洗った?」
「ああ?」
「ここまで綺麗だと逆に不自然だよねぇ。農薬とかちゃんと用法用量守ってる?シズちゃんは平気かもしれないけどさ〜」
「何言ってんだ?使ってねえよそんなもん」
「え、嘘だって虫食いの痕とか全然ないじゃん」
窓から見えた屋外の吹きさらしのあの畑で、しかもシズちゃんの大雑把な栽培で、虫が食わないとか普通なくない?
「自分で食う分しか作んねえのに、んなもん使うわけねーだろ」
「…マジで?」
「おいノミ蟲、駆除されたくなきゃ黙って食え」
シズちゃんはそう言ってボリボリきゅうりをかじった。
恐る恐る俺も野菜を口にする。
…美味い。ドレッシングもないのに味が濃い。
塩だけでもあればもっとおいしいかも。
もぐもぐと黙って咀嚼する俺にシズちゃんも黙って食事を続けた。
なんだろうこれ。
こんなまともな朝ごはん、久しぶりだ。
いや、他でもないシズちゃんとこんな朝ごはんを食べることになるなんて、ありえないことだった。
食事はおいしいが、おいしいだけに、この状況の不自然さが際立って、居心地が悪い。
俺、なにやってんだろう。
そう思って苦い気持ちになるが、目の前の食事を放り出すことが俺にはできなかった。




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