皿の上のものを食べきり、ご馳走様と告げると、シズちゃんはオウ、と小さく返事した。
すでに飲みきって空のマグカップを手でいじりながら、俺はシズちゃんの様子を伺う。
そこには平和で静かな男が座っていた。
なんでこんなとこに俺来ちゃったんだろう。
「ねえシズちゃん、俺が来てから誰かと連絡取った?」
「いや?」
「じゃあ、そのまま連絡取らないでいるか、取っても俺のことは誰にも言わないでね」
「なんでだよ」
「昨日言っただろ命を狙われてるって。シズちゃんがどっかで俺の名前出した次の日には殺し屋が山入りしてくるレベルで追われてるんだよ」
「ハ、ざまぁねえな」
そう、俺は今実際ヤバイ状況にいて、本当は国外逃亡するべきだったりする。
そんな状況になって、やっとここに来れた。
「うん、命をかけなきゃ、俺はここには来られなかった」
「…あ?」
「マジで命が危なくなってさ、その時、俺、どうせならシズちゃんに殺されたかったなあって思っちゃって、だから来たんだ」
「…………」
シズちゃんが瞬きをやめて、俺を凝視した。
その視線を感じながら、マグカップを見下ろし、クッと喉の奥で笑う。
「ここに来るのにもかなり注意を払って来たからね、誰も知らないよ。だから今、俺を殺してその辺に埋めちゃえば、完全犯罪できるよシズちゃん」
「……おまえ、死にてぇのか」
俺は首を横に振った。
「違う、けど、半分は当たり。どっちでもいいんだ、俺は」
死にたくないけど、どうせ死んじゃうならシズちゃんがいいってだけで。
なのに、そこまで覚悟を決めて来た割に、この有様。
さすがシズちゃん。いつでも俺の想像が及ばない所に生きている。
「俺がこの先、生き残ることができるかどうかは半々かな。うまく事が運べば池袋に戻れるし、駄目なら殺されるだけだし」
「なんでここに来た」
「だから…」
「なんで、俺なんだよ」
はっとして顔を上げると、睨むような強い視線がまっすぐ俺に向いていた。
なんでシズちゃんかなんて、俺が聞きたい。


シズちゃんが池袋からいなくなって、1年は俺のパラダイスだった。
街を歩いてもいきなり自販機が飛んでこない生活はプライスレスだ。
毎日が楽しくて楽しくてしょうがなかった。俺はシズちゃんがいなくなって本当に清々していた。
そしたら1年立った頃に、秘書に言われたんだ。
「あなた、いい加減それやめなさいよ」
「は?何が?」
「もういなくなった人間を、いちいち引き合いに出すのやめなさいって言ってるの」
「え?」
俺はきょとんとしていたと思う。
本気で意味が分からなかったからだ。
そんな俺を見て、溜息を吐いた秘書は言った。
「何かにつけて、シズちゃんならああだった、こうだったとか、シズちゃんの場合は、シズちゃんはあの時は、シズちゃんシズちゃんシズちゃん…」
「ちょ、ちょ、波江さん?何言ってんの?」
「あなたが言ってるのよ。自覚ないのかしら」
待って待って、嘘だよね?
振り返ると、正臣君と目が合った。
ちょうど頼んでいた仕事の報告書を持ってきてそこにいた彼も、なにか言いたげな目をしていて、嫌な予感に苦笑いが浮かぶ。
「…マジで?」
「マジっすね」
こちらの問いかけに頷く正臣君に俺は固まった。
「あの人がいた時からそうだったけど、ここ最近は一段と酷いっスよ。チャットでも時々生ぬるい気持ちになりますもん俺。他のヤツらはどうだか知らないけど、甘楽さんは静雄さんのことほんと好きだな〜ぐらいはみんな思ってますよ、たぶん」
「………」
俺は黙ってパソコンのキーを叩いてチャットルームを開いた。
残ったログを読み返して、顔をしかめ、頭を抱えた。
「マジかよ…」
うううとうめく俺に、正臣君は笑うよりも驚いたらしかった。
「ほんとに自覚なかったんだこの人…」
と呟かれて俺はさらに頭を抱え込んだ。

それからが酷かった。
自覚したからには同じ轍を踏む俺ではない。
シズちゃんの話題を出さないよう気をつけたが、気をつけようと思うほど、常に頭の片隅でシズちゃんのことを考えていなくてはならなくなり、そうすると今度は他人のシズちゃん話がやたら気になるようになった。
まず共通の友人である新羅やドタチン、セルティからも、シズちゃんの話題がまったく出ないことに気がついてしまった。
今まで気にしたことがなかったから気付かなかったが、思い返せばシズちゃんの話題を振るのはいつも俺からだった。
その俺が出さないように気をつけているので話にのぼらないのだ。
その上俺がシズちゃんを嫌っているのは周知の事実、皆空気を読んでシズちゃんの話題を出すはずもなかった。
池袋から去った人間の情報など、所在地以上のことは調べてもなかったが、この頃久しぶりにシズちゃんの情報を収集した。
どうやら田舎生活は順調らしく、家族や新羅たち、ドタチンまで時々遊びに行っているらしい。
おいおまえら空気読みすぎだろ。たまには俺も誘えよ。行かないけどさぁ!
シズちゃんがいなくなって楽しくてしょうがなかったはずなのに、俺はイライラし始めた。
一体なんなんだ、これは一体なんなんだ。
俺とて人間だ。愛すべき人間の一人だ。だから俺は知りたい。この俺の習癖の意味を知りたい。
そのためにはシズちゃんに会わなければ。
しかし俺がシズちゃんに会うのには、なにか理由が必要だったのだ。

だから、命を狙われるという状況になってようやく来れた。
これをどう説明すればいいだろうか。
「なんでシズちゃんなんだろう」
「それを俺が聞いてんだろ」
「分からないから、シズちゃんに聞こうと思って、ここに来たんだよ」
シズちゃんは俺と向かい合って話しているのにまだ切れていない。
「会ったら分かると思ったのに、よけい分からないことが増えたよ。どうして俺を殺さないの?なんでご飯なんて出すんだよ。なんで俺の贈ったツナギ着てるの?なんで俺はこんなにシズちゃんが気になるんだ。なんで俺はここに来ちゃったんだよ」
「分かんねーのかよ」
「分からないね」
「知りてーか」
「知りたいよ」
シズちゃんは立ち上がり、手を伸ばして俺の胸倉を掴んだ。
ぐいっと引っ張られて、なんだやっぱり殴るのかと思った時だった。
テーブルの中央まで引っ張られて、同じくらい前に乗り出してきたシズちゃんと至近距離で目と目が合った。
それからゆっくりと口がぶつかった。
何秒、何十秒、何分たったかも分からないが、しばらくして離れた口が、これで分かったかと囁いた。
そして呆然とする俺の額に手をやったシズちゃんは、
「やっぱ熱あんな。ゆうべ頭も乾かさずに寝るからだ」
と言って俺の胸倉を引っ張ったまま寝室へと連行した。
そういえば熱っぽいしダルイ気がする。というか俺を濡らして放置したのシズちゃんじゃん。ふざけんなよ。
俺はそのまま寝かされ、いろんなことを熱のせいにして、ただ眠った。
起きたら熱は引いていた。だからまたシズちゃんの用意したものを食べて、働くシズちゃんを眺めたり、一緒に散歩したり、星を見たりした。
あっという間に2週間がたって、そしたら俺が命を狙われるという事態が収拾していて、俺は池袋に戻ることになった。
明日帰ると伝えると、シズちゃんはそうかと頷いただけだった。
だから山を降りて見送りに着いて来たシズちゃんとは、じゃあねバイバイと軽く手を振り合って別れた。
またね、と言うのは少し悔しい気がしたから言わなかった。
言わなくてもどうせまた俺はここに来てしまう。
別にシズちゃんに教えられたからじゃない。自分でも薄々分かってたさ。シズちゃんなんかに教えてもらわなくたって、そんなこと。


数日後にはあの山に俺の手配した工務店がむかい、静雄ハウスには部屋がもう一つ追加されるだろう。
井戸は自動汲み上げ式にして水道つけて、プロパンガスも設置してやる。
トイレも水洗ね。これ絶対。
そして、満を持してリフォーム後の家のドアを叩いて言ってやるんだ。
「来ちゃった」ってね。
俺を殺さなかったことを後悔させてやるから待っててね、シズちゃん。




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