夜、俺の家のドアを叩く音に俺はチーズ作りの手を止めた。
連絡もなくこんな時間に誰か来ることなどありえない。
動物の仕業かとも思ったが、コンコンとノックの音が続いたので、手を拭きながらドアに近づく。
「誰だ?」
問いながらドアを開けると、部屋の明かりに照らされたそこにいたのはモコモコとした何かだった。
その目の高さにあった茶色のモコモコは、俺がドアを開けた一瞬後にバッと飛び上がった。
「うおっ!?」
それは斜め横に飛んで家の屋根に移ったかと思うと、またさらに飛んで夜の闇に消えていった。
いや、そいつだけではない。
茶色いモコモコの下にあった別のモコモコは、ササーと何かを伝って地面の上に降りると森の方へと駆けて行った。
そんなモコモコは一つや二つじゃなく、いくつのもモコモコ集合体が、俺の目の前で分離して、闇の中に散っていたのだった。
俺の動体視力が捕らえたそれらは、どうやらムササビやモモンガ、イタチやキツネ、タヌキだったように思う。
あっけに取られた俺の目の前には黒い人影だけが残った。
くしゃみを一つ、俺の顔面向かって飛ばしたそいつは、俺が今着ているツナギの贈り主、折原臨也だった。

「寒い!山の上想像以上に寒いよシズちゃん!」
ボストンバッグを抱えた臨也はそう言って首をすくめ、ブルブルと震えた。
そしてチラリと俺を見上げる。
「入れてくれないの?家の中」
「あー…、おう」
呆然としたままドアの前から少し体をずらしてやると、臨也は家の中にするりともぐり込んできた。
俺の脇を通る瞬間、ふっと鼻を掠める匂いに顔をしかめる。
「おい、テメェ獣くせぇぞ」
「だろうね。さっきまで襲われてたからね。なんてとこ住んでんだよシズちゃん」
「襲われただぁ?」
「見たでしょさっきの。ほんと信じられない。どういうしつけしてんのさ。山に入ったら飛び掛られて纏わりついて離れないし、重いし、臭いし、酷い目にあった。なにあれ、シズちゃんがしこんだの?侵入者への防犯対策?」
「は?知らねーよ」
「ムササビが頭に乗ってきた時の俺の気持ち分かる?マジびびったんだけど」
「だから知らねーって」
今までそんな目にあったこともなけりゃ、この山にあんなに小動物がいたことも俺は知らなかった。
こいつ変な香水でもつけてんじゃねーの?
って、それどころじゃなかった。
「おまえ、何しに来たんだ?」
俺がそう聞くと臨也は固まった。そしてスッと無表情になった。
「別に。暇だったから」
「はあ?」
「新羅とかドタチンばっか呼んで俺はシカトするシズちゃんに嫌がらせに来ただけだし」
「はああ!?」
臨也はドンとボストンバッグをテーブルの上に投げ出し、椅子にドカリと音を立てて座って足を組んだ。
「しばらく世話になるから」
「はああああああ!?」
ツンとそっぽを向きながら言う臨也に俺は久しぶりに荒げた声を上げた。
こんなところまで来て何をふざけたことを抜かしてるんだと呆れ半分、困惑半分で、臨也の胸倉を掴んで立ち上がらせる。
ぶらんと足が揺れるほど持ち上げて顔を近づけて睨みつけると、近づいた分獣臭が強くなった。
それを不快に思いながら、もうひとつ気付く。
「テメェ足どうした」
そむけられていた顔がピクと引き攣った。
持ち上げた体をそのままテーブルに下ろして腰掛けさせ、右足を掴んで持ち上げると、うめき声が上がった。
「怪我してんのか」
「…山登ってくる途中ちょっと捻っただけ」
「このクソノミ蟲」
俺は舌打ちして、足を離す。
裏口から外に出て、手押し式ポンプで井戸の水をくみ上げ、冷たい水を桶に入れて戻る。
その水に手ぬぐいを浸して桶をドンとテーブルに置いた。
「湿布なんてねーからな。これで冷やしとけ」
「シズちゃん」
臨也は目を丸くして俺を見上げた。
その目を見て、ハッと気がついた。
何をしてんだ俺は。ノミ蟲相手に。
途端に居心地悪そうな顔をし始めた臨也に、じわりと俺の頬が熱くなる。
「なにぼさっとしてんだよ!さっさと足冷やして帰れっつってんだよ!」
「…シズちゃん、俺の話聞いてた?しばらく世話になるって言ったじゃん。帰らないよ俺」
「ふざけんな勝手に決めんな帰れむしろ死ね」
「死なないし帰らないし。俺のこと忘れてのんびり暮らしてただろうけど残念だったねざまーみろ」
「テメーなんか忘れてやるかよこのノミ蟲が!つうかテメェはこんな田舎誘っても絶対こねーくせに!」
「誘いもしないで勝手に決めるなよ!」
「じゃあ誘ったら来たのかよ!」
「来るわけないよ馬鹿じゃない!?」
「だから誘わなかったんだよ!だいたいテメェは俺のこと嫌いだろうが!」
「嫌いだったら…っ」
急に臨也はぐっと唇を噛んで黙った。
それが見たことのない表情だったから俺も固まった。
臨也の手が伸びてきて、俺のツナギをぎゅっと掴む。
「…なんで俺が贈った服着てんの?」
眉を寄せて、どこか泣き出しそうな顔で搾り出された臨也の声に、俺はごくりと喉を鳴らした。
「…作業、しやすいから。助かってる」
「俺からだよ?普通捨てるか、雑巾にするでしょ」
「しねぇよ。もったいねぇ」
「…シズちゃん」
俯いて目をそらす臨也の頬をむにっと摘んで上を向かせると、目元を赤らめた顔が俺を見上げた。
「シズちゃん痛い」
「そんな痛くねーだろ。つうかよぉ、俺おまえのメアドも知らねーんだけど」
「…新羅に聞けばいーじゃん」
「なんとなく、それは嫌だった」
「…なんだよそれ」
目を伏せようとする臨也を、頬を摘んだ手で阻止すると、おずおずと視線を合わせてきた。
久しぶりの臨也だった。
池袋で会ったなら、すぐさま物をぶん投げずにはいられなかった男の顔を、こんな至近距離で見るのは、本当に久しぶりだった。
久しぶりで、でも初めて見たような顔をしていた。
「…テメェはなんで来たんだよ」
「あー…」
「言えよ。俺のこと嫌いじゃ、ねーのかよ」
「…シズちゃん、俺…」
きゅっと眉をひそめる臨也に俺の心臓の音が大きくなる。
無駄に小奇麗な顔しやがって。
摘んでた頬から指の力を抜いても臨也は逃げない。俺の指の腹に頬は触れたままで。
ドッドッドッと胸を打つ鼓動に促されるようにじわじわと臨也との距離が近くなっていく。
鼻と鼻が今にも触れそうになった時、臨也の口からそれはこぼれ出た。
「シズちゃん、俺…実は命を狙われてるんだ」
「……は?」
少し顔を離してパチクリと瞬きすると、臨也はヘラッと笑い矢継ぎ早に説明を始めた。
「ちょっと仕事でしくじっちゃってね。俺今ヤクザに追われてるんだよねぇ。いつも俺の面倒見てくれてる組の人が今動けない状況でさ、その人のフォローが入れられるようになるまでと、とりあえず事態収拾のための裏を取るのに時間がかかるから、それまで隠れてないといけないんだよね。海外に飛んでも良かったけど、まさか俺がシズちゃんのところにいるなんて誰も思わないだろうし、服のお礼ってことで匿ってよ。早ければ1週間、長くても2週間で出てくからさ、よろしくね☆」
人差し指を顔の前に立ててバチンとウインクした臨也に、俺の血管もブチンと音を立てた。
「よろしくね☆じゃ、ねえええええ!!!」
行き場を失った訳の分からない感情が爆発したわりには、桶をぶちまけて臨也に冷水を浴びせ、ついでに風呂に放り込んだくらいで済ませた自分を褒めてやりたい。
風呂に沈めたおかげで獣臭が消えた、本来の臨也臭を嗅ぎながら、伸びた臨也をベッドに寝かせてやる。
害虫であるノミ蟲を殺さず、放り出さず、寝床を提供してやるとは…山で暮らすようになって俺も随分と丸くなった。
さぁて、まずは明日の朝、都会育ちのノミ蟲に俺の作ったチーズを食らわしてギャフンと言わせなければ。
誰が来た時よりも張り切っている自分に気付かないふりをして、俺は途中だったチーズ作りを再開した。



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