全ての始まりは年末ジャンボ宝くじの1等当選からだった。

普段は買いもしないのに、たまたま給料日にうっかり気が大きくなって買ってしまった3千円分のくじが、当選発表日には前後賞合わせて3億円となってしまった。
借金を完済しても余りある大金の使い道を、どうしようかと呆然とした俺に、トムさんが言った。
「静雄よぉー前に田舎住みたいって言ってたろ。これを機に、いっそ夢を叶えちまってもいいんじゃねーか」
言われてなるほど、確かに俺には田舎で農業がしたいという夢があったと思い出した。
田舎と言っても俺には縁のある地方があるわけではない。生まれも育ちも池袋だ。
一体どこへ行けばいいのか、またぼんやりと考えていて、昔家族で旅行した田舎の風景が頭に浮かんだ。
それは俺がガキだった頃、都会から離れた大自然の中で、高原を散歩して、小川のせせらぎを聞いて、日向ぼっこをした思い出だった。
立ち寄った牧場で飲んだ牛乳の美味さ、干草の匂い、そんなことを思い返しながら親に電話して、その旅行先がどこだったかを聞いた。
そう言えば日本アルプス一周旅行したわね〜という母親の言葉を聞いて、アルプスの少女ハイジが連想されて。
ああ、あんな生活、いいよなぁと、思ってからが早かった。
旅行の思い出を幽と電話で話しているうちに、勘のいい幽が住みたいの?と聞いてきた。
素直にそうだなぁと答えた俺に、次の日には幽から候補地がファックスで送られてきた。
それを見ながらトムさんに相談して、さらに候補地を絞って、一度見学に行ってこいと送り出された。
俺はドキドキしながら田舎を回り、現地の役所に相談しに行った。
なるべく人の少ない土地がいいという俺の希望に、相談に乗ってくれた役所の人は、もしかしたら金髪の若造である俺を冷やかしだと思ったのかもしれない。
今になって気付くが、そんな俺に紹介された土地は荒れた僻地だった。
土地の所有者に紹介されて借り出しを勧められたのは、廃材だらけの森の奥にある、岩が突き出た草もまばらな山の中腹だった。
一瞬ちょっと想像と違うなと思ったが、岩などはどかせばいいし、植物も植えればいいだけだ。
何より山というのがいい。
ハイジみたいにヤギを飼ったりしたら楽しいかもしれない。
他を探すのも面倒だったので俺はその場で所有者に借地料を払った。
そこを幽に報告すると、すぐに家を建てるための工務店を紹介してくれた。
できる弟を持つ俺は幸せ者だ。
あっという間に借地である山の中にささやかな家が建ち、ついに俺は引越しを決めた。
仕事を辞め、知り合いに転居を知らせると、引越し日の前日には新羅のうちでお別れパーティが開かれた。
今生の別れじゃあるまいし大袈裟だとは思ったが嬉しかった。
池袋を離れるのは幾許かの寂しさを感じたが、夢が叶うことへの期待の方が大きかった。
そのパーティの帰り道だった。
宝くじが当たって以来、しばらく見ていなかった黒いコートの男が、道の真ん中に突っ立って俺を待っていた。
ほろ酔いで歩いていた俺が立ち止まると、そいつは顔を上げた。
「やあ、シズちゃん。池袋からいなくなるんだってね」
「……」
なんとも朗らかな声でそいつは言った。
「いやぁめでたい。おかげで自販機が飛ぶことも、標識がねじ切られることもなくなって、ここもやっと平和になるよ」
「……」
「引越し先ではうまくやりなよ?もう物を破壊しまくって追い出されて帰ってこないで欲しいなぁ。迷惑だからさ」
「……他に言うこたないのか?臨也君よぉ」
逆光になった臨也の表情は分からない。
いつものニヤニヤ笑いかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
臨也は黙ったかと思うとポケットに突っ込んでいた手を出して、何かを俺に投げて寄越した。
片手を上げてそれをキャッチして見ると、番号タグのついた鍵だった。
「…餞別。池袋駅北改札横のコインロッカー」
臨也は先ほどとは打って変わってボソボソと言ったかと思うと背を向けた。
俺のすぐ横にはブン投げられる自販機も標識もあったが、そんな臨也相手に手に取ろうとは思わなかった。
俺は小さくなる臨也の背中をただぼんやりと見送った。
その姿が見えなくなってから改めて手の中の鍵を見下ろす。
それはずっと握り締めていたかのように温かった。
次の日見送りをしてくれた新羅とセルティと別れ、手荷物を抱えて駅に入った俺は、コインロッカーの前でいろんなことを思い返していた。
いけ好かないノミ蟲野郎。嫌いで殺したかったはずの折原臨也。ここ池袋で、俺のもっとも近くにいた男。
あいつが俺を殺したがっていたことも知っている。
だから、鍵を開けた瞬間ドカンなんてことは十分に考えられた。
それでも、この鍵を開けて目にするもの次第で、何かが変わるかもしれない。そんな期待もあった。
俺は今日、ここを去る。
あいつとの、憎悪と殺意に支配された生活は今日が最後なのだから。
フウ、と小さく息を吐き、臨也から受け取った鍵をその番号が示す穴に差し込む。
爆発はまだ起こらない。
ギイと開いた扉、大きめのロッカーの中には段ボール箱が3つみっちり入っていた。
1つを引き抜きその場で箱を破くと、中には作業着みたいなツナギ服がこれまたみっちり詰まっていた。
残りも同じだった。それ以外には何もない。メモの一枚も。
俺がこれから何をするのか、当然情報屋であるあいつは知っていたのだろう。
以前、幽に仕事が長く続くようにとバーテン服を贈られたことを思い出す。
このツナギもそういう意味だと受け取ったらいいのだろうか。
俺は自分の鞄を抱えなおし、段ボール箱を重ねてひょいと持ち上げた。
「あのクソノミ蟲…荷物増やしてんじゃねーよ…」
ぼやきつつ改札をくぐる。
借金がなくなった時にも感じた胸のつかえが取れた感じ、それをまた感じながら、俺は池袋を後にした。


山での生活に慣れるのは少し時間がかかった。
水は家の裏にある井戸からくみ上げて桶にためる。ガスはなく、家の中にある暖炉で薪を燃やして火をおこす。ただし電話線は引いてある。電気も自家発電機を設置している。
しばらくはその生活に慣れながら山の開拓に励んだ。
やることはたくさんあった。
岩を掘り起こして地面をならし、畑を作る。森の中の廃材を撤去し、密集しすぎて日を遮っていた邪魔くさい木は所々を切り倒して道を作った。
とりあえずは目指せハイジだ。朝再放送していたアニメを頭の中で思い浮かべながら、こんな感じだったよな?という景色を自分の手で作っていく。
それからふもとの村に降りてヤギを2匹買った。
これでヤギ乳が取れればまた一歩ハイジに近づくなと思いながら、家の隣に不恰好ながらもヤギ小屋を作った。
荒れていた土地は、俺が岩をどかすと種を植えずとも緑が増えた。
見様見真似で畑に種を蒔いた野菜も麦もすくすくと育っている。
それでも最初は食料調達に何度もふもとの村に降りなければならなかった。
いつかは完全自給自足できたらいいと思う。
ある日ヤギの飼育の相談に行った隣山の牧場で、牛が暴れていたのを押さえたら驚かれた。
角を掴んでひょいと持ち上げてしまった時はしまったと思ったが、ひどく感謝されてしまった。
聞くとそいつはかなりの暴れ牛で、乳の出も悪く他の牛のストレスになるから処分を考えているという。
それを聞いて俺は思わず引き取らせて欲しいと頼んでいた。
するとそこの牧場主は快く譲ってくれ、ついでに乱暴者の鶏もどうだと言うからそれも貰ってきた。
こうしてヤギ小屋の隣に牛小屋と鶏小屋もできた。
俺が撫でると何故か牛も鶏も大人しくなった。
一気に農場っぽくなったので、畑の野菜の初収穫をする時には幽を招待してみた。
忙しい弟は日帰りで帰っていったが、土を耕す俺を見て、楽しそうで良かったと微笑んでくれた。
両親も呼んだ。迷惑ばかりかけていたが、俺の作った野菜をうまいと言って食べ、お土産にとたくさん渡すと喜んでくれた。
次に新羅とセルティを招待すると、不恰好な飼育小屋を見て、今度は門田も連れてこようと言った。
どういう意味かと思ったら、次の週に来た門田は工具を持ってきていて、ガタガタだった小屋を作り直してくれた。
やはり素人の俺が作った小屋と違い、しっかりとした作りになった小屋にヤギや牛も喜んでいるようだった。
俺も充実していた。
朝、鶏の餌をまき卵を収穫して、牛とヤギを連れて山を登り草原に放つ。
それから家に戻って自分も朝食を取り、畑を耕し、森に薪を拾いに行く。
朝と夕方には乳搾りもするし、それでチーズやバターを作ったりもする。
そんな生活サイクルが出来て、たまに知人を招いたりして、思い望んだ静かな生活を過ごしているある日、そいつはやってきた。
池袋から出て、もうすぐ2年目になる頃だった。




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