いつものように出勤し、仕事をしてスーパーに寄ってから帰宅する。毎日毎日似たような事の繰り返しで、週に二回ほど夏油が家に侵入しているというスパイスはあれど、変わり映えはしない。
 でも、そういう日常でもささやかな楽しみというのは存在する。人によっては友人や恋人と過ごすことであったり。はたまたショッピングだったり。私の場合は食事がそれにあたる。だから、夏油が作り置きのものを勝手に食べるのには結構困っていた。食べたいものを食べれないのは結構ストレスだし。
 だから最近は作り置きせずに、帰宅後に食事を作るようにしていたのだけれど……。
「やあ、おかえり。今日はご飯作ってみたよ」
 玄関の扉を開くと私のエプロンを勝手に身につけている夏油の姿が目に入り、それと同時に鼻腔を擽ってくるスパイシーな香りに刮目する。
 え、まさかカレーか? 梅のヘタもまともに取れなかった男が料理なんて出来るのかという疑問が湧いたが、それよりも。カレーの材料はどうしたのだろうか。
 出来る限り猿≠ニ関わりたくないだなんて言う夏油の事だから、買い出しに行っているとは考え辛い。……つまりは、冷蔵庫の中の食材を勝手に使ったと言う訳である。何を勝手な事をしてくれたんだ。
 思いもよらない事態にため息が漏れ、肩を落とした。私の動きに合わせて、食材の入っているビニール袋がガサガサと音を立てる。あーあ、もう。
「…………もしかして、カレーですか?」
「えっと、料理するの不味かった?」
 私の反応が想定外だったのだろう。得意気な顔をしていた夏油の表情が曇る。まあ、作ってしまったのだから今更言っても仕方ないけれど、確かに勝手に食材を使われると困るから、料理しないで欲しかったのは確かだ。
 私には私の予定がある。それにそもそも今日はカレーの気分じゃなかったし。
「今日はコレ作る予定だったので」
 そう言いながらビニール袋に手を突っ込んで、中から取り出したのはクリームシチューのルー。昨日、久しぶりにシチューが食べたいと思ったもののルーが無く、手作りするのも面倒だからと今日ルーを買ってきて作ろうと思っていたのだけれど……。
 残念なことに、夏油の手によってシチューの具材はカレーに化けてしまった。シチューを食べる気満々で帰ってきたのにな。
「あー……」
「そもそも冷蔵庫の中身を勝手に消費しないで下さい。あと、何勝手にエプロン使ってんですか」
「ごめんね。でもおいしく出来たんだよ」
 本当か? と疑問が湧く。何せ夏油は梅をボコボコにして、漸くヘタを取ることが出来た男である。あの手つきの危うさを見るに、カレーをきちんと作れる気は全くしないのだが。食材がボロボロになって鍋に沈んでいる絵面しか想像ができない。
 胡乱気に夏油を見るとムッとした顔をされるが、そりゃ疑うにきまっているだろう。彼自身は自分を器用だと思っていそうだが、どう見たって不器用だ。おいしく出来たと言われたところで素直に信じられるはずがない。
「そこまで信用無いかな」
「ぐちゃぐちゃの梅を忘れたとは言わせませんよ」
「あれはたまたまだって。野菜を切るぐらい私にだって出来るさ」
「でも不揃いでしょう?」
 そう言うと図星を突かれたらしい夏油は押し黙った。どうやらこの様子を見るに、大きかったり小さかったりする野菜が入ったカレーが出迎えてくれるようだ。もしかすれば皮がついたままの野菜が入っているかも。まあ、今あえて皮付きにしてる可能性もあるけれど……。
「味は大丈夫だよ。レシピ通りに作ったし」
「塩と砂糖を間違えるだとか、そんな初歩的なミスはしてないですよね」
「それは、えーっと……多分してない」
 私の言葉に急に不安になったのか、夏油が露骨に狼狽え始める。味は¢蜿苺vとはいったい何だったのか。味見しながら作っただろうから、そういう間違いがあったとしても余程の馬鹿舌じゃない限り普通は気付くだろう。
 いや、夏油が馬鹿舌というのは普通にありえそうだ。家の作り置きは何でもつまみ食いしていたし、調味料だって偶にかけすぎじゃないかというほどかけていたし。だとすれば味見をしながら作ったとしても、失敗してる可能性の方が大きい。
 一体どんなカレーが出来上がっているんだか。玄関で想像を巡らせた所で実物を見なければ埒が開かないので、廊下に立つ夏油を押しやってリビングへと足を踏み入れた。そのまま手に持った荷物はテーブルの上に置き、足早にキッチンへと足を踏み入れたのだが、思わぬ惨状に絶句する。
 なんと、三角コーナーから生ゴミが溢れ出ていた。見る限り皮剥きに失敗しているようでもないから、ただただ純粋に量が多いらしい。
 更に言うならコンロの上には寸胴鍋が二つ。片方は小さめとは言え、二つは流石に多すぎじゃないか。
「野菜とか沢山入ってた方がいいと思ったから……」
「……置いてある野菜殆ど使っちゃいましたか?」
「キャベツは使ってないよ」
 じゃあつまりキャベツ以外使ったって事じゃないか。動揺を抑えながらじゃがいも等を常温保存していた収納スペースのドアを開けてみれば、見事にもぬけの殻。ついこの前補充したというのに、玉ねぎまでもすっからかんである。
 寸胴鍋が二つ並んでいた時点で分かっていたが、シンプルに作りすぎだ。冷蔵庫に入れて保存するにしても、そもそもタッパーが足りない。
「こんな量どうやって食べるんですか……」
「え、普通に二日ぐらいで食べきれるだろう?」
 きょとんとした顔で言い切った夏油は、もしかしたら教祖ではなくフードファイターなのかもしれない。そのお腹にどれだけのご飯を詰め込む気だ。私なら一日三食をカレーにしても、消費しきるのに一週間近くかかるだろう。なのに二日とは……。
 男女の差はあるにせよ、それにしたって大食らいだ。通りでこれだけ大きな体に育った訳である。学生の頃だともっと食べていたのだろうが、一体どれほどの消費量だったのか。
 珍しく素直に凄いなと思って夏油をまじまじと見ていると、私の考えている事を少し勘違いしたらしい夏油が不満そうに口を開いた。
「太ってないからね。ちゃんと鍛えてるから体が大きく見えるだけで、脂肪じゃなくて筋肉だよ」
「誰も太ってるだとか言ってないじゃないですか」
「でもお腹周りとか見てただろう? いつも着てる法衣はね、太く見えるだけだから勘違いしないで」
「はいはい」
 夏油はまだまだ言いたい事があるらしいが、それを適当にいなして問題の鍋の中を覗き込んだ。思っていたよりは見た目は普通に近い。野菜の大きさがバラバラだし、そもそもの野菜の量が多すぎる上にルーが溶けきってない所があるみたいだけれど、一応は許容範囲という事にしておこう。ダマになっているルーは溶かせば問題ないし。
 とりあえずルーを溶かす為にコンロの火を付けてカレー混ぜていると、背後から夏油が鍋を覗き込んできた。ついでにチラチラとこちらを心配そうに伺う目が鬱陶しい。まだ味見してないんだから、そんなに見られても困るだけだ。
 そうやってぐるぐるとカレーをかき混ぜて、そろそろダマも溶けてきた頃。夏油に味見用の小皿を持ってきてもらい、先ずは夏油に味見をさせた。
「ちゃんとおいしいよ」
 カレーを口に含んだ後、ドヤ顔でそう言ってのける夏油だけどあんまり信用ならない。やっぱり自分で味見しないとダメか……。何せ変な味になっていた場合、味を整えるためにカレーがどういう状態になっているか知る必要があるし。
「……ふぅん? じゃあ味見してみますけど……」
 無駄に緊張しながら小皿に入れたカレーを口に含み、顔を歪ませた。……薄味ということはないから、ダマを溶かしたのは正解だったらしい。ただ、なによりも。
「…………めちゃくちゃしょっぱい……」
「え、いや、確かにちょっと塩辛いけど、でもめちゃくちゃっていうほどじゃ……」
「あなたも塩辛いって思ってるんじゃないですか。なら何で美味しいしか言わないんですか」
 どれだけ塩を入れたのか知らないが、めちゃくちゃ塩辛い。カレーのスパイスの味がくる前に塩≠ェくるとか相当じゃないか? むしろ良くこれでちょっと塩辛いって感想で済んだな。
 予想以上の夏油の馬鹿舌加減に慄きつつ、冷蔵庫から牛乳を取り出してカレーに混ぜ合わせる。カレーの辛さも控えめになってしまうが、塩辛いのをどうにかするのならやっぱり乳製品。カレーの総量が増えるのはこの際諦めるしかない。
 それに、どうせ夏油に責任を取らせるべく大量に食べさせて、私はそこまで食べないのだし気にしなくてもいいだろう。
「そんなに塩辛いとは思わないんだけどな……」
「それはあなたの舌が馬鹿だからです。ほら、早くカレー皿にご飯をよそって持ってきてください」
「沢山食べてもいい?」
「作ったのはあなたなので私に聞かなくてもいいですよ。それにこれだけの量があるなら、むしろ食べてもらわなきゃ困ります」
 夏油が持ってきた皿にこれでもかと言うほどカレーを盛り付ける。腹一杯になって苦しくなるほど今日は食ってもらわねば。現に、馬鹿みたいに盛り付けた筈なのに全然鍋からカレーが減っていない。
 自分の皿に盛ってもちっとも残量は変わらないので、ここはもうフードファイター夏油に賭けるしかないか。
「こうやって一緒に料理を運んでると、なんだか新婚さんみたいだね」
「は?」
「冗談だよ。ごめん」
 心臓に悪い冗談はやめてくれ。夏油と夫婦なんて御免被る。
「でもさ、前よりは仲良くなったと思わない?」
「気のせいじゃないですかね」
「手厳しいな。前に介抱してくれた時みたいな優しさが欲しいよ」
「え? 喉に指を突っ込まれたいんですか?」
 そう言うと、夏油はぷいっと顔を逸らしてカレーを食べ始めた。彼が酔った時のことを自分から話題に出したのに、なんで嫌そうな顔をするんだ。私がキツイ言葉を返すだなんて分かりきっているだろうに。
 でも黙ってくれたなら好都合だ。さっさと食べて、ゆっくりお風呂に浸かるとしよう。
 スプーンで掬ったカレーをパクリと食べる。野菜の皮は付いていないけれど大きさは大き過ぎたり小さ過ぎたり。肉はうまく切れてないのもある。それに、牛乳を入れても若干塩辛い気もしたり。お世辞にも手放しで美味しいとは言い難い出来栄えだけれど、あの梅の惨状を思い出せば上出来な方だろう。
 夏油にしては頑張ったんだな。
「久しぶりに料理したから、分量間違えたのかも」
「レシピ通りに作ったって言ってませんでしたっけ」
「……レシピはアレだ、頭の中にあるやつだよ」
 あまり料理しない人間の頭に残ってるレシピほど、信用ならないものは無いと思うのだけど。



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