アジーム家のカリムという男



 カリム・アルアジームを誘拐した。返して欲しくば3億マドル用意しろ。

 そんな脅迫文が書かれた手紙を受け取ったジャミルは足を滑らせて床の絨毯に躓き、眼前の柱に激突して鼻血を出した。


※※※


 使用人達がギョッとして廊下を走っているジャミルを見つめるが、そんなもの彼は気にしない。鼻がもげるかと思った痛みもどうだっていい、今はカリムが最優先だ。鼻にティッシュを詰めて、付け根を指で圧迫しながら真面目な顔でジャミルは走る。しかし側から見ると相当間抜けだった。
 カリムが歳を経る毎に誘拐される回数が減ってきており、ここ1年は何事も無かったから油断していたところにコレだ。つい2ヵ月前に毒を食べて、やっと全快したとはいえ目を離すべきじゃ無かったか。でも護衛はいただろうし、カリムも身長が小さいといえども戦える。……つまりは相当な手練れがこの屋敷に侵入し、カリムを攫っていった? ジャミルの優秀な頭脳が良くない可能性ばかり訴えてくるが、それを信じてなるものかとねじ伏せる。
 身代金を要求すると言うのなら、カリムは無事だ。……最低でも金の受け渡しまでは生きている筈。だって金の為の誘拐ならば、人質は生きていてこそ価値があるのだ。
 だからこそジャミルは多少冷静でいられた。今この時、カリムは生きていると信じられたから走っていられる。そうじゃなかったら……と最悪な想定をして、手足の力が抜けそうになった。大丈夫、大丈夫な筈だ。



「ジャ、ジャミル……!」
「お前たち! 部屋の様子はどうだった? 戦闘の跡はあったか?」
「そ、それが一切荒れてなくって……!!」


 あと少しでカリムの誘拐現場である彼の部屋に辿り着く、と言うところで今日の護衛達がジャミルに向かって走ってきた。その際一瞬だけ鼻を摘んでいるジャミルをポカンと見つめたが、そこは流石アジーム家精鋭の護衛達。即座に真面目な顔に戻って状況説明を始めた。
 カリムが魔法の鍛錬の時間になっても部屋から出てこないため、彼に扉の前から呼び掛けたものの返事が無い。なので無礼を承知で慌てて扉を蹴り開けたが、部屋の中はもぬけの空。そして、その代わりと言いたげに机の上に置いてあったのが身代金要求の手紙だった、と。
 戦闘のできない使用人達を不安がらせない為に、カリムの誘拐の事実は伏せられているのでパニックは起こっていないが、話が広がるのも時間の問題である。即座にカリムを見つけ出すか、穏便に金で彼を返してもらう必要があった。


「俺も部屋の中を確認してみる。お前たちは念のため他の侵入者がいないかどうか確認してくれ」
「ああ! 頼んだぞジャミル!」


 そう言ってダバダバと駆けていく護衛達を尻目に、今度こそジャミルはカリムの部屋に辿り着いた。異変が伝わらない様に、一見して蹴破られていないが如く取り繕われた扉を開いて、見慣れた主人の部屋を覗き込む。
 今朝ジャミルがカリムを起こしに訪れた時と比べ、部屋の中に然程違いがある様には見えなかった。けれど、どんな些細な違いも見逃してなるものか。ジャミルは記憶力に自信があったので、主人の部屋を隅々まで見渡して誤差を探した。
 何度も誘拐されてきたカリムの眠りは浅い。故に侵入者に気付かず拐われたとは考え辛いから、おそらく抵抗せずに囚われたのだろう。……ならばあのカリムの事だ、手掛かりぐらい残してくれている筈だ。

 あのカーディガンは……多分昼寝の時に適当に脱いで置いただけ。あっちの装飾品は動いていない。この本は今朝と開いているページが違うが、カリムの読書スピードからして普通に読んでいただけだ。……いや、それにしては向きがおかしい……?

 椅子が置いてある方とは逆の向きで、カリムが読んでいた本が置かれていた。行儀良く椅子に座って本を読んむカリムが、わざわざ逆向きに本を置く? 些細かもしれない違和感だが、ジャミルの直感はその本に手掛かりがあると訴えていた。


「でも……向き以外に変なところは無いな……」


 主人が読んでいた本……熱砂の国の歴史書のページをめくってみるが、けれども変な部分は見つけられない。ひっくり返してみたが何も見当たらないな……と思いながらも本のカバーを取ってみたジャミルは、裏にテープで貼り付けられた紙を発見して目を見開く。当たりだ……! でもどうしてテープでカバー裏に貼り付けるんだ? 少しだけ手の込んだことができる時間があったとでも……?
 ジャミルは多少疑問に思いつつもテープを剥がし、恐る恐る紙に書かれている内容に目を通した。…………目を疑ったので、もう一度読んだが内容は変わっていない。
 そして二度読んだからか、漸く書かれている内容が頭に入ったらしいジャミルは、グシャリと紙を握り潰した。頭に血が昇ったせいで折角止まりかけていた鼻血がまた出てきて、詰め物に滲んでいる。


「あ、あいつッ……!!!!!」


 眉間にシワを寄せ、歯を食いしばったジャミルは弾かれた様に走り出した。慌てた様子の護衛たちに目処がついたと怒鳴り、そのまま変装用の衣服を引っ掴んでアジームの屋敷を飛び出す。向かう先は熱砂の国の裏町、マウリヤだ。



※※※



 アジームの屋敷から西へ約1時間。ターバンを巻き、小汚い衣服に身を包んだジャミルはマウリヤで一番大きな食堂へと足を向けた。


「ナーマン! この前俺に渡した情報から、更に何か得られたか? ニシット一派の隠しアジトが知りたいんだ」
「おっ、カーブースじゃねえか! ニシット一派っつったら……。なあ、鼻血滲んでんぞ」
「鼻血はいいから! 急ぎなんだ。ニシット一派の隠しアジト……今は使われていない古いものも含めて教えてくれ」
「……いやそりゃ構わねえんだがよ」


 とりあえず新しいの鼻に詰めとけ詰めとけ。裏町の情報通であるナーマンは、お綺麗な顔を血で汚している、己がカーブースと呼んだ男にティッシュを渡してやった。この坊主が駆けずり回ってるって事は、アジームの坊ちゃん関連だろうなぁ……と、親戚のオヤジの様な目で彼を見つめた。
 ここマウリヤで長年食堂を営んできた彼の下には、様々な情報が飛び込んでくる。やれ隣町のどこぞの娘が駆け落ちしただの、あの家はドラ息子の所為で家業が二進も三進も行かなくなった……あっちの商家が盗賊を雇って何か企んでいるらしい、なんて。
 カリムを守る為、バイパー家の情報網だけでなく独自の情報経路を確保したかったジャミルは、そこに目をつけた。己が自由に使える金の一部をナーマンに融資し、水面下で手を組んだのである。裏町の住人からすれば従者とはいえ、あのアジーム家とのパイプを持てるのだからメリットしかない。
 故に、ジャミルにカーブースという偽名を付けてやる程度には、ナーマンはジャミルを気に入っていた。情報を集めた分だけ、ジャミルは正当な価格で買い取るのだ。かのアジーム家はガキの従者にまで大金を渡すなんざ、えれえ太っ腹なもんで、等とナーマンは思っている。……まあ、実際はカリムが馬鹿みたいな量の金をジャミルに渡しているだけで、アジーム家でもあり得ないことだった。


「あーっ! カー兄だ!」
「鼻血出てらァ! やーい鼻血ぶ!!」
「にいちゃん遊びに来たの?」


 新しくティッシュを詰め直し、水を飲みながらナーマンを待っていたジャミルの足元に、わらわらとナーマンの孫達が群がった。子供達にとって運動神経が良い人間はヒーローなので、ジャミルは英雄的存在である。ある意味、子供達の間ではかのグレートセブンよりもジャミルの人気は高かった。
 そんなジャミルが久々にマウリヤに現れたのだから、子供達の喜び方はそれはもう凄い。ジャミルの膝の上の取り合いに始まり、肩車を強請る子や腕にしがみつく者もいて、終いには首元にぶら下がろうとするものだから、流石にジャミルも抵抗した。


「お前達、にいちゃん今日は急ぎなんだ」
「え!!」
「カー兄いっつも急ぎじゃん!」
「またにいちゃんのボスがなんかやらかしたのか?」
「ザーヒーの言う通りだ。また俺のボスがやらかした」


 ジャミルのその言葉を聞くと、子供達はぶーたれながらも我が儘を言うのを止めていった。ジャミル……彼らで言うところのカーブースは、ボスの事となると何があろうとも譲らないと、子供達もよく理解しているのだ。けれどもジャミルが食堂を出るまではくっ付いていたいようで、皆彼の足にしがみ付いていた。
 

「うちのちび共が悪りぃな」
「いや、なかなかこっちに来なかった俺も悪い。それで……」
「おう、これがニシット達の隠しアジトだ。ここ2つがブラフで、この3つが本命だ」


 川の近くの荒屋、とある商家の今は使われていない倉庫、そして裏町の大通りに面する薬屋の2階。ナーマンが把握しているニシット一派のアジトだ。おそらくその何処かにカリムがいるのだろうが、ジャミルには既に目星がついていた。木を隠すなら森の中だろう。
 目的地が決まったのならば、即座に行動に移すのみ。ナーマンと子供達に別れを告げたジャミルは、急ぎながらも焦りを誰にも悟られぬ様、ジャミルは細心の注意を払って薬屋を目指す。流石に鼻血は止まっていた。



※※※



 道中客引きに呼び止められて多少の足止めを食いながらも、ジャミルは薬屋の近くまで辿り着いていた。薬屋の一つ前の角に1人、店の軒先には2人、斜向かいの店で身を隠している男が1人。ジャミルは適当に近くの質屋を覗き込みながら、見張りらしき男達の様子を伺った。どの男も武器らしきものを所持していないが、緊張感溢れる顔つきをしている。……変装しているとはいえど、正面から入り込むのは難易度が高いであろう。
 だったら近くの建物から飛び移り、直接2階へ侵入した方が危険は少ない。見張りに気取られぬ様に周囲から建物を観察し、大雑把に間取りを把握したジャミルは、身を隠しつつ建物から建物へと飛び移る。
 すばしっこく身軽なカリムをしょっちゅう追いかけ回しているジャミルも、彼に負けず劣らず身軽であった。というより身軽にならねばやっていけない。
 足音を殺し、息を潜める。薬屋の2階の東側の壁面で身を屈めているジャミルは、慎重に足を進めた。
 ほんの少しだけ窓から覗いて、中にいる人間の配置を確認しよう。その後、西側の建物と1階の薬屋に花火をぶつけ、中の人間の気が逸れている間にカリムを救出。……深呼吸をして精神を落ち着けながら、ジャミルは救出の為の簡単な計画を立てる。そして、計画を実行に移そうと、ジャミルは恐る恐る窓を覗き込んで……。


「ほら、俺の言った通りだろ?」
「なっ……!!!」


 窓辺に立っていたカリムに屋内へ引き摺り込まれた。

 まさかカリムがそこに立っているとは思っていないし、引き摺り込まれるだなんて思ってもいなかったジャミルは、驚愕した顔のまま床にすっ転ぶ。けれども即座に立ち上がり、カリムを庇うようにして屋内にいる男達を睨みつけた。


「はぁ、こいつは驚いた。アンタの従者はとんでも無く優秀だな」
「しかもまだガキじゃねえか。……いやまあ坊ちゃんみてえな奴の従者なら、出来て当然……ってか? いやぁ、完敗だ」
「坊ちゃんの言った通りの時間じゃねえか。やべえだろ」


 しかし、そんなジャミルなどお構いなしに、部屋の中にいたゴロツキ達……ニシット一派は床に座り込み、酒を飲み始めた。その様子に、己の推理した事が合っている事を確信したジャミルは、背後を振り返ってカリムを睨みつける。
 ジャミルは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のカリムを除かねばならぬと決意した。決意したのだが、喜色満面の笑みを浮かべる主人を見ると、どうも怒りが萎んでいった。ジャミルはてんで主人に弱いのである。


「……あーっ! もう!!! どうしてこうなったか一から説明しろ!!」
「えーっ? でも、ジャミルなら大体わかるだろ?」
「こんな紙を残してたら分かるさ!」


 そう叫んだジャミルが取り出したのは、カリムの部屋で見つけた1枚の紙。怒りに任せて握り締めたせいでグシャグシャのそれを引き伸ばし、指で示しながらカリムの眼前に突きつけた。


「"雇った"って何なんだ一体! というか、何故"雇った"としか書かない?! しかも本のカバーの裏にテープで貼り付けて! 俺が気付いたからいいものの……!」


 紙にはカリムの筆跡で"雇った"と、一言。

 けれどもその一言だけで、カリムと付き合いの長いジャミルは大体のことを察してしまったのである。この一連の誘拐劇はカリムの手のひらの上だったのだ、と。……しかしまあ、納得できないものは納得できないので。
 ジャミルなら気付くと思ってたし、ここにも辿り着けるって分かってたから、なんて主人が嬉しい事を言ってくれるがこればっかりは喜んではいられない。カリムの誘拐騒ぎで、護衛達がどれほど気を揉んだと思っているのか。
 何故か酒盛りをして大いに盛り上がっている偽誘拐犯達を警戒しつつも、ジャミルは主人の腕を掴んで共に床に座り込んだ。納得できる説明を貰えるまで逃さないぞ、という意思表示である。


「簡単に言うと俺の戦力が欲しかったんだ」
「戦力……」
「おう。家にいる護衛達は俺を守ってくれてるけど、あれはアジーム家の戦力だろ? 有事の際は当主である父上が最優先だし、俺だけの戦力が欲しいなって」
「……いや、それにしたってどうしてゴロツキなんだ。普通に傭兵を雇えばいいだろ」


 この熱砂の国にも魔法士崩れの傭兵や国軍の元兵士などといった者達は多く存在する。なにもゴロツキを雇わずとも、そういった人間を雇えば良いだろうに。件のゴロツキが近くにいるのにも関わらず、そう言い放ったジャミルにカリムは破顔した。己に似て大した度胸の従者だな、なんて思ったのである。


「優秀だったり忠実な傭兵達は、尽く他所の家のお手つきだろ? 俺が戦力を欲してるって噂が流れれば、どうせ刺客として送られてくる。だったら、ジャミルの情報で一番使えるって言ってたニシット達を雇った方が手っ取り早い」
「いや、確かに、確かにお前にそう言ったさ。けど……」


 ジャミルは集めた情報を精査し、ニシット一派は金を裏切らないから信用できる、とカリムに報告した。ここマウリヤで幅を利かせているゴロツキ共で、ニシット一派は誰よりも金に忠実だ。金の繋がりがある限りどんな依頼でもこなす、そんな集団だと、どの情報筋からも証言を得ている。それをそっくりそのままカリムに伝えたジャミルだからこそ、カリムの雇ったと言うメッセージで、ニシット一派を雇ったのだと勘付けたのだ。あの情報を聞いてた時やけにニコニコしてたし……。
 ……確かに無駄にプライドのある魔法士崩れや、元兵士を雇うよりも安全と言えるかもしれないが、所詮はゴロツキだ。主人の守護を何より優先する従者として、ジャミルは素直に認める筈もない。筈も、ないのだが。


「ジャミル。お前がニシット達は使えると俺に言ったんだぞ。金を受け取れば何でもするが、逆に言えば、金を受け取っていなければ俺と敵対しない。そして今現在、誰にも雇われていないニシット達は、俺の敵じゃないって」
「ああ言ったよ、言ったけど!」
「でも、ニシット達は危険だって言うのか? ……それはつまり、ジャミルが俺に嘘の情報を流したってことになる」


 快活な笑みは消え去り深紅の瞳が真っ直ぐジャミルを突き刺す。首をかしげ、何か間違った事を言ったかとでも言いたげな主人の顔に、ジャミルの顔が引き攣った。ジャミルがニシット達を危険視すればする程、彼らは敵ではないと報告した己の首を締める事になるのだ。主人に虚偽の報告など許される筈もないのだから、ジャミルはニシット達を糾弾する口を持てない。
 やられた。これなら明確な敵だけ報告しておいて、ニシット達の事など言わなければよかった。今更ながらにジャミルは後悔するが、時既に遅し。ああもう、無駄に頭が回るな、我が主人は!!


「……分かったよ。雇った理由は理解できた。でも、いつニシット達と知り合った? どうやって接触した」
「一昨日の夜中に魔法の絨毯でびゅーん! ってな! ジャミルに気付かれないように一番気を付けたぞ」
「どうして1人で行動するんだ?! 危ないだろう!」
「金持ちの道楽じゃなく、本気で雇おうと思ってると誠意を見せただけだ。お坊ちゃんが1人でゴロツキ達のアジトに乗り込むんだぞ、冷やかしじゃないって誰だって理解できる。……ま、後はジャミルに反対されるって分かってたからさ!」
「……こう、どうしてカリムは普通の人間が踏み止まる所で、全力疾走し始めるんだ……」


 まるで暴走列車だ。頭を抱えるジャミルを、したり顔のカリムが見つめる。カリムとしてもジャミルの心労を増やしたくはないのだが、これはカリムにとって必要な事だった。だからジャミルには悪いが多少の無茶も仕方がない。
 ……それはそれとして。


「ああもう……。……で、誘拐もどきの理由は? さっきお前は俺の言った通りだとか言ってたし、ニシット達をも完敗だの言ってた。そこに関しては見当も付かないんだが」
「あ、それは俺が言い出した訳じゃないぞ!」
「おう、俺たちが坊主の力量を知りてえっつったからよ、どんくらいの時間でココまでやってこれるか賭けたんだわ。俺たちゃ早くて6時、アジームの坊ちゃんは4時半までに来るってな具合にな」


 赤らんだ顔の男が、ジャミルにそんなことを言い放つ。日に焼けた肌に屈強な体躯の大男……彼こそがニシットであった。まともに戦えばこちらがやられるだろうな、とジャミルは冷静に判断する。確かに戦力として申し分ない男だろう。
 ニシットの方も、主人に引き摺り込まれてから即座に戦闘態勢になったジャミルを評価していた。このアジトに辿り着ける頭だけじゃなく、しっかりと動けるのはいい従者の証だろう。そんな従者を悪戯に刺激するのも可哀想だ、と彼はカリムから少し離れた場所に座り込み、2人と向かい合った。


「あー……なんで俺を試すってなった?」
「それはそこの坊ちゃんが俺たちをアンタの下に付けるって言ったからだな」


 曰く。カリムの戦力になるという事は、つまりは彼の従者で相棒のジャミルの戦力になるという事と同義。カリムが直接ニシット達を使う事ももちろんあるが、ジャミルの手足となって働く事の方が多いだろう。そう言ったカリムに対し、自分達の上司になるであろう男が愚鈍でないか確かめさせろ、とニシット達が言い始めた、と。
 けれどジャミルは男達の予想を遥かに超えて優秀だった。アジームの屋敷からこのアジトまで、休みなく向かって1時間ちょっと掛かる。そして、カリムが誘拐されたと気付かれるのが3時。……ジャミルが、カリムのいう4時半にここへ辿り着くには、ほぼ一直線でこのアジトに向かわなければ不可能だった。しかしジャミルは4時半にここへ辿り着いたのだ。余程優秀な情報網を持っているのかもしれないが、それを抜きにしたって末恐ろしい。
 さらに言えば、この誘拐騒動はジャミルに対してニシット達の優秀さを示す側面もあった。何せ、カリムが大人しく着いていったと言えど、近頃警備が厳重になっているアジーム家に気取られず、ニシット達は屋敷に忍び込んだのである。優秀でなければなんだと言うのだ。


「……結局カリムが言い始めてるじゃないか!」
「なっはっは……悪りぃ!」
「悪いって思ってないだろ……!」


 ジャミル・バイパーは優秀な男である。だからこそ、カリムがここまでした理由がよく分かった。ジャミルはカリムの為にその命を使う、肉の盾だ。そのジャミルを死なせない様にするには、ジャミルにも肉の盾を用意すればいい。無駄にプライドのある魔法士崩れや元兵士より、ゴロツキの方が年若いジャミルの盾になってくれるだろう。それに、ゴロツキの方がジャミルも使い捨てやすいから、と。

 カリムってある意味馬鹿だなぁ、とジャミルは思う。たかが従者にここまでする意味がないだろうに、カリムは息をするかの様にジャミルの為にその身を危険に晒すのだ。
 ……確かに、俺の仕事が増えるだろ、と思わないでもない。けれど、"カリムを守り、尽くす為の従者"を両親にすら望まれて生きているジャミルにとって、ただのジャミルに命まで賭ける人間はカリム以外に存在しない。だからジャミルはカリムの為に何だってする。カリムの為なら、カリムの盾でしかない自分を守る為に他人の命を使う覚悟だってあるのだ。


「とりあえず、お前はヤーサミーナに怒られろ」
「えっ! 誤魔化すの手伝ってくれよ!」
「カリムは一回怒られるべきだ」
「誤魔化す為にハイサムの盗賊団を襲ったんだぞ!」
「大人しく怒られろ」
「頼むよジャミル!!!」


 ニシット達に日を改めて契約を結ぼうと言い放ったジャミルは、有無を言わさずカリムを担いでアジームの屋敷に向かった。途中、放浪していた魔法の絨毯を見つけたのでそれに乗って屋敷に戻り、カリムの家庭教師の前に彼を突き出した。空の旅の最中もカリムはジャミルに誤魔化しの手伝いを求めたが、一切の無視である。
 しどろもどろに言い訳をするカリムの助けを求める目だって無視だ無視。やりたい事もやった理由も理解しているが、カリムはこっ酷く怒られた方がいい。半泣きの護衛達に囲まれ、教師に怒鳴り散らされているカリムを後目にジャミルは自室に向かった。流石に2時間近く走り回れば彼だって疲れる。
 カリムの気持ちは有り難いが、もう少し落ち着いてほしいというのがジャミルの本音だ。



※※※



「ほら、夕食を持ってきたぞ」
「お、今日の夕食、は……。カレーじゃないか!! なんでカレーなんだ!」
「俺が食べたいだけだが?」
「お、俺がカレー嫌いだって知ってるだろジャミル! やっぱり滅茶苦茶怒ってるだろ?!」
「怒ってないさ」
「ぜっっっっったい嘘だ!」


 ジャミルは嫌がらせでカリムの口にカレーを突っ込んだ。





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