アジーム家のカリムという男



 隣に立つ男の体が強張ったのがわかった。ちらりと横目で伺うと、顔は青ざめ、唇を震わせて声にならない声が漏れ出ている。……そうか、そうか。お前も、嫌なんだな。

 大丈夫、俺も嫌だからなんとかしてやるよ。


※※※


「ジャミル、今日の鍛錬は終わったか?」
「ああ、さっき終わったよ」
「そっか、おつかれ」


 ジャミル・バイパーが仕える主人、カリム・アルアジームはとても気の良い少年だった。大富豪であるアジーム家の長男としての立場を存分に理解していながらも、従者であるジャミルと歳が近いからと親密な態度で接してくる。従者としての心構え等を叩き込まれているジャミルとはいえ、高圧的でなく、己を気遣ってくれる主人を心底気に入っていた。
 さらに言えば、ジャミルの主人は頭が良かった。金儲けの才能があると言ってもいいだろう。頭の回転が早く、いろんな物事をすぐさま覚えて自分のものと出来る少年だったのだ。幼いながらもそれなりに向上心があったジャミルは、優秀な主人に付き従えば己ものし上がれるだろうという考えがあった為、主人・カリムの優秀さも彼を慕う理由の一つになっていた。


「……カリム、護衛はどうしたんだ?」
「間者が紛れてたみたいだから父上に引き渡してきた。いっそ俺だけの方が身軽で逃げられるだろ?」
「おっ、おまえ……!」
「怒るな怒るな。たった100mを1人で歩いただけだぞ?」


 そんなジャミルの主人は、優秀であるが故に、よく命を狙われていた。第二夫人の実家や、アジーム家の商売敵、果ては親戚筋から毎日のように刺客が送られてくる。どれもこれも、カリムが優秀すぎた故の弊害だ。
 カリムが多少優秀程度で収まっていたならば、アジーム家の筆頭の跡取りとして敵視は然程されていなかった筈だった。けれど幼い頃から才覚を現し、最近巷で流行っている装飾品を思い付いた張本人とあれば、敵はネズミ式に増える。商売敵は当然として、己の息子を跡取りにしたい第二夫人も、アジーム家の利権を貪りたい親戚筋も。
 だからジャミルも人一倍努力を積み重ねていた。気の良い主人を守る為、死なせてたまるかと誰よりも努力をして、最近遂にユニーク魔法を発現した。あまり大勢に知られては効果が薄くなるであろうユニーク魔法だったが、カリムだけはその詳細を全部知っている。知った上で、ジャミルの為に盛大な宴を開いてくれた。
 ……他人を操る、だなんて従者を辞めさせられるかもしれない程の危ういユニーク魔法の習得を、カリムは自分の事の様に喜んだ。それだけでジャミルの心は雲一つのない空の様に晴れ渡ったのだから、今まで以上に鍛錬に力が入るというもの。そんな風にカリムの為に血反吐を吐いて努力をしているジャミルに対し……当の本人はちょっと呑気だった。


「100mぐらい問題ないだろ? ジャミルも遠くにいたわけじゃないし」
「何かあってからじゃ遅いんだ、カリム。お前はこの家の宝だぞ……!」
「俺だって多少動けるし……」
「手足が短いだろ」
「小さいと言え!」


 カリムは優秀なので、当然護身術も修めている。けれど体格という生まれ持っての才能は変えられない。まだ成長しきっておらず、体の小さなカリムはどう足掻いても大人の手練れに勝てないのだ。だからジャミルが頑張っているのだが、やはりアジーム家の気風なのかカリムはあまり気にしていない。
 己に対する信用の現れかもしれない、とジャミルは思っているがそれはそれ。カリムに頼られるのは自尊心が満たされるものの、大事な主人が傷付く可能性は極力減らしたいのも事実。


「この前の刺客も俺が倒しただろ」
「その前に俺が弱らせてたのを忘れたのか……」
「いやぁ、歌って踊ったら忘れちまったな! ハハハ!」
「……カリム、その適当な言い訳好きだよな」


 鍛錬後で汗だくのジャミルにタオルを手渡したカリムが快活に笑う。カリムとしては、多少神経質な面を持つジャミルに対し、自分が対照的な態度を貫けば、2人で丁度いい塩梅だと考えていた。だから敢えてちょっぴり大らかに振る舞っていたし、本当に危ない時には真面目な顔で対応している。


「で、どこの間者だった? また叔父の方か?」
「第三夫人のとこだな」
「へえ、第三……。えっ、第三夫人?! カリムに散々息子達を庇わせておいて?!」
「目の上のタンコブなんだろうなァ、俺」


 第二夫人はまだわかる。何せアジームの次男が彼女の息子だからだ。しかし、第三夫人がカリムを狙うのは……あまりに無謀が過ぎる、とジャミルは考える。第三夫人の最初の息子は六男だから、上にいる5人を殺さなければ後継者には躍り出ない。
 上の5人を全員殺す気なのか、と、お淑やかな風体の第三夫人を思い出してジャミルは身震いする。あんな箱入りのお嬢様でも、権力争いになれば随分と酷いことを平気でするんだな、とちょっとだけ女性に対する恐怖心も抱いた。カリムは慣れているので女って怖いな! と笑いながら言っているが。……その反応もその反応で怖いものがある。


「ま、初めて刺客を放ったみたいだし随分と杜撰だったぞ」
「……お前の敵がまた増えたのか……。カリムは普通にしているだけなのに」
「金ってのはどうしても人を惑わせてしまうんだ。アジーム家の財産を俺が引き継げば、兄弟達は皆傍系になる。今より豪勢な暮らしはできないだろうな」


 権力争いに綺麗事は持ち込まれない。それを理解していながらも、ジャミルはちっとも納得ができていなかった。カリムの様に才気に溢れた男を殺せば、それはアジームにとって多大な損害になるだろう。それに従者にも優しく驕り高ぶらない、美しいカリムを殺そうとするだなんて馬鹿じゃないのか。本人に自覚はないが、ジャミルは心の底からカリムの事が大好きなので、本気でそう思っていた。
 そんな事を考えながら、眉を潜めてため息を吐いて動かなくなったジャミルを見て、カリムはどうしたもんかと頭を捻る。間者を引き連れていった時に小耳に挟んだ情報をジャミルに伝えれば、もっとため息を吐く事は必須だからだ。さっきまで鍛錬して疲れてるだろうし、今度でも良いかな、なんて。


「はぁ、また俺が頑張らないとだめじゃないか……。第三夫人はノーマークだったから、彼女の親戚筋から裏取引のルートも全部調べないと」
「俺もするぞ?」
「これは従者の俺の仕事だ。カリムは、俺が纏めた重要事項の内容だけ覚えてくれればいい」


 大変な作業だが、カリムを思えば苦じゃなかった。バイパー家の力を多少借りながら、自身で得た裏町の情報網を使うか、とジャミルはこれからの算段を立てていく。せめて一週間程度で調査を終えよう。日が開けば開くほど、カリムに対する再襲撃の可能性が高まるのだから、その位が丁度良い。


「あ! いや、でも無駄になるかもしれないな、それ」
「……は? 無駄になる?」
「ああ。だって、父上がジャミルをムガル付きにしようかな、なんて言ってたんだ」


 ムガルとはアジーム家の次男である。つまりカリムを狙っている第二夫人の息子だ。突如として落とされた爆弾発言に、ジャミルの頭は真っ白になっていた。カリムの従者じゃ無くなるだって? 冗談じゃない。巫山戯るなと叫びそうになった。
 常に命を狙われているカリムから、従者を1人減らす? 挙句、俺が新しく仕えるのはカリムの命を狙う派閥の頭だって? そんなの、カリムが死んでしまうだろう。主人の命令は絶対なのだから、ジャミルは新たな主人となった人間にカリムの首を求められれば、どれだけ嫌だろうがカリムの命を刈り取らねばならない。そう生きる事を教えられた、それしか生き方を知らなかった。


「俺は優秀だろ? だからジャミルが居なくたってどうにかなるって父上が。それより第三夫人が動き出したってことは、ムガル達第二夫人の息子達の命も危うい。優秀なジャミルをあてがえば、死ぬ事はないだろってさ」
「そ……それ、は……」


 カリムの語る理由は尤もなものだった。今回の第三夫人の刺客も、カリムは1人で見つけて対処してしまった。だから彼の父親が、カリムはジャミルが居なくたって大丈夫だと判断するのは肯ける……むしろ正しいと言えるだろう。カリム程優秀でない次男は、きっと刺客に気付けない。だから刺客を排除できるジャミルをあてがおう、と。
 自分の主人のカリムの父親の命令は絶対である。ジャミルが嫌がろうと、バイパー家に生まれたのならば従うのが宿命だ。けれど、だけど、どうしても嫌だった。カリムの従者じゃなくなるのはもちろんの事こと、カリムの一番の従者が他の誰かになる事も許せそうにない。

 だってジャミルは心底カリムに傾倒していたのだから。


「ジャミル」
「……カリム」


 カリムの隣に立つ男の体が強張ったのがわかった。ちらりと横目で伺うと、顔は青ざめ、唇を震わせて声にならない声が漏れ出ている。……そうか、そうか。お前も、嫌なんだな。


「俺も嫌だしなんとかする! 大丈夫だって!」
「な、なんとかって……」
「要は、俺にはジャミルが居なければならないってみんなに理解して貰えばいいんだ。どうにかする!」



※※※



 そうしてその日から5日後のカリムの誕生日に、カリムは毒入りの料理を食べた。彼の父親が正式にジャミルをムガル付きにしようと、次男にジャミルを引き合わせていた最中の事だ。カリムが倒れた知らせを聞いて、一も二もなくジャミルは飛び出して即座に下手人を突き止めた。第二夫人の刺客が毒入りの料理を作り、第三夫人の刺客が毒味をした振りをしていたらしい。

 それからカリムは2週間昏睡し続けているものだから、ジャミルは憔悴しきって何も手がつかない状態だ。カリムの父親も、そんな状態のジャミルをムガル付きに移動する程お気楽な性格ではなかったし、ジャミルが離れた途端にカリムが死に掛けたのだから移動の話は白紙に戻った。喜ばしい事かもしれないが、ジャミルには喜ぶ余裕なんてあるはずもなかったし、ただただカリムの目覚めを待っていた。


「……ジャミル」
「カリムッ! ああ、良かった……本当に、良かった……!!! すぐ医者を呼ぶから、待って」
「ジャミル」


 身動ぎをして目を覚ましたカリムを見て、一気に体の力が抜けてしまったジャミルは床にへたり込む。ああ、本当によかった。半分泣きながらカリムの手を握って、医者を呼ぼうと大きく息を吸い込んだ。けれど、それを他ならぬカリムに静止されてしまった。
 昏睡し続けたせいで痩せ細ったカリムは、目を覚ましたばかりだというのに随分と力強い目でジャミルを見つめる。ジャミルとしては早く医者を呼んで異常がないか確認して貰いたいのだが、珍しく真面目に己を見つめるカリムに何も言えなくなっていた。


「ん゙ん゙っ……なあジャミル、俺の特技は?」
「…………毒の鑑定。ほら、水だ」
「お、ありがとな。……だから、俺が食べた料理の毒がなんなのか分かってた。分かってたから、中和できる毒を一緒に混ぜて食べたんだ」
「わ、分かってただって?! 下手したら死んでいた……!!!!」
「でも、そのお陰でムガル付きの話は無しになっただろ?」


 あっけらかんと語るカリムに、ジャミルは二の句が告げなくなった。なんて無謀な事を、だとか色々言いたい事はあったはずなのに、全部が吹き飛んだ。
 だって、それはあまりにも、あまりにも在るまじき事だった。アジーム家の長男で、跡取りで、優秀なカリムがしていい事じゃない。上に立つものとして、主人として絶対にしていい事じゃなかった。だって、だって。


「お、俺のために……命を賭けたのか……? 従者の俺の為に、お前が……?」
「俺も嫌だったしな。……それに、ジャミルはただの従者じゃないぞ! ジャミルは俺の従者で側近で、そして何よりも大事な相棒だ。大事な相棒の為に命を賭けなきゃ何に賭ける? ……あっ、なんでそこで泣くんだ?! 相棒じゃ物足りないか? じゃあ親友はどうだ! ええっ、余計に泣いた! どうしたら泣き止んでくれるんだよぉ」


 結局ジャミルは疲れて眠るまで泣き続けたし、病み上がりのカリムはベッドの上でずっとオロオロしていた。






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