熱砂の■■■ 第四幕
「兄さん、カリム・アルアジームさんからお手紙だよ」
「ヒィッ……か、カリム大明神から?」
いそいそとウィンターホリデーの準備をしていたイデア・シュラウドの下に、弟であるオルト・シュラウドが手紙を持ってやってきた。誰からの手紙だろうかと首を傾げていたイデアは、オルトに告げられた名前に飛び上がった。多分30cmぐらい。
震える手で手紙を受け取ったイデアが宛名を確認すると、間違いなくイデアのフルネームが記載されている。ひっくり返して裏面を見てみれば、カリム・アルアジームの名が流れる様な筆記体で書かれていた。
かのキング・オブ・陽キャのカリム大明神から僕宛に手紙? わ、わけわからん……果たし状か? いや、あのカリム大明神がそんなもの僕に送ってくるわけないし……。チラチラと受け取った手紙に目線を向けては他所を向いたり。手汗が滲んできたのかズボンで手を拭いて、手紙がまるで危険物かの様に指で摘んで持ってみたり。そんな挙動不審な様子の兄に対して、オルトが助け舟を出した。
「うん、なんでもジャミル・バイパーさんが言ってた貸しの件だ、って」
「アッ」
「ジャミルの貸しは俺の貸しだから、俺の頼みを聞いてくれって言ってたよ」
「エッ、ナニそのジャイアニズム……」
無茶振りだけは勘弁、と震えながらも覚悟を決めたイデアがゆっくりと手紙の封を開ける。思わずオルトが手伝った方が良いだろうか、と思案するぐらい手先が震えているが、なんとかイデアは手紙を取り出した。
「…………ハッキング????」
※※※
熱砂の国、上空にて。
《いやぁ、カリム氏から手紙が届いた時はマジで焦りましたわ。僕、また何かやっちゃいました? って》
「あっはっは、急に関わりのない奴から手紙が届いたら、そりゃ焦っちまうよな」
夜を駆ける。
ナイトレイブンカレッジの入学式の前日、カリムとジャミルをクベーラの洞窟へと転移させた長距離転移魔法。1年生の頃から時間を掛けて、ジャミルと2人でその魔法を解析したカリムは、帰省の際に転移魔法に使用する魔法陣を熱砂の国の至る所に刻み込んでいた。
アジームの屋敷だったり、部下のニシット達の持つ様々なアジトであったり。場所によって細かく魔法陣に書き記す座標や方角を変えたお陰で、カリムとジャミルはいつでも好きな時に闇の鏡を介さずとも、遠く離れた土地へと転移することが可能となっていた。……ただし膨大な魔力が必要であるし、ブロットも溜まりやすいのでもっぱら緊急事態時専用の移動手段である。
今回アズール達が合同合宿を提案し、その間にスカラビア寮内部を探り始めたことにより、カリムやジャミルに付いていた監視の目が彼らから外れてアズール達に向いたのだ。別に監視の目を欺くことはカリムやジャミルにとって朝飯前だが、労力を使わずとも監視が緩んだのならその時が好機と言えるだろう。
故にカリムは夜中に転移魔法を使用して、スカラビア寮を脱出して熱砂の国に訪れているのだ。久々にカリムを連れて空を飛べることが嬉しいのだろう、魔法の絨毯がいつもより速く空を飛んでいく。
《しかも貸しのお話でしたし? カリム氏から拙者に頼みとか、天地がひっくり返ってもあり得ないと思ってたんで》
「そうか? イデアはプログラミングとかさ、そういう事なので間違いは関係に強いだろ。俺もジャミルもあんまりそっち方面の知識があるわけじゃないから、今回頼んだんだぜ」
《ふひひ、カリム大明神にそう言って貰えるとは光栄の極み。……それにしても、本当にいいでござるか? 対価にあんなモノ貰っちゃって》
電話先のイデアが少しだけ心配そうな声でカリムに尋ねるが、カリムは一切気にしていなかった。カリムがホリデーの直前にイデアへ頼みこんだ事柄は、流石に貸しでは釣り合いが取れないものであったのだ。なのでカリムはイデアへ対価として、彼の得意分野である召喚術に役立つであろう魔導書……件のクベーラの洞窟の財宝の山に埋もれていた本の、写しを差し出す事にしたのである。
熱砂の国には未だ踏破されていない未知の洞窟が数多くあるし、そこに番人として存在する魔法生物だって数え切れないほどいる。カリムが対価でイデアに渡そうとしている魔導書は、それらを召喚できる様になるとは限らないものの、召喚するヒントになり得るものであるのだ。
イデアからしてみれば、自分では手に入れることができないであろう他国の……しかも、古代の召喚術に関する魔導書のレプリカを報酬としてもらえるのなら、文字通り何だってする気概であった。しかも古代の魔導書だの洞窟の財宝から見つかっただの、男心を擽るロマン溢れるキーワードに塗れた逸品だ。自他共に認めるオタクであるイデアの琴線に触れないはずがない。
「俺もジャミルも召喚術を専門にしてないからなぁ。割と宝の持ち腐れになっちまうだろ?」
《いやいや、召喚術が専門じゃないって言ってるけど、普通以上にはできてるじゃん。まあ貰えるもんは貰いますけど》
「おう、休暇明けに渡すから楽しみにしておいてくれよ。それと、もしレプリカの古代呪文とかが分かり辛かったら、ジャミルに聞いたら一発でわかるぜ」
《え、拙者にそれはハードルが高すぎンゴ……。ジャミル氏に話しかけに行けと?》
あのストリート系イケメンかつカリム氏過激派の男に? 拙者が? ……カリム大明神ってば、拙者に遠回しに死ねと仰ってる?
今こうしてイデアがカリムと会話できているのは、単にスマホを介して会話しているからだ。カリムの依頼を熟しつつ電話で何度か連絡を取り合ったからこそ、イデアも多少打ち解けてスマホ越しならば軽口を叩ける様になったのである。もし対面でお話ししようものなら、イデアは"陽の者"のオーラで爆発四散しているに違いない。
多少慣れたであろうカリムですらそれなのだから、一度しか会話したことのないジャミルに話しかけるなんてイデアにとっては自殺行為である。がけものライブもあるし、今度推しのフィギュアが販売されるし、待っていた漫画の新刊もあるから、イデアはここで死ぬ訳にはいかなかった。
「ジャミルは別に怖い奴じゃないぞ」
《そういう問題じゃないんすわ……》
「あと、意外に話とか合うかもしれないし。ジャミル、最近リリアに教えてもらったゲームに嵌ってるんだ」
《マ??? え、ジャミル氏ゲームするの? リアル大乱闘してそうなのに?》
「FPSとかのアクションゲームが好きだってさ。俺は謎解きゲームが好きだな」
電話越しのイデアは、目を大きく見開いた。あの、ポムフィオーレ寮生の顔面を血塗れにしたという伝説を持つジャミル氏がゲーム? というか今カリム氏も謎解きゲームっつってたじゃん。寮で宴を決行したり、軽音部に入って楽器をかき鳴らしているパーリィピーポーから、まさかゲームという単語を聞くことになるなんて、イデアは思っていなかったのである。
後でハッキングでジャミル氏のプレイヤーデータ調べてみよ、とイデアは1人でウンウン頷いた。
《ところでカリム大明神、なんだかご実家が慌ただしい事になってますけど》
「俺の部下と兵士が突入したんだと思うぞ。赤い装束の兵士は全部この国の兵士だ」
《あっ確かになんか赤いっすわ……。で、この……超強面の髭塗れのオッサンがカリム氏の部下? 本気??》
「その髭塗れの熊みたいなのが部下の頭だな」
アジーム家のシステム等全般へのハッキング行為により、現在イデアはカリムの実家やその親戚筋などの屋敷を完全な監視下に置いていた。下手すれば国よりも金を持っていると噂の大富豪にハッキングを仕掛けるなど、随分と骨が折れそうだなんてイデアは考えていたが、カリムが正規の入り方を教えてくれたので思ったよりシステムの掌握は簡単に済んだ。これだけでレプリカを貰えるんなら安いもんですわ、とはイデア談。
それにアジーム家を監視下に置けたならば、カリムとジャミルに対する人質の監禁場所だってすぐに割り出せたし、2人が把握できていなかった内通者も通話記録で丸分かりだ。
《思いっきり頭って言ってる……》
「元々ゴロツキだったからな」
《それ、ジャミル氏怒んなかったの? ……ん? 違う違うそっちの部屋じゃなくってこっちの奥の部屋だよ。どこ見てるんだよこの熊男。あっ通り過ぎた。何でその部屋見落とすわけ? ……あー、部屋全体に認識阻害掛かってますな。じゃあこの子のスマホ大音量で鳴らして、と。そこの熊気付け》
「サポート助かる」
《いやいやいや。レプリカの為だし、きっちり依頼はこなすであります》
カリムからイデアへの依頼はアジーム家へのハッキング、そしてカリムのサポートである。
先ず、カリムがウィンターホリデーに合宿を決行したのは、アジーム家からの脅しがあったからだった。熱砂の国への帰国、部下との情報交換、他国との貿易。その全てを禁じられ、破ったと見做せば、ジャミルの家族を殺すと通告されたのである。それに上乗せする様に、カリムが今まで築き上げた富をアジーム家に納め、尚且つ彼の名声を失墜させることまでも要求されていた。
まさか実家からそんな脅迫があると思っていなかったし、仮にあったとしてももっと先だろうと思っていたカリムにとって、それはまさしく青天の霹靂である。大抵の事は予め対策をしていたが、この時期での実家からの脅迫など対策をとっている筈もない。なんとか対処しようにも、部下と情報共有ができないので人質の居場所の捜索すらできなかった。さらに言えばジャミルとの必要以上の接触も部下との情報交換と見做すとも言われた為、実家から脅迫をかけられた時点でカリムは八方塞がりであったのだ。
ならば、と彼が協力者に選んだのがイデア・シュラウドである。情報交換を禁じられているのならば、カリムが一方的に情報を得て部下を誘導してやればいいのだから、遠く離れた地であってもハッキングという手段で情報を盗み出せるイデアは、非常に有用な人間であった。
アジーム家のセキュリティシステムを乗っ取り、カリムの監視網に穴を開ける。アジーム家の人間の携帯端末に追跡アプリを仕込み、人の動きを観測して人質の居場所の特定。カリムとその部下専用のプライベート回線の構築。ここまで来るとイデアも興が乗ったのか、後ろ暗い事を行なっている人間のリストアップや商売敵の犯罪行為をまとめたり。
カリム・アルアジームの手伝いという大義名分に則って、イデアは結構好き勝手にカリムの敵をボコボコにしていた。人間誰しも自分が正義の側に立っていると、必要以上に敵を追い立てる。まあ、イデアの場合それに加え、成功してるリア充を爆発させられる事に喜びを覚えていたわけだが。大金持ちのリア充共はみんな失墜していけばいい。但しカリム大明神は除く。そんな気概だった。
そうして外部からじわじわとアジーム家への攻撃を加えてもらっていたカリムは、今度は内部……スカラビア寮にいるであろう内通者を潰す事にしたのである。現在スカラビア寮には20人ほどアジーム家の関係者が所属しているが、内通者がそれだけではない可能性があった。万が一、カリムやジャミルが把握できていない内通者がいた状態で、既知の内通者達を出し抜こうとしても、存在を知らなかった内通者にカリムの動きをアジーム家に報告されてしまうだろう。そうなれば人質が殺される。
故に、彼は敢えて厳しい合宿を行う事にしたのだ。自分やジャミルと、内通者達との根気の勝負になるが、スカラビア寮生全員に厳しい課題を与える事により、内通者の体力や精神力諸々を削る。人間誰しも疲労が溜まればミスもするだろうから、イデアが内通者を見つける前にそいつが尻尾を見せれば御の字、イデアからの情報が早ければ疲労したそいつを出し抜けばいい。
理不尽ともいえる強制合宿に、内通者が敢えて流すカリムの悪口。擦り減っていく精神力と積み重なる疲労にその悪口まで重なれば、いくら熟慮のスカラビア寮生と言えどカリムに不信感を抱く。そうなれば、カリムの実家が要求したカリムの名声の失墜の条件を満たせる。割といいカモフラージュだろう、とカリムは得意気にそんな計画を立てていた。
アジーム家の御家騒動に関係のない寮生達にも苦難を強いることになるが、まあそれはそれ。今までカリムが親身に面倒を見てやったりしてきていたし、何よりカリムという人間との太いパイプを持てているのだから、そこは目を瞑ってくれるだろう。……そうなる様に今までカリムは恩を売り、彼に対して善意が返ってくる様に行動し続けていた。それが今こうして実を結んでいる。
《あ、カリム氏! ジャミル氏の妹氏と御両親が救出されましたぞ》
「よーし! じゃあ後は他の奴らの家族だな」
《人質をとられてるとはいえ、カリム氏に敵対してる奴らの家族も助けるとか……カリム氏ってやっぱ最強の光属性でござる。流石カリム大明神》
「普通のことだぞ。誰だって家族が死ぬのは嫌だしな」
《………………カリム氏ってホント……》
そもそもイデアがカリムと交渉の場に着き、魔導書のレプリカを報酬に依頼を受ける判断を下したのだってカリムの人徳だ。カリムという人間ならば、決して悪い条件での依頼は行わないだろうという、彼に対する信頼がイデアにはあった。いくらレプリカが欲しかろうが、これがアズール相手の交渉であればイデアが渋っていた事は簡単に想像できる。
それにある意味アズールがカリムに喧嘩を売ったのだって、カリムに対する信頼からの行動だ。カリムやジャミルを直接傷つけるような真似を決して許しはしないが、何かカリムにとって不都合なことがあったとしても、してやられたなぁと言って笑うのがカリムだ。やり返すとしてもNRCの生徒にしては珍しく、悪質なことを一切しない。
だからアズールは喧嘩を仕掛けたのだ。カリムがアズールに負けたとて、報復という手段をカリムが取る事はないと確信していたのである。怒らせる様な真似さえしなければ、カリムは反吐が出るほどお優しい。なんだかんだ許してくれるし、カリムが持ちかけてきた話ならば損をする事はないだろう……なんて、みんながそう思っている。……否、そう思うように、カリムとジャミルで誘導してきていた。
《あとは、第二夫人以下略とカリム氏のパパ上殿の所に兵士を誘導すればいいですな? 自分の部下じゃなくていいでござるか?》
「ああ、それでいい。あの人達にはひっそりと慎ましやかな余生を送ってもらう」
《いやぁ甘過ぎっすわ。超絶命を狙われまくってたのに殺さないとか。マジでいいの? 今まで何百回とカリム氏を殺そうとしてきた女なんでしょ》
アジーム家の第二夫人。クルスームという古い名家の血筋のその女は、近年没落気味の実家を立て直すために、己が息子をアジーム家の跡取りとしようと目論んでいた。そこに息子達への愛情があるはずもなく、そもそもアジームの当主を愛しているわけでもない。ただ当主の人の死に対する淡白さが都合が良いから、彼女は彼に取り入って第二夫人になっただけ。
だからこそ彼女はどこまでも非情になれる。第一夫人を殺した事に罪悪感を持つ事無く、またカリムの弟を殺した事に心を痛める事も無く。ただ自分の分身を当主に据える為、邪魔者を排除し続けた。それでも殺しきれなかったのがカリムだ。
カリムの従者であるジャミルをムガル付きにしようと策を練っても、結局ジャミルはカリムの従者のまま。毒殺も何故か上手くいかない。だったら刺客を放てばいいと暗殺者を仕向けてもジャミルが対処するし、カリムも自分自身で刺客を退ける。ならば人の戻らぬ洞窟に追いやってしまえ、とわざわざ政敵と手を組んでまでしてカリムとジャミルを北の洞窟へと転移させてやったのに、彼らは生還した。その後、手慰みにNRCの生徒を使ってみたものの当然意味もなく。結局、彼女は今日に至るまでカリムを殺せなかった。
そして、カリムは今までの暗殺者の半分以上が第二夫人からの刺客だと知っている。クルスーム家の為にアジームを食いものにしようと躍起になっていることもカリムは理解していた。息子であるムガルやその弟妹も道具としか思っていないし、そもそも父親を愛している訳でもない。そういう性質の彼女を理解した上で、カリムは彼女を殺さない事に決めていた。
確かにカリムの母と弟の仇であり、カリム自身執念く命を狙われていたけれど、それでも彼女は弟の母親だ。甘いと言われようが、カリムは弟の家族を殺すなどと言う選択肢を選ぶ事はない。選んでしまったならば、弟妹を守ると決めた自分を裏切る事になるからだ。
「血は流れないに越した事ないだろ?」
《アニメの主人公みたいな事言ってる……》
※※※
カリムの父であるアジーム家の家長は、愛深く、けれども薄情でもあった。人が死ぬことは自然の摂理であるからして、愛する者が死んだり、ないしは殺されたとてそれは自然な事だと彼は考えている。それ故に、彼の愛する妻と息子が第二夫人の手によって殺された時も、彼の娘が流行病で死んでしまった時も、彼は唯々愛した者が居なくなった哀しさに暮れるだけであった。それは決して、殺された……死んでしまった事に対する悲哀ではない。自分の手元から消えてしまった事に対する悲しみだ。お気に入りのカップが壊れてしまったかのような、好きだった花が枯れてしまったかのような、その程度の悲しみでしかない。
しかしその男は、"愛情深くもあった“。
彼は確かに第一夫人も、息子や娘も愛していた。妻や子供達に似合うであろう宝石を見繕っては、最低でも週に一度は彼らに手渡していたし、事あるごとに祝祭を決行して、妻たちや子供たちと語らいあっていた。そしてその中でも一等目にかけていたのが、長男であるカリムであるのだ。
子供たちの中で1番賢く、それでいて愛嬌もある。家庭教師や使用人たちからの覚えも良く、父親である己の仕事が気になるのか商談の場に着いてきたがるのさえ、彼は愛おしく思っていた。貪欲に知識を求める様も、己が従者にすら才能を求めている姿も。
2番目の妻がカリムを殺そうとしているのは少々悲しいものの、己のお気に入りであるカリムが、第二夫人程度が用意した刺客に斃れる筈もない。それに、死んだなら死んだで"どうしようもないし”。
新たな商売や国中で宴を取り仕切るカリムを、父親はそれでも彼なりに愛していた。
だからこそ、許すはずがなかった。
死んでしまったなら仕方がない、人はいつか死ぬものだから。けれど、己の手元から飛び立つことは許さない。……彼はお気に入りの玩具が壊れたとて気にしないが、お気に入りの玩具が他人に取られる事だけは許さなかったのだ。何故なら、彼は愛情深い故に。
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