熱砂の■■■ 第三幕
「情報を纏めましょうか」
キュ、とペンの蓋を取って、部屋の壁に貼り付けた紙の前に立ったアズールがそう言った。本日はラクダに乗って行進していたので、彼は元気である。……代わりと言ってはなんだが、ジェイドとフロイドは少々疲れているらしい。ジェイドは昨日よりも伸びた行進の距離のせいで。フロイドはオアシスではしゃぎ回り、自業自得で草臥れていた。
「カリム先輩の側にジャミル先輩がいない理由が、ウィサームくんがジャミル先輩に教えを乞うているから……ですよね」
「ええ、そうです。が、これはおかしいんですよね。ジャミルがカリムさんの従者として優秀だから、ウィサームさんはジャミルさんから技術を吸収しろと命じられた。……しかし、ジャミルさんがカリムさんから離れていれば、従者としての働きが制限されますよね?」
カリムの従者としてのジャミルから学ぶ、と謳っているのに肝心のジャミルがカリムから離れて、ウィサームと過ごすことが増えているのは本末転倒であろう。これではカリムの従者のジャミルではなく、スカラビア寮の副寮長であるジャミルの働きしか学べない。
現に、ジェイド達がそれとなくスカラビア寮生に探りを入れたところ、最近のジャミルは従者の仕事よりも副寮長の仕事ばかりしているらしい。……それに、あれほど慌ただしく交渉の為に他国を訪れていたカリムが、近頃は一切出掛けていないという情報も得た。
つまりは彼もカリム・アルアジームとしての働きをせず、スカラビア寮の寮長の仕事しかしていない事になる。あれだけ精力的に貿易等をしていた男が急に仕事をしなくなるなど、アズールが契約を一切しなくなる様なもの。
ありえない現象だと言って過言ではないだろう。
「ウィサームさんがそれを疑問に思ってすらいないか、それとも確信してジャミルさんとカリムさんを引き離しているかによって状況は変わってきますね」
「え、絶対確信してんじゃん。小エビちゃんが、あいつがラッコちゃんの悪口みたいなの言ってたって言ってたしさぁ。ウミヘビくんのやり方を真似できるぐらい優秀なんでしょ? 気付かないとか無いと思うんだけど」
ふ、フロイド先輩がなんか真面目なことを言ってる……! と監督生が感動してフロイドを見つめると、監督生が失礼な事を考えていると勘付いたフロイドが、彼にチョークスリーパーを仕掛けた。
ジェイドもアズールも、そんな2人の様子を微笑ましそうに見つめる。助けてやれよとグリムは思ったものの、矛先が自分へ来るのは嫌だったので黙っていた。グリムは賢い獣なのである。
「あのジャミルさんが自ら望んでカリムさんの側を離れる事は有り得ない。なら、元凶はウィサームさん……だけでは無いんでしょうね」
「ジェイドの言う通り。高々アジーム家の使用人の子である彼が、跡取りのカリムさんと従者のジャミルさんをどうこうできる程の力があるわけでもないでしょう。それに、彼はアジーム家の家長……カリムさんの父君に命じられたと言ってましたし」
「うーん……なんか、カリム先輩とお父さんとが喧嘩してるとか……?」
喧嘩で済んでるならいいですがね。カリムの実家であるアジーム家の影。そして彼が行なっている商人としての活動の停止。どれもこれもスカラビア寮内に収まらない問題だ。カリムやジャミルの企みを潰せたらいいな、なんて野次馬根性を持って首を突っ込んだものの、思いの外やばそうな状況にアズールは頭を悩ませる。
カリムもジャミルも焦りを見せていないし、アズールに取引を持ちかけてこない事から、そこまで緊迫した状況では無いのかもしれない。が、下手な事をすればアズール達に面倒事が降りかかりかねない。
……だからと言って、こんな千載一遇のチャンスを逃すはずがないが。
「まだ仮説ですが、カリムさんの父君がウィサームさん……もしくは他のアジーム家の関係者のスカラビア寮生達にも"何か"を命じて、こんな状況になっている、と考えられます」
「その何かってのが分かれば、この合宿生活からオサラバ出来るんだゾ?」
「仮説ですがね。……しかし、その"何か"が全く分からない。フロイドは思い付きます?」
「わかんなぁい。ジェイドは?」
「僕にもさっぱり。……ここに来て手詰まりですね」
お手上げだ、と言いたげに紙に色々書き込んでいたアズールがベッドに座り込む。
ウィサームに聞き込みするのは論外だ。彼にアズール達の動きが知られれば、そのままアジーム家に情報が伝えられる可能性がある。そうなれば目も当てられない。誰だってあのアジーム家に睨まれるのは勘弁だ。
それに、他のスカラビア寮生に聞き込みするのも危険だった。昨年度のカリム毒殺未遂の犯人である、エマニュエル・オクレールとライノ・リックマン。彼ら2人がアジーム家……ないしカリムに敵対する理由を、アズールは終ぞ見つけられなかったのだ。しかしあの時、カリムとジャミルは迷いなくあの2人を犯人と断定していた。……つまりアジーム家を渦巻く人間関係は、アズールが把握できるものよりももっと複雑怪奇という訳である。
アジーム家と関係ない寮生だとアズールが判断して探りを入れたとしても、実はアジーム家に関係のある生徒でした、なんてことになりかねない。そうすればウィサームに探りを入れるのと変わりがない結果になってしまう。
……なので。
「1番手取り早いのはあなたに聞くことだと思いまして」
「帰ってくれ」
嫌そうな顔でアズールの入室を拒否するジャミルをシカトし、アズールを筆頭にフロイドとジェイド、監督生にグリムまでもが副寮長室に侵入した。急な来客で身なりを整える暇が無かったのか、それとも単に疲れているだけのか。髪が少しぼさぼさのジャミルは、我が物顔で部屋のクッションを引っ張り出して床に座り込む一行を睨みつけた。
面倒ごとばっかり持ってきやがって、という心情がありありと顔に浮かんでいる。
「あー、面倒だな……。さっさと話してさっさと帰れ」
「嫌ですねぇ、ジャミルさん! 僕らはあなたとカリムさんの力になりたくて、こうして馳せ参じたんですよ」
「はいはい。よかったな」
「僕の予想では、あなた達には圧倒的に人手が足りていない。アジーム家に連なる方々が相手というのに、あなた達は2人だけ! 如何ですか? 僕やフロイドのユニーク魔法でお手伝いしますよ」
「…………はぁ……」
なんだこいつら、といった面持ちでこちらを見つめるジャミルに、アズールは笑みを深めた。やはり思った通りだが、ジャミルにも連日の行進や食事の用意などで疲労が蓄積している。普段なら主人の顔を立てる為か、嫌な事があったとしてもここまであからさまにジャミルが他人を邪険にする事はない。あるとするなら、戯れあっている時のカリムぐらいだ。
そんな彼が普段以上に感情を露わにしているのなら、そこに付け入る隙が有るはず。なんならジェイドのユニーク魔法で情報を吐かせる事も出来るかもしれない。
「……お前たちに出来ることは何もない。引っ掻き回そうがなんだろうが関係ないんでな」
「おや、どうやら2人も何か企んでいるみたいですね。それを僕らが阻止しても良いと?」
「やれるものならやってみろ、とだけ言っておこう。ほら帰れ」
「もっとお話ししましょうよ、ジャミルさん」
「いらん。帰れ。俺を休ませろ」
そう言うや否や、ジャミルが指笛を吹く。先日カリムが絨毯を呼び寄せたのと同じ音だ。暫くすると開け放たれていた窓から絨毯が室内に飛び込み、ジャミルにジャレついた。
「なあ絨毯。彼らを追い返してくれないか。彼らは俺とカリムの邪魔ばかりするんだ」
ジャミルの言葉を聞いた途端、それは大変だ! と、ジャミルを守る様に体を広げた絨毯が、飾り房を振り回しながらアズール達に近寄ってくる。当たると地味に痛そうな攻撃だ。しかも顔に狙いを定めている様で、尚のこと達が悪い。それを見たフロイドが絨毯を捕まえようと手を伸ばしたが、しかしその手をアズールが叩き落とす。
万一破れたらどうするんですか! と大きい声で焦った様に叫んだ。この絨毯はあのアジーム家の家宝なのである。事故ならまだしも故意に破いてしまえば、法外な賠償金を支払わされるに決まっているだろう。
「小国の国家予算並の価値があるから気を付けろよ」
「ひぇ、こわ……アズール先輩、帰りましょう……!」
「いたっ、痛いってばこの絨毯! なんでオレばっか狙うんだよ!」
「フロイドが殴りやすいのでは? あいたっ」
「ジェイドも殴られてやんのー」
「くっ、小癪な……! 覚えておきなさい、ジャミルさん!!!」
魔法の絨毯に一方的に殴られながら、捨て台詞を吐いて自分の部屋を出て行ったアズールを見送り、ジャミルはため息を吐いて床に座り込む。アズールの奴、小悪党の捨て台詞が滅茶苦茶似合うな……、なんて事を呟いた彼は、アズール達の手によって引っ張り出されたクッション達を綺麗に直していった。
あの様子じゃ、明日にでも盛大にスカラビア寮を進んで引っ掻き回してくれそうだ。そっちの方が、カリムにとってもジャミルにとっても都合がいい。精々好き勝手やってくれ。
ジャミルがそんな事を考えているとは露知らず、アズール達は絨毯に追い立てられて部屋へと戻ってきていた。ポコポコと飾り房で執拗に殴られて不機嫌になったフロイドは、一足先にベッドに潜り込み、布団を被ってぶー垂れている。
そして走って戻ったせいで息の上がっていたアズールは、なんとか息を整えてジェイドに向き直った。一方ジェイドはまさか自分に用があるとは思っていなかった様で、色の異なる双眸をきょとんと丸くさせる。そんな2人の様子を、監督生とグリムは唯々見守っていた。下手に口を出さない方が上手くいくだろう、という判断をしたのである。
「ジェイド」
「はい。どうかしましたか、アズール」
「カリムさんから聞き出して貰いたいのですが」
「……彼は警戒心が強そうですし、うまくいくとは思えませんけれど……」
まあ、カリムもカリムで疲労が嵩んでいるだろうから、精神に作用する魔法への耐性が減っているとも考えられる。それに、何もユニーク魔法を使えとアズールが言った訳でもないのだ。
カリムから聞き出せそうなら聞き出せばいいし、ユニーク魔法を使えそうなら使えばいい。アズールの大雑把な指示は、ジェイドの裁量に任せるという意味だ。うまくいくとは思えないが、何もしないよりかはマシでしょうし。そう判断したジェイドは、アズールに是と答えた。
「夜ももう遅いので、明日の朝にでもカリムさんの元に伺います」
「ジェイド頑張れぇ」
「ふふ、相手はカリムさんなので期待はしないでくださいね」
「分かってますよ。何も情報を得られなかった場合の計画でも立てておきましょう」
ジャミルさんから引っ掻き回しても良いとお墨付きを頂いた訳ですし、とアズールが綺麗な笑みを作り出す。随分と侮ってくれる。はらわたが沸繰り返すとまでは言わずとも、アズールは割と苛立っていた。
明日の朝のジェイドとカリムのお話が上手くいかなければ、彼はウィサームに協力を申し出るつもりだ。何も、カリムやジャミルに契約を持ち掛ける事に拘る必要はない。最終的にカリムの鼻を明かせたならアズールは満足なのだから、ウィサーム……アジーム家に付いてカリムをやり込んだって良いのだから。
自分の手には負えない、とカリムがアズールに協力を申し出るのなら御の字だろうが、それがなかったなら仕方がない。ジャミルさん共々僕の前に倒れていただきましょう。
カリムの懐柔がうまくいけば、そのまま彼らと契約を交わして問題の解決に勤しむ。うまくいかなければ、ウィサーム側に付いてカリム達をやり込める。そんなアズールの方針に監督生は少し文句を言いたそうにしていたが、やはり彼もナイトレイブンカレッジの生徒。自分が合宿から逃れられるならば、カリムを相手にするのも止む無し、と不満を飲み込んだ。
※※※
そして翌日の早朝。行進の準備をカリムがし始める前に彼と話をつける為に、ジェイドは寮長室を目指して足を進めた。一方のアズール達はジャミルやウィサーム達の目を誤魔化す為、既に談話室に向かっている。
ジェイド個人としては、よく知らない一年坊のウィサーム側に付くよりも、一度はアズールをやり込めたカリム側に立った方が面白そうなので、是非ともカリムを懐柔したかった。また面白いやり口で相手を叩き潰してくれそうですし、なんて。
そんな事を考えながら、誰とも出会わぬ様に気をつけて寮長室へと辿り着いたジェイドは、彼の部屋の扉をノックする。コンコンコン。一定の間隔で3回のノック。
……しかし返答はない。
ジャミルが以前言っていた事だが、仮に誘拐などされた時に犯行時刻などを割り出す為、カリムとジャミルは規則正しく生活を送っている。この合宿の間に於いては、カリムとジャミルは4時に起床し、5時には部屋を出て行進の準備をしている筈だ。なので4時を少し過ぎた今の時間ならカリムは部屋にいる事になる。
……カリムに限って寝坊してるとは考え辛いので、もしや音が聞こえなかったのか。先程よりも強い力でジェイドはノックした。……しかし、返答がない。扉に耳をつけてみて中の音を確認してみても、一切の音がなかった。
最後にもう一度、もっと力強く扉を叩いてみるか。そして、最早ノックというよりも、木を殴りつける様な音が誰もいない廊下に響いた。
が、反応が一切ない。
もしや疲労が祟って室内で倒れているのでは、とジェイドが扉を開こうとドアノブを捻るが、どうやら鍵が掛かっているらしい。ガチャガチャとドアノブを動かしてみても、中からは気配ひとつ感じられなかった。
……もしかしなくとも緊急事態である。請求は後でアズール宛にしてもらおう、などと考えながらジェイドはその長い脚を使って扉を蹴る事にした。バキバキと木の割れる音が響き、ジェイドの脚が扉に突き刺さる。そして足を引っこ抜き、出来た穴に手を突っ込んで内側から鍵を開いた彼は、無事に寮長室へと侵入を果たした。
「…………おや?」
部屋の中でカリムが倒れているかもしれないとジェイドは思っていた訳だが、予想に反して部屋にカリムはいなかった。ベッドで寝ているかも、と思って布団をめくってみてもいない。窓も空いていないし内鍵がかかっている。
ドアノブの形状からしてこの部屋には内鍵しかないので、外から鍵は掛けられない。なので鍵がかかっていたという事は、部屋の中にカリムが居るはずなのだ。
なのに、居ない。
これは困りましたねぇ、と眉根を寄せたジェイドは、スマホを取り出してアズールに電話を掛けた。
「もしもし。今大丈夫ですか、アズール」
《ええ構いませんよ。どうしました?》
「カリムさんが行方不明です。鍵のかかっていた室内がもぬけの殻なんですよ」
《は? カリムさんが居ない? って、あ、ちょっと》
電話をしつつも虱潰しでジェイドは部屋中を虱潰しで捜索するが、カリムの姿はどこにもない。一応ベッドの下を覗いてみても何もなかった。
どうしましょうかね、と本格的に困ってしまったジェイドの耳に、アズールではない人間の声が突き刺さる。
《ジェイド・リーチ》
「ああ、ジャミルさんですか。今寮長室にお邪魔しているんですが、カリムさんがいらっしゃらなくて」
《……不測の事態だ。とりあえず今スカラビアにいる人間を談話室に集めたいんだが、協力してもらえるか? 動揺を防ぐためにカリムの不在は秘匿してくれ》
「かしこまりました。……あの、室内に入る際に扉を壊してしまったんですが」
《緊急事態だから目を瞑ってやる》
伝えたい事を伝えたから用はない、と言いたげにジャミルに電話を切られてしまったジェイドは、部屋を出る前にもう一度室内を見回した。……争った跡もないし、いったい何があったんだろうか。
頭を悩ませながらも談話室へと向かう道すがら、ジェイドは寮生達を起こして回る。そして彼らを引き連れて談話室へとたどり着くと、どうやらジェイド達以外は全員集合していたらしい。ジェイドの後ろでなんだなんだとざわついていたスカラビア寮生達は、その様子に気付くと、弾かれた様に室内へと転がり込んで整列した。
「皆、集まったか」
普段よりも2時間ほど早く叩き起こされたスカラビア寮生達は、眠い目を擦りつつも、剣呑な雰囲気のジャミルを前に緊張していた。彼の隣にいるオクタヴィネル三人衆やオンボロ寮の監督生もどこか堅い顔だ。
何かあったのかもしれない、と少しだけざわつく談話室に、パンッとジャミルの手を叩いた音が響き渡る。それだけで寮生達は背筋を伸ばし、真っ直ぐジャミルの方を見つめた。
「カリムが居なくなった」
「……えっ?」
こんな時に感心するのもなんですが素晴らしく統率が取れていますね、とアズールが感心したのも束の間、ジャミルの言葉に寮生達は酷く動揺した。特に1番大きな声を上げて驚愕しているのはウィサームである。
カリムが居なくなるなんてあり得ない、とでも言いた気な反応だ。
「第一発見者のジェイドが室内を見てくれたが、俺じゃなければ気付かない事もあるだろう。今から俺は寮長室に行って手掛かりがないか探してくる」
「僕らもお手伝いしますよ、ジャミルさん」
「君たちは念の為、寮生達に不審な動きがないか見てくれ。…………特に、外部に連絡を取ろうとする奴とかをな」
アズールの提案を素気無く却下したジャミルが、意味あり気にウィサームに微笑みかけた。ウィサームはウィサームでジャミルを睨み付けている。
……主人がいなくなった時にする顔ではないと思うのですが、という言葉を呑み込んだアズールが尚も食い下がって手伝いを申し出たものの、ジャミルは誰も信用していないからか一切聞く耳を持たない。スカラビア寮生達の手伝います、という言葉にもジャミルは耳を貸さなかった。
もしかして、カリムさんが消えて視野狭窄に陥ってないかこの人。とりあえず落ち着かせねば、とアズールとジェイドで宥めにかかったが、ジャミルが落ち着くより先にこちら側の不発弾が爆発した。フロイドが不機嫌そうにジャミルに食ってかかったのである。
「ウミヘビくんさぁ、焦ってんのも分かるけどもうちょい周り見れば? オレらがラッコちゃんになんかしたって本気で思ってんのかよ」
「…………る………の……じ」
「はぁ? ブツブツ言ってる暇あんなら、みんなでラッコちゃん探しに行けばいいじゃん!」
「た…………えよ、……れ…………よ」
「文句あんならちゃんと言えよ、ウザいなぁ……!」
「フロイドッ!!」
俯くジャミルの胸倉を苛ついた様子で掴んだフロイドが、彼の身体を揺さぶって怒鳴りつけた。今は喧嘩している場合ではないでしょう、とアズール達がフロイドを抑える為に2人の周りへと群がる。
……その直前。
「『蛇のいざない』……フロイド・リーチ。この中から俺以外の人間を一切外に出さず、誰にも連絡を取らせるな。出来るな?」
俯いていた顔を上げ、フロイドの目を覗き込む様にしてジャミルが言葉を紡ぐ。
何かに勘付いたジェイドが、フロイドの目をジャミルから逸らそうと手を伸ばすがもう遅い。既にジャミルの詠唱は完了した後だった。
フロイドの瞳に赤い光が薄ぼんやりと灯り、苛立ちを隠しもしていなかった表情が、普段通りのヘラヘラとした笑い顔に変貌する。
「…………。いいよぉ、ご主人様のオネガイだもんねぇ」
※※※
走る。
溜まった疲労なんか気にする暇なんてあるか、とジャミルはカリムの部屋へと駆ける。そういえば何年か前もこんな風にカリムの部屋目掛けて走った事があったし、あの時は鼻血が出てた気がする、なんて。
それから直ぐにカリムの部屋に辿り着いたジャミルは、蹴り抜かれた扉に思わず笑みを溢した。自分が言うのもなんだがジェイド・リーチも大概暴力的だな、なんて思ったのである。
扉の破片を踏み抜いて室内に入ったジャミルは、あの日をなぞる様に逆さまに置かれた本……熱砂の国の歴史書を手にとった。そして本のカバーを外し、テープで貼り付けられた紙を取り、中身を読む。
「……。なるほど」
何かに納得した様子でジャミルは何度か頷いた後、いつも首から下げている笛を取り出した。
この笛は2本で一対の魔法具で、片方の笛を吹けばもう片方の笛から音が鳴るという、遥か昔から使われている有名な笛だ。電子機器が普及した現代では中々お目に掛かれない代物だが、電波の届かない所といったスマホなどが役に立たない場合には、なによりも重宝する一品だ。そしてオーダーメイドのそれは、ジャミルが持つ笛に対して、昨年カリムの誕生日に彼にプレゼントしたもう一つが対応している。
ふう、と笛を見つめて一度深呼吸をしたジャミルは、ゆっくりと笛を咥えて、慎重に息を吹き込んだ。
が、しかし。
《ピピピッピピッ! ピピッピピッピ! ピピッピ! ピッピッピピ! ピピ! ピッピッピピッピ! ピピ!》
「うわうるさっ?!?!」
一瞬で返ってきたカリムからの返答……五月蝿すぎる音が聞こえた瞬間、ジャミルは片耳を押さえながら笛を出来るだけ体から離そうとしたが、残念ながら笛はネックレスに繋がっている。ジャミルは間近で騒音を聞く羽目になったし、あまりに五月蝿いせいで耳が痛い。
それに対して文句を言ってやろうか、なんてジャミルは笛を咥えて。
けれど、彼は笛を吹くことなく床に座り込んだ。木の破片がとっ散らかっていようが関係ない。今この瞬間、ウィンターホリデーの少し前からジャミルを苛んでいた焦燥が霧散したのだ。
「……っ、はぁ……よかった……!」
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