大食堂にて

「最近ココナッツジュースを満足に摂取できてない……」
「昨日飲んで食ってたろ」
「一つだけな!」
「普通一つで充分なんだよ、バカリム」
「誰がバカリムだ」
「おまえ」


 今日も今日とてカリムとジャミルは適当なやりとりをしながら、大食堂に向かっていた。だいたい何も考えずに喋っているので、彼らはいつも似たような会話をしている。周囲で行動を同じくしているクラスの面子も、また馬鹿みたいなことで言い合ってるなぁ、などと思っていた。
 そして彼らの一団は大食堂に着いた後に各々の寮生が集まっている席にばらけ、カリムとジャミルと何人かのスカラビア生は纏まって入り口近くの席に向かった。何かあった時のために、念には念を入れて出入り口近くの席を確保しているのだ。


「思ったんだけど、2人とも食べ物に煩いよなァ。バイパーも好物のカレーを譲らないし、カリムもいつもココナッツジュース飲んでるし」
「そうそう、それに好物っつってもそこまでしょっちゅう食べねぇよ」


 大食堂の厨房にある、鍵付きの冷蔵庫に入れておいた昼食をテーブルへと持ってきたジャミルに対し、比較的親しくしているスカラビア生……ラジャブとドーンが常々思っていた事を言い放つ。ラジャブ達は昼食など大食堂のバイキングでバランスよく食べているが、カリム達はいつだって熱砂の国のスパイスをふんだんに使った料理や肉料理を食べているのである。それに対するカリムとジャミルは、冷えている昼食を魔法で温めながら首を傾げて、何かおかしいか? とでも言うように顔を見合わせた。好きなものばっかり食べて何が悪いんだろうか、と言わんばかりである。


「バランスとかそういうのは考えてねえの? って話だよ」
「ちゃんと野菜食ってるのか?」
「ああ、栄養の話か。俺もカリムもそこはちゃんと考えて作ってるよ。たまにポムフィオーレのシリルに作り方を教えてもらった野菜スムージーも飲んでるし」
「というかシリルの方が俺たちより断然やばい。あいつスムージーばっかり飲んで動物性タンパク質とか全く摂ってないんだぞ」


 2人とも成長期にしっかりと体が出来上がるように栄養学を齧っているので、そこのところは心配ないらしい。必要な栄養素を摂った上で、いつも好きなものを食べているのである。飽きないのかな、なんて疑問をぶつけた2人は思ったが、まあいつも食べているという事は飽きないのだろう。
 カリムとジャミルの食事の話からシリルのスムージー生活に話は移り変わり、今度シリルに牛肉を贈ってやろうなんて勝手な事をカリム達が4人で言い合っていると、突如としてドーンのもじゃもじゃの髪の毛に紙飛行機が突き刺さった。カリムとジャミルは思わず吹き出し、ちょうど隣に座っていたラジャブは手を叩いて爆笑した。彼はストンと髪に紙飛行機が突き刺さる過程を間近で余す事なく見ていたので、余計に面白かったのである。

 笑うな笑うな、とドーンが顔を顰めながら紙飛行機を髪から引っこ抜き、些か乱暴な手つきで紙を広げた。中々オシャレな模様が描いてあるし、ほんのりと花の香りが紙から漂ってくるので、紙飛行機飛ばしの犯人はポムフィオーレ生に違いない。カリムとジャミルはキョロキョロと辺りを見回し、あいつじゃないかなぁなんて当たりをつけた。
 おーいとカリムが手を振ると、話題に上がっていたポムフィオーレ生……シリルが盛大に顔を歪める。ポムフィオーレ生にあるまじき顔だ。あんな顔して大丈夫か、なんて思ったジャミルの心配虚しく、彼は見事に隣に座っていた先輩に説教を受けていた。あいつもやっぱり馬鹿である。


「そういや、紙飛行機になんか書いてあったか?」
「色変わりのインクで"牛肉じゃなく鶏肉を寄越せ"だってよ」


 カリムの疑問に答えながら、机の上に紙飛行機だったものを広げたドーンがチカチカしている文字を指差す。込めた魔力によって様々な色に変わる魔法のインクは、魔力を込めた張本人であるシリルの影響でド派手に点滅していた。ノートをとる時に色ペンに持ち替えずに済ませよう、という目的で作られたはずなのにどうしてこんなエレクトリックな色になるんだろうか。


「喋るにはちょっとだけ遠いけど直接言やぁいいじゃん。なァ?」
「シリルの3つ隣の席にヴィルが座ってるだろ。流石に大声出すのは怖かったんだよ」


 ピカピカ光り輝く文字をマジカルペンで突きながらカリムがそういうと、一同は成る程と納得した。だからと言っても、紙飛行機を飛ばしても怒られそうなものではある。
 そんな風にうだうだとどうでもいい事を話している間に、魔法で加熱していた昼食が暖まりきったらしい。白い湯気が立ち上がり、香ばしい匂いが辺りに立ち込めた。スパイスの香りが憎たらしい程に食欲を唆っている。
 ラジャブとドーンは自分達の皿に盛ってあるピラフや肉と、カリム達のご飯を見比べて咽び泣いた。食事を作ってくれている料理人には悪いが、どう見たってジャミルの作るご飯のほうが美味しそうなのである。熱砂の国出身のラジャブはスパイスの効いた食事が大好きだし、羊の獣人で遊牧民であるドーンは学園に入学してからスパイスの良さを知ったクチだ。一度ぐらいジャミルやカリムが作った飯を食べてみたい。


「オレたちもバイパーの飯食いたいです!!!」
「サバナクローのラギーみたいに情報を持ってくるなら考えてやらんでもない」
「俺もドーンもそういうの苦手なんだよォ
「これは俺のものだぞ。残念だったな!」


 ちょっとだけ、端っこだけ食わせて! などと言いながら皿にしがみ付く2人をシッシッと追い払い、自分で作った物であるが毒味をしようとジャミルがスプーンを手に取った。その時である。


「待てジャミル」
「……ん? どうしたカリム」


 いつもより硬い声のカリムがジャミルを制止し、己の目の前に置かれている皿の上の料理を凝視した。普段はニコニコと笑顔を絶やさないし表情も豊かなカリムだが、一瞬にして表情が抜け落ちる。ちょうどカリムの真正面に座っていたドーン達は瞬時に真顔になった彼に恐怖を抱き、ピャッと肩を寄せ合った。カリムってこんなやつなの? えっ知らない知らない。なんて小声で囁き合う始末だ。
 ジャミルはそんなカリムの様子に一瞬目を見開いた後、即座に目を鋭く光らせて周囲を見回した。カリムのこの反応は毒が混入している事の証左である。考えられるのは、冷蔵庫に入れておいた間の細工だ。食堂の料理人に聞けば不審な動きをしていた人間が分かる……ああ、いや。しかし、その料理人達こそ細工をしたとも考えられる。
 予め、この学園に所属している人物の来歴は調べてあった。学園長たるディア・クロウリーも学園内で暗殺が起きるのは避けたい様で、ジャミルが協力を申し出た時は素直に応じてくれたので情報は確かな筈だ。そしてその情報に、料理人の中にカリムを狙うだろう来歴を持つ人間はいなかった。……居なかったが、金で人の心は簡単に変わってしまう。ジャミルの料理に細工をしたのが彼らではない、と断言は出来なかった。


「錬金術だ。錬金術で毒物を調味料に変えてる」
「……ああ、道理で俺が気付けない筈だ。よく気付けたな」
「一回食らった毒と手口は大体気づくぞ」


 5年前のことである。第二夫人の実家から、カリムへの贈物としてスパイスが贈られてきたことがあった。結局そのスパイスは毒を錬金術で加工したもので、当時の毒味役が瀕死になる羽目になったし、カリムも多少の毒を摂取して寝込んだのだ。
 第二夫人の実家が用意した毒ということでアジーム家の追及は打ち止めになったが、カリムが自分の敵を野放しにする義理はない。その後、どうにか2人で第二夫人の実家……クルスーム家の用意した毒の入手先を特定した。かの家を贔屓にしている、貿易商の一族である。錬金術の大家であるその一族は、代々1番錬金術の扱える者が当主になる実力主義だった。そこの現当主にクルスーム家の5番目の娘が嫁いだとかで、かの一族はクルスームと仲が良いのだ。
 流石のカリムも10やそこらの年齢で錬金術の名家に喧嘩を売る事はしなかったが、その一族は目下仮想敵として常に注意を払っていた訳で。


「さて、どっちだと思う? ジャミル」
「両方だろ」
「だよな。じゃあ遠い方持ってきてくれ。そこの奴は俺が連れてくる」
「いや両方俺がやる」


 かの一族、ムフタールを継ぐのは1番の実力者。ならば2番目以降はどこに行くのかというと、使用人の一族の長や使用人になったりしている。その使用人の一族になったと言えど、錬金術が得意であると言うことには変わりがない。故に稀ではあるが、豪商等が使用人の一族の者を妾にする事があった。
 さて。この学園に在籍する生徒の中で、かの一族と関わりのある生徒は2人いた。両名とも出来る限り実家との繋がりを隠し、ムフタール一族との関わりなんて一見無いように伺える。が、常に仮想敵としてあの一族を警戒していたカリムとジャミルからすれば、家名を聞くだけで関連性ある事など丸分かりだった。
 まず1人目、ライノ・リックマン。サバナクローの現3年生。夕焼けの草原から熱砂の国へ数世代前に移住してきたサイの獣人だ。獣人の家系に普通の人間の血を入れる事を良しとしていないらしいが、彼の母親はかの一族の流れを汲む人物である。素性を隠しているようだが金の流れを見れば、関係がある事など丸わかりだった。
 そして2人目はエマニュエル・オクレール。輝石の国出身のポムフィオーレ寮生。彼の祖父が熱砂の国を訪れた際、かの一族の娘を口説き落として実家に連れ帰ったそうだ。表向きその娘は子供を作れなかったとされているが、実際には子供がおり、そのまた子供が彼である。オクレール家ではその事実は公然の秘密であるものの、箝口令が敷かれていた。……使用人の中にジャミルの"友人"がいた為に得られた情報である。

 あの2人がカリムを殺そうとしたに違いない。ラギーの情報で"何故かポムフィオーレ生と、サバナクロー生のリックマンが一緒にいる姿をよく見る"なんて小耳に挟んでいたのだから、ジャミルからすればこれは確信に近かった。リックマンと密会していたポムフィオーレ生の名前は分かっていなかったが、オクレールで確定だろう。なんらかの関連性でも無い限り、ポムフィオーレ生はサバナクロー生と関わるなんてことは無いのだから。
 ……まあもし違ったとしても、黙らせる方法なんていくらでもジャミルは持ち合わせていた。

 そこまで考えてから一気に目付きを鋭くしたジャミルを見て、ラジャブとドーンは手を取り合って情けない声を出す。純粋に怖い。いつもカリムとふざけてたお前はどこに行ったの。そしてラジャブとドーンの様子に気付いた隣席のスカラビア生達も、カリムとジャミルの様子をみて顔を青くする。何が起きているというんだ。
 そんな同級生達を尻目にマジカルペンを取り出したジャミルは、軽やかにペンを一振り。

 先程シリルに説教をかましていたポムフィオーレの上級生……エマニュエル・オクレールの手足が、どこからともなく現れた麻紐で椅子に括り付けられた。突然の事態に驚いて声も出ない様子のオクレールを他所に、ジャミルはもう一度ペンを振るう。
 するとオクレールが括り付けられている椅子が浮かび上がり、立ち上がったカリムの横まで移動してきた。


「よ、エマニュエル・オクレール」


 言葉も出ない様子のオクレールの顔を覗き込み、カリムは笑顔を作る。己を見上げるオクレールの瞳に恐怖の色が浮かんだ事に満足した彼は、更に笑みを深めてオクレールの座る椅子を押し、自分の昼食の前まで彼を運んだ。しん、とした大食堂に椅子が床と擦れる音が響き渡る。


「い、一体なんだというのだね?」
「うーん……そうだな、ただの確認だよ、これは。お前の目の前にある料理は、俺のジャミルが作ってくれたものなんだ。味は保証するから食べてみろよ」
「な、何を言って……」


 マジカルペンは俺が預かっておこうな、なんて薄寒い笑顔のままのカリムが、オクレールの胸ポケットからマジカルペンを抜き取る。片腕だけは紐とってやるからちゃんと食うんだぞ、と恐れ慄いて震えている周囲なんて目もくれずに、表情を笑顔の形に固定させたまま、カリムはオクレールに言い聞かせた。
 そんなカリムを尻目に、ジャミルは遠くの席に座っているライノ・リックマンと睨み合っていた。リックマンの方はオクレールが縛り上げられた時点で計画が破綻してしまった事を察し、逃げ出そうと椅子から腰を浮かせていたのだが、ジャミルが警戒していつでも魔法を使えるように構えた為下手に動けない。ジャミルはジャミルで"サイの獣人の突進力"を警戒していた為、隙を窺いつつも動けなくなっていた。こちらは完全に膠着状態である。

 大食堂は混沌としていた。目の前で先輩が縛り上げられたシリルは呆然とした後に、普段と様子の違うカリムとジャミルを二度見してから何も見なかった事にしたらしい。近くに座っていたヴィルは何かを察した様で、珍しく顔を歪めて頭を抱えていた。そしてその隣のルーク・ハントは目の前で行われている狩りに大興奮である。
 睨み合っているジャミルとリックマンの間にいる生徒達は、危険を察知して大急ぎで別の場所へと避難していく。リリアはちょっとテンションを上げながら、特等席で様子を見ようとじわじわとカリム達の方へと近付いていき、ケイトは逆に全体が見えそうな位置まで離れてスマホを構えた。マジカメに乗せる気満々である。
 張り詰めた空気が大食堂を埋め尽くし、誰もが息を潜めた。何この空気やっべえじゃん、なんて言おうとしたフロイド・リーチはアズールとジェイド・リーチにに口を塞がれてふがふが言っている。
 ……誰もがカリムとジャミルを見つめていた。


「どうした? なんの変哲もないビリヤニだぞ。たった一口食えばいいだけじゃないか」
「か、カリム・アルアジーム……」
「言い訳も何も聞く気はない。お前は、黙って、これを食え。な?」


 有無を言わさぬ口調でオクレールにスプーンを持たせたカリムは、笑顔のまま彼を見つめ続ける。カリムには一切の反論を許す気がなかった。素直に食べない時点で、この食事に毒を混ぜたと自供している様なものである。
 顔を真っ青にして冷や汗を流していようがカリムには関係がない。カリムと、その毒味係も兼ねている従者のジャミルを害そうとしたのだから、それ相応の罰が必要だ。

 浅い息を繰り返し、汗をだらだらと流しているオクレールは必死に頭を働かせる。どうすればこの状況から抜け出せる? 目線を斜め前にやれば、こちらを覗き込む笑顔のカリム・アルアジーム。姿は見えないが後方にいるのはジャミル・バイパー。彼の協力者であるライノ・リックマンは遠く離れた場所に座っているので援護は期待できない。
 ……バレるはずがないとタカを括っていたのだ。5年前、アジーム家がクルスーム家への追及をやめた事から、そもそもかのムフタール一族への疑いの目が向かうこともない。それに、かの一族とオクレールとの繋がりは多少あれど、隠匿していたのだからバレないだろう、なんて。アジーム家の第二夫人からクルスーム、ムフタール、そしてオクレールへと回ってきた暗殺の依頼。嗚呼、失敗する訳にはいかなかったのに。 オクレールは大きく息を吸い込み、細く長く息を吐いた。やらねばならぬのだから、あとは覚悟を決めるだけだろう。

 彼は、未だ震えの止まらぬ手でスプーンをビリヤニに突き刺す。今回オクレールが用意した毒のスパイスは、1gも摂取すれば痙攣を起こして心臓麻痺に至る猛毒だった。故に口に含んで食べたフリをする事すら憚れる。目を閉じて、一息。

 エマニュエル・オクレールは、袖に忍ばせておいた刃に毒を塗ってあるナイフを、カリムに対して無言で振りかぶった。直接的な凶行に、目の前でそれを見ていたラジャブとドーンは思わず悲鳴を上げる。誰もがカリムに刃が突き刺さると、そう思ったのだ。

 しかしそんな事をジャミルという人間が許すはずもないし、カリムだって追い詰められた人間が突拍子もない事を仕出かすのは良く知っていた。


「ア゙ア゙ア゙アアアッ」
「カリム」
「大丈夫だぜ。あっちの方も」


 ナイフを振りかぶったオクレールの後頭部を鷲掴んだジャミルが、力一杯その顔面を加熱された料理が乗った皿に叩きつけた。縛り付けられた状態のオクレールは痛みと熱さで身悶えするが、その程度で腕力のあるジャミルから逃れる事など出来るはずもない。殺意を隠しもしない目でオクレールを見下ろすジャミルに、周囲からまた小さな悲鳴が上がった。
 ついでに、オクレールの顔面が悲惨な事になっている状況に、ポムフィオーレ生がガタガタと震えている。美を追究しているポムフィオーレ生に、ピンポイントでダメージを与える攻撃だ。なんてむごい事を、なんて声を上げられる状況ではないので皆身体を揺らして顔を覆っていた。……ただ1人、ルーク・ハントだけは楽しそうにガッツポーズをしてボーテと呟いていたが。彼は例外である。


「おーい。聞こえてないだろうけど一応言っとくぞ。暴れれば暴れる程苦しくなるからな」


 一方オクレールの凶刃から余裕を持って身を躱したカリムの方はと言うと、ジャミルが目を離した隙に逃走しようとしたライノ・リックマンを捕らえていた。水魔法と浮遊魔法の複合により、空に浮かべた水の球でリックマンの顔面を覆っているのである。暴れれば暴れるほど酸素が足りなくなり、最悪の場合は溺死する様な状況に陥るのだ。今も必死になってリックマンは顔面の水を掻き分けているが、その程度でカリムの魔法が破れる筈もない。無駄に酸素を消費して苦しむだけだった。
 悪魔の所業かな、とレオナの昼食を取りに大食堂へ現れたラギーは、虚無の顔でその惨状を見つめる。つい先程大食堂に来たばかりのラギーには、何がどうしてカリムとジャミルがやらかしているかは分からない。ただ一つ分かるとするなら、カリムが使っているのは確実に相手を殺す気しかない魔法だという事のみ。水が苦手な獣人系のサバナクロー生は、皆一様に耳を折りたたんで震えながら悶え苦しむリックマンを見つめている。……水が得意な奴も黙り込んでいた。

 ビクビクと震えるリックマンの動きが段々と弱くなってきてから、初めてカリムは魔法を解除した。バシャリと辺りに水が飛び散り、床に力なく嘔吐く男が倒れている。……ここまでやっておけば、力付くで自分を殺しに来る事はないだろう。
 そう判断したカリムはリックマンをキツく縛り上げ、宙に浮かせて自分の近くまで運んだ。そしてオクレールの隣に転がしておく。もちろん、マジカルペンは奪い取ってあった。


「どうする? 学園長に突き出すか?」
「ん、突き出すのはジャミルに任せた。俺はアジーム家に報告してくるよ」
「分かった。ちょっとだけ食堂の備品が壊れてるから、それの弁償に関してもアジーム家に伝えておいてくれるか」
「任せとけ」


 打てば響く様な軽い口調で言葉を交わしたカリムとジャミルは、惨状を尻目に大食堂から足を外に向けた。ジャミルは未だ身悶えするオクレールの首元を引っ掴み、リックマンの方は魔法で浮かせて学園長室の方へと歩いていく。その際暗殺未遂の証拠である昼食と、毒付きのナイフは忘れずに回収していた。
 一方のカリムは魔法で少しだけ散らかっている皿の破片などを片付け、スマホを片手に鏡の間の方へと向かっていく。恐らく寮に帰って詳しい状況を実家に報告するのであろう。

 そして、大食堂には怯えた生徒たちだけが残った。


※※※


「アルアジームくん、聞いてますか?」
「おう、聞いてるぜ学園長」
「全く返事だけは良いんですから……。兎も角! 今後こういった暴力行為に訴えずに、すぐさま教師に知らせなさい」
「自力で対処しなけりゃ死んでたぞ? 学園で死人が出て良いのなら学園長の命令に従うけど」


 あっけらかんと言葉を放ったカリムに、ディア・クロウリーはぐぬぬと唸る。カリムの言う事は正しいのだ。
 クルーウェルの検証の結果、昼食に混ぜられていた毒は致死量を軽く上回っており、ナイフに塗られていた毒も同じく猛毒であった。偶々ジャミルが手慣れた料理だからと味見せずに作ったから良かったものの、もし味見で口に含んでいたら大惨事であった事は想像に難くない。
 学園での安全性は確保しているので安心してくださいね! なんて言っていたクロウリーからすると、今回の暗殺未遂は最悪の事態でしかなかった。だがしかし、それとは別にカリムとジャミルが生徒達に見せた暴虐性は頂けない。

 まあ行為だけ見れば酷すぎるとまでは言えないかもしれないが、問題はそこではなかった。普段の彼らと、今回垣間見せた顔との落差が駄目なのだ。
 いつもにこにことしており、この学園では珍しく協調性を持って生徒の中心に立つカリム。その隣で軽口を言い合っているジャミル。その両名が殺意を隠しもせずに、毒殺を目論んだ生徒達を痛め付けたのである。
 カリムなんて、目だけは笑っていない張り付けた様な笑顔でオクレールを追い詰めたり、その顔のままリックマンを溺死させかけたり。ジャミルの方は感情を削ぎ落とした顔で、オクレールの顔面をぐちゃぐちゃにしたのだ。
 ぶっちゃけ、落差が激しすぎて生徒の中でカリムとジャミルに対する恐怖が蔓延していた。イグニハイド生なんて引きこもりが増えてしまった始末だ。


「……仕方ありませんねぇ。もし、次似たような事があれば、あればの話ですよ? もうちょっと穏便に対処してくれませんか?」
「痛めつけるなって事か。……うーん、痛みと恐怖が1番心を折れるから、やめたくないんだけどなぁ」
「生徒の矯正はクルーウェル先生に任せますので、どうか穏便に……ね?」


 ジャミルはどうしたい。小首を傾げて振り返ったカリムと、懇願するような目付きの学園長がジャミルを見つめた。……彼としては、カリムにちょっかいをかける生徒全ての心を己の手で徹底的に折った上で、学園長の手でその生徒達を退学処分にしてほしいのだが。カリムに手を出す人間に、かける情けは無いのである。けれども、学園としての面子があるという事もジャミルは理解していた。


「……そうですね。またこういった事が起これば、俺たちは同じ様に対応します」
「ああなんて事だ……バイパーくんまでそんな事を言うとは」
「ですが。そもそもこういった事を起こさぬよう、学園側が気を配って頂ければ問題ないでしょう? 学園の安全性は確保してくださってるのですし」


 つまり2度目はないぞ、の意味である。正論すぎたのでクロウリーは口を噤むしかなかった。


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