クソループ野郎廻天くん

ゼロ地点

 俺の、いつも通りの日常だ。学校帰りに部活仲間とちょっとだけ買い食いをしながら駄弁って、夕飯の時間が近づいたら各々家路に着く。俺の場合は、そこからスーパーに寄って母親からの指令……おつかいをこなし、妹と合流して帰宅するというミッションもあった。本当は妹と帰るなんて、とか思わないでもないけれど、この付近で不審者が出いぇるんだからしょうがない。妹本人には言ってやらないが、いくら生意気だろうが何だろうが、妹というだけで妹はかわいい存在であるのだ。
 今日もなんでお兄ちゃんなんかと……なんてブツクサ言ってる妹の鞄を持ってやって、一緒に玄関の扉をくぐった。自分の荷物、スーパーのビニール袋、そしてお前の鞄を持ってる兄に対して何て言い草だと思わなくもないが、俺は兄なのでそこは黙っておく。

「お兄ちゃん汗臭い」
「部活してたんだぞ。臭くて当然だろ」
「学校でシャワー浴びたの?」
「浴びてコレ」
「なにそれやっば……」

 剣道部員なんだよ許してくれ。うわぁという顔付きになった妹に心にダメージを負いつつも、リビングにいる母親にスーパーの袋を手渡した。今日の夕飯はカレーらしい。が、なぜかルーがなかったので俺におつかいの指令が回ってきたという訳だ。ルーが無いのに何でカレーを作ろうとしたんだか。
 そのまま手を洗って2階に上り、重たい荷物……剣道の防具を下に置いて床に寝っ転がる。フローリングが冷たくて気持ちがいい。あーこのまま寝たいなー、と脳死で床をゴロゴロ転がりまくって幾数分。漸く体も冷えたので、多少やる気が戻ってきた俺は鈍い動きで勉強机に向かった。もうすぐ期末試験なのだから勉強せねばならぬ。なんせただでさえ妹に見縊られつつあるのに、試験で平均点以下の点数を取ってしまえば更にナメられる。それは避けたい。
 そんな風に、試験当日学校爆発しないかなーなんて考えつつも教科書を広げ、数学に悪戦苦闘していると、控えめに扉がノックされた。どーぞと声をかければ、なんと登場したのは風呂上がりの妹。なんだ急に。

「国語教えてよ」
「兄ちゃん今数学の勉強してんだ」
「お兄ちゃんが数学勉強したところで意味ないじゃん。どうせ赤点だよ」
「ひどい言い草だな」
「事実だも〜ん」

 まあ確かに間違いではないのだが。数学はクソだからな。
 ここが分かんないの、と国語の教科書と宿題のプリントを見せてきた妹に椅子を譲ってやって、俺はそばでしゃがみ込みながら解説をしていく。小論文などは別として、普通の国語の問題なら答えは出題されている文章に全て書かれているのだ。深く考えずとも答えはわかる筈。
 等といった事を妹に告げると、この文系! と罵られる。なんで今俺は怒られたんだ。数学とかいう自分で答えを導き出すクソ仕様な学問より、よっぽど現代文とか古文の方がわかりやすいだろ。
 数学は公式を理解すればいいと妹は言うが、その理解に苦しめられているんだ。理解できるなら最初から理解してるに決まってる。
 俺は兄なので、妹の罵りを甘んじて受け止めてやりながら小説の問題を一緒に解いていると、1階から母親が俺たちを呼ぶ声が聞こえた。どうやらシチューが出来上がったらしい。
 この問題だけ解いてから降りるか、と妹に言えば凄く嫌そうな顔をされた。あとちょっとだろ、頑張れよ。

「あと一問解いてから降りるよ、母さん!」
<--! GAME Start -->
「はーい!」

 扉の方に顔を向けて大声を出せば、母親も大声で返事をしてくれる。相変わらずノリがいい。妹も母親の声に苦笑いしていた。
 さて、気を取り直して問題を解かないと。2人で机に向き直って、シャーペンを手に持ち。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 空気を裂くような、甲高い悲鳴が上がった。突然耳に飛び込んできたその声に心臓が鷲掴みされた様な心地になる。虫がいた、だとかそういうレベルの声じゃない。文字通り身を削る様な叫び声。母さんの、叫び声だ。
 一体何があった? 顔色が真っ青になった妹と目くばせをして、俺は部屋に置いている木刀を片手にゆっくりと扉に手を掛け。目を見開いて飛び退く。
 その次の瞬間、轟音と共に扉を突き破って怪物が現れた。赤で濡れた緑色の痩躯は、吐き気を催す程気味が悪い。楕円形の頭部には目が3つ。脚も3本。そして何より。

 焼けるような痛みと共に視界がズレる。妹の悲痛な叫び声が聞こ、え──


暗転。


「はーい!」


 扉の方に顔を向けて大声を出せば、母親も大声で返事をしてくれ……? なんだ? 今何が起きたんだ?
 急に顔色を変えた俺を心配したのか、妹が俺の肩を揺さぶるが、今はそれどころではない。
 待ってくれ。一体何が起きている。さっきのあれはなんなんだ? あの悍ましい怪物は? 白昼夢か?いや、そんな筈ないだろ。あの痛みは本物だった。俺はあの時確かに死んだ筈だ。だってそうじゃ無いと、あの凍えるような死の気配は説明がつかない。
 ──なら、今母さんは。

「か、母さ……!」
「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 空気を裂くような、甲高い悲鳴。居ても立っても居られず、妹を置いて何も持たずに部屋を飛び出した。
 そして目に入ったのは、階段下で母さんの体を食い散らかしている怪物の姿。そいつは緑色の痩躯を血で染めて、3つある目を愉悦に歪ませながら、4本ある鎌のような腕で母さんを切り刻んでいて。

 その光景を認識した瞬間に、やめろ、と叫んだ筈だった。
 しかし俺の視界は天井を映し、耐え難い激痛が──


暗転。


「はーい!」

 声が耳に飛び込んできたと認識した瞬間、今度は一切躊躇せずに部屋を飛び出した。今この時に何が起きているか全く理解が出来ていないけれど、一つだけは分かる。早くしなければ母はあの怪物の手によって殺される。
 突然部屋を飛び出してきた俺を見て、驚く母のその背後。そこにヤツがいた。緑色の痩躯にくっ付いている楕円形の頭部に3つの目、3本の脚、4本の鎌の腕。
 初めて見る血に濡れていないその姿を睨み付けながら、スピードを保ったまま階段を飛び降りようとして。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 4本の鎌が母さんを切り裂く。絶叫し、倒れ伏す母さんを不躾に踏み潰した怪物はニタニタと嗤う。そして、そのまま再度鎌を降るった。
 衝撃。視界がブレる。腹が焼けるように痛い。なんとか視線を下ろせば、俺の下半身が切り飛ばされていた。ああ、どうりで痛いは、ず──


暗転。


「はーい!」

 最短距離で母の下へ向かえ。全速力で部屋を飛び出してノータイムで階段を飛び降りる。
 けれど。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 また間に合わなかった。母は無残にも切り刻まれ、血に濡れた怪物はニタニタと俺を嘲笑う。
 畜生が。もっと早く、もっと早く母さんの所へ行かないと。肩から腹まで全部が痛い。袈裟斬りか、このクソやろ──


暗転。


「はーい!」

 もっと早く走れ。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 クソが。間に合わない。俺が飛び出した途端にあいつは母さんを切り刻む。相変わらずのクソみたいなニヤケ面のそいつは鎌を振るう。ケッ、今度は何処を斬るつも──


暗転。


「は──」

 死が終わり、痛みが消えたと認識したと同時に飛び出す。声なんて聞いている暇さえも惜しい。ただ早く。速く。疾く!

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 クソ、失敗した。次は──


暗転。


「は───」

 もっとだ!

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 駄目だ。あの憎たらしいニヤケ面が母を嘲笑い俺を見下ろして──


暗転。


「はーい!」

 母さんの声。瞬間的に部屋を飛び出そうとして、しかし踏み留まる。俺の突然の動きに妹の困惑した声がするが、今はそんな場合じゃない。
 俺の早さでは間に合わない。さっきのあいつは、俺が部屋を飛び出したのを認識して、母さんを切り刻んだ。前までは母さんの悲鳴はもっと遅かったはずだろ。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 ほらな。さっきよりも、何もしていない今回の方がよっぽど母さんの悲鳴が上がるまでに時間がかかる。

「お、お兄ちゃん……」

 俺の行動によってあいつも行動パターンを変えてくるんだから、俺がそもそもあいつより早くなければ母さんを助けられない。
 轟音と共に扉が吹き飛び、緑色の痩躯のクソ野郎が部屋に侵入してきた。相変わらずの気持ち悪い見た目だ。

「ヒッ……」

 ニヤケ面のそいつが掲げた腕……鎌には母さんの首が引っ掛かっている。クソ。クソ野郎が。そしてそのまま鎌を振りかぶって。
 また腹が痛い。なんとか妹を突き飛ばしたけど、あいつは大丈夫だろうか。今度こそ、かあさ──


暗転。


「はーい!」

 俺があいつよりも遅いからと言って、それが諦める理由になる筈がない。万が一、億が一母を救える可能性があるかもしれないんだ。何度だって繰り返してやるよ。
 困惑している妹をそのままに部屋を飛び出し、掴み取っていた木刀を投げつける。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 しかし意味はない。俺が投げた木刀を難なく切り裂いたそいつは、流れるように母を切り裂く。ああ腑が煮えくり返る。許してなるものか。
 他のやり方を考えろ。いつまでこの無限ループが続くかは知らないが、必ず母さんを──



暗転。


「は───」

 今度は防具を投げつける。母さんに当たって怪我させるかもしれないけれど、死ぬよりましだ。それに、母さんが避けようとしてあの怪物から逃げることができれば、それがいい。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 だめだ。牽制にすらなりゃしない。どうする? 速さを求めるか? 次は──


暗転。

 クソ、間に合わない。

暗転。

 声を掛けて母さんに2階に来てもらおうとしたが、ダメだ。

暗転。
 次だ。
暗転。
 もっと早く。
暗転。
暗転。
暗転。
暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転。暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転暗転。


暗転。


「はーい!」


 母さんの元気な声がする。何度も聞いた、生きてる母さんの声。何度繰り返したか分からないほど聞いている声。ああクソ、馬鹿みたいに繰り返したからこそ、もう理解してしまった。

 俺に母は救えない。

 根本的にこのループの開始地点が遅すぎる。それに俺が遅すぎる。絶対に間に合わない。母は救えないと、そう運命が決められている。クソ。クソが。

「きゃああああ゙あ゙あ゙ッ!!!」

 何度も聞いた母さんの断末魔。ああ、悔しいな。俺は、次からは母さんの最後の声すらまともに聞いてやれないんだ。だって、母さんを俺は救えないというのならば、せめて妹だけは守ってやらなきゃならない。だって俺はお兄ちゃんだから。ひっそりと決意して、隣で顔を青褪めさせている妹の手を握ってやる。


「お兄ちゃん……」

 次だ。
 次から、俺はお前を家から逃す為に全力を尽くす。だから今回は母さんの最後の顔くらい見させてくれよ。血に濡れていたとしても、もう見ることのできない母さんの顔を。
 轟音と共に扉が吹き飛び、緑色の怪物が部屋に侵入してきた。そしてその腕の先にくっついている血塗れの母の顔を見て、涙をこぼす。
 ごめん、母さ──


暗転。


「は───」

 妹の手を引き、ベランダへと駆ける。混乱した様に喚く妹には悪いが時間が惜しい。

「俺を信じろ」

 酷い顔をしている自信がある。けれど今までで1番真剣だった。
 俺の尋常ではない様子に気圧されたらしい妹は、黙って背中に乗ってくれた。そのままベランダから雨樋を伝って庭に降りていくと、途中で母の断末魔が鼓膜を揺さぶる。

「お、お兄ちゃんっ」

 その声に動揺した妹が声を震わせ、俺にしがみつく。ああ、怖いよな。俺も怖いよ。
 妹を背中から下ろしている時間が惜しい。出来るだけ音を立てず、妹を背負ったまま家の外へと飛び出した。彼女を逃す為にはどこへと向かうのが正解かは分からないけれど、何度だって繰り返してやるから。

 瞬間、轟音が響き渡り、窓ガラスの割れる音が聞こえた。ああクソ、早いな。

 とりあえず交番の方へと向かおう。そう思ってより一層足に力を込めて駆けて、視界がズレる。あれ、なん──


暗転。

 クソ、早すぎる。もっと無駄を無くさないと。

暗転。

 途中から手を引いてやった方が早い事に気付く。そりゃそうか。

暗転。

 雨樋を伝うのにも多少は慣れた。この調子でタイムを縮めれば、もっと逃げられるか。

暗転。

 クソ石ころが。何でこんなとこに───

暗転。
 切られた。クソ。
暗転。
 今度は避けられた。妹も無事だ。
暗転。
 横薙ぎするなクソ。
暗転。
 あいつの攻撃パターンを見極めろ。
暗転。
 死に覚えだ。
暗転。
 何回死んだ?
暗転。
 よし、やっとコツをつかめ───

暗転。

 初めてうまくいくかもしれない。今まで辿り着くことの出来なかった十字路にやっと手が届く。
 このまま角を右に曲がれば、すぐそこに交番がある。そこに行けば助かるかは分からないけど、俺1人で足掻くよりよっぽどマシだ。

 後ろから追いかけてくる怪物の攻撃を躱し、最短距離で角を曲がろうと。


「コ……コンバン、ハア゙……!!!」


 母さんを殺した怪物とは別の怪物がそこにいた。でっぷりと太っている赤褐色の、目が2つの気持ち悪い怪物が。


「ヒッ……!」


 新たな怪物の出現に妹が体を硬直させる。あ、拙い。

 咄嗟に妹を引っ張り、赤い怪物の攻撃範囲から逃げ出す。が、どうやら認識が甘かったらしい。そいつの腕に掠った衝撃だけで俺と妹は吹き飛ばされ、道路をゴロゴロと転がる羽目になった。

 クソ、こっちの道は間違いだったのかよ。次からは西じゃなく東に逃げないと。痛みと吹っ飛ばされた衝撃で回る視界にフラつきながらも、なんとか立ち上がり、手を離してしまった妹を探す。


「や、やだ、来ないでっ……!!」


 妹の声がした方に目を向けると、少し離れた所で赤い怪物に腕を伸ばされている妹を見つけた。ああ、急いで助けてやらないと。
 痛む体を押して妹の所へと走って向かうが、クソみてえな事に怪物が妹を握る方が早かった。


「アヤカッ!!!!」

「おに゙い゙ちゃ、たす、」


 ぐちゃり。

 妹が、文香が、胴体と頭を握り締められて目の前で潰された。その事実にくらりと眩暈がする。俺に助けを求めて伸ばされた腕はだらりと垂れ下がり、血に濡れていた。
 ああクソ、母さんの死体なら何度も見たけど、妹の死体を見るのは初めてだ。いつも俺の方が先に死んでいたから。
 怒りで体が震える。よくも殺してくれたな。よくも、よくも!
 死ぬと分かっていても、むしろ死ななければならないと分かっていても、一回殴らないと気が済まない。無造作に妹の亡骸を放り投げた怪物に向かって駆けて。

 俺に追いついた緑の怪物に、横薙ぎで切り裂かれる。

 クソ、殴らせろクソやろ───



暗転。


[→Next]



[Back]/[Top]

 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -