火宅

 青白い業火が乙骨の視界を覆っていた。宙に浮かんで彼を見下ろす女体の特級呪霊は、死装束なのか真っ白な着物を身に纏っており、褄先や袖口からは絶えず炎が吹き出している。気持ち悪い見た目だな、と乙骨は内心で吐き捨てた。

「折角だから動機でもお話ししよう、乙骨憂太」
「黙れ」

 先ずは友人の身の安全の確保が最優先だろう。辺り一面を渦巻く荒れ狂う炎を祈本里香の腕で払い、突破口を開いた乙骨は彼女にパンダと狗巻を抱えさせて、一旦退避した。彼らの為にも、あの特級呪霊の視界から一度逃れなければ。
 幾つもの建物を飛び越え、少し開けた廊下に友人達を降ろさせた乙骨は、二人に反転術式で治療を施す。家入硝子の反転術式の見様見真似であるが、狗巻の荒かった呼吸が幾らか落ち着いた事で、乙骨はホッと溜息を吐いた。
 そして、傍らの彼女を見上げる。何となくではあるが、今なら大丈夫だという自信が乙骨にはあった。今ならきっと、里香を暴走させずに制御できると。

「里香」
『な゛あ゛に゛い、憂太あ』
「アイツの炎、消せる?」
『うん!出来るよぉ゛!』

 特級呪霊が散らしている青い炎。単純に視界が遮られて鬱陶しいし、何より建物に延焼しているせいでこのままでは高専が燃え尽きてしまうだろう。里香の出来る、という言葉を信じた乙骨は彼女と共に建物を飛び出し、宙に浮いている特級呪霊に接敵した。

「私はねェ、己が強い自信があったんだ。何せこの身は人々が語る鬼が怪へと至った青行燈。人の恐怖という負の感情が蓄積された呪いだ。弱いわけが無かろうて」
「情報の開示だろ。聞いてやる義理なんてない」
「キミの言葉を聞いてやる義理は私にもないね」

 生成の面の奥から、ケタケタという不愉快な笑い声が周囲に響く。それに顔を顰めた乙骨は里香に指示して、周囲の炎を彼女の呪力で無理矢理消し飛ばそうとした。里香の力ならばそれが出来ると踏んでの判断だが、しかし、炎は燃え盛り続ける。否、むしろ先程までよりも炎の威力は増していた。

「私は強かった。呪いの王の対となる、呪いの女王に相応しい強ささ。……なのに、どうして祈本里香が呪いの女王と呼ばれてるのかねェ?」

 何かを語り続ける呪霊を無視し、乙骨は炎を消そうと試行錯誤していた。先程、友人達を避難させる為に里香の腕で炎を払った時は、炎はちゃんと消えていた筈だ。しかし呪力での攻撃では、炎の勢いは増すばかり。
 今度は里香の呪力が込められている刀で払ってみるが殆ど効果は無く、寧ろ伏黒甚爾から借り受けていた一級呪具の方が炎を消し飛ばせていた。
 ……広範囲に渡って燃え広がっている炎を、一々里香の腕や己が呪具を振り回して消し飛ばしていてはキリがない。何か他の方法で一気に消しとばさなければ千日手になるだろう。
 慢心していた……のだろうか。里香という、呪術界の上層部をも恐れる特級過呪怨霊が乙骨には切り札としてあったが故、どんな敵であろうと斃せる、なんて。

「あァ、私の炎が気になるかい?そいつは呪力を薪にして燃え上がっていてねェ。呪いで消し飛ばそうにも、それを喰ろうて更に燃え盛る。便利な炎さね」

 呪霊の術式の開示により、炎の勢いが増していく。ジリジリと建物を燃やし、空気を燃やし。乙骨にまで火の手が迫るが、里香の豪腕がそれを弾き飛ばす。そのまま呪霊をも殴り飛ばす勢いで里香は腕を振るい、乙骨は彼女に守られながらも頭を回転させていた。
 呪力を燃料にして燃え上がる炎と、それを操る呪霊。里香の振るう腕の様に、物理現象で炎を消しとばす必要があった。例えば大量の水だとか。
 しかし乙骨には水を呼び出す術式にアテなどなく……。
 ──本当に?

「里香!!最初のアレ、また出して」
『わ゛かったああ゛ァ!』

 怒りに任せて祈本里香を乙骨が呼び出した時。彼女は大量の黒い水からその身を顕現させていた。……その水に呪力が篭っていたとしても、炎を掻き消すほどの質量で押し潰せたならば。
 乙骨の言葉に嬉しそうな声で答えた里香は、彼の足元から渦巻く様に黒い水を呼び出した。そのまま水の流れに指向性を持たせ、濁流で辺り一面を埋め尽くす。
 あれだけ周囲を燃やし尽くさんばかりに燃え盛っていた青い炎は、圧倒的な質量になす術もなく急速に消えていった。今度は、乙骨と里香がこの場を支配している。
 次の手だ。里香の呪いが込められた刀を鞘から抜き去った乙骨は、下段の構えから刀を大きく振り上げた。すると、里香が呼び出した濁水も刀の動きに合わせて吹き上がる。高く高く立ち昇った濁水は宙に浮かぶ呪霊を捉え、その褄先の炎を消し去った。
 よし、これならば炎を抑え込んだ上で呪霊に対しても攻撃ができる。手応えを感じた乙骨は、続け様に刃を振るい、濁水を使って呪霊を窮追していく。逃げ道を塞ぎ、確実に呪霊の力を削いで。
 けれども次の瞬間、呪霊の纏っていた炎が爆ぜた。そして乙骨が操っていた濁流も弾き飛ばされ、消し飛ばした筈の炎の波が現れる。
 里香が乙骨を抱え込む様にして防御したお陰で彼にダメージはないものの、呪霊の周囲に巨大なクレーターができる程の威力。

「随分と力任せだねェ。けど、ソレは私の領分だよ。あくまで君はヒトだから出力が違う」

 特級呪霊・青行燈の保持する呪力は規格外と言えど、無尽蔵ではない。呪力の総量で言えば、底なしの呪力を持つ祈本里香に軍配が上がる。
 しかし逆に、一度に使える呪力の総量は呪霊に軍配が上がった。あくまでも乙骨を呪いの基点としている祈本里香は、呪力の出力も乙骨憂太に依存しているのだ。
 幾ら無尽蔵の呪力を持とうが、呪術の出力差により乙骨の術は呪霊に破られる。

「ダメ押しをしようか。実はねェ、今日は君達を倒す為に態々百鬼夜行を起こしたんだ」

 ──情報の開示による能力の底上げだ。
「呪霊を倒す為に出向いた術師達の負の感情。更には、全国五箇所の主要都市から強制退去させられた数多の非術師。彼らの不平不満と言った悪感情。それらが全て、私に集約されているんだよ」
 呪霊の顔に付けられていた生成の角は大きく伸び、口は大きく裂けて巨大な牙が窺える。生成の面は般若へと至っていた。
 こうなれば周囲の被害を気にしている場合ではない、と乙骨は判断した。元より新米の呪術師である己が、周りに色々と気を配って戦っていたのが間違いなのだ。炎が周囲を覆うのならば、全てを燃やし尽くす前に斃せばいい。

「里香」
『なぁに、憂太ぁ゛』
「一緒に頑張ろうね」
『うん゛!!りか、がん゛ばる!』


【同日一六時四七分
「仮称・青行燈」と特級過呪怨霊・祈本里香が相討ちにて消滅。】

 上層部に提出されたらしい報告書を一通り眺めると、男は妥当なところかな、と呟く。仮称・青行燈という呪霊は祈本里香を降伏、若しくは消滅させるために彼が用意した呪霊だった。ついでに“呪いの集約”という実験も兼ねていたが、そちらの結果は芳しくない。
 今回の百鬼夜行の為、男は色々と画策していた。まず、所持している呪霊の中から目ぼしいものを結界に封じ、呪霊で蠱毒を行い青行燈……擬きを作成。狙い通りの“呪いの集約”という性質を帯びた呪霊が出来上がるまで、何度も蠱毒を繰り返し、出来上がったソレを頂点に呪霊の一部を配下に主従契約を結ばせた。
 しかしながら、祈本里香への対抗策として作り上げたソレは、術式の出力こそ高いものの継戦能力は無く、細やかな呪力操作といった事も一切出来ず。上手くいけば、蠱毒によって呪霊の質の向上を図ろうとしていた男にとっては、出来の悪いモノでしかなかった。
 祈本里香と相対するに相応しい出力になれど、それだけである。男が青行燈擬きを作り上げる為に使用した数多の呪霊達の、質などを考慮すれば全くもってコストパフォーマンスが良くない。今後は数匹程度での蠱毒を継続して行うとしても、青行燈擬きの様に大規模な蠱毒は今後行わないだろう。
 次に、日本にいる特級術師達に対する対処だ。今回、五条悟を相手取るのは面倒であったので、海外に出張させる様に手を回していた。更に言えば、彼が空の旅をしている時に態々宣戦布告も行わせた。その甲斐あってか、五条が出張って来なかったのは上々だ。
 そして例の悩みの種、伏黒甚爾はただの生身の人間であるからして、五条悟の様に主要都市間を瞬間移動出来るでもないし、面での制圧攻撃の手段も持たない。突出した個であるだけで、そこまでの脅威ではなかった。
 ただ、夏油傑は話は別である。男にとって五条悟程の脅威ではないものの、それは今だけの話だ。夏油傑の所持する呪霊が増えれば増える程、質が向上すればする程、彼は加速度的に戦力を増幅させる。
 だからこそ、叩けるうちに叩いた。敢えて夏油の戦力を分散させ、彼が所持している呪霊の大半を削ったのである。結果的に、夏油は今まで溜め込んでいた呪霊の五割と、彼の所持していた特級呪霊のうちの四体も特級呪霊と相討ちで消滅。目論見通り夏油傑の戦力を大いに削れたと言えよう。
 ……ただ一つ男に誤算があったとすれば、夏油が帳を入れ物に見立てて、男と同じく呪霊で蠱毒を行った事だろうか。福岡の地で夏油が行った蠱毒によって、生き残りの呪霊が新たな特級呪霊となり、夏油に降伏させられたのだ。男としてはもう少し夏油の持つ特級呪霊を減らしておきたかったのだが、数字的に見れば三体減ったに過ぎない。
 ……しかしまあ、過ぎたことを悔やんでも仕方がないだろう。本命の祈本里香の消滅という目標は達成しているし、多少の想定外はあれども大筋は彼の思惑通りに事は進んだ。
 これならば、と男はほくそ笑む。それを隣で見ていた一匹の……否、一人の呪霊が男に話しかけた。

「随分と嬉しそうだね、ゲトウ」
「……真人。何度も言うけれど、この体の遺伝子情報は確かに夏油傑と同一の物だが、私は夏油傑じゃないよ」
「でも他に呼び方が無いだろ?寧ろ何て呼べばいいのさ」

 真人という名の呪霊の言葉に、確かに正論だと感じた男は、どうしたものかと頭をひねる。以前の名前は名乗るにはややこしいし、最初の名前を名乗るつもりは今のところ無く。そしてこの体は夏油傑本人でない。
 さて、名乗るのに丁度良い名前はないものか、と。暫くそのまま考えた末に、男は咄嗟にひらめいた名前を呟いた。

「キタガミにしよう」
「キタガミ?それでいいの?」
「うん。これがいい」

 夏油傑と同じ顔をした男は、うっそりと微笑む。その頭には、額を横切る奇妙な縫い跡があった。



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