火宅

【記録──二〇一七年一二月二四日未明
 呪術高等専門学校東京校敷地内にて、未登録特級仮想怨霊「仮称・青行燈」が出現。数名の窓を人質に取った上、新宿、京都、札幌、名古屋、福岡への侵攻を宣言。また、同時に呪術界への宣戦布告も行われた。】

 同日一三時五三分

《問題は、高専の敷地内に特級呪霊が出現した事なんだよね》

 乙骨と狗巻、パンダの三人は、テレビ電話で己達に語りかけてくる夏油の言葉に、静かに耳を傾けていた。自分達の担任である五条は海外出張中。伏黒甚爾は上に呼び出されて不在。
 従って、京都校の教師ではあるものの、顔見知り兼特級術師の夏油が学生達の指揮をとっていた。

《特級術師のうち、悟と九十九さんは今海外にいる。そして、憂太くんは他人と共闘できる程、里香ちゃんを制御できていない。だから必然的に、私が対百鬼夜行の戦線を維持する事になるんだ》
「……なるほどな。つまり手が空いてる憂太に天元様を守らせるって事か」
《パンダくん正解。ただ、本当によっぽどの事がない限り里香ちゃんは使っちゃだめだよ。棘くんとパンダくんも高専で待機してもらうし、滅多な事はないだろうけど気をつけてね》

 実のところ、夏油の言葉はテイのいい建前だった。五条が居ない状況で彼の庇護下にある乙骨を戦場に出して、その場にいる術師に対して被害を出してしまった場合、誰も乙骨の死刑執行を阻止する事が出来ないからだ。
 夏油は現在首都から離れた場所にいるし、伏黒甚爾が五条の管轄に立ち入るのは相当に難しかった。いくら婿入りしているとはいえ、甚爾が禪院の血筋である事に変わりはない。御三家のパワーバランスを乱してしまうのは悪手だ。
 だからこそ、それっぽい理由を提示して乙骨を高専内に留め置く事にしたのである。
 それに、万一特級仮想怨霊が高専内に出現したとしても、その呪力に反応する結界を張っているので、呪霊が出現した時点で高専側が対応できる手筈になっていた。
 それに保険としてパンダと狗巻もいるし、本当に不味い状況にならない限り乙骨が戦場に立つ事はない筈だ。

「あ、そういえば真希さんと伏黒先生が、会議に行ってから全然帰ってこないんですけど……」
《ああ、二人とも今は新宿で百鬼夜行を待ち構えているよ》

 上層部で密かに最悪の師弟と呼ばれている伏黒甚爾と禪院真希のコンビは、会議が終わるや否や即座に新宿に向かっていった。曰く、早めに行って地形を覚えておかなければ新宿は迷う、と。
 新宿はダンジョンなので然もありなん。確かに言えているな、と夏油はその言葉に頷いた。新宿に高頻度で訪れるなら迷わないだろうが、生憎甚爾と真希は用もなく新宿に出掛けに行くような性格ではない。戦闘中に迷って地上に出られなくなれば目も当てられないだろう。

「夏油先生は大丈夫なんですか?」
《大丈夫だよ。お土産とか期待しててね。うまかっちゃんラーメン買ってきてあげる》


【記録──二〇一七年一二月二四日一六時三三分
 全国五箇所の主要都市新宿、京都、札幌、名古屋、福岡にて二級以上の呪霊約五〇〇〇体による通称・百鬼夜行が決行される。
 任務概要
 同日未明に行われた呪術高等専門学校東京校敷地内にて未登録特級仮想怨霊「仮称・青行燈」が行った呪術界に対する宣戦布告への対処。】

 同日一六時二三分

 特級仮想怨霊による宣戦布告は、正しく青天の霹靂である。天元様の結界がある呪術高専東京校に特級呪霊が出現した事実。宣戦布告された夜明けから、百鬼夜行の決行日時まで約一〇時間程しか猶予がない事。そして、最強の片割れ五条悟の不在。
 呪術界は未曾有の事態に、上から下まで尻に火が着いたように慌てふためいていた。然しながら刻一刻と猶予は迫っていく。

「足引っ張んなよな」
「随分と強気に出る様になったな、真希」
「はっ、当たり前だろジジィ」

 東京都新宿区。特級仮想怨霊の宣言通りならば、この地には百鬼夜行と称して一〇〇〇の呪霊が現れる。故にこそ、伏黒甚爾を頂点の責任者として戦闘要員の術師二〇人が集まっていた。そして、新宿から少し離れた場所には約五〇人の術師達が控えている。……こちらの術師達は、非術師の避難や大規模な帳を降ろす為の要員だ。
 一〇〇〇の呪霊を相手取るに二〇余名という数はあまりにも心許ないが、しかし、仕方のない事であった。
 宣戦布告後、上層部は連絡の取れる術師に片っ端から連絡をとっていき、かき集められた術師の総数は約四〇〇名。ただ、百鬼夜行を宣言した特級仮想怨霊の『全てが二級以上の呪霊』という言葉があった為、三級以下の術師を任務に充てがうなど自殺行為に等しい。
 ならば、とかき集めた術師の中の準二級以上の術師……一五〇余名を戦闘要員、残る二五〇余名を補助として全国五箇所の大都市に派遣する事となった。……札幌に関してはアイヌ呪術連が対処するとの事であるから、全国四箇所と言った方が正しいか。

「伏黒さん!非術師達の避難、完了しました。帳を降ろす準備も出来ています」
「おし。んじゃ、日の入りまで残り一〇分だし最終確認でもするか」

 控えの術師の連絡を受けた甚爾は、ちらと時計を見てから、どことなく緊張した面持ちの準二級以上の術師達に話しかけた。……まあ、最終確認と言っても、基本的な方針を伝えるだけであるが。

「最終的に勝てばいいから、基本は待ちの姿勢でいけ。俺は動き回るけど」
「私も動いていいよな?」
「ん。真希も好きに動いていい」

 一〇〇〇体の呪霊を倒しきる事が目標であり、祓除の速さは元より求められていないのである。万全の状態で呪霊を迎え撃ち、着実に一体一体祓う事こそがこの場では求められていた。
 ……しかしそれはそれとして、完全に呪力がない故に気配がない甚爾や、所持している収納用の呪霊と呪具に宿っている呪力でしか存在を相手に気取られない真希は、混沌とした戦場でこそ一番実力を発揮できる。透明人間にとって、ゲリラ戦ほど有利な戦いは無い。
 なので甚爾と真希が呪霊の群れに突っ込み一撃離脱を繰り返して、溢れた呪霊を術師達が堅実に祓う。一番効率が良くて確実な戦法であった。

「負傷者が出た場合は速やかに帳の外に出ろ。中の事は気にすんな」
「それで最終的にお前以外が帳の中に残らなけりゃどうするんだ、甚爾」
「それでも倒し切れる」
「…………そうか」

 呪霊は甚爾の気配を捉えきれないのだから、時間が掛かるとはいえ、甚爾が全ての呪霊を倒しきる事は不可能ではない。禪院直毘人もそれを理解しているが故、それ以上何も言う事はなかった。

「よーし!頑張ろうね、七海!猪野くん!」
「……灰原は張り切りすぎてガス欠起こさない様、気をつけてくださいね」
「よろしくお願いします、灰原サン、七海サン!」
「猪野くんも元気ですね……」

 残り数分で日没……百鬼夜行が始まるという緊張感で空気が重い中、和気藹々とした雰囲気を醸し出している術師達がいた。七海建人と灰原雄の一級術師コンビと、その二人を尊敬してやまない猪野琢真である。
 ……七海だけは元気な二人に挟まれて若干疲れた様な面持ちだが、それでも他の術師よりかはリラックスしていた。何せ彼の先生である伏黒甚爾がこの戦場にいる。
 術式の関係上、自身の体捌きが実力に直結する七海は、甚爾に教えを乞うてきたのだから彼の実力が身に染みて理解できていた。五条悟と同種といえる、この人がいればなんとかなるだろうという安心感。
 それに、彼の愛弟子もいるのだし……と七海は真希を見つめた。禪院家の圧力をものともせず、一級術師にまで上り詰めた彼女の実力は折り紙付きだ。恐らく一級術師の中でも上から数えた方が早い実力。年若い故に経験不足が玉に瑕と言えようが、それを補ってなお余りある程に発達した五感。
 甚爾と真希がいるのだから、と他の地区よりも新宿に割り振られる人員が少ないのも納得できた。
 それを余り理解できていない術師はそわそわとしているが、戦端が開かれれば理解できるだろう。何せ、特級仮想怨霊が用意したこの戦場で、一番強い個人は伏黒甚爾だ。
 しかしそれとは別に。もう一人、この百鬼夜行に於いて一番強い男がいた。文字通り桁違いの戦力を有している、特級術師の夏油傑である。
 札幌、名古屋、京都、福岡といった各地区に、新宿にいる甚爾の様な、数の暴力をものともしない圧倒的な個が居れば話は別なのだが、そんな術師がホイホイいる訳でもなく。必然的に、多勢に対して更に大きな数の暴力で対処する事となった。
 そして、その数の暴力こそが夏油の真骨頂だ。今まで五条や甚爾が生捕りにした特級呪霊や一級呪霊は数知れず。それを真面目に一匹残さず取り込んできた夏油の所持している呪霊は、今や一万にも登る。
 その圧倒的物量が、今回活かされる事となった。
 甚爾のいる新宿は彼の邪魔になるから、と除外し、他の四箇所……札幌、名古屋、京都、福岡に夏油は所持している呪霊のほぼ全てを送り込んだ上で、福岡に関しては彼一人で百鬼夜行に対処。五条に関してもそうだが、特級術師は味方がいない方が周囲を気にせずに実力を発揮できるのだ。
 それにそもそも夏油は、等級が二つ以上の差が開いている呪霊をほぼ無条件で取り込める。故にこそ、特級仮想怨霊の用意したらしき二級以上の呪霊のうち、大多数を占めるであろう二級の呪霊は夏油にとって敵ではなかった。なにせほぼ無条件で取り込めるので。


 同日一六時三三分

 控えの術師達の尽力のおかげで、特級仮想怨霊の指定した地区に非術師は居ない。珍しく伽藍堂になったその場所に、じわりと影が滲み出る。その黒から夥しい数の呪霊が飛び出すのを確認した夏油は、遠く離れた術師達に合図を送った。
 直後、博多駅を中心として半径一〇kmの帳が降ろされる。内側に存在するのは呪霊達と夏油のみ。足手纏いになる味方は存在しない。故にこそ、ここからは夏油の独壇場である。
 思う存分暴れられる、と薄ら笑みを浮かべた夏油は呪霊を呼び出し、敵を上回る物量で相手方を押し潰し始めた。相手が一〇〇〇なら、こちらは三倍の数を、三〇〇〇をぶつければいい。最高に頭がいい作戦だ。それに敵の二級呪霊を夏油がどんどん取り込んでいけば、数量差は広がる一方だろう。
 自分自身は空を飛び回る呪霊に乗っかり、手始めに呪霊の軍勢の衝突で弾き飛ばされた二級の呪霊に手を伸ばした夏油は、しかし首を傾げ、手に持っていた呪具で呪霊を祓った。何かおかしい。
 特級の夏油ならば、二等級下の呪霊はほぼ無条件で取り込めるというのに、目の前の二級呪霊を取り込むことができなかったのである。
 ……夏油の呪霊操術は、主従関係が成立している呪霊だけは無条件に取り込む事ができない。呪霊の契約先の主人を殺し、主従関係の上書きをせねばならなかったのだ。
 つまり、この場にいる呪霊達全てが誰かと主従関係を結んでいる可能性がある。試しに、別の二級呪霊に手を伸ばしてみたものの手を弾き飛ばされてしまった夏油は、嫌そうな顔をしながら、親指で眉間にできた皺を伸ばす。
 戦場で物量……呪霊を補充できると思っていたのに、アテが外れた。戦術も何も無しで押し潰したかったのに、自分の呪霊達の損害に気を遣わねばならない。
 思っていたよりも面倒そうな相手に溜息を吐き、追加で現れた特級呪霊三体を目にした夏油は、がっくりと項垂れる。さっさと制圧して別の戦場を手伝おうと思っていた計画がパァになったのだ。

「……仕方ない。一時間で片付けるか」


【記録──二〇一七年一二月二四日
 百鬼夜行の瓦解、及び敵性呪霊の全ての祓除を確認。
 ・新宿区担当責任者、伏黒甚爾。以下、禪院真希含む術師二〇名にてこれに対処。未登録の特級呪霊を含む全ての呪霊の祓除完了。
 ・京都担当責任者、楽巌寺嘉伸。以下、東堂葵含む術師五五名、及び特級術師・夏油傑の所持呪霊約一五〇〇体でこれに対処。未登録の特級呪霊含む全ての呪霊の祓除完了。
 ・札幌担当責任者、アイヌ呪術連会長。以下、呪術連に所属する術師及び特級術師・夏油傑の所持呪霊約二〇〇〇体でこれに対処。祓除完了。
 ・名古屋担当者、夏油傑。以下、自身の所有する呪霊約二五〇〇体及び、術師七五名にてこれに対処。祓除完了。
 ・福岡担当者、夏油傑。以下、夏油傑本人及び所持呪霊三五〇〇体にてこれに対処。未登録の特級呪霊含む全呪霊の祓除完了。──別紙@参照。
 ・百鬼夜行の主犯格「仮称・青行燈」は呪術高等専門学校東京校敷地内に再度出現。狗巻棘、パンダ両名により対処にあたるものの、敗北。直後に特級過呪怨霊・祈本里香の二度目の完全顕現を確認。】

 同日呪術高専東京校

「キミが乙骨憂太だね?」

 パンダが血塗れでひび割れた地面に倒れ臥している。狗巻が血反吐を吐いて、壁に寄りかかって崩れ落ちている。……乙骨憂太の数少ない、大切な友人が死の危機に瀕していた。
 それを成し遂げた侵入者……特級呪霊は乙骨に攻撃するでもなく、唯々ふわりと空中に浮かんでいる。

「パンダ君……!狗巻君……!」
「おやァ?無視するのかい。悲しいね」

 自分に見向きもせず、己が友人を見つめる乙骨に気分を害したのか、特級呪霊から青い炎が撒き散らされた。その顔面には生成の面……小さな角の生えた女の容貌の能面が付けられており、表情は窺えない。唯々炎を撒き散らしながら、空中より乙骨を見下ろすだけである。
 対する乙骨は、夏油から伝えられていた言葉を思い出していた。万が一、件の特級呪霊が現れた時。最終手段の里香ちゃんを呼び出さなければならない状況に陥った時は、高専の結界に気をつけるなら里香ちゃんを出しても構わない、と。
 ならば、躊躇など必要ない。

「来い!!里香!!」

 乙骨の言葉に応じて、彼の背後から醜悪な怪物が姿を現す。特級過呪怨霊・祈本里香の完全顕現である。

「漸く真打ち登場だ。楽しく遊ぼうよ、乙骨憂太、祈本里香」
「ぶっ殺してやる……!」



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