下載清風

 げえ、とばかりに顔を歪めた夏油の前に立ち塞がり、その手の中にある煙草を取り上げた。校舎の裏で煙草吸うんじゃねえよ、この不良少年め。

「家入にでも影響されたか?」
「……ストレス発散に良いと勧められて」
「んで赤マルかよ。バカになりてえならもっと重えの吸っとけ」
「教師がその発言していいんですか」

 まだ半分以上残ってる奪い取った煙草を手頃な石で押し潰し、夏油が右手に隠し持っていた箱も取り上げる。昔、普通に未成年喫煙していた俺が言うのもなんだが、ガキの頃から煙草なんざ吸うもんじゃねえ。
 俺にバレちまったから降参、とでも言うように両手を上げたクソガキ二号の様子は、本人が言っていた通りストレスの溜まっていそうな面をしている。具体的に言えば目が若干落ちくぼんでいた。一七のガキがする面じゃねえんだよなァ。社畜かなんかかよ。

「おまえも大概バカだな、ストレス発散したいから煙草って。たらふくメシ食って女と寝りゃいいだろうが」
「もう一度言いますけど、教師としてその発言はどうなんですか」
「俺は経験談喋ってるだけ。三大欲求満たせば大抵どうにかなるぜ」
「クズだ……」
「未成年喫煙したてめえもクズだよ大馬鹿野郎」

 事実、禪院の家にいて溜まりに溜まっていたストレスも、女を抱いていた時は多少マシになった。適当に引っ掛けた女と遊んで、酒と煙草をやって。喧嘩をするのもいい発散方法だったな。それでも家に戻りゃすぐにストレスが溜まっていたが。
 結局禪院を出るまで俺の苛立ちは治まることはなかったのだから、ストレスってのは厄介だ。逆にいえばストレスの源から逃げ出せば、解消できるとも言えるが。
 ……俺と違って根は真面目ちゃんのこいつに、逃げるっていう選択肢は取れねえだろうなァ。どうしようもねえ事実に真面目に向き合った末に呪詛師に落ちるんだし。ある程度割り切れる性格だったら、非術師を皆殺しにするとかいう結論には至らねえ。

「他に発散する方法は思いつかねえのかよ。法律違反は無しな」
「…………睡眠……?」
「……こう、もっと……遊ぶだの何だのねえのか」
「最近は悟とも休みが合わないのでなんとも……」

 いやー、病んでんな、マジで。二年の頃は大丈夫だったが、三年になってからどうにもやべえ。
 つーか学生をここまで病ませるって、呪術界はやっぱりクソだな。呪術師になれねえ俺に対してもクソだが、才能に恵まれたこいつにとってもクソ。いいとこ無しだ。

「んー……」
「どうかしましたか?」
「どうすっかなって悩んでんだよ」

 ストレス発散はいいとして、その後が問題だな。折角発散してもまたストレスが溜まれば意味が無え。
 だからと言って俺にカウンセリングの真似事も無理だ。倫理観が生えてまともになった伏黒甚爾であろうとも、そもそもの価値観が夏油と違いすぎる。俺は弱者生存だとか心底どうだっていいし、理由があれば普通にどんな人間でも殺す。護衛という仕事をしてたのだって、ガキ共に変な恨みが向かねえ様にしただけで良心の呵責など一切無かった。
 が、夏油は違う。真っ当な両親の元に生まれたからこそ培われたであろう、正論を臆面もなく吐ける精神性。珍しい事に、夏油の両親は非術師なのにも関わらず呪霊の存在を信じているらしいし、よくできた親御さんなんだろう。だから俺とはそもそもの環境が違い過ぎて相容れねえんだよな。
 ……マ、どうにかできるかね。

「来週の金曜と土曜っておまえ休みだったよな」
「確かに休みですけど……」
「メシ食いに行こうぜ。俺の奢りで」

 何言ってんだこいつ、って顔をした夏油は、けれども本人も気分転換をした方が良いという自覚が有ったようで、素直に頷いた。
 ……はてさて、準備しなけりゃならねえ事ができたな。恵と津美紀は黒井に預けよう。ちょっとぐらいならイケるイケる。


 ※※※


「なんか、意外ですね。勝手にBMWのセダンとか乗ってると思ってました」

 俺が普通のミニバンに乗ってるのがよっぽど驚きらしい。俺と愛車を何度か見比べた夏油は、ポツリとつぶやく様に言葉を溢した。BMWのセダンておまえ。
 まあ確かに昔はそういうのを乗り回してたが、ガキがいるんだし中が広いミニバンの方が何かと便利なんだよ。

「で、どこ行くんですか?」
「横浜の中華街」
「中華街……。そういえば行ったこと無かったです」
「へえ?てっきり五条とかと行ったことあるかと思ってたわ」
「悟は辛すぎるのは苦手みたいで、本格中華とか行きたがらないんです。だから中華街って選択肢がそもそも無くって」

 上京したての時は絶対行こうと思ってたのにな、なんて零した夏油に中華街のパンフレットと横浜のガイドブックを手渡した。こいつが食いてえもんが何か分からねえし、中華なら基本ハズレはねえ。
 車を走らせながら、あれがいいこれがいいと悩む夏油と軽口を交わす。そこの店は値段が高いだけで三軒隣の店の方が美味しいだの、そっちの店は値段相応のうまさだの。
 俺の言葉を聞いて気になった店の評判をわざわざ調べ、夏油のお眼鏡に叶った店名がポチポチとメモ帳に羅列されていく。んなモン適当でいいのに真面目だな。
 しかしまあ結局は気になる店が多すぎた様で、現地で一度店を見てからメシを食う事にしたらしい。つい先程まで連ねていた店の名前を一括消去した夏油は、俺にガイドブックを返してきた。

「もう見ねえの?」
「楽しみが半減しそうだな、と思いまして」
「割とはしゃいでんのか」
「……まあ。任務以外で何処かに出かけるのは久々ですし」

 任務に出て呪霊を祓い、高専に帰ってはまた任務に出る。休みの日はしんどい時は一日中部屋で寝て過ごすか、自分が取り込んだ呪霊によるフォーメーションを考えたり。夏油の日常は学生のそれとは思えねえ程慌ただしい。
 五条の場合、自分の呪術を磨く事に知的好奇心をくすぐられているから苦ではなさそうだが、こいつの呪霊操術を磨こうにもまず不味い呪霊を飲み込み続けるしかない。そりゃメンタルをやられるよなって話だ。

「車停めたら歩いて向かうぞ。コンビニ寄るか?」
「ええと、じゃあ飲み物だけ買います」

 そうして立ち寄った先のコンビニで、それくらい自分で出しますから、と主張してくる夏油を無視して金を払う。今日は奢りっつってんだから財布とか持ってこなくて良かったのにな。
 多少強引に金を払った俺に少し呆気に取られたものの、気を取り直した夏油は俺をジト目で睨め付けてきた。なんか文句でもあんだろうか。

「今日は俺の奢りだっての」
「……凄く今更なんですけど、なんで奢ってくれるんですか?」
「お疲れの生徒に対する労いだから有り難く受け取っとけ。俺が男に奢るなんて滅多に無えぞ」

 釈然としないといった顔の夏油は、しかし目的地に近付くにつれてソワソワしだした。俺にバレてねえと思ってるみたいだが、全然隠しきれてねえんだよな。
 向こう側からこっちに向かって歩いてきてる奴らが持ってる串焼きとか肉まんだとか、いかにもな中華雑貨を持ってる奴らに目線がいってるし。なんでもない風に俺に喋りかけてるが、挙動が不審でむしろ面白い。

「うわ、中国だ……」
「中華街なんだしそりゃそうだろ」
「テレビで見たことありますけど、本当に中国って感じですね。雰囲気がすごい……」

 横浜の中華街での有名所、善隣門をぽけーっと見上げて中国だ、としか言わなくなった夏油を引っ張ってとりあえず道の端に寄せる。……夏油って髪を団子にしてるし、塩顔だから中華街にすげえ溶け込んでんな。本人のリアクションはお上りさんでしかねえけど。
 さっきまでソワソワしてるのを隠そうとしてたのが嘘の様に、夏油は携帯電話を掲げて写真を撮りはじめた。とりあえず善隣門と、その近くの飯屋と。
 昔パチ屋の帰りとかによくここに来てたし別に目新しいもんもねえから、俺はそんな夏油の様子をぼけーっと眺める。まあ確かに、初めて中華街に行った時はあまりの中国感にテンションが上がったし、気持ちはわからんでもねえ。ひと通りここら辺の写真を撮り終えた夏油は俺の存在を思い出した様で、決まりの悪い顔をしながら俺の方へと寄ってきた。多少テンションは落ち着いた様だ。

「まずはどうしたい」
「……あー、まずは軽く見て回ろうかと」

 そう言った夏油にとりあえず財布を渡して先導させる。軽く見て回るっつってたが、良い匂いばっかしてるし腹の方が耐えられるだろうか。現に今も、串焼きの店に目線が吸い寄せられている。
 が、どうにか串焼きの誘惑に勝って道を歩き始めた夏油は、しかしながら再度立ち止まった。視線の先には水餃子の店。比較的客も少なそうだし、店に入れば直ぐに食えそうだ。

「あの……」
「ここの水餃子が恐らく一番美味え」
「入りましょう」

 やっぱり耐え切れてねえじゃねえか。
 結局水餃子を一人前食った後は、さっき見てた串焼きの店まで戻って豚串焼きを買ってたし、少し歩いた先の焼売も食って。当初の予定もクソもねえ、完全に行き当たりばったりになった。
 このまま夏油の心の赴くまま歩いてもいいが、そうすりゃ一生この辺から動かなさそうだ。……一応関帝廟通りあたりに向かう様に誘導してやるか。
 なので、むしゃむしゃと美味そうに串焼きを食ってる夏油にあっちに焼き餃子があるぞ、なんて喋り掛けた。すると露骨に夏油の目が輝く。

「食べまふ」
「雑貨屋とかも行くか?」
「行きます」
「じゃあそれ食い終わったら、」
「食べました」

 早えな。
 串焼きを一瞬で食い終えた夏油は、俺が指し示した店に早足で向かっていく。ちょっと前まで釈然としねえ顔してたのは一体何だったのか。……まあ、他人の金で食う飯ほど美味いモンは無えって言うしな。
 そのまま焼き餃子を食って、なんか知らんが胡麻団子を食った後に雑貨屋を冷やかしに行って。俺が家族への土産を何にしようかと考えていると、その間に夏油は豚まんの店を見つけたらしい。買ってきます、なんて言って一瞬で消えてった。
 まあ俺が買い物してる間に戻ってくるだろ、とそのまま物色し続ける。変なお面だとかよく分かんねえ置物は流石にやめとくとして、どうしたもんか。
 とりあえず、津美紀用に黒地に花の刺繍がされている靴と、恵用には前欲しいっつってた小さい金の豚の貯金箱。あとは二人が気に入りそうな小物入れとかかね。なんて考えてた所で、さっきから俺を見てた奴らがそばに近寄ってきた。はーめんどくせ。

「ねえ、お兄さん一人?」
「悪いが他を当たってくれ」

 女二人が喋り掛けてきたから、結婚指輪を見せてパッパッと追い払う。年若そうなのに何で俺みてえな年上に喋り掛けてくるんだか。口の傷見たら普通ビビるだろ。
 いい感じの小物入れも見つけたことだし、と会計をして店の外に出ると、なんとも言えない顔の夏油が突っ立っていた。不味いモンでも食ったか?

「なんというか……凄いですね」
「何がだよ」
「ナンパあしらい方が手慣れてるな、と思って。一瞬で終わってましたね」
「見てたのかよ……。まあガキが居ねえ時に外出ると、結構寄ってくるんでな」

 稀にガキがいても寄ってくる強者もいる。津美紀の母親とかそういう系のやつ。
 なんとも言えない顔をしている夏油をみて、こいつもこいつでやばそうだな、なんて考えに至った。盤星教を乗っ取って教祖をするぐらいだし、こいつには恐らく人たらしの才能がある。
 そんな夏油にやべえ女が目を付けたら、こいつはちゃんと逃げ果せるんだろうか。なんだかんだ真面目だから、まともな対応をして相手をつけ上がらせそうだ。そういう点、五条は慣れてるだろうからあいつは気にしねえでいいだろうが。

「おまえも気ィ付けとけ。たまにああいうのがストーカーになる」
「……えっと、経験談ですか?」
「そ、経験談。どれだけ冷たい態度を取ろうが諦めねえ無敵みたいなやべえのは存在する。そういう時は警察行っとけ。自分だけでなんとかしようとしても時間の無駄だ」
「覚えておきます」

 自分がそれなりにモテるという自覚があるのか、夏油は神妙な顔で頷いた。こいつも顔がいいもんな。

「あ、そうだ。先生の分の肉まんです」
「おー、さんきゅ」
「あともう少し行った所の小籠包が有名ってさっきのお店で聞いたんですけど、そこも行きますか?」
「おまえは食いたいの?」
「食べたいです」
「じゃあ食うか」

 なんて言ったものの、件の小籠包の店に着く前に北京ダックを売ってる店やラーメン屋にも入った。マジで寄り道しかしてねえな、今日。


 ※※※


「えっ、いや、流石に宿泊費用まで持っていただくのは……というか今日泊りなんですか」
「おう、泊りだな」

 中華街を満喫した後、俺が運転する車が首都から離れてってる事に気付いた夏油が素っ頓狂な声を出した。

「……どうしてここまでしてくれるんです?贔屓にしても度が超えてますよ」
「ん〜……そうだな。おまえに恩を売ってるとでも思え」

 恵の術式は凄え大まかに言うと式神を使役するもんだから、呪霊を使役している夏油と通ずるところがある。俺自身強かろうが何だろうが呪術師でない時点で、恵に対して式神使いの戦い方は教えられない。その点、特級術師の夏油ならばセオリー等を恵に教えてやれるだろう。……ってのが表向きの理由。
 本来の目的は夏油傑の呪詛師転向の阻止だ。こいつが呪術師のままでいれば呪霊の被害はぐんと減るだろう。なにせ特級術師。五条一人でカバーできねえ範囲を夏油なら一人で補える。
 つまりは未来で津美紀を呪うであろう呪霊を予め祓除できる可能性が高くなる、って訳だ。まあ、そんな簡単にいくとは思えねえし、こいつの呪詛師転向がこの先に必要不可欠ならばうまくいかねえだろう。それに夏油傑の体を使おうとする、あの脳みその動向もあるし。が、阻止するだけの価値はある。

「おまえなら恵に戦い方を教えてやれるだろ、特級術師サマ」
「禪院家に、っていうのは野暮ですよね」
「そうだな」
「……あの、気分を害されたら申し訳ないんですけど、どうしてそこまで禪院を嫌ってらっしゃるんですか?」

 ちら、と俺の顔色を伺いながらそう言った夏油に、そういやこいつ一般出身だったな、と改めて実感した。呪術界で罷り通っている常識をここ三年で多少身に着けようが、実感は少ねえんだろう。術師の家系に生まれた非術師の扱いなんざ、どこも似たようなもんだが。ついでに御三家の関係者を五条しか知らねえってのもあるか。

「禪院の教えは“術師に非ずんば人に非ず”だ。あそこじゃ俺は存在すら認識されねえ。簡単に言えばネグレクトされてたって訳」
「先生ほど強い人を?」
「相伝の術式を持ってるかどうか、ってのがあそこじゃ重要なんだよ。術師じゃ無え猿以下が強かろうがどうでも良い」
「……馬鹿げてますね」
「俺もそー思う」

 呪術界の上はマジで腐りきってるしな。術師が使い潰されていっている現状、強い奴を使わねえのは本当に馬鹿げてる。目の前で天内とついでに五条も助けた非術師を見ているから、余計に気に食わなそうだ。
 ……非術師の汚え部分を見たから、せめて呪術師ぐらいはマシであってくれ、とか希望を抱いてたんだろうか。任務中に助けてやったのに感謝すらされず、むしろ罵倒とかされる時もあるみてえだしなァ。

「相応の呪具を持ってたら、先生なら特級も祓えますよね」
「領域展開されると多分詰むけど……まあ出来ねえことはねえな」
「じゃあもう特級名乗ってよくないですか?」
「術師じゃねえから無理」
「特級ゴリラとか……」
「喧嘩売ってんのかおまえ」

 そんな感じで、道中適当に喋りながら箱根へと向かう。俺の昔の話だったり、夏油の昔の話だったり。術式を自覚した時の何とも言えねえ感傷とか、非術師の両親の話とか。夏油はどうやら思いの外お喋りらしく、話題が尽きる事はなかった。
 途中、山の間から富士山が見えた瞬間に露骨にテンションが上がった夏油を見て、ガキかよと思ったがそういや普通にまだガキだったわ。この面で未成年だもんな。
 窓を開けてまた写真を撮っている夏油を尻目に道なりに車を走らせていけば、見るからに温泉街といった出立ちの場所に辿り着いた。無駄に鋭い嗅覚が硫黄の臭いを嗅ぎとって、思わず顔を顰める。あと鉄サビのキッツい臭い。
 まあ慣れりゃどうとでもなるか。

「何処に泊まるんですか?」
「もうちょい行ったとこ。温泉の種類が多いし、風景もいい」
「へえ……」

 少しだけ車を走らせりゃすぐ旅館に到着だ。駐車場に車を停めて、入り口へと向かう。夏油は写真を撮りながら少し遅れて後をついてきていた。……なんか今日めちゃくちゃ写真撮ってねえか?
 不思議に思ってその写真どうすんだと聞けば、悟に自慢すると返ってきたので苦笑する。仲良いよな、コイツら。喧嘩もその分多いけど。
 そのまま宿帳に二人分の名前を書いて、仲居さんの案内で客室へと向かっていく。夏油は若いねーちゃんに荷物を持ってもらうのを遠慮しまくってたが、有無を言わさず俺が奪い取って俺の荷物ごと手渡した。そういう仕事なんだから任せりゃ良いんだ。アホみてえに重たいわけでもあるまいし、そもそも大した荷物じゃねえだろ。
 着物を着た上品な女に気後れしているのか、割といい感じの旅館が気になるのか、ここにきて夏油の口数が露骨に減った。口を閉ざしてキョロキョロと旅館の内装を見てばかりの夏油に対し、仲居さんが気を利かせて話を振ってるが、差し障りのない返事をして全部俺に会話をパスしてくる。
 面白がって会話の主導権を夏油に渡してやろうとすれば、やめてくれって顔になったのでとりあえずは止めてやった。仲居さんも夏油が緊張してんのに気付いたのか、ちょっと面白そうな顔をしている。この見た目でそんな反応されりゃそら面白いわ。
 そうして暫く歩いていると、どうやら部屋に着いたらしい。仲居さんが俺に向き直った。

「先ずは此方です。中でお連れ様がお待ちになっていらっしゃいますので……」
「えっ」
「ああ、じゃあこっちはコイツの部屋だな。もう一部屋は何処に?」
「そちらはもう少々先にございます」
「え、待って、先生、」
「なら俺だけ案内してもらえますか」
「畏まりました」

 お連れ様って一体誰の事なんですか、なんて俺と仲居さんの会話に目を白黒させている夏油を尻目に、部屋の中に彼女が声を掛ける。一拍置いて、部屋で先に待っていた人達が返答した。
 その声に夏油が息を呑む。

「突然お呼びして申し訳ございません」
「いえ、私たちも近頃顔を見ておらず様子が気になっていたので、渡りに船ですよ」
「そう言っていただけて有り難いです。では、明日の一七時ごろに小田原駅に彼を迎えに上がりますので」

 襖を開いた先の部屋の中には、柔和そうな顔つきの壮年の夫婦がいた。そんな彼らに出来るだけ丁寧に言葉を掛ける。
 彼らは口元に傷がある筋肉ダルマの俺が出てきた事に対してあんまり驚いた様子が無く、逆に俺の方がちょっとびっくりした。しかしまあその方が都合がいいというか、そういう大らかな性格の人たちだと実感できて大いに結構。
 恐らく、これなら大丈夫だ。

「かしこまりました。ありがとうございます、伏黒先生」
「感謝するのは此方の方ですよ、夏油さん」



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