同じだから





誰もいない寮の自室で、私は布団に潜りこむ。
今日も一日疲れたなぁ。
そんなことをぼんやり考えながら、そっと目を閉じた時だった。
ヴーヴーと無機質な音が室内に響き、その短さからメッセージの通知であることはスマホを見ずともわかる。
こんな夜中に連絡してくる人なんて、私は一人しか知らない。
”またか”そう思いながらも布団を被り、気づかないふりをしようとした時だった。
間を開けて何度も震えるスマホ。
手探りで確認すると、同じ人物から何件もメッセージが入っている。

”今何してんの”

どうでもいい内容にイラつきつつも、私はそのまま電源を落とした。
どうしてあの人はこうも私に構うのか。
そんなことを考えているうち、私は眠りに落ちた。



翌日学校へ行くと、玄関で待ち伏せされていた。
不機嫌そうに顔をしかめ、私を見つけるや否や足早に向かってくる。

「おい、コラてめぇ。昨日シカトしやがったろ!」

大きな声は周りの生徒からの注目を浴び、私は頭を抱えた。
なんでこう、この人は私の生活を乱すのだろう。
イラつきを押さえつつも、私は悪びれもなく嘘をついた。

「昨日は電源切って寝てて気づきませんでした。」
「なら、朝返事してもいいんじゃねェ?」
「はぁ、部活でお忙しいかと思いまして。」

思ってもないことでも、すらすらと口から滑るように吐ける。
これは私の長所でもあり短所でもあるが、今回はそれが功を奏したようだ。
睨みつけるような視線は消え、ハッと小さくため息を吐かれた。

「ならいいけどォ…。で、今日はなんか予定あんのォ?」
「予定、とは?」
「部活休みなんだよネ。だから終わったらどっか行こうぜ。」

”帰宅部だろ”そう続ける彼は、何だかとても楽しそうだ。
しかし大して仲良くもない彼と、私はどうして出かけなければならないのか。
学校外で人と関わりたくないから帰宅部なのに、なんて面倒な人に捕まってしまったんだろう。
そう思っていたのが顔に出ていたのかもしれない。
先に断ればよかったと思った時には、もう遅い。

「予定はねぇな。んじゃ後で迎えに行くからァ。」
「いや、ちょっ…来なくていいですから!」
「行かねぇとテメェ逃げんだろーが!」

上級生が教室に来るなんて、また私の生活が…
平穏で、安寧を求めていたはずの高校生活は、波乱しかなかった。



そもそもあの荒北という先輩は、どうして私に声をかけるんだろう。
授業中ぼんやりとそんなことを考える。
思い出してみても、きっかけはよくわからない。
入学したての頃に声をかけられ、半ば強制的に連絡先を交換させられた。
それからことあるごとにメッセージが届いたり何かと誘われ、断ったり無視すれば今朝のように待ち伏せされてしまう。
本当に、一体何なのか。
放っておいてほしい、それが私の本音だった。


私がこの学校に進学を希望したのは、この学校に寮があるからだ。
そして幸いにも女子寮は個室を与えられる。狭いけど。
でもここなら、親元から離れ一人になることが出来た。
一人に、なりたかった。
実家で毎晩のように繰り返される夫婦喧嘩は、日増しに酷くなり怒号やヒステリックな叫び声が両親から放たれる。
そのたびに決まって、母はこう叫ぶのだ。

「雛美さえいなければ結婚なんてしなかったのに!」

母にとって私の存在は想定外だったのだと初めて気づいたのは、中学に上がった頃だ。
父の長年の浮気が露呈したのをきっかけに、母の当たりは強くなった。
家に居れば嫌味を言われ、夜には夫婦喧嘩が始まる。
自室はあれどそこに安息などなく、私の居場所は学校だけだった。
学校にいる時間が長い分、自然と成績が上がったのが幸いした。
寮のある学校に受かったと言えば、母は清々したと言わんばかりに喜んだ。
そして、こう告げられた。

「雛美が寮に行ったらこの部屋はお母さんが使うから、荷物は片付けていってね。」

実家から自室が消える。
もう二度と戻れないかもしれない。
それでもここにずっといるよりはいいだろう。
そうして、私は家を出た。




休み時間になると、早々にスマホが震えだす。
メッセージの差出人はもちろん荒北先輩だ。

”放課後忘れんなよ”

文面からすら威圧感を感じるその言葉にため息をついた。
そんな私を見て、クラスメイトは首を傾げる。

「小鳥遊さんて、スマホ見るときいつも怖い顔してない?」
「え、そうかな?」
「んー何かそんな気がする。迷惑メールが多いとか?」

迷惑メール。
そう言われてみれば、確かに迷惑なメッセージなので違いないかもしれない。
その言葉にふっと笑いが漏れ、クラスメイトはまた首を傾げた。

「どうかした?なんか面白いこと言ったっけ?」
「ううん、何でもないよ。」
「そっか。そういえばさっき先生がさー。」

特別仲がいいわけではないが、それなりに友達がいるこの学校は居心地がよかった。
寮生が多いのもあり、共通の話題が豊富なことも理由の一つだろう。
先生が、寮母が、部活が―――。
途切れることのない話題に、私は相槌を打った。



昼休みになると、私は友人と共に食堂へ向かった。
今日は授業が終わるのが遅かったせいか、だいぶ混雑していて残りの座席が少ない。

「あー今日は一緒に食べるの無理かもね…。」
「確かに。まばらにしか空いてないね。」

仕方なく友人と別れ席を探していると、聞き覚えのある声が後ろから飛んでくる。
恐る恐る振り返ると、ニッと笑った荒北先輩と目が合ってしまった。
あぁ、もう逃げられない。

「ったく、何度も呼んでんのに全然気づかねぇのな。
 さっさとこっち来いよ。オラ、新開そこどけ。」

隣に座っていたであろう人物を乱暴に追い払うと、その席に座るように促された。
辺りには上級生しか座っていないその席に座れと…。
これは食事を楽しむどころではないな。
そう思いながらも断ることが出来ずに、私はそこへ腰かけた。

「今日はえらく素直じゃナァイ。」
「まぁ…今朝のこともあるんで。」
「ナニ、楽しみにしてくれてんのォ?」

そういう意味じゃなくて。これ以上目立ちたくないんだってば。
そう思いつつも愛想笑いを返すと、彼はとても楽しそうに笑う。
荒っぽい口調の割に、笑った顔は少し幼さが垣間見えた。
先輩なのに幼く見えたなんて言ったら、怒られるだろうか。
さっさと食べて教室へ帰ろう。
そう思っていたのに、荒北先輩はずっと話しかけてくる。

「なぁ、今日どこ行く?」
「行先決まってたんじゃないんですか。」
「別に決めてねェよ。小鳥遊は行きてェとことかねェの?」
「特には…。」
「買い物とか、何でもイイんだけどォ。」

そう言われても、狭い自室には私物がパンパンに詰め込まれている。
実家から自分のものをほぼすべて引き上げたせいで、私の部屋に余裕などない。
祖父母が毎月送ってくれるお小遣いは、食費以外手付かずのまま口座に残っているほどだ。

「ンー。まぁ適当にブラつくかァ。」

彼も行きたい場所がないのか、スマホで何やら検索を始めた。
私はそのすきに食事を口に放り込む。
周りの先輩方が私をじっと見ているせいで、味が全然しない…。
それでも食事を残すなんて私にはできない。
せっせと口に運んでいたら、先輩の一人がふっと笑った。

「まるでハムスターだな。」
「だろォ?コイツおもしれーんだよ。福チャン分かってんじゃナァイ。」

その表現に呼応するように、周りから肯定の声が聞こえる。
誰のせいだと思って…。
そう思いつつも、私はそのまま食事を進めた。




「ごちそうさまでした。」

そう言って立ち上がろうとすると、食器のトレーを奪われた。
荒北先輩は奪ったトレーを自分のトレーと重ねると、私の手を引いて立ち上がった。

「ちょっと来い。」

荒北先輩はトレーをまとめて返却口へ返すと、足早に歩き始める。
私は半ば引きずられるようにして食堂を後にした。




暫く歩き裏庭に出ると、荒北先輩はベンチに腰掛けた。
隣に座るよう促され、私は大人しく腰を下ろす。
それに気をよくしたのか、荒北先輩はニッと笑った。

「いつもそんくれェ素直にしてりゃいいのに。」
「別に…素直なつもりですけど。」

さらっと嘘をつく。
そんな私を見て、荒北先輩は小さなため息をついた。

「お前さァ、なんでいつもそーなの。」
「どういうことですか?」
「自分の気持ち、なんで大事にしねェの。」
「は…?」

意味が分からない。
私の気持ちを無視していつも自分勝手なのは荒北先輩のほうではないのだろうか。
私の都合などおかまいなしに、声をかけてきては波乱を巻き起こす。
それでどう、自分の気持ちを大事にしろと?
どの口がそれを言うのだろうか。
感情が高ぶり、わなわなと怒りが湧いてくる。
それと同時に、怒りに身を任せヒステリックに叫ぶ母親が脳内に蘇る。
”あぁはなりたくない”という強い思いが私を冷静にさせた。

「私は、自分を大切にしてるつもりなんですけど。」
「そうは見えねェ。」
「どういうことですか。」
「毎日シケた面してんじゃねェよ。」
「そんなことっ…」
「嘘ばっかついて、自分誤魔化して。笑い方も忘れちまったんじゃねェの。」

あぁ、この人には。
どこまで見透かされていたのか。
いつから気づかれていたのか。

「思ったことも言わねェ、へらへら笑うだけがお前かよ。」

声を出したら泣いてしまう。
唇をぎゅっと噛みしめて俯く私の頭に、ぽんぽんと優しい手が下りてきた。
そしてぽつりぽつりと、零すように言葉が降り注ぐ。

「俺も…箱学来たばっかの頃、お前とおんなじ顔してた。
 何もやる気が出ねェ。毎日つまんねーって思いながら、クソみてぇな毎日でよォ。」

今とは全く別物の、想像のつかない姿に頭が付いていかない。
私が見かける荒北先輩はいつもニヤニヤ笑ってるか、友達とじゃれあっている。
楽しそうに過ごす姿しか私は見たことがない。

「お前みたいに愛想笑いも何にもしねェから、まともなツレなんて一人もいねェ。」
「そんな…先輩はそんな人じゃないですよ…。」
「まぁネ。俺は変わったんだよ、ロードや福チャン達に出会ってからな。
 だから…お前も変われんだろ。」

なんでこの人は、何も知らない私に…赤の他人の私にこんなにしてくれるんだろう。
きっと今までだってそうだった。
声をかけてくれたことも、誘ってくれたことも、優しさの一部だったのだ。
人と関わることが怖くて、偽って過ごした私を見透かして。
どんなに冷たくしても、無視しても、それ以上に私に関わろうとしてくれていた。
あぁ、この先輩は本当に、顔に似合わずお節介だ。
ボロボロと流れる涙は、次第にスカートを濡らしていく。

「別に話したくねェなら話さなくても構わねェ。
 けど、ダチに話しにくいことなら俺に話せばいいだろ。
 お前の力になるなんて無責任なことは言えねェけど…」

”一人じゃねェから”
その言葉が引き金になり、私は嗚咽を漏らして泣いた。
家に居場所がなかったからって、本当は一人になりたかったわけじゃない。
一人になりたいなんて強がりだ。
そうやって自分自身も騙して、私が最後に笑ったのはいつだっけ。
遠くで、鐘の鳴る音がした。





どれくらいそうしていただろう。
泣きすぎて、もう声も出ない。
荒北先輩は変わらず隣に座ってくれている。
時折、背中や頭をぽんぽんと優しく触れられと、その度に涙が溢れてきた。
こんなに優しく触れられたのは、いつぶりだろう。
中学に上がるころには、母から触れられることはなくなった。
父とはもっと長く関わっていない。
私は本当の意味で、誰とも関わってこれなかったのだと実感する。
どんな顔をしていいのかわからない。
今まで、私はどんな顔をしていた?
涙は止まったけど、顔を上げることが出来ない。
そんな時、沈黙を破ったのは荒北先輩だった。

「あのさァ。」

私の様子を伺うように、いつもよりゆっくり、そして優しい声が降り注ぐ。

「ちょっとだけ、待っててくれるゥ?
 すぐ戻っから。」

そう言って、また私の頭を優しく撫でた。
大きな手はとても暖かくて、離れがたいと思ってしまう。
そんな私に気づくわけもなく、荒北先輩は立ち上がるとぐっと伸びをした。
そして小走りで、どこかへ走って行ってしまった。




スマホで時間を確認すると、もう授業が終わる頃だ。
サボってしまったことにも、サボらせてしまったことにも落ち込む。
初めて授業をサボってしまった。
私は悪い子だな、なんて自嘲気味に笑う。
でも何だか清々しい気分だ。
ぼんやりと空を眺めていると、足音が近づいてきた。
荒北先輩かもしれない。
私は慌てて、また顔を伏せた。
足音はゆっくり近づいてきて、私の前で止まる。
そしてバサリと何かを被せられた。

「とりあえず、ソレ着とけば。」

よく見るとそれは男物のパーカーで、私にはだいぶ大きい。
ちらりと前を見上げれば、荒北先輩が私服で立っていた。
もそもそとパーカーに袖を通すと、ふわりと荒北先輩の匂いがした。

「ん。」

そう言って差し出されたのはミネラルウォーターで、私は小さくお礼を言って受け取った。
カラカラに乾いていた喉を潤すそれは、口に含むたびに体に沁み込んでいくようだ。
砂漠で飲む水ってこんな感じなのかな。
火照った体が次第に冷えていくようだ。

「ありがとう、ございます。」
「…オウ。」

どうしていいかわからずに俯いたままの私に、目線を合わせるように荒北先輩がしゃがみ込む。
そしてそっと、パーカーのファスナーを上げた。

「これならまぁ…制服って感じしねェだろ。」
「…え?」

そう言って私の手を引き立ち上がらせると、上から下までまじまじと眺められる。
一体どういうことだろうか。

「制服のまま出掛けんのもイイけどォ。
 今日はあんま、クラスの奴らに会いたくねェだろ。」

改めて自分の姿を見直せば、大きなパーカーにお尻まですっぽりと隠れてしまっている。
確かにこれなら箱学の制服かどうかなんてわからない。
そして今朝の約束を思い出してハッとした。

「話したきゃ聞くけどォ…気分転換に出掛けねェ?」

ニッと笑ったその顔が、やっぱり少し幼く見えて。
さっきまでとの対照的な表情につい笑ってしまった。

「やっと笑ったな。」
「えっ?」
「んじゃまぁ…出かけっか。」

嬉しそうに笑った荒北先輩に手を引かれ、私は歩き出した。
どんな顔をしていたかも、どんな顔をしていいかもわからなかったけど。
きっと何も作らないのが当たり前で、それが普通で。
いつの間にか忘れてしまったことを、私に思い出させてくれた。
いつかちゃんとお礼が言えるかな。
いつか、私の話が出来るかな。
今はまだ勇気が出ないけど、それでもきっと荒北先輩はそばにいてくれるから。



いつか話せるようになるその日まで。
もう少しだけ、時間をください。




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