時事性皆無

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spectral those were―実体のないそれらは―


 どれほどの時間が経ったのだろう。数日か数ヶ月か数年か……時間の感覚は遠に失われ、意味のないものになっていた。どうでもいい事だ。幾ら時が流れたとしたとしても犯した罪が消える訳ではない。
 時は流れると言うが、世界の時はその流れを止めてしまった。しかし不思議なことに朝も昼も夜も確かにある。そして日を追うごとに混沌の海に飲まれていく。刻々と世界は終焉に進んでいた。それを止める術も分からず、探そうともせず、俺は見守るだけだ。
 世界が滅ぼうとも人間は逞しく生きていた。土地を耕し、街を築き、滅びに怯えながらも日々を過ごす。もう長い間滅びの恐怖に晒されているせいか、既にその感覚も麻痺しているようだが、それでも人は生きている。新しい命が生まれなくとも、生に縋っている。まるで死へ対する最後の抵抗だ。

 ベヒーモスの亜種らしき魔物を狩り、必要なだけ肉を捌いて持ち帰る。自分が生きた時代よりも、獲物は豊富で食料に困る事は無かった。魔物以外の獣も植物も、栄えていた時代に比べれば減ったのかもしれないが、生き残った人間の数からすれば十分すぎる程あった。幸い豊かな土地を巡っての争いも起こることがなく、一見すれば人々は慎ましやかに生活を営んでいる。
 大きな争いが起きないのは、世界から時が失われた時に、ホープが人々をまとめたお陰だ。人々の先頭に立って協力して生きていくように説き、まとめ上げた。しかし風の噂で聞いた話では、ホープは人口コクーン打ち上げに失敗した影響で、一部の過激派の人間に恨まれ命を狙われているとの事だ。噂の中にはホープはもう死んでしまったといった類も話もある。どちらにせよ、もう長いこと人々の前に姿を見せていないのは確かな様だが。
 ホープは何も悪くない。人々は恨む人間を間違えている。恨むなら俺を恨むべきだ。あの日ホープの元から逃げるように去った俺が言うべき言葉ではないが……。
 滅びに瀕しても尚誰かを恨まずにはいられないのは人間の悲しい性だ。誰かのせいにしてやり場のない憤りをぶつけなければ、辛い現実と向き合う事ができない。否……辛い現実から目を背ける為に誰かを悪者にして捲し掛けるのかもしれない。人間は変わらない。何かに縋らなければ生きていけない。

**

 光都ルクセリオの郊外に住むようになってから久しい。ルクセリオは宗教都市だ。『ブーニベルゼ』という神を崇めているらしい。"らしい"と言うのは詳しくは知らないからだ。ここに住まうものは皆、神に祈りを捧げて救いを願っている。
 目に見えない神様が何をしてくれるというのだろう。祈りを捧げて何になるというのだろう。女神エトロは散々人に呪いを与えていたというのに、それでも神を信じるのか。

 持ち帰ってきた肉を適度な大きさに切り分け、水抜きをするために塩揉みする。塩揉みした肉は一週間ほどで水気が切れる。前に塩揉みしたものと今準備したものを交換し、色を見て水気が無いことを確認をする。確認できたら酒で肉の表面を拭き取り綺麗な布で包んで暫く熟成させる。その間に狩に出かける前に塩抜き・脱水をしていた肉で燻製を作る。いつも通りの作業だ。これくらいなら目を瞑ってもできる。それ程慣れた作業だった。
 もう長いこと人目を忍ぶように今にも崩れ落ちそうな崖にひっそりと生活の拠点をおいている。文明の機器など一切なく(あったとしても使う事ができないだろうが)、極めて原始的な生活を送っていた。それ以外の生き方を知らなかった。償えないほどの罪を犯したが、死のうともせず、見苦しくも生きている。
 死んで償えるものではないと思った。死んでしまったらそれで終わりだ。それに、この混沌に飲まれ行く世界を見守る事が、自分の罪に対する罰だと思っていた。
 一通りの作業を終え汲み置きの水で手を洗い、適当な布切れで手を拭ってから、お粗末な寝台にごろりと寝転がる。少し体を動かしただけでギシギシと嫌な音がした。そんな事は気にせず寝台の上で体を丸める。目を閉じれば薄暗い闇が広がった。

 どうして滅び行く中で全ての人と手を取って生きていくことができないのだろう。寿命という概念がなくなった今、人が死ぬのは魔物に襲われるか同じ人間に殺されるかだ。自分勝手な人間が、自分の利益のためだけに罪のない人々を襲う。いつも損をするのは善良な人ばかりだ。力のない者は神に祈り救いを求める。しかし神はけして救いを与えない。悪人は容赦なくそんな人達の命を奪う――それをただ見ている事は出来なかった。
 悪人狩りを始めたのはもう随分前のことになる。いくら待っても神は人を助けず、かと言って悪人に制裁を加えることもしない。だから目に見える範囲の人だけでも助けたいと思った。手を汚すのは既に汚れている人間だけでいい。
 初めは忠告するだけだった。忠告しても聞かない奴は、死なない程度に痛めつけた。それでも懲りずに繰り返し罪を犯す奴は――。
 いつしか俺は恐れられるようになっていた。暗がりで罪なき人を襲う者たちを、闇から現れて仕留める狩人が居ると。それでも悪さをする奴は後を絶たなかったが、少しは減ったように感じられる。

『助けてくれてありがとう』

 前に自分よりも幾らばかりか年の低いように見える少女(時が失われたせいで、年齢など意味を成さないが)を悪人から助けた事があった。悪人に「次はない」と忠告したあと、このまま少女と一緒に居れば面倒事に巻き込んでしまうと思いすぐに彼女の前から姿を消したが、数日後に同じ場所で彼女は死んでしまった。逆恨みで殺された。俺のせいだ。
 もし少女を助けずにそのまま傍観していれば持ち物を盗まれるだけで済んだかもしれないのに。それとも忠告なんて甘いことをせずに――殺してしまえば良かったのかもしれない。罪を犯した人間が改心することは無いのだ。

 そして俺は、人を殺した。

 今まで獣ばかり相手にしていたせいで、人と刃を交えるのは骨が折れた。けれども何人も相手をするうちに糸も簡単にコツが掴めた。
 要は相手の懐に飛び込んでしまえばいいのだ。大抵は飛び道具を使ってくる。だから懐に飛び込めば恐怖に竦み上がり、抵抗する術をなくしてしまうのだ。
 リーダー格を仕留めれば他は散り散りに何処かへ消えていく。それを後で闇に紛れて仕留める。――あくまでも淡々とその"作業"をこなしていく。干し肉を作るときの様に、無感情に、機械的に人を殺す。
 ……それでもこうして寝台に横になり目を瞑れば、罪悪感に押し潰されそうになる。命の大切さは誰よりも知っているつもりだった。それなのに俺は何人もの人を殺した。誰かを助けたとしても、人を殺していいものなのか。何をする事が正しいのか、既に分からなくなっていた。

「……どうすればいい」

 自分以外に誰もいない部屋でノエルは小さく呟いてみる。当然答えなど返ってくる事は無く、虚しく響くだけだ。大きく息を吸って、少し止めてから、ゆっくりと吐き出す。それから更に体を小さく丸めた。

「ユール……カイアス……」

 彼には縋るものがなかった。守るべき者を失い、師を殺し、唯一信じていた女神は愛していた者たちを呪われた存在にした元凶だった。それでも女神を信じたいと思った。けれど、殺してしまった――。全てを失って、ノエルの心には大きな穴が空いていた。その空洞にゆっくりと目に見えざる闇たちが浸透していく。それは悲しみなのか憎悪なのか絶望なのか――実体のないそれらは着実にノエルの心に溜まっていた。そして今日も彼を苛む。

「……っ」

 無意識に止めていた息を吐き出し、閉じていた目をゆっくり開く。いつの間にか日が暮れていたのか、目を開いても眼前には闇が広がっていた。心なしか闇が蠢いている様に感じる。
 ――体が重い。まるで何かが体に巻きついているようだ。苦しい。これはなんだ。何がおこっているんだ。寒い。動けない。誰か――……誰か?誰もいない。俺はずっと独りぼっちだ。助けなんてない。

「――カイアス……っ」

 苦しさに喘ぐように師の名前を吐き出す。去りし日を思い出し、思わず目尻から涙がこぼれ落ちた。悲しさに耐え切れなくなった時、或いは痛みに苦しんでいた時、師に抱きしめて貰ったあの頃には戻れない。それを思うと涙が止まらなくなった。このまま闇に飲まれて消えてしまうのだろうか。消えて、何もなくなってしまうのだろうか。全部、忘れて――。
 身体ががたがたと震えだした。寒い。怖い。闇は一向に離す気配がない。それどころかけして離すまいと、更に強く締め付けられているかの様に感じる。闇は緩やかに皮膚から身体の中へ浸透している様だった。嫌だ、全部忘れてしまうなんて出来ない。忘れてしまう事は死よりも恐ろしい。忘れたら、みんな本当に死んでしまう。また殺してしまう。そんなのは嫌だ……っ!

 不意に身体が軽くなる。依然として闇は身体に纏わりついていた。しかし不思議と不快感はなく、その代わりに酷く懐かしい感覚がする。それはノエルを抱きしめた。――暖かい。安心する。
 ノエルは目を閉じた。実体のないそれは確かにノエルの中で存在していた。

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2013/02/11 執筆


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