カボイの村 〜勇者登場〜
深い山たちが連なるその奥の、辺鄙の土地にカボイという村があった。その村の神社で村長であるシウォンという男が村人たちを集めて、語り始めた。
「このままでは、この村の人間全員……この恐ろしい疫病に殺されてしまうだろう……。幻の薬草を求めて半年前に旅立った勇者テルヒコは、いまだ戻らぬ! 我々には、次なる勇者が必要だっ!」
ものものしい口調で村長が訴えてこぶしを握った。村人たちはそうだそうだと口々に頷きをかえした。
村長はその様子を神妙に眺めると、その場を少し移動した。
「いまここに、岩に突き差さったまま、何者にも抜くことができぬというツルギがある!」
村長の背後、社の中にはその言葉の通り、岩に突き刺さったままの剣があった。細身ではあるが、握りの部分は朱色の皮でこしらえており、つばや柄頭にはシンプルながらも上品な金の装飾が施されていた。
村長はそれを手で示しながら語った。
「古の言い伝えによれば、このツルギを岩から抜きし者が真の勇者!」
力強く言い切った村長に村人は感嘆の声をあげる。
「 我こそは勇者と思うもの……前に出よ!」
村長が高らかにこぶしを突き上げると、男たちがおおお、と咆哮し剣の前に列を成していった。
そんなおとぎ話のような話をきく村人たちの中に、ジョンインという青年と、その幼馴染のテミンという青年がいた。
ジョンインは村長が話しをしている間、その一言一言を逃すまいと黙って聞いていた。しかしテミンはというと半ば冗談だろうとくくって、その話を聞いていた。
「ジョンイナ、勇者のツルギだって。ぷくく。ほんとにそんなもんあるのかな?」
テミンはジョンインの肩に手を置き、笑った。ジョンインはテミンのほうをちらりと見たあと、意を決したようにテミンへ言った。
「俺、行く」
幼馴染の突然の言葉に、テミンが目を丸くした。
「ええ!? な、なに言ってるのジョンイナ! ちょっと、ちょっと正気?」
「俺はいたって正気だよ」
「やめてよジョンイナ! ジョンイニと俺はずっとここで暮らしてくんだから! それにいっつも眠そうな顔してるジョンイニには争いごとなんて向いてないよぉ」
顔を歪めてテミンがジョンインの体を揺さぶった。ジョンインはゆさゆさと揺られながらもその目は固く据わっていた。
「向くも向かないもない、みんなが苦しんでるんだから」
「……でも、」
至極正論を言い放ったジョンインにテミンが口を紡ぐ。神社から伸びる列の向こうからは見知った村の若者たちが悔しがる声が届いた。ジョンインはゆっくりと自身を掴むテミンの腕を払った。悲しそうな顔をして、テミンが指をくねくねとさせた。
「……でも、ジョンイニは寝坊すけだし……、忘れ物よくするし……、そんなんだといざ戦いになったとき死んじゃうかもしれないんだぞぉっ、」
「 村のみんなはやる気だよ、テミナ」
「うそだねっ。みんな行きたくない行きたくない、って言ってもん」
「そんなわけないだろ。ほらテミニも来い」
ジョンインは懸命に説得しようとするテミンを振り切って、男たちの列に並んだ。テミンはしばらくその場に立ち竦みジョンインの背中をうらめしそうに睨んだ。そしてなにやら考えたあと、「待ってよ〜」と走って後を追いかけた。
列に並んでいると、前のほうから一人、また一人と、がっくりとうなだれた若者たちが通り過ぎていった。ほんとに勇者がいるのかね。テミンが両手を上げて肩をすくませた。いるさ。ぼんやりと遠くの空を見つめながら、ジョンインが言った。
「次! ……お前じゃない、次! ……お前じゃない! 次! ちょちょちょ無理に抜こうとしないで壊れちゃうでしょうが! 次!」
次、次、と繰り返す村長の声にまだ剣を抜ける者がでていないんだなとジョンインは思った。そのことに少し安堵しつつも、自分は果たして勇者であるのか、ということを考えていた。その力を試す前に誰かが剣を抜くことがないよう祈りながら、自分が剣を抜く、その順番をひたすら待った。
そしてとうとう、最後尾に並んでいた二人もいつしか、社の本殿に置かれた剣が見えてくるほどまでに近づいた。
「あとちょっとだね、ジョンイン」
「だな」
「俺からやる? ジョンインからやる?」
「……テミニが決めて」
「じゃあ俺からやるね。どうか勇者じゃないことを祈っててよね、俺冒険とかつらたんだから」
「うん」
ジョンインは迫りくる順番にごくりとつばを飲み込んだ。
目の前の青年が額に汗をにじませて、必死に剣を抜こうと踏ん張った。抜け、抜くんだ、抜けったら、とテミンがこぶしを握って応援をした。そんなテミンや青年を少し不安げににジョンインが見守る。しかし、二人のがんばりもむなしく、村長は悲しそうに首を振った。
とぼとぼと帰っていく後ろ姿を、ジョンインはつい振り返って見た。あと数分もしないうちに結果がわかるんだ。無意識にジョンインが唇を噛んだ。
「よーしっ!」
先ほどまでまるで関心も意欲もなかったテミンがいきなり腕を振り回し、服の袖を捲り上げた。自分の筋肉をぺちぺちと叩きながら、「ここまで来たからには、全力を出したくなっちゃうもんだよね、男ってのは!」と叫んだ。村長はテミンに頷いて、次、と言った。
テミンがその言葉にもう一度、腕を叩いた。おそるおそる社に入り、剣の柄に手を合わせていった。その姿を、ジョンインははやる鼓動で見守る。テミンがジョンインのほうへ振り返った。「俺勇者にはなりたくないけど、剣は抜きたい」ふざけるでもなく、至って真剣に言い放ったテミンにジョンインが無言で頷く。テミンは再び剣のほうへ向き直すと、力いっぱい、引き抜こうとした。しかし。
「ふんっ! んぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ〜っ! …………〜〜〜ッ! なあ〜にぃ〜ごお〜れえ〜ッ!? ……は、はあ、ちょっ…… ぜん、ぜんっ、……抜けっ、ない! っんですけど!」
テミンが顔を真っ赤にしながら懸命に引っ張った。けれども、あの意気込む行動もむなしく、剣は文字通りびくりとも動かなかった。いままであんまり信じていなかったテミンだったが、一旦手を離し、剣を眺めるうちにだんだんと本当なのかも、と汗を拭った。何も言わずにジョンインがテミンを見守る。
どうだ。ほれ。これでもか。こんなのはどうだ。テミンの声が神社内に響いた。いろんな体勢で粘ったテミンだったがとうとう、剣は抜けなかった。
テミンは汗でびしょびしょになってしまった体のまま、ばたんと倒れこんだ。悔しそうにうんうんと唸って、手足をばたつかせた。ジョンインが喉を鳴らす。
「ジョンイナ〜! くやじい〜! ジョンイナ〜! お前はぜったい抜くんだぞ〜……! 俺の恨みをはらせぇ〜!」
幼馴染の本気で持ってしても抜けえなかったツルギが、果たして俺に抜けるのだろうか。ジョンインは急に不安になった。村長が床を転げるテミンに、頭を抱えた。
「ううっ、うっうっうっ……、嘆かわしや……。最後の一人になってしまった……っ。この村には救世主なる勇者はおらぬのかぁっ……!」
深くため息をついた村長は、天に向かって十字を切り始めた。ジョンインは、固く岩へ突き刺さる剣をまっすぐに見つめた。そして、一歩、一歩、とそれに歩み寄っていった。
「抜くが良い……」
もはや望みは薄いだろうとやや投げやりになっている村長の横を通り過ぎた。ジョンインは武者震いを始めた足を力強く進めていった。俺が、絶対に勇者だ。そう信じながら、ツルギの前へと辿り着いた。深く深呼吸をする。床から、テミンが「がんばれ」と応援した。ジョンインは自分の胸の辺りまで手を上げると、開いたり閉じたりを繰り返した。
実はこうも真剣にジョンインが挑むのにも理由があった。それは冒頭、村長のシウォンが言った通り、流行りの疫病のせいでジョンインの父親が死んでしまったからであった。母親ははやくに亡くなり、彼の肉親はその父親だけであったから、彼にとってそれはそれは辛い出来事であった。だからこそ、自分のような気持ちを他のひとには味あわせたくない、として、心優しきジョンインが今回の勇者探しに名乗りをあげたのだった。
ふうう、と息を吐いて呼吸を整えたジョンインは、目を瞑り、父さんと小さな声でつぶやいた。テミンは体を起こしてその勇姿をしっかりと目に焼き付けようとした。
「行きます、」
「うむ」
村長と目を合わせた。ジョンインがゆっくりと慎重に剣の柄へ手を伸ばした。
一秒がまるで一日のように感じる。その場の人間たちは息を飲んで彼の一挙一動に注目していた。
しかし、彼の指、そう、ほんのたった数ミリが柄に当たった次の瞬間だった。
「 あ、」剣が、からん! と軽快な音を立てて岩から抜けた。 いや、それは抜けたというよりもむしろ、勝手に抜け落ちたと言ったほうが正しかった。
「 えッ! あ! えええええッ!!!?」
「ちょちょちょちょちょちょちょっ、!」
床に尻餅をついていたテミンが目玉をひん剥いて剣とジョンインを指差した。同様にうなだれて灰のように真っ白になりかけていた村長が、まるで馬のような形相で当事者であるジョンインのもとへ駆け寄った。ジョンインはただただ言葉も無く呆然としていた。本人にも何が起こったのかよくわかっていなかったのだ。しかし、息を荒げて物凄い勢いで近づいてくる馬のような村長に気がつくと、瞬時に恐怖を抱き、何故か、怒られる! と思って強く目をつぶった。村長がジョンインの体を掴む。彼とジョンインとの顔の距離は無いに等しかった。
「あのいや、あの俺じゃないっす、俺壊してないっす、見てたじゃないすか、あのなんかこれが勝手に !」
「……、勇者よッ!!」
「…………っ、?」
力の限り首をのけぞりながら、恐る恐る片目を開いた。そこには非常に嬉しそうな顔で何度も頷く馬 、村長がいた。え、いいの。触っただけなのに。勝手に抜け落ちたけどあれ。ジョンインは驚いたようにぽかんと口を開けたまま空中を眺めていた。テミンが村長に続いて、ジョンインに抱きついた。
「やあーばあーい! 俺の幼馴染っ、勇者だったーッ! もう、みんなぁー! 集まれ〜! 勇者だぞー! 俺の幼馴染の勇者、ジョンインだぞ〜!!」
自分の体にまとわり付いて涙を流したり、勝手に大声を出して広める二人をよそに、あまりにあっけなく結果が出たジョンインはまだ困惑を隠せずにいた。