あめにうたう
「おやまあ、」
書類を軍警から受け取った帰り道。見上げた空はいつの間にか灰色に淀んでいた。傘は勿論無い。
「うむ、仕方ない」
本格的に降りだす前に、なまえは目の前に見えたカフェへ滑り込んだ。大事な書類が濡れてはいけないからな、と自分に言い聞かせて。
落ち着いた店内は、客はまばらだった。誰かに傘を持って来てもらおうか、などと思いながら、入り口に近い窓際の席に腰を掛ける。頼んだのは温かい紅茶とショートケーキのセット。少しくらいはゆっくりしても、バチは当たらないだろう。
ぱたり、ぱたり。
窓を打つ雨の音を聴きながら、なまえは紅茶に角砂糖を落とす。
「ったく、雨なんざ聞いてねェぞ」
聞き覚えのある声がした。しっかり雨に降られたのだろう声の主が、ウェイターからタオルを借りていた。顔を上げると、果たして顔見知りだった人物が、視線を感じて振り返る。
「…あん、?なんでお前が居るんだよ」
「中也さんと同じですよ、雨宿り」
「それにしちゃあ濡れてねぇな、なまえは」
「降る前に避難できましたので」
ごくごく自然になまえの向かいの席に中也は腰を下ろす。頼んだのはブレンドコーヒー。
話題はだいたい、太宰のことで、中也が心労から解放されたぶん、苦労しているのは国木田と、そしてなまえであった。
「相変わらず苦労してンなあ、」
「全くです。中也さんにも少し手伝って頂きたいくらいだ」
「あの糞鯖の相手なんざ二度としたくねぇよ、っと」
中也の胸ポケットの携帯が震えた。
「迎えがきたな。…近くまで送ってやる」
「え、いや、それは遠慮しておきますよ」
「人の好意は素直に受け取っとけ。別に他意も殺意も無ぇよ」
そう言うと、中也はなまえの分の伝票も取り上げて、さっさと行ってしまった。
***
「中也さん、あの、ここらへんで、」
「ん、そうだな」
探偵社の近く。ゆっくりと黒い車が停まる。
「次は俺の運転で送ってやろうか?」
「勘弁してください…」
車から降りたとき、そこにはちょうど「うずまき」から出てきた太宰がいた。こちらをじっと見ている。それはそれとして、あそこのツケは払ったのだろうか。
「おや、お帰り。珍しいこともあるもんだ、まさか君がマフィアの車で戻ってくるとは…」
「道中一緒になったんだよ、文句あっか?あ?」
何故か中也も降りてきた。太宰も、それは予想外だったのか、目が丸くなる。
「え、中也…?」
「断ったんだが、ここまで送ってくれたんだ…ありがとうございました、じゃあ、わたしはここで、」
「おう、」
探偵社へ歩き出そうとしたそのとき、不意に中也が名前を呼んだ。忘れ物だろうか、と振り返ったとき、強い力で引っ張られた。中也の胸にすっぽりおさまってしまう。至近距離で目が合う。細められた青い瞳が綺麗だ、なんて思っていた刹那。
「またな、」
普段とは全然違う、甘さを帯びた中也の声が耳をくすぐる。
真っ赤になってしまったなまえと、呆気にとられている太宰を尻目に、中也はさっさと車に乗り込んでしまった。きっと今頃、太宰を出し抜けた!なんて大笑いをしているかもしれない。
「…、うう」
耳が熱い。心臓がうるさい。不意討ちとはいえ、こんなにドキドキさせられるとは。
雨はもう、止んでいた。
青い空は、あの人の瞳のようだと、思った。
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