目下の泥濘【19】
美術館での抗争を終え、そして首領への報告も終え。
「…疲れた…」
あまり体力もないものだから、なまえはすっかりと疲労していた。簡単に食事とシャワーを済ませ、そそくさとベッドへ潜り込む。幸い、明日は休みだった。
「…おやすみ、王様」
なまえは早々に、夢の世界へ旅立っていった。
誰かの。
人の気配がした。
「…だれ、…」
夢現で呟く。
と、
「私だよ、なまえ」
「太宰、さん、…?」
これは夢だろう、となまえはぼんやりとした頭で考えた。何故ならここは、わたしの部屋で、わたしの寝室で、帰ってきたとき、鍵はきちんとかけていたのだから。
「夢…、…?」
「ああ、そうだ。これは夢だよ」
「…夢に、出てくるなんて…何か?」
「織田作と一緒に、安吾に会ってきたんだ。安吾、なまえに会えなくて寂しそうだったよ」
「…パンケーキのお店…安吾さん、連れていってくれると…、約束、」
「…なまえ、私に内緒で安吾とデートの約束をしていたのかい…」
「ふふふ」
微笑んだ。
夢の中の太宰は、いつもと変わらない、なまえのよく知っている太宰だった。
「…夢だと、なまえは優しいんだね。口調も柔らかいし、よく笑う」
「外では…少しでも、強くありたくて。本当のわたしは…弱いだけ、だ。王様に守られるだけの、ダメな、人間…」
「…それでいい。なまえは無理に強がったりしなくていい。普段のクールななまえも、女の子らしいなまえも、どちらも、私は好きだな」
「…ありがとう。太宰さん……」
布団から、なまえの手が伸びる。
太宰が、それを優しく握る。
「強くなくてはいけない。毅然と、きちんとしていなくてはいけない、…なまえは頑張っているよ。頑張りすぎているかな。…もっと肩の力を抜きたまえ」
「大丈夫。…わたしは大丈夫。こうして、太宰さんが、褒めてくれた。夢は便利だ。思い通りになる」
「そうかい。…なまえ、お疲れ様。明日もゆっくり休むんだよ」
悪夢を見ないおまじない。
そう言って、太宰は握っていたなまえの手の甲に、そっとくちづけた。
「ふふ、くすぐったい」
「なまえ、安吾には…もう会えないよ」
「会えない…もう、会えない。でも、わたしも、安吾さんも、生きていれば、いつかまた会える」
そのときに、パンケーキを…。そうつぶやきながら、なまえは緩やかに、再び眠りに落ちた。
太宰はそっと手を離し、なまえを起こさないよう、ゆっくりと立ち上がった。
立ち止まり、振り返る。
「…、王様、ありがとう。まさか君が部屋に招き入れてくれるとはね」
ベッドの傍らに、『夜の王』がいた。構わない、とでも言うように、王様はひとつ、頷いた。
「夢、…夢か…」
なまえに告げた『好き』の言葉も、朝になれば、夢の中の出来事で終わってしまうのだろう。
それでも。
柔らかく微笑んだあの表情は、紛れもなくなまえの心からの表情だった。
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