目下の泥濘【13】
まるで泥濘の中を歩くようだ、となまえは思った。
あれから坂口には会えていない。太宰も何かと忙しそうで、以前は毎日のように部屋へ来ていたのに、それもなくなった。
最高保管庫が破られたとなまえが聞いたのは、それが起きてからだいぶ経った日だった。日に日に慌ただしさを膨らませるアジト。張りつめた空気は苦手だった。
「ミミック」
「そう、ミミック」
息苦しさに堪らなくなり、なまえはフリイダムへ来ていた。あれから幾度となく通っているうち、混ぜカレーの辛さはもう気にならなくなっていた。
「首領から聞いていないのか」
隣に座っている織田作に問われる。彼は、なまえが店に着いた時には、既に食事を終えていた。「さっきまで太宰が来ていた」と告げると、なまえは少し眉をひそめたあと、そうか、とだけ呟いた。
「大事なことは教えてくれないよ、首領は」
「そうか、…聞かないんだな」
「聞いてもはぐらかされるだろうし、差し支えないものなら、とうに話してもらえているだろうからな。わたしは、相手が言い募るものを無理に聞き出す趣味はないよ。向こうが言いたくなれば聞く、それだけだ」
「そうか、…」
珍しく、織田作の視線がさ迷っていた。何かを言いかけて、そして、やめる。
「…聞いてもいいのかな、わたしは」
「…独り言だ」
そう、前置くと。織田作はぽつりぽつりと話しを始めた。
いなくなった坂口。彼を探すように、との首領からの命令。坂口の部屋から見つけた拳銃。そして出会った、ミミックの兵士。
「…、安吾さんは…」
「なまえは…おまえはどっちだと思う?」
かちり、とスプーンが皿を叩く。
「、…それは、どういう」
「ご馳走様。」
返事を待たず、織田作は席を立つ。
「なまえ。お前は首領の傍に居ることだ。それが今、一番の安全だろう」
「織田作…、貴方は、何処へ」
「…言えば着いてくる、のか?」
「着いていっていいのか?」
「…質問に質問で返すんじゃない」
店の外へ出る織田作を、なまえが追う。
「安吾さんが見つかったのか」
「…いや、まだだ」
「わたしは、安吾さんは…スパイだなんて思いたくない。安吾さんに限って…、そんな、スパイ、なんて」
スカートの裾を握りしめる。
思い出す。
なまえの手を握ってくれた、あの、優しく穏やかな顔を。
「安吾さんに会って、自分で聞いてみたい。…けれど、わたしは…そんなことはできない。行けば貴方の荷物になる。解っている。…だから、織田作、貴方が聞いて欲しい。わたしの代わりに、安吾さんへ」
「………、わかった。約束しよう。安吾の返事は、必ずなまえに伝えよう」
なまえの目の前に、織田作の小指が差し出された。
「、子供ではないぞ、わたしは」
「そうか?」
「………今回だけだ」
そして、織田作の小指に、なまえは自分のそれを絡めた。
「気をつけて。…無理はしてはいけない」
「ああ。わかっている」
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