春樹は駆け出しの俳優だ。
オーディションはいくつも受けている。けれどどれもメインの選考から外れ、演じるのは脇役ばかりで、なかなか主演に恵まれない。
そんな中、ようやく手にしたドラマの主役。
番宣でテレビやトークショーに呼ばれることも多くなり、少しずつファンも増え、知名度も上がってきた。
細々とひもじく、バイトを掛け持って生きていくしかないのか。夢を追うのを止めるしかないのかと、諦めかけていた仕事。
救ってくれたのは、自分を主役にと選んでくれた監督だ。
彼は、役者の演技に対して真摯で厳しく、そしておおらかで懐の広い人だった。

『――物にしても、味にしても、質の良いものを経験として覚えておくべきだ。いずれ演技をする上で君を助けてくれる』

そう言って、もともと面倒見が良いことで評判だった監督は、まだまだ収入の少ない春樹をよく食事に連れて行った。
料理の味、酒の飲み方、マナー、様々な知識を教えてくれる。
春樹はすっかりこの男を信頼していた。


その日もまた変わらず、穏やかな時間を過ごさせてくれる――…そう思っていたのに。


* * * * * * * *


( …あれ…? )


一見さんお断りという老舗料亭の離れで、2人は親しんだ様子で食事や酒を楽しんでいた。
酒は弱くない方だ。それなのに、いくらも飲まないうちに、頭が痺れるような目眩がして、春樹はふらついた。
気のせいだと思っていたが、いつの間にか呼吸も少し早くなっている。
身体の内側に籠もっているのは、神経を撫でるドロリとした熱のようなもの。吐息まで熱く感じ、そのしっとりとした濡れたそれに、春樹は困惑した。


「どうした、気分でも悪くなったのかい」

「あ…すみません監督…。なんか、俺…ちょっと変で…。酔ったのかな…?」


取り繕うように笑って応えるが、じわじわと浸食していく熱に恐怖を感じてしまう。
おかしい、おかしい、おかしい。
衣服と肌が触れ合ってるだけで、どうしてこんなに痺れて熱いのだろう。
取り分け熱が集まっているのは下肢の中心で、酒で気分が高まっただけのせいではない筈だ。
なら、何故?
傍らへとやってきた監督が膝を付き、春樹の腰を抱くように彼を立ち上がらせた。


「ほら、大丈夫かい? ――隣の部屋で休んでいくと良い」


( となり…? )

エスコートするように連れて行かれた襖の前で、感じた違和感に足がもつれる。
すらりと開かれたその先に、あからさまに鎮座する、一組の真っ赤な布団。春樹は呆然と男を振り仰いだ。
そこに慕った監督はいなかった。
ぎらりと鈍く光る双眸。
野蛮な色の性欲も露わに、見つめてくる“雄”の瞳。春樹は目を見開いた。


「…っ、あ…、まって…――待って!」

「大丈夫、怖がらなくて良い…。ただその身体を私に預けてくれれば…なに、悪いようにはしないよ…今後のことも、ね」


先ほどまでの穏やかな顔つきから一変し、獣のような表情で春樹を囲う。
竦んだ青年の身体を掻き抱き、柔らかな唇に噛みつくように吸い付いた。
アルコールの匂いが染み付いた舌が、我が物顔で春樹の咥内を弄っていく。

( うそだ…っ、監督が、こんな事するなんて、こんな… )

言葉尻に潜ませた脅迫。遠回しに権力を振りかざし、春樹の身体を求めている。
業界に同性愛者や特殊な性癖を持つ者が多いのは噂で聞いていた。
耳にするタレントやアイドルの枕営業も、この世界を生き抜くためには仕方のないものなのだろう。そう思っていた。――だが。
まさか自分の身にこうして振り掛かるなんて、春樹は思いもしなかったのだ。


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