ゑひもせす



「お久しぶりです、葵姫」
「ああ、一年ぶりだな」

よく来てくれた、と美しい盲の姫は、毎年変わらぬ笑みを浮かべた。

「今年も、面白い話を聞かせてくれるのだろう?楽しみにしておったぞ」

手をたたいて侍女を呼び寄せると、膳の用意をさせた。たかが忍風情にこのような持て成しをするなど、やはり変わった姫君だ。出会ってから今年で五年になるが、当時とまるで変わらない。
膳を運んできた侍女を手で制して、姫、と声をかける。

「眼福草と言うものを御存知ですか」
「眼福草?……はて、一向知らんな」
「煎じて飲めば、盲が治ると言われているものです」

一瞬、私の言葉に、姫の身体が硬くなるのがわかった。
……五年も、私の我が儘に葵姫は付き合ってくれた。有り得ない希望を持たせては失望させてきたのに、姫は私を追い返すことなどしなかった。どこまでもお優しい方だ。

「……そうか。なあ、仙蔵よ」
「はい」

姫は、自らに用意された膳に手をつけることもなく、私に勧めることもなく、ただ、どこか寂しげに笑って言った。

「私はな、そろそろ婿を迎えようと思うのだ」

……予想はしていた。
世に言うおなごの十八は行き遅れとされることも、姫が私を城にあげるために降ってわいていたであろう縁談を断り続けていたであろうことも、重々承知していた。そしてあれから五年、自分自身が潮時だと悟っていた。

「左様ですか。お相手はお決まりで?」
「うむ、三度も話を持ち掛けてくれている者がおってな」
「そうですか」

わかっていたことだ。所詮、身分が違いすぎるのだと。ただ、私より姫の方が物わかりがよく、賢明だっただけの話。自分を愚かだと思ったのは、生まれてこの方初めてだった。

「仙蔵、しばしくつろいでいけ。明日は土産話を聞かせてくれ」
「……御意」

侍女に、伊作が探し出してくれた眼福草……と、言い伝えられている草を煎じたものと、使い方の書付を渡す。膳には結局手をつけないまま座敷をあとにした。葵姫は、最後まで私を見なかった。



仙蔵の声でわかった。彼の者も、今年が最後だと思っていたことが。

「姫……あの者が持ってきたものです」
「眼福草、と言ったか」

仙蔵が座敷を下がってからも、私は一人ぼんやりと座っていた。侍女が持ってきたものは、おそらく眼福草を煎じたものだろう。しかし仙蔵の、どこか迷いを含んだ声音から、果たしてそれが本当に効果を持つものなのかはわからない。
それでも。

「……貰おう」

私のために、用意してくれたものなのだ。五年もの歳月をかけて、私なんぞの人間に尽くしてくれた結果なのだ。私は仙蔵を信じて、受け取るしかない。

「こちらです」

手渡されたそれを口に含むと、とても耐え切れたものではない苦味が広がった。むせかえりそうになるのを堪えて、白湯を流し込む。とても一杯では足りず、二杯目を貰う。やっと口の中の苦味がなくなって、一息つく。

「大丈夫ですか、姫様?」
「……大事ない」

まだ後味の悪さが残っているが、吐き気を催すほどでもないのが救いだ。

「すぐに、ということではないそうで……失礼します」

侍女は私に声をかけて、目を覆うように何かを巻いた。

「すぐに目を開くと、光が強すぎるからだそうです」
「なるほど、用心深いな」

くすりと笑みをこぼす。
これでついに盲が治ると楽観視はできないが、今は無性に、仙蔵の声を聞きたいと思った。



いつもなら二、三日で城を出るのだが、姫が今年は様子見で暫くは留まれと言うので、無碍にもできず留まっている。名残惜しさに後ろ髪を引かれてしまうのだ。自分が可笑しくて、とても旧友たちに見せられた姿ではない。

「葵姫、七日です。私はそろそろ、」
「仙蔵」
「……はっ」

姫の目に巻かれた包帯は未だに解かれていない。

「美しいものとは、どのようなものだ?」
「……姫、貴女のことです」

私の言葉に、姫は笑った。

「仙蔵、そなたもであろう」

そして、自らの手で包帯をほどき始めた。解いたそれを器用に小さく巻いて、肘掛けにそっと乗せる。ゆっくりと開かれた瞳は、美しいけれど濁っていた今までとは違う。
――光のある瞳だった。

「なるほど、これから美しい基準は、仙蔵……そなたにすることにしよう」

にこりと笑った姫は、確かに私を視ていた。

「葵、姫……」

自分でも信じられなかった。伊作に頼んではいたが、彼も「宛にはできない」と言っていたくらいだからだ。しかし、しげしげと自分の手を眺め、座敷を見回す姿から、これが本当なのだと信じないわけにはいかなかった。

「仙蔵、そなたまだ一人か?」
「は?」
「城が欲しくはないか」

その問を理解して、顔を伏せる。たかが忍である私が、小さくとも一国の姫である者と結ばれるなどとはおこがましい。

「私は、……一介の忍です」

忍者だから、自分を偽ることは得意だ。今までもこれからも、私はこうして生きていくのだ。

「……仙蔵。美しいものを、共に見に行くのだろう?」

悪戯っぽく、楽しげに笑った葵姫の髪を、どこからか入り込んできた風が揺らした。まったく適わない、困った姫君だと苦笑を浮かべて、私は返答に窮した。





(20130122〜20130802)



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