33 夢の中の記憶

深い深い、海の底。外の世界を目指して泳ぎ、海面まであと僅かという時だった。岩場の近くから何かが落ちてきた鈍い音が水の中で聞こえ、それに伴い幾多の水泡が上昇してゆく。泡の合間に見えたのは、黒き衣を纏い刀を手にした一人の男だった。よく目を凝らせばその男の腹部から赤黒い何かが出ている。泳いで近づくとそれは血だと気付き、男のその様は気を失っていると瞬時に解した。
考える間もなく男の背に周り、肩に腕を回しそのまま海面に向かい泳いだ。男の身体の重みに耐えれず上手く泳げないが、腹部から漏れる血が視界の端に入ると急ぎを要した。
もう少し。あと少し。懇親の力で泳ぎ、ようやく海面へ辿り着いた―――…

「――ッ!!?」

ハッと目覚めれば、自室の天井が目に入り、同時に隣で目覚まし時計の電子音が鳴り響いた。凪沙は寝ていたにも関わらず、荒く呼吸を繰り返すと手の甲で瞼を抑えた。

「(…また、この夢だ。)」

それは、ここ最近の話しだった。
海の写真のポストカードを手に取ったあの日から数日後、毎晩決まって同じ夢を見るようになった。
その夢は、必ず海の中を泳いでいる情景から始まり、そしてある男を助けるために海面に向かって泳いでゆくというもの。
一体なぜこんな夢を見るようになったのか全く見当が付かず凪沙は日常を送っていたのだが、こう毎日同じ夢を見続けるのも正直気味が悪かった。

凪沙は朝の支度と朝食を済ませ、修行用の道着に着替えると幻海の元へ向かった。


「…毎晩同じ夢を見る、だと?」
「うん。何故か毎回海の中を泳いでてさ、男の人を助けるって内容なんだけど…」
「夢、ねえ…」

凪沙の話しを聞いた幻海は顎に手を添え、考え始めた。
夢の内容はともかく、ここ最近凪沙が学校に通っている間、この寺を訪ねてくる人間が格段に増えていることを幻海は気にしていた。それも、決まってここを訪ねる皆が口を揃えて話すのだ。「こんな能力は今まで手にしたことはない」と。妖怪ではなく、人間が不思議な力を持ち始めている。何かが起きるのか、もしくは既に起きているのか…。

そんなこともあってか、凪沙の話す「毎晩同じ夢を見る」というのも、何も関係していないとは断言し辛い。それに凪沙の母、波子が持っていた力…予知夢という可能性もある。
だが、なんとも言えぬこの状況で下手に凪沙の不安を煽るようなことは話せまい。幻海は静かに口を開いた。

「…その夢が何かを意味するんだろうが、今の段階じゃ私からは何も言えん。夢なんか見れないほど身体を痛めつけてぐっすり寝るってもんだな」
「…そっちの方が怖いんだけど」
「何言ったかい?」
「…いいえ」
「補修もようやく終わったことだし、久々に本腰いれた修行をするよ。覚悟は出来てるだろうね?」
「はぁ〜い…」

幻海のニヒルなこの笑顔。この表情をする時の修行は、正直ハードな内容な事が多かった。既に「身体を痛めつければ…」という件にげんなりもする。…今日は、生きて帰ってこれるだろうか。
そんな不安を抱えながら幻海に続き、凪沙も山の中へ入っていった。



俊敏に足を走らせ、木々を伝う凪沙は幻海の気配を察知する。背後から迫る拳に気付き、器用に頭上にあった枝に捕まりそのままくるんと上った。そして脚力を入れ、そのまま跳躍すると木の葉を過り森を一望できる高さまで飛んだ。一定の高さに届いた瞬間、右手の人差し指に意識を集中させ、そして手首を左手で支えた。
すう、と呼吸を始めるとともに霊気を指先に集め、そのまま落下してゆく――その最中、幻海の気配を再び察知すると。

「―――ッ霊丸っっ!!!」

目を見開き、指先に集まった力を幻海に向け放った…はずだったのだが。

…ボスッ。

と、なんとも間抜けな音が出たと同時に放たれたのは直径15センチほどの小さな丸い光の玉。そしてそれは放たれたと同時に風船のように柔らかに浮遊し、近くの木の枝に衝突するとそのまま弾けて消えてしまった。
無論、こんなはずじゃ…と間抜け面のまま落下する凪沙は迫りくる殺気に、腕を交差させた。

「甘いよ!!!」

ドンッ!!と大きな蹴りが命中し、耐えきれなかった凪沙はそのまま飛ばされてしまい

「ッかは…っ!!」

大木に背をぶつけようやく着地した。嗚咽と共に背面からとんでもない鈍痛が襲う。凪沙は膝をつくと草を踏み近づいてくる足音に慄いた。
その足音は目の前で止まり、ゆっくり見上げると案の定幻海が自身を見下ろしていた。

「…やはりまだ撃てなかったか」
「うん、集中してみたけど駄目だった」

しゅん、と項垂れる凪沙に、幻海はかけてやる言葉が見つからなかった。
霊気のコントロールを自制するための修行から、内なる霊気を放出し身を守るための闘いに備え霊丸を教えたはいいものの、それがうまくいってなかった。生まれ持っての霊力はそこそこあるはずなのに、なかなか形にならずにいるのは何故なのか。

体術はだいぶ身に付いた。そして幽助のように修行の中で格闘センスが上がることを見込んでいたのだが、凪沙はどうやらそっちのタイプではないようだ。
だとしたら。桑原のように力を具現化するのも、蔵馬や飛影のように道具に妖気を通して使いこなすのも、また難しそうな話し。かといって幻術使いのような高度に力を操れるほど力量は未だ足りないはず。
何か別の道が…?と、頭を悩ませた幻海が出した答えは。

「…凪沙、立ちな」
「え?」
「基本に、戻るよ」

幻海に促され、付いていった場所は滝壺。修行の初期段階で、よくここで滝に打たれたことを凪沙は思い出した。目的は、心身の鍛錬だ。
だが、背面に痛みを抱える凪沙はげんなりとした表情に。

「…おばあちゃん、もしかしてまたここで何時間も…」
「そんなに長くなくていい。お前があれだけの霊力を持ちながらもそれを放出する形が定まらない分先へ進めないからね。基本に戻ればまた別の視点が見えてくる可能性もあるからやってきな」
「…はーい」

凪沙は指定された場所へ行き、頭上から落ちてくる大量の滝水に耐えた。冷たさや衝撃が苦しく、表情が歪むが、時間が経ってそれに慣れてくると雑念は徐々に消え水に打たれる感覚だけが残っていった。
その様を幻海は黙って見守り、今朝話していた凪沙の夢の話しを回顧する。
ここは海ではないが、水に触れられる言わば海と近い場所。関連している場だからこそ、彼女にとって何かヒントになれば、と思い連れてきたのだ。そしてこれを機に霊力の扱いも前向きに進めば良いのだが。

しばらく時間が経ち、幻海が合図をすると滝行は終わった。水に打たれている間は、残念ながら特に大きな変化は見られなかった。だが、凪沙はやり切った達成感で表情は満ちている。…決して意味がなかったわけではなさそうだ。

「早く戻ってきな。帰って身体を温めるよ」
「うん!今そっちに行くね」

滝壺から出た凪沙は岩場を伝い幻海の元に向かう。全身がずぶ濡れな上、足場も水で滑りやすくなっている。凪沙は細心の注意を払い岩場を渡っていたのだが。

「…あっ」
「ばっ…!!」

ばかたれ!と放った幻海の言葉は、ドボン!という水の音で掻き消された。まるでスローモーションのように凪沙は足を滑らせ、川の中に落ちたのだ。
漫画やテレビのような、お決まりの展開を広げた凪沙に呆れ、幻海は「自力で這い上がってきな!」と叫ぶ。だが、その声は、川の中に落ちた凪沙に届くことはなかった。



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