32 詮索

明朝の静けさの中。冷えた空気に気付き飛影は薄ら目を覚ました。重い瞼をゆっくり開け、目を擦ると視界がはっきりし、随分と見慣れた天井が目に入ると無意識に昨夜の事を思い返した。
半ば、自暴自棄な状態で凪沙の元を訪れ、欲の赴くままに彼女を抱いた。色んな感情が入り混じり、情けなくも女々しさを抑えられなかった自身に今更悔やむ。そして何度も名を呼び、それに応えるかのよう喘ぎ嬌声を上げる凪沙に安らぎを求めていたのも事実だった。

ふと隣を見やれば寝息を立てる凪沙に、自然と飛影の手が伸びた。顔を隠す前髪を耳にかけてやれば、気持ちよさそうに夢の中を彷徨う凪沙に愛おしさを感じる。肌が密着しているこのぬくもりも離し難かった。…だが、そろそろ行かねば。

飛影は名残惜しみながらもベッドから降り、身支度を進める。そしてふと机上を見やると、そこには黒と白のマグカップと海の写真が印刷されているポストカードがあった。昨夜は余裕がなかったため、それらの存在に気付けなかったのだ。よくよく思い出すと、そういえば凪沙と蔵馬が買い物をした際購入していたような…。

お揃いのマグカップを手にした凪沙の意図は、飛影もなんとなく汲んでいた。以前、ここに訪れた際凪沙が「飛影用のカップがあればいいのに…」とポツリと零していたような気がする。恐らくそれを意味するものだろう。それは己がいつでもここに来て良いと受け入れてもらえたような気がし、自然と飛影の口角が微かに上がった。
次いでそのマグカップの隣に置かれたポストカードに飛影の手は伸びた。綺麗なコバルトブルーが映えている海が掌に収められると目を細め、無意識のうちに思い出す。

「(…似ている。あの時と同じだ)」

またも、過去の記憶が掘り起こされた。強く明るい、その濃き青。…それは、あの時傷を負って目覚めた際、一番最初に目に入ったため、忘れるわけがなかった。そしてその青を見た後、澄んだ声が耳を掠めたのだ。

“…怪我は大丈夫?”

「――っ…」

飛影は過去の記憶を振り払うよう、目を閉じ頭を振った。そしてふと思い出す、蔵馬の言葉…凪沙がこれを見て懐かしんでいた、というあの話しだ。
未だ確信は持てなかったが、凪沙に流れるあの種族の血が関係しているのは間違いないだろう。そして昨夜気付いた魔界の風…あれも恐らく何か影響しているのでは。

飛影は再び目を開け、しっかり前を見据えると静かにポストカードを机上に戻す。そして凪沙の姿を一瞥し、静かに頭をひと撫ですると音を立てぬよう彼女の部屋を去った。





「おやまあ!蔵馬じゃないの!久しぶりだねえ!」
「突然すみません。忙しかったかな?」
「うんにゃ!ちょうど休憩取ろうと思ってたとこさね!コエンマ様もきっと休んでるだろうから今のうちに会っておいで!」
「うん、ありがとう」
「んじゃ!あたしゃ茶菓子の準備でもしてくるから!ゆっくりしてってね〜!」

踵を返し、長い廊下を駆けていくぼたんの姿を見送ると、蔵馬は歩みを進めた。

霊界を訪れるのは随分と久しかった。暗黒武術会も終わりここ最近は妖怪の悪事もそう目立っていなかったが、霊界の慌ただしさは相変わらずであった。廊下を行きかう鬼たちは大量の書物を抱え右往左往し、案内人の者達も霊界の門を飛び立ったりと、とにかく忙しい。
すれ違う霊界の者を少々気の毒だと横目で見つつ、廊下を歩んでゆくと大きく重厚な扉の前にようやく辿り着いた。数回ノックをするが、返事はない。
…まぁ、これもいつもの事なので特に気にはせず、蔵馬は一応「失礼します」と一声上げ入室すると。

「…ん?おお、蔵馬か…久しぶりじゃのう」
「また随分とお疲れのようですね」

大量の書類の間でうつ伏せに寝ていた子供…もとい、コエンマは蔵馬の気配に気づくとゆっくりと顔を上げた。そしておしゃぶりをくわえたまま、大きな欠伸をひとつ。その様は本当に人間の子供のようで、先日の武術会で見た青年の姿とはまるで正反対だった。

「っとにも〜…暗黒武術会が終わって妖怪たちの興奮も治まったと思ったら、まだまだ忙しさからは逃げられんわい…。で、ワシの元を訪ねてきたという事は…何かあったんじゃな?」
「ご名答です。…といっても、何かあったわけではなく、ちょっと気になることがありまして」
「…?なんじゃ、気になることって…」
「とある種族の妖怪の事です」
「ほう、とある種族のねえ…」

ぐん、と背伸びをし、再び欠伸が出たコエンマの目じりには涙がひとつ。まるで蔵馬の話しにはあまり興味がないような素振りだ。首を曲げて関節音を鳴らすコエンマは、座っている椅子を回し外の景色を一望するが、蔵馬は続けた。

「…人魚族、についてです」
「…っ!!?」

ピクン!とコエンマの肩が跳ねた。そしてゆっくりを振り返り、再び蔵馬の表情を確認する。眼光は鋭いが無表情を貫く彼の様子に、コエンマは只事ではないと瞬時に察した。

「…人魚族は既に絶滅していると聞くが、何故今更?」
「ええ。それは承知済みです。ですが、人魚族の血を引く者が人間界にいる、…としたら?」
「!?…それは誠か!?」
「分かりません、あくまでも憶測です」
「…。…そうか、分かった。…付いてきなさい」

コエンマは椅子から降りると蔵馬と共に廊下へ。そして奥の書庫へと続く方へ進む途中、茶菓子をお盆に入れたぼたんが曲がり角から顔を出した。

「あれ、今コエンマ様のところにお茶持って行こうと思ったのに…」
「ぼたん、ワシのテーブルに置いておいてくれ」
「せっかく淹れてくれたのにすみません」
「いや、いいんだけどさ…」

コエンマと蔵馬の醸し出す異様な雰囲気。それを察したぼたんはこれ以上何も言わなかった。行き先は恐らく書庫。…何かあったのだろうか。ぼたんは怪訝な表情で二人の背を見送った。


書庫についたコエンマは奥へと進み、とある本棚の前に止まった。そして身体を浮遊させ、書物のタイトルをひとつひとつ確認して指差しを進める。そしてある一冊の本が目に入るとそれを手に取り、パラパラとページを捲った。そこに記されているのは、先ほど蔵馬が述べた人魚族についての記述だ。

「ここに人魚族の事が綴られておる。…だが、何故突然この事を調べようと思ったのじゃ?それに人間界に血を引く者がいるというのも…」
「…そうですね。強いて言うなら“人魚の色香に誘われた”とでも言いましょうか」
「…?特殊な妖気を感じた。とでも?」
「いえ、妖気は一切感じません。ですが、人魚族の特性に該当する人物との接触で気付きました。…そしてもう一つ、飛影も恐らくその事を知っているかと」
「飛影が!?また何で…」

疑問符ばかり上がり、話しの意図が見えないコエンマは首をかしげる一方だった。蔵馬は事の次第を話すと、コエンマは大きな溜息をついた。

「…なるほど。経緯はだいたい分かった。その凪沙という少女の事は一度調べた方が良さそうじゃな…。それに飛影の動きも気になる所じゃが、悪巧みをしているわけでもなさうだし、このまま様子を見て泳がせておこう」
「そうですね。ありがとうございます」

本を手にした蔵馬とコエンマは書庫を後にした。

そして廊下を歩んで行く際、コエンマの脳裏には人魚族という、悲しい結末を迎えた種族の事が過った。
随分と昔の話だが、人魚族は血の気もほとんどなく、妖怪としては珍しく穏やかで可憐な種族であった。そして誰もが求める程の、極上の血肉と美貌も特徴的だった。

だが、悲しき終焉を迎えたその人魚族は、誰からも偲ばれることはなかった。



次へ進む


戻る












×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -