10 力の目覚め

「だから!凪沙に会いに行きてーんだよ!居場所を教えろよ!」

 幽助の怒号が廊下に響き渡る。周囲にいた生徒達は「またか…」と冷ややかな目でその場を後にする者が多かった。対峙している竹中は幽助に胸ぐらを掴まれているが、一切揺らぎを見せず彼から視線を外さない。その屈指の精神は幽助とてよく分かっていた。これ以上言及しても竹中は答えてはくれまい。
 幽助は舌打ちをして手を外した。

「幽助、こればかりはワシの口からは言えん。立花の親族から口留めされているんだ」
「そんなの関係ねぇだろう!アイツ、母ちゃん失ったんだぞ!?今頃独りぼっちで悲しんでるに違いねぇ…!」
「…お前がそこまで心配していると知ったら、立花は喜ぶと思うぞ。お前にも仏の心があったんだな」
「アホか!俺は今そんな話ししてんじゃねぇの!!」

 頑として聞かぬ幽助の態度に竹中はいよいよ溜息をつき、そして諭すように窓に視線を向ける。竹中の眼下には中庭で楽しそうに談笑をする、数人の生徒達が映っていた。

「幽助、よく聞け。…先日、立花の母親の弔問に参列してきた時、彼女に会ったんだ。その時の立花といったら…言葉を失ったよ。泣き腫らして目の周りが赤く、顔色も憔悴しきっとった。普段の立花からはとても想像がつかぬほどの…大きな深い傷を心に負ったんだ」
「だったら、尚更…!」
「ああ、傍にいてやるべきだ。友人なら当然そう思うだろう。なんなら、雪村も真っ先に来てお前と同じことを尋ねてきよった。…だがな、喪主でもあった叔父からは「色々と決まるまで凪沙に関わらないで欲しい」と釘を刺されたんだ。これがどういう意味かお前には分かるか?」

 竹中の視線が再び幽助を捉える。有無をも言わせぬ、強い威圧感があった。幽助は眉根が上がり、眉間に皺を寄せた。

「…そんなの、俺には分かんねえよ」
「そうだろうな。子どものお前には分からないと思う。…要は、立花は母親を亡くして身寄りがなくなった。即ち、家族を失い一人になってしまったんだ。だが立花はお前らと同じ、中学生で未成年だ。だからこそ、…彼女の身寄りをこれからどうするか考える為にも接触控えたいのだと思う。大人の話しに子どもが口出しするのは厄介だからな」
「えっ…じゃあ、凪沙は…どうなるんだよ…」
「今、引き取り手を親族で相談しているらしい。詳しい事はまだ分からん。…きっと色々と決まれば学校に連絡が来るはずだ。立花に余計な迷惑をかけたくなければそれまで待つんだぞ。因みに、葬儀が終わった後は叔父の家に行くと聞いたから自宅に行っても会えないからな。ちゃんと覚えておきなさい」
「え、おいっ!竹中!まだ話は終わっちゃいねーだろうが!!」
「これ以上お前に話すことはない。こっちも暇じゃないんだ。分かったらさっさと教室へ戻ることだな」

 悔しそうに歯ぎしりをする幽助を他所に、竹中は踵を返し階段を降りて行った。時刻はまもなく五時間目が始まろうとしている。予鈴と同時に、中庭で談笑していた生徒達も慌てて校内に戻ってきていた。

「…チッ!なんなんだよ、大人の事情がどーたらこーたら…。ったく、やってられっか!!」

 幽助は近くに置いてあったゴミ箱を一蹴した。



 いつもの貯水タンクの隣に寝転び、数日前の記憶を回顧する。何度思い返しても、幽助はこの数日間は未だ煮え切らなかった。
 今でも忘れはしない。凪沙の母が仕事中息を引き取った、という話を聞いたあの日の事を。幽助はあの日から毎日竹中の元へ足を運び、凪沙の事を問いただしていたのだ。はじめは竹中も状況をよく把握していなかったので「分かり次第ちゃんと説明する」と話していたものの、いざ数日たっても納得のいく説明はされなかった。それに耐えきれず竹中と会う度にしつこく問いただしたところ、ようやく凪沙の身に今何が起きているのかを知れたのだ。
 本当は、今すぐにでも凪沙に会いたい。話しを聞いてやりたい。傍にいてやりたい。そんな思いを日々抱えていた。思い切って会いに行こうととも思ったが、それが叔父に見つかれば竹中の言う通り彼女に迷惑をかけてしまう。ならば電話でも、と思い何度かかけたが発信音は途切れる事なく終わった。
 頼みの綱は、彼女の叔父から学校に連絡が入ることのみだ。…だが、竹中のあの様子をみると全てを教えてくれるとは到底思えない。寧ろ連絡が来た事実を隠される可能性だってある。
 今まで散々戦いの場に身を投じてきたが、こんな時ばかりは己の無力さに腹が立ち、そして情けなくもなった。

「おい、浦飯ぃ。もう授業終わったぞ」

 突如、頭上から聞こえた馴染みのある声。ふと見上げれば、桑原が神妙な顔つきで見下ろしていた。

「…おー」
「なんでぇ、その腑抜けた返事はよ。聞いて呆れるぜ」

 桑原は嘲笑しながら、幽助の隣に腰を下した。先ほど終礼のチャイムが鳴り、桑原が幽助に声を掛けに来たのだ。

 凪沙が学校を休み続けてから、幽助は気が抜けたように毎日を過ごしていた。今まで面倒臭くて仕方なかった学校も、凪沙に会えるから通うようになったのに。彼女のいない教室や日常は虚無感で溢れ、何をやっても何を聞いてもまるで身が入らないのだ。それは幽助だけでなく凪沙を取り巻く周りの人も同じであり、桑原や螢子もそのうちの一人だ。
 桑原は幽助と同様、竹中の言葉に納得できず幽助以上に怒りを露わにして職員室に乗り込んだほどだ。当然、岩本に首根っこを掴まれて門前払いをされたのだが、機会を見てもう一度乗り込んでやると未だに目論んでいる。そして螢子もまた竹中の説明が腑に落ちず悶々としており、感情を露わにはしていないが表情は曇っている。大人の事情も、彼女なりに飲み込もうとしているのだがやはり凪沙の傍についてやれない現実が不服なのであった。

 凪沙は今頃、どうしているのだろうか。

 三人は毎日凪沙の事を思って過ごしていた。

「…帰らねーのか」

 桑原が沈黙を破った。貯水タンクからは校庭の様子が少々見え、生徒達は下校している。おまけに西日も徐々に差してきており、遠くでは烏の鳴き声が聞こえて来た。

「…わっかんねぇ。もう少しこのままでいいかも」
「お前、朝からずっと屋上にいるじゃねーか」
「凪沙のいねぇ教室なんてつまんねーもん」
「その気持ちも分からなくはねーけどよぉ…」

 不貞腐れる幽助の心情を、桑原はなんとなく察した。
 再び、二人の間にしばし沈黙が流れる。西日は徐々に強さを増し、風も少し冷え始めていた。
 …ここにいたところで事態は何も変わらない。そろそろ帰ろう、
 しびれを切らした桑原が声を掛けようとした、その時だった。

「…ん?」

 突如、幽助が飛び起きて呟いた。一瞬、全身の肌がピリつくような妖気の気配を感じ取ったのだ。…しかも、これは自分達がよく知っているものだ。

「なんだぁ?浦飯?」
「お前っ…わかんねーのか!?妖気だよ!妖気!!」

 キョトンとする桑原に、幽助は矢継ぎ早に答えた。だが桑原の反応は幽助の予想に反し、気まずそうに頬を掻いてる。

「いや…実はよぉ、俺暗黒武術会が終わってからすっかり霊力がなくなっちまったみたいで。俺にゃなんのことかサッパリだ」
「なっ…まじかよ!本当に分かんねぇのか!?」
「だから、わかんねぇって言ってんだろう!寧ろ分かってたら最初っからオメーと同じ反応しとるわい!!」
「あ、そうだよな…。いやでも、この妖気…間違いねぇ…!」
「一体何なんだよ、さっきから感じるその妖気は!誰の者なんだ!?えぇ!?」

 桑原が問うのを尻目に、幽助は立ち上がった。
 
「これ…飛影の妖気だ。人間界でこんな妖気を出すって事は多分何かがあったんだよ…!」
「えぇ!?飛影が…!?」
「兎に角、行くぞ!!」

 二人は慌てて玄関へと向かった。




 凪沙の顔を横切った黒い炎は、一瞬で亡霊たちを焼き払った。炎に呑まれた中からは悍ましいほどの断末魔が絶えず、伸ばされた手は尚も凪沙を狙っているが、それらは届くことなく再び川の中へ沈んで行った。
 飛影は凪沙を横抱きにしたまま何度か跳躍し河川敷へ出た。だがしかし、再び川の中から再び夥しい数の亡霊達が蘇り手を伸ばしてくる。

「やっ、やだ…!」

 咄嗟に凪沙は飛影の胸元を握り、飛影は彼女を一瞥した。凪沙の顔は酷く青ざめ、額には脂汗が流れている。おまけに先ほど川に引きずり込まれそうになったのが追い打ちをかけたのか、瞳には涙が溜まっていたのだ。服を握る手には震えが走り、縋る思いで身体を密着してくるのが十分伝わった。
 凪沙にとって霊に狙われるのは勿論、彼等が断末魔を上げてその命を焼かれる様もまた恐怖なのだろう。
 飛影は凪沙を抱く手に少し力を加わえた。

「…?」

 凪沙が気付き、涙目で飛影を見上げる。すると、こちらを見やった彼と視線が絡んだ。鋭い目元の中にある真紅の瞳が美しく、こんな状況にも関わらず思わず吸い寄せられるようだった。そして精悍さの中には優しさが隠れているのか、その視線からはまるで「安心しろ」と聞こえてくる。

「飛影、さん…?」
「呑気に俺の名を呼んでる場合じゃないぜ」
「えっ…?」

 飛影の視線が再び投げられた。
 手を伸ばしていた亡霊達がいよいよ身体を乗り出し始め、間違いなくこちらを目掛けて這っている。いつかテレビで見たようなホラー映画のワンシーンにあるような場景だが、寧ろ映画の方が全然マシだと凪沙は思った。これはエンターテインメントなんかではない。実際に現実で起きていることなのだ。

“ソノ人間ヲヨコセ…”
“喰ワセロ…ソイツヲ食ワセロ…”
“力ガ欲シイ…寄越セ…寄越セ…!”

 亡霊たちは凪沙に狙いを定め、再び猛スピードで迫ってきた。下からは這って責められ、上からは飛び掛かろうと上半身をうねらせている。飛影は刀を手にするか逡巡したが、諦めて河川敷を駆け出した。
 本来自分の妖力を使えば、こんな亡霊など一瞬で塵に出来るのだが、あいにくここは人間界だ。先ほど凪沙を助けるために思わず力を出してしまったが、これ以上大きな動きを見せると他の人間にも目に付くのは勿論の事、恐らく霊界も黙っていないはずだ。指名手配犯として名を上げている以上、余計なことに首を突っ込みたくなかったのだ。

「飛影さん、助けて…!」

 だがしかし、己の首にこうして腕を回し、恐怖からどうにか逃れようとする凪沙を、あのまま放っておくことなど出来なかった。気が付いたら、身体が勝手に動いていたのだ。

「…チッ。自殺の名所だけあるぜ…!次から次へと沸きやがって…雑魚が…!」
「じっ、自殺の名所…!?」
「あれはこの世に未練を残した怨念の塊だ。自ら命を絶ったが故に魂の行き場をなくして、ああやって川に住み着いているんだ」
「でも…なんでその幽霊達はさっきから私の事を狙ってるの…?」

 凪沙の突飛な言葉に飛影は思わず目を見張った。こんな状況の最中、まさかそんな発言をされるとは思いもよらなかったのだ。
 
「…貴様、自覚してないのか!?」
「え…?何が…?」
「…話は後だ」

 再び、亡霊達の手と身体がすぐそこまで迫っている。飛影は俊敏に彼等を避けては跳躍していたが、川から這い上がる亡霊の夥しい数には参った。このまま逃げているだけでは埒が明かない。せめて、狙いとなっている凪沙の―――強い霊力を少しでも抑えられれば良いのだが。

 飛影が再び口を閉ざしたのが不安だったのか、凪沙の飛影の服を掴む力が無意識のうちに強まった。それに気付くと飛影はハッと気が付き、素早く跳躍した。
 そして一旦凪沙を地に下ろすと、己を纏っていたマントを脱いで凪沙に被せたのだ。

「わっ…!?」
「黙ってそれを着ていろ。俺の妖気が嫌という程染みついている。気休め程度だが今よりはマシになるはずだ」
「…ようりょく、って、何?」

 飛影はぽかんとする凪沙の反応に眩暈がしそうだった。
 …そうだ、この女は今まで平和ボケた世界で生きて来たのだ。こちらの事情など知らずして、当然だ。だが、何故突然彼女の身体から溢れんばかりの強い霊力が生まれたのだろうか。飛影の脳裏に再び疑問が過った。
 
 飛影は幽助の家で凪沙と初めて会って以来、ずっと彼女の事が気がかりで邪眼で姿を追っていた。無論、四六時中そうしていたわけではない。頭では「気のせいだ」と言い聞かせていたのだが、心は正直で時折凪沙の様子を見守っていたのだ。
 脳裏に過るのは、ずっと蓋を閉じて忘れようとしていた昔の記憶。そのまま閉じ込めたままにしたい思いと、相反する淡い期待が日々天秤にかけられていた。だが、凪沙の顔が、髪色が、その雰囲気が、己の抑えていた欲を掻き乱すのに十分な要因となってしまったのだ。矛盾しているのは承知している。それでも、気になって仕方なかったのだ。
 …そんな折だった。凪沙の母が息を引き取り数日経った今日、突然彼女の身体から強力で溢れんばかりの霊力が出ていたのだ。力の制限を知らぬ彼女の霊力は言わば駄々洩れ状態であり、敵を惹きつける甘い蜜でしかない。それに引き寄せられたのが街中で出会った幽霊達だったのだ。飛影は街中を逃げ回る凪沙を見守っていたが、人混みの中で助けるのはこちらにもリスクが生じる為、ずっとタイミングを見計らっていたのだ。最悪、車に轢かれそうだった時は肝を冷やし飛び出そうとも思ったが、偶々後ろにいた人間が助けてくれたので安堵した。
 しかしその安堵感は瞬く間に消え、凪沙がこの橋に踏み入れた時に事態は急変したのだ。先ほどとは比べ物にならないほどの強い怨念が凪沙の甘い蜜に気が付き、その霊力を我が物にしようと襲い掛かって来た。それを止めるべく、飛影はようやく姿を現したのだ。

 再び、亡霊達は二人に迫る。飛影は間一髪彼等から避けたが、いつまでも続くこの状況にいい加減釘を刺さねばならず思案した。ここで逃げ回って撒いたとしても、マントの下から溢れ出る凪沙の霊力は確実に次なる敵の餌食になるだろう。凪沙自身で力を制御するか、或いは完全に力を封じないと為す術はない。何せここは人間界だ。霊界の目も多いが故、これ以上下手な事は出来まい。
 飛影の表情が曇り、眉間に皺が寄る。初めて見せたその表情に、凪沙の眉が下がった。その瞬間、飛影は馴染みのある二人の気配がこちらに近付いている事に気が付き、一瞥した。
 土手から高く跳躍し、拳を構えてこちらに向かっているのは幽助だった。その後ろには桑原の姿が見える。

「おーい!!大丈夫かぁ!!?」

 桑原の声を合図に、幽助は拳を力強く突き出した。

「ショットガン!!」



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