78 正しくなくても祈って

 掌に置かれた小さな透明な小瓶。その蓋の中に眠るのは白い薬だ。以前蔵馬に処置された際、塗布してもらった物と同じだった。「これは?」という意味合いで凪沙が顔を上げると「餞別だよ」と微笑む蔵馬の端正な顔がそこにあった。
 蔵馬、コエンマ、ぼたんが幻海邸へ一拍した約一か月半後。今夜はいよいよ蔵馬が魔界へ旅立つ日だった。もはや恒例と化している特防隊が手際よく魔界への穴を開けている。三度目ともなれば手慣れたものであろう。
 凪沙、幻海は勿論、今回は桑原も見送りに寺を訪れていた。

「とうとう蔵馬も行っちまうのか…。いよいよ人間界もおしまいだな」
「桑ちゃん、縁起でもないこと言わないでよ…!」
「だってお前、本当の事じゃねえか。こっちに残って戦えるのは俺と立花だけなんだぜ?」
「ちょっと。あたしの事忘れてんじゃないだろうね?」
「ばあさんはもう無理すんなって…」
「ふふっ。心配はいりませんよ。仙水戦を機に魔界の妖怪達も、今は大人しくしているようですし」
「そりゃ、今はそうかもしれねえけどよ…」

 桑原は不安気に凪沙を一瞥した。凪沙とて、桑原の言わんとしていることは嫌でも分かった。

「――準備が出来ました。こちらへお願いします」

 三人の会話を遮るように、舜潤が声を掛けに来た。皆の視線が一斉に蔵馬に集まると「じゃあ、行ってきますね」と彼は踵を返し穴の方へと向かってゆく。
 凪沙はその後ろ姿を見ると、先日の出来事が脳裏に過った。



「霊界探偵に任命された、だぁ!!?」
「桑原くん…?」
「桑ちゃん、声が大きいって…!」
「あ、悪ィ…」

 両隣りに並ぶ参列者達が不審な目でこちらを伺っている。蔵馬、桑原、凪沙は苦笑しつつ「すいません…」と会釈をすると、改め小声で続けた。

「だってお前、そもそも妖怪退治なんてガラじゃねぇじゃんか」
「でも、おばあちゃんと修行を積んで前よりは強くなってる自覚はあるんだよ?」
「自分の力に自惚れてはいけませんよ。この間だって俺にすぐ捕まったじゃないですか」
「あれは蔵馬が変な事言ったからじゃん…!」
「はぁ…。立花も単純な所あるんだな。仲間内で易々捕まっちまうようじゃ世話なんねーなぁ…」
「桑ちゃん違うって!あの時霊丸が…――」
「参列者の皆様、大変お待たせいたしました!新郎新婦の登場です!拍手でお迎えください!」

 司会者のアナウンスが流れた。チャペルの鐘の音と共に、屋外のバージンロードの両端に並ぶ参列者から拍手の雨が降り注ぐ。
 教会の大きな扉が開かれると、そこに現れたのは本日の主役でもある蔵馬の母、志保利と再婚相手でもある畑中の二人だった。
 純白のドレスに身を包んだ志保利は実に幸福に満ち溢れ、満面の笑顔だ。畑中もまた、参列者に迎えれられ祝福されているこの瞬間に、心から感謝を敬意を感じているようだった。
 挙式の真っ最中だというのに、そぐわぬ会話をしていた三人の口は自然と閉じ視線は祝福に溢れた二人へと移った。
 拍手の最中桑原が「蔵馬の母ちゃん、嬉しそうだな」と蔵馬に耳打ちする。「俺も嬉しいよ」蔵馬は穏やかな声色で答え、温かな視線は両親へと送られた。凪沙もまた、以前電話を取ってくれた蔵馬の母を目にかかるのは今日が初めてだった。先ほど教会内で志保里を一見した際、電話越しで捉えたあの優しい声色の人物像そのものだと直感した。志保利からは優しく温かい母性が溢れ出るような雰囲気があり、まるで母親の鏡のような女性だった。
 妖怪の血が通う蔵馬が過去に命を懸けて彼女を救い、誕生日前には真剣にプレゼントを選んでいたのも合点がいく。蔵馬が人間界で生きたいと願っているのも、その根源はこの母親の像があるのだろう。
 彩り豊かなフラワーシャワーが降り注がれる中、参列者の最後尾まで畑中と志保利は歩んだ。

「ではここで新婦からのブーケトスです!女性の皆さまはどうぞ前へお進みください!」
「ほら、女性の皆さまだってよ。行って来いよ、立花」

 桑原に軽く背を押され、凪沙はニ、三歩前へ出た。周りを見れば畑中家や南野家の親族や女性の参列者がわらわらと集まっている。凪沙は周りに倣い志保利から数メートル離れた所で待った。集団の中央から右寄りの場所だった。

「では、お願いします!」

 司会者の合図で、志保利は背を向けた状態でブーケを高く投げた。ふわりと舞うそれを掴もうと女性陣が歓声と共に手を伸ばす。凪沙も場の雰囲気に呑まれ、本意ではなかったが自然と手が伸びた。
 頂点に達したブーケが弧を描くように降下してゆく。そして間もなく女性陣の元へ落ちそうになった瞬間、ちょうど凪沙の指先が伸びているあたりに落ちてきた。ぽすっ、と軽い音が発した後、凪沙の手の中にはブーケがしっかり抱えられていた。

「おっしゃ!ナイスキャッチだぜ、立花!」

 視界の端で桑原がガッツポーズをし、隣にいる蔵馬も目を丸くしているのが見える。凪沙は「まさか自分が?」と素っ頓狂な表情をしたのだが、周囲から「おめでとう」と拍手を送られ、嬉し恥ずかしい感情が生まれた。

「では、ブーケを取ったお嬢さん、こちらへどうぞ!新郎新婦とお写真を撮りますので!」

 司会者に促され、畑中と志保利の待つ場所へ移動する。二人の間に入るように指示されると、参列者の視線が一斉に集まり、より緊張感が増して身体が硬直した。

「それではお嬢さんのお名前、一言メッセージを頂きたいと思います!」

 司会者にマイクを向けらた。凪沙は握っていたブーケに少々力が入った。

「…立花凪沙と言います。えっと…今日は、南野先輩のお父さん、お母さんの素敵な結婚式に呼んでいただき、ありがとうございました…」

 こんな状況だからこそ、月並みな言葉しか生まれなかったが、本心でもある。凪沙が畑中、志保利に軽く会釈すると再び拍手が起きた。だが、耳元で「ねぇ、」と話しかけられたので、視線はそちらへと流れる。声を掛けてきたのは志保利だった。

「あなたが、立花凪沙ちゃんだったの?」
「えっ…あ、はい…」
「以前、秀一に電話をくれた子よね?」
「…覚えててくださったんですか!?」
「勿論。いつかあなたに会ってみたいと思っていたのよ。まさか今日この場で会えるなんて…。私が想像していた通りの、可愛らしいお嬢さんで良かったわ」
「なんだ、秀一君のお友達だったのか?」
「ええ、そうよ。あの子、こんな可愛い子とデートしてたなんて。教えてくれなくて水臭いわねぇ」
「そうだったのか。今日は私達の式に参列してくれてありがとう。さぁ、写真を撮ろうか」

畑中が凪沙の肩に手を回し、志保利はブーケを持つ彼女の手に自分の手を重ねてきた。

「緊張しないでね。とびっきりの笑顔で撮りましょう?」

 にこやかに語り掛ける志保利の笑顔。穏やかな温かい眼差しを送る畑中。それらが向けられると、凪沙の相好が崩れるのにそう時間はかからなかった。

「ハイ、では撮りますよー!」

 カメラマンの合図により、数回シャッターが下りた。

 蔵馬に招待された志保利と畑中の結婚式。あの日を境に、凪沙の胸中は変化しつつあった。
 両親を亡くした身だからこそ、人様の家庭ではあるが家族の温かみに直に触れ、穏やかで和やかな気持ちになったあの日の事は、恐らく一生忘れないだろう。もし、今も両親が生きていたら、自分もあんな風に両親と共に何気ない日常やイベント、そして時折訪れるハプニング等、様々な時間や経験を共有したに違いない。今とは異なる、彩られた日常が送れていただろう。
 幻海との生活に不満不満を抱いたことは無い。だが、こうして実際に経験するとでは見方がやはり変わって来るのは否めなかった。
 蔵馬の両親のように家族を愛し、平和や幸せを願って生活をしている人間が大勢いるこの世界。この間の仙水の件もそうだったが、この日常を脅かそうとする輩がいる事を思うと、居ても立っても居られない思いに駆られそうだった。
 きっかけを与え、傷心した己にとことん付き合い、全てを受けとめてくれた蔵馬には頭が上がらなかった。その蔵馬が、間もなく魔界へ旅立とうとしている。本人は「すぐ帰ってくるよ」と述べていたが、ここで伝えなければ後悔しそうだった。

「――ッ蔵馬!!」

 凪沙の声に蔵馬の足がピタリと止まる。そしてゆっくり振り返ると、温情溢れる笑みを浮かべた凪沙と視線が絡んだ。

「色々と、たくさんありがとう!」
「…いえ、凪沙ちゃんのお役に立てて良かったです。それじゃあ、行ってきますね」

 蔵馬は軽く手を上げ、三人に別れの言葉を告げた。そして踵を返し、穴の前まで来ると跳躍して漆黒の闇に身を投じた。姿が完全に見えなくなったのを機に、特防隊員が霊気を送り穴を塞ぎ始めた。

「あーあ、蔵馬も行っちまったか…」

 口元に寂しげな笑みを浮かべる桑原。表向きは笑顔で見送るつもりだったのだろうが、やはり本心はそうはいかなかった。幽助の時ほどではないが、項垂れる肩が何よりの証拠だった。

「…人生、誰もが決別の時が来るのさ。たまたま今がそのタイミングだっただけだ。生きてさえすりゃ、また会えるさ」
「ばあさん…。生きてさえ、だろう?…死んだら元も子もねえじゃんか」
「蔵馬や幽助、飛影がそう簡単に死ぬと思うか?あたしはね、アイツ等程、しぶとく生きる輩はいないと思ってるよ」
「まあ、そうだけどよ…」
「…それに、アイツ等だけじゃない」
「え?」

 幻海に倣い、桑原も視線を横に投げる。そこには塞がれていく穴をじっと見つめている凪沙がいた。彼女の視線は遠くに投げられ、思いを馳せているように見えるのは気のせいではない。
 幻海はここ数日間、凪沙の表情の微々たる変化に薄々気付いていた。

「…この間と顔つきが変わったな」

 凪沙に声を掛けたのは舜潤だった。凪沙の視線がゆっくり流れ、舜潤を捉える。

「お前が霊界探偵に任命される案を小耳に挟んだ。可決されるかは未だ審議中らしいがな」
「そう…ですか」
「…お前自身どう考えてるんだ?」
「それは…」
「――穴が塞ぎ終わりました!」

 一人の隊員が報告に来た。舜潤が解散を命じると、他の隊員は瞬時に身体を光に変え姿を眩ませた。

「…まぁ、焦らずともよい。決まったら嫌でも結果が耳に届くだろうしな」

 舜潤は己の手を凪沙の肩に軽く置いた。そして幻海と桑原に会釈すると、他の隊員に倣い光と化し姿を眩ませた。
 幻海がゆっくりと凪沙に歩み寄った。

「…何を迷ってんだい」
「おばあちゃん…」
「もう、お前の中で答えは決まってんだろう?」
「――!」
「おい、ばあさん。どういう事だよ?」

 桑原が問い詰め、凪沙と幻海の顔を交互に見やった。

「あたしはね、凪沙自身がそう決めたのなら止めはしない。やるからには全力で全うして筋を通すってモンだよ。…それに、飛影の事は時間が解決してくれる」
「――ッ!…おばあちゃんには何でもお見通しなんだね」
「フン、こんなの朝飯前さ。…明日からの修行、より厳しくするからね。音を上げるんじゃないよ」
「分かってるよ。…おばあちゃんも、ありがとう」
「あの〜…一体何がどうなったんだ??」

 幻海と凪沙のやりとりを見守っていた桑原の素朴な疑問。凪沙は「お寺に戻ったら詳しく話すね」と答えた。
 凪沙の瞳に翳りは無く、釈然としていた。



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