56 死の覚悟

 凪沙が歌を奏でながら霊丸を放った後、爆発音と水柱が湖の中心に発せられた。裏男からそれを見守っていた四人にも、そして樹にも衝撃が走り、皆が瞠目した。

「すげえ…立花…!!あんな力を秘めていたのか…!」

 目を丸くする桑原に頷き、蔵馬もまた口を開いた。

「これは…予想以上だったな…。師範の元での修行の成果、人魚としての血が相まって、ここまで出来たんだと思うが…」
「でも凪沙さん…腕にすごい怪我を負ってた。大丈夫なのかな…」
「…今は彼女の力を信じるしかないよ。そうだろう、飛影?」
「…愚問だな。今は…凪沙の力に賭けるしかない」

 これは、飛影にとっても全くの予想外であった。
 命を捨ててまで立ち向かおうとする姿勢…潮の二の舞にならなければ良いと懸念していたが、どうやらその心配は必要なさそうだと思った。…だが。
 仙水の身体が湖に沈むと、遠方から小さな白い弾が彼を狙って放たれるように。縦横無尽に狙うそれはまさしく凪沙の放つ霊丸であり、いくら弾は小さいと言えども、こんなに連発していては身が持たぬのではないだろうか。
 飛影の胸中に、再び不安の渦が生まれようとしていた。

 そして最後、勝負を決めようとする意図が見える大きな霊丸。それが放たれ、仙水もまた反撃するよう霊気の塊を銃口から放つと再び爆発音と水柱が。…一体、どうなった?飛影、そして他の者も目を凝らし様子を伺うと。

「…あ!」

 気が付いた御手洗が声を上げた。
 水柱が立ち、水しぶきが舞う中、水中から水面にかけて物凄い勢いで何かの影が迫ってきた。そして勢いのまま水面から、その影は水平に跳躍したのだ。…言わずもがな、それはまさしく凪沙だった。
 まるで飛魚のように真っ直ぐに跳躍したその先には、幽助が横たわっている。凪沙の身体が地に着いた瞬間、衝撃を緩和させるため身体を転がすと、なんとか幽助の傍らに止まった。
 ほんの数秒間で起きた事であったが、これは追い風が吹いたも同然。桑原は「よっしゃあ!立花、すげえぞ!!」歓喜の声を上げた。

「…っ凪沙…!おま、え…そのッ腕…痛っ…!」

 身体を転がし、傍らに留まった凪沙を見やった幽助の目は見開いた。
 両腕から大量の血を流し、身体は土埃に塗れ、そして息切れしている凪沙の様は非常に痛々しかった。腕に走る痛み、そして受け身をとった身体への衝撃。その苦しみを抱えながらも、凪沙はどうにか顔を上げ、幽助と視線を絡ませる。

「…助けに、きたよ…幽助…」
「―――ッ!!」

 凪沙はゆっくりと這いつくばい、そして両手を伸ばすと、幽助の肩に残る傷跡を掌で翳した。そして目を閉じ、祈るように集中する…。すると、彼女の掌から温かくも優しい橙色の光が発せられた。幽助の肩にじんわりと熱が伝わり、どこか心地良さも感じる最中、少しずつ痛みが浄化されている事に気が付いた。

「凪沙…それ…!」
「…治癒術。やっと使える…ように、なった…の…」
「おい、…でも、凪沙の…!」

 幽助は気付いたが、凪沙は力なく笑顔を返すだけだった。彼女の表情、そしてひしひしと伝わるのは彼女の妖力が徐々に力を無くして行ってる様。…幽助の血の気がなくなる。まさかとは思うが。この治癒術、己の命を燃やして力を出しているのでは。

「(――やはり、そうだったか…!)」

 飛影の予想は的中してしまった。やはり潮の血を引くだけあり、こうなることはある程度予想していたが…あまりにも状況が悪すぎる。だが、仙水の足止めをしている最中、今出来る事と言えば、幽助を回復させることのみだ。
 人魚族の妖術は敵を欺く力はあったとしても、決定的な打撃攻撃を与える力は皆無だ。先ほどあれだけ水中で霊丸を放っていた凪沙の残った妖力は目に見えている。だが、ここまでせねばならぬところまで追い込まれているからこそ、凪沙は命を捨ててまで残った力を幽助に託そうとしていたのだ。
 彼女の心情を思えば納得できる。…けれども。頭でそれを理解しようとも、心ではやはり受け入れたくなかった。

―――凪沙を失いなくない。

 その、一心だった。何も出来ず、ここで指をくわえながら見ている事しか許されぬ自分がもどかしい。悔しい。飛影の拳に力がより加わった…その瞬間。突如聞こえた銃声音が洞窟内に響き渡った。

「ああああっ…!!」

 凪沙の悲鳴に近い声。それが響いた瞬間、一行に焦燥が走る。
 幽助に手を翳していた凪沙の右腕に、銃が放たれたのだ。幽助を治癒していた光はなくなり、凪沙は銃撃を喰らった傷口を抑え悶えていると、コツコツ…と足音が聞こえてきた。そしてその足音は幽助、凪沙の目の前に来ると止まり、次いで凪沙の身体が突如浮遊した。
 カズヤが凪沙の首を絞めながら持ち上げ、苦しさと新たな激痛に彼女の表情がより歪む。だが、カズヤの表情には先ほどまでの不気味な笑顔はなく怒りを露わにし、目つきも殺人鬼を連想させる鋭さと殺気に満ち溢れていた。

「このクソアマ…随分と舐めた真似してくれたな!あぁ!!?」
「うっ…ぐぅ…!!」
「せっかく楽しく遊んでやろうと思ったのによぉ…台無しだぜ。…計画変更。お前を今すぐ、ここで殺す」
「…っ!!」

 凪沙の目が見開くと、カズヤはようやくあの粘着質な笑みを見せた。

「ひひひ…だってそうだろ?残念ながらお前の作戦は無駄に終わったからな。その代わり、俺がまた新たな歴史を作ってやるよ…」
「…どういう、意味っ…!?」
「人魚族の、本当の絶滅する瞬間さ」

 カチャリ。凪沙の額に銃口が当てられた。そして銃口には徐々にカズヤの霊気が集まってくる。何をされるか嫌でも分かる…凪沙は痛みと血と共に、震える手でカズヤの腕を掴んだ。弱弱しくも最後の抵抗を見せようとするその様に、カズヤの笑い声はより高らかになってゆく。

「ひゃひゃひゃひゃ!ばーか、そんな事したってもう遅ぇんだよ!」

「不味い!凪沙ちゃん…!」
「こンの馬鹿野郎!!立花を殺るんならまずは俺等にしろ!これ以上下衆な真似するんじゃねえぞこのタコ!!」
「凪沙さん…!!」
「―――凪沙…!!」

 居ても経ってもいられず、飛影は再び刀を手に取ると裏男の壁に向かってそれを振るった。その様子を見兼ねた桑原は霊剣を、蔵馬も我慢ならず薔薇棘鞭刃を振るう。悪あがきだと思われてもいい。無駄だと思われてもいい。このまま彼女の死を見届けるくらいなら、何か…。
 そんな思いからか、三人は必死に裏男から出ようともがいた。…その様子をずっと見守っていた樹がようやく口を開いた。

「…いい加減諦めたらどうだ。そんなことをしたって無駄だと何度もいっているだろう」
「じゃあかしいわ!!仙水にも言ったがなぁ!俺等男は、身体張って女を守らなきゃならねー生き物なんだよ!テメーらみたいな心も腐っているような屑と一緒にすんじゃねぇ!」
「桑原君の言う通りだ。これ以上黙って見過ごすわけにはいかない…!」
「貴様も後でじっくり甚振ってやる…覚悟しろ…!!」
「…往生際の悪い奴らだ。好きにするといい…」

 吐息を漏らした樹は再び腕を組んだまま浮遊した。勿論、視線の先にはカズヤがいる。
 カズヤもまた、裏男の中での騒ぎ声に気が付いたようで口角を上げた。

「ひひひ!ついにお前の仲間がぶち切れたようだな…。見てみろよ、あそこから出られねぇってのに必死に武器振り回してよぉ…。滑稽だな!ひゃはははは!!!」
「…飛影…みんなっ…!うぅっ…!」
「おーっとお喋りはもう終わりだ。またあの呪いの歌聞かされちゃあたまんねぇからな…?」

 キィイイン…と銃口に小さな音と光が集まる。それは言わずもがな、カズヤの霊気の塊だった。その光により、凪沙の額は薄紫色に照らされた。
 首が絞まる苦しさ、身体の痛み、力を使い果たした虚無感…凪沙の瞳から光が消えてゆく。…もう、ダメだ。これ以上は…。
遠のく意識の中で聞こえてくるのはカズヤの不気味な笑い声と、飛影、蔵馬、桑原、御手洗の叫ぶ声。その声も徐々に遠くなってゆく感覚が襲った。辛うじてカズヤの腕を掴んでいた己の腕も、指先から力が抜け宙ぶらりんに。
 凪沙の生きようとする意志が感じられなくなった。即ち、死を受け入れたのだ。

 …潮さん、ごめん。約束、果たせそうにないや…。

 双瞼が閉じる最中、凪沙の脳裏に潮の影が過る。そして最後に視界で捉えたのは、こちらに向かって必死に何か叫んでいる飛影の姿だった。

 …私、幸せだったな。飛影と過ごせて。…もしかして、潮さんもこんな気持ちだったのかな。

「…じゃあな。可愛い可愛いマーメイドさんよォ…!」

 銃口に集まった光が一層大きく膨らむ。裏男の中で四人が息を呑み、動きが止まった。

「―――待て!!!」

 突如洞窟入口から聞こえたのは男性の声だった。それに気が付いたカズヤは凪沙の額から銃口を離し、浮遊させていた身体も少々下した。
 声を上げたその男性はカズヤと視線を絡ませ、そして切れ長の瞳をより鋭くさせた。

「…忍、やめろ…!」

 絞り出すような声でそう伝えてきたのは、コエンマだった。



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