05 少年の葛藤は続く

 寿司をたらふく食べ終えた頃、片付けを済ませた一行は時計の針を確認した。時刻は八時を過ぎている。明日も学校があるので、そろそろお暇する時間となった。
 突然夕飯をご馳走になった桑原、蔵馬、凪沙の三人は温子に挨拶をしたのだが、当の本人は一升瓶を抱きしめたまま夢見心地だった。「まらきてね〜…」ひらひらと手だけは振ってくれたので、三人は幽助に促されてマンションの外に出た。

「じゃ、おめーら、気を付けて帰れよ」

 幽助、凪沙が桑原、蔵馬と対峙する。時間も時間なので、凪沙は幽助が送っていくことになった。

「ありがとう。幽助、温子さんにももう一度お礼言っておいてくれ」
「特上寿司、最高だったぜ!!」
「ははは…多分起きた頃記憶飛んでると思うけどよ。まぁ、一応言っとくぜ」
「頼むよ。凪沙ちゃんも、今日は遅くまでありがとう」
「ううん。こちらこそありがとう!楽しかったよ!」
「浦飯、ちゃんと家まで送ってやれよ!」
「わーってるって!…んじゃあな!」
「あぁ。おやすみ」
「じゃあな!」

 四人は挨拶を交わし、桑原と蔵馬はそれぞれの帰路に着いた。二人の背が見えなくなった頃、幽助は凪沙を一瞥した。

「…じゃあ、俺等も行くか」
「うん」

 幽助と凪沙は共に歩み出した。
 先ほどまで土砂降りだった雨脚は皆が食事をしている間に止んだ。激しく打ち付けていた豪雨や雷鳴の轟が嘘のように、今は静かで空は穏やかだ。
 雨上り特有の湿った空気やアスファルトの匂いが二人を包む。閑静な住宅街を二人は歩み続けた。

「雨、止んで良かったな」

 ふと、幽助が声を掛けた。凪沙は自分よりも幾分背の高い幽助を見上げるが、彼の視線は前を見据えたままだ。凪沙もそれに倣い、再び前を向いた。

「うん。酷い雨だったもんね…。浦飯君が雨宿りさせてくれなかったら、きっと今頃びしょ濡れで風邪引いてたかも」
「ははっ。それなら良かったぜ。…あのさ、凪沙って雷が苦手なのか?」

 幽助の問いに凪沙は微かに肩を震わせた。どうやら図星らしく、凪沙は苦笑いした。

「…やっぱりバレちゃってたよね?私、昔からどうしても雷が苦手で…。小さい頃、お母さんが仕事で家を空けてて一人で留守番しなきゃいけない事が多かったの。だから今日みたいな天気の日は机の下に隠れて、怖いのを我慢してたんだ。…その時の癖が、さっきのこれなの」

 凪沙が示したのは爪を立てていた手の甲だった。
 先ほど食事を共にした時に小耳に挟んだが、凪沙も幽助と同様で母子家庭だ。凪沙が幼い頃父親は病死し、それからは彼女の母親が女手一つでここまで育ててくれたらしい。家に連絡しなくて良いのか蔵馬が尋ねたところ、そのように話してくれた。
 幽助の家で食事を準備する際、手際よく動き細かな配慮もしてくれていた背景はここにあったのだ。
 だが小さい頃から自立を強いられていたからこそ、彼女の痩せ我慢は癖になっていたのかもしれない。自分も同じ母子家庭で育ったが、育ちはまるで雲泥の差だな、と幽助は密かに思った。
  
「ガキの頃から苦手なら仕方ねーよ」
「ははは…。中学生にもなって恥ずかしいよ。…でも浦飯君はその事桑ちゃん達には黙っててくれたよね?」
「いやだってよ、俺みたいなのに弱味握られたら凪沙だって嫌だろう?それに…」

 あんなに怖がって震えてた姿を目の当りにしたら、とても冷やかす気など起きなかった。寧ろ、気付かぬうちに守ってやりたいと思ったほどだ。
 だが、幽助はそこまでは話せず言葉に詰まった。凪沙が不思議そうにこちらを窺っているが、…何故だかは分からぬが今は話せない。

「あ〜だから…その…」

 幽助の声が間延びする。
 
「だ、誰だって苦手な事はあるじゃねぇか。俺ァ勉強が大嫌いだからよ。そ、それと同じで触れられたくないのかな〜って…」

 幽助の言葉に凪沙はぽかんとしている。その表情は今日一日で一体何度見ただろう。その一方で、まさかとは思うが今の会話の中で失言があったのだろうか。幽助の中で密かに焦りが生まれた。

「な、なんだよ…」
「いや…びっくりちゃって…」
「はぁ?なんだよ」

 凪沙はしばし黙考して頭を悩ませた。このまま素直に言葉にするのは失礼に値するかもしれない、と。だが、心から純粋に思った事を伝えればよいのだ。
 …きっと、浦飯君なら受け止めてくれるはず。
 凪沙の表情は迷いがなくなり、吹っ切れた。

「実は今日浦飯君の家に来るのがすっごく不安だったの。その…浦飯君って不良な噂が有名でしょう?だから手紙を渡したらすぐに帰ろうと思ってたんだけど…。家で雨宿りさせてくれたり、雷の事も黙っててくれて、…なんていうか、…浦飯君って優しい人なんだなって思った」

 凪沙は立ち止まり、改め幽助と対峙した。幽助もそれに倣い、立ち止まる。

「今まで誤解してた。…ずっと、怖い人だと思っててごめんなさい。それに今日はたくさん良くしてくれてありがとう」

 凪沙の相好が崩れ、満面の笑みを見せた。
 凪沙は先ほど食事していた時も楽しそうに笑っていたが、あの時の笑顔とはどこか違う。幽助の瞳をしっかりと見て嬉しそうに、そして優しさも兼ねた柔らかい笑顔だったのだ。
 真っ直ぐ、正直に自分の言葉で伝えてくれた凪沙。幽助の瞳が揺らぎ、そして鼓動が高鳴った。
 凪沙の笑顔が可愛い。純粋にそう思ったのだ。
 そんな折、前方から車が走って来た。眩いライトが近付いてくると幽助は思わず凪沙の肩を抱き路肩へ寄る。車が通りすぎるまでの数秒間、幽助の鼓動は益々激しくなった。

「…大丈夫か?」

 尋ねれば凪沙はこちらを窺う。上目遣いで視線が絡むと、幽助の顔に一瞬熱が走った。

「う、うん。ありがとう。すごいスピードだったね…」
「迷惑極まりねーよな。…って俺が言えたことじゃねーけど」
「ふふっ…。ごめん、笑っちゃった」
「おい笑ってんじゃねーぞ」

 幽助と凪沙は再び歩み出した。
 二人は凪沙の家に着くまで他愛ない会話をしてたが、その中で幽助は桑原の事を思い出していた。
 自分以上に強面で、男子生徒以上に女子生徒から距離を取られている桑原が、唯一自然に会話が出来るのが凪沙だった。一年生の時に隣席になったのを機にそんな仲になったらしいのだが、幽助自身不思議だったのだ。
 なんの変哲もない、ただの同級生なのに何故桑原とそんな仲になれたのだろう。ごく偶に、忘れた頃にそんな疑問は抱いていたのだが、結局自分には関係のない事だったのでいつも記憶の片隅に追いやっていた。だが、今日凪沙と初めて会話を交わしてようやくその理由に気付いたのだ。
 凪沙は相手の外見に囚われずしっかりと向き合い、そして本質に気付いてくれる。だから桑原も安心して心を開けたのだろう。
 純粋に、凪沙との会話…いや、共に過ごす時間が楽しい。この時間がもっと続いたらいいのに。それが今の幽助の正直な思いだった。

 二人の会話に区切りが入った折、凪沙が改まって「あのさ、」と話しを切り出してきた。

「…どうした?」
「その…今日会った飛影さんの事だけど…」

 飛影。その言葉を出した途端凪沙の表情が不安に染まった。先ほどまで楽しそうに笑っていた顔が、一気に曇ったのだ。

「私…本当にあの人のこと何も知らないの。今日初めて会ったのに、どうしてあんな態度取られたか分からなくて…。何か気に障るような事しちゃったのかな?」

 凪沙が不安そうに幽助を見上げたが、正直どう言葉を掛けて良いのか幽助自身迷いがあった。
 飛影が帰った後「気にするな」と声を掛けたが、あんな態度を取られたら誰だって気になるだろう。飛影は共に死闘を潜り抜けて来た大事な仲間ではあるが、今日のような態度を見るのは幽助も初めてだったのだ。無論、桑原や蔵馬もだ。それ故、彼が何を思いあんな反応を示したのかまるで分からなかった。

「…あれなぁ。正直、俺達も分からなくて。アイツ、あんな態度取るようなことは滅多にしねーんだ。俺や桑原みたいにペラペラ喋る奴でもねぇし、蔵馬みたいな紳士でもねぇ。それに元々口数も少ないから俺も飛影が普段何考えてるかよくわかんねーんだ。…ま、これしか言えなくて悪ぃけど、あんまり気にすんなよ?」
「…うん、そうだね。ありがとう」
「いや、そんな…何の解決にもなってねーじゃん」
「ううん、浦飯君がそう言ってくれるなら気にするのやめるよ。心配かけてごめんね」

 寧ろ、心配事なんて全部背負ってやりたい。そんな事が素直に言えたらどんなに良いものか。幽助の視線が遠くに投げられた。

「力になれなくて悪ぃな」
「大丈夫、分かってるよ。…あ、ここまででいいよ」

 二人が会話に夢中になっている間に、凪沙の住むアパートに着いた。そこは年季の入った小さな二階建てのアパートであり、凪沙は二階の奥の部屋に住んでいるらしい。小さなアパートなので部屋も一見狭そうに見えるが、母親と二人暮らしならきっと丁度いいのだろう。

「送ってくれてありがとう」
「おう。…でもよ、凪沙ん家の部屋、電気付いてなくねーか?」

 幽助が示したのは凪沙の住まう部屋だ。他の部屋は全て明かりが点いているが、凪沙の部屋だけは暗いままだ。

「お母さん、まだ仕事から帰らないんだよ。いつものことだから…」
「そっか…。戸締り、ちゃんとしとけよ。世の中物騒だからな」
「ははっ。まさか浦飯君にそんな事言われると思わなかったよ。ちゃんと鍵閉めとくね。それじゃあ、また明日」

 凪沙が踵を返して階段を上ろうとする。だが幽助は咄嗟に「あのさっ!」と声を掛けた。

「何?」

 不思議そうに振り返る凪沙。幽助は呼び止めたはいいものの、何を言おうかまたも迷いが生じ逡巡としていた。本当はどんな理由をこじつけてももう少し一緒にいたい。話しをしたい。
 …だが、現実はそれを許してはくれなかった。常識的に時刻は既に虫学生が出歩いてよい時間帯ではない。自分一人なら兎も角、凪沙が一緒となると話は別だ。

「…浦飯君?」

 呼び止めたはいいものの、その後の言葉がないからか凪沙は尚も不思議そうにしている。幽助は視線を泳がせながら必死に思案を巡らせた。何か、気の利いた言葉は…いや、話題は…。
 幽助が迷いながらもふと目にしたのは、アパート一階のすぐ手前にある部屋だった。部屋番号の隣に表札が出ている。無論、そこに記されているのは住人の名前…つまり名字だ。それに気付いた瞬間、閃いた。

「あ、あのさ!…その、俺、浦飯君ってガラじゃねーから。…ゆ、幽助、でいいよ…」

 幽助は視線を泳がせ、頬を掻きながら呟いた。そして伺うように凪沙の表情を確かめると、一瞬にして身体中の緊張が解れる。凪沙は先ほどのようにぽかんとしたのだが、一拍程置くと笑顔を見せてくれた。それは先ほど幽助に見せた、あの嬉しそうな笑顔だった。 

「…分かった!おやすみ、幽助。また明日ね」

 凪沙は笑顔のまま軽く手を振り、階段を上って行った。その背を幽助が見守っている。凪沙は階段を上りきった後振り返り、今度は大きく手を振った。

「気を付けて帰ってね!ばいばい!」

 小声ではあったが、確かに幽助の耳に届いた。凪沙に倣い、幽助もそれに応える様に手を振ると彼女は二階の奥の通路へと消えていく。そして無事二階の部屋全てに明かりが灯った事を確認すると、幽助はその場に崩れるようにしゃがみこんだ。
 …なんだ。最後に見せたあの笑顔。そして自分で言わせといてアレだが、幽助って…。

「あ〜…もう、やべー…、んだよこれ…!」

 こんなはずじゃなかったのに。この胸の高まりや顔の熱は、久々に螢子意外の女子と関わったせいだ。きっとそうだ。いや、そうに違いない。
 幽助は胸が締め付けられるほどの悶絶に耐えられず、しばらく動けなかった。



次へ進む


戻る












×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -