06 お守りと母の覚悟

「へぇ〜。じゃあその不良で有名な浦飯君って子と仲良くなったのねぇ」
「今まで怖かったけど、話してみたら良い人だったよ」
「そう。まさかアンタの口から男の子の話題が出るとは思わなかったわよ。いいわね〜青春してて!お母さんもあの頃に戻りた〜い!」
「はいはい、わかったから。もうお皿下げるからね?」
「ありがとうね〜愛しの凪沙ちゃんっ!」
「もう、酔っぱらうとすぐこれなんだから…」
 
 ビールを片手に談笑していたのは凪沙の母であった。
 凪沙が帰宅した数十分後、ようやく仕事を終えた母が帰ってきた。凪沙は幽助の家で夕食をいただいたので、母の食事は昨晩の残り物だ。だが、今日は我が娘の青春話しがいい肴になっているようで、ある意味普段よりも上機嫌だった。
 幽助の母も恐らくそうであろうが、女手一つで育てるのにはやはり仕事が不可欠であり、今日のように帰りが遅い日は多々ある。それは凪沙が幼い頃からずっと続いている事なので、今更それに不平不満はなかった。
 だが、どんなに帰りが遅くとも凪沙は母との食事の時間を大事にしていた。それは、母とて同じだ。今日あった出来事をお互い話し、相談したり一緒に笑ったりと共有するのが彼女等の常だ。特に今日は滅多に登場しない男子の話題が出たものだから、母の酒は進む一方だった。既にビールや缶チューハイを一缶ずつ開けているので、相当気分が良さそうである。
 母は酒が回ると普段以上に饒舌になる為、正直言うと相手をするのが少々面倒だ。だが、今日の母は普段以上に嬉しそうなので、大好きな母の笑顔が見れれば「それもまぁたまには良いか」と、半分諦め、半分許した凪沙であった。

 母が食事を終えた後、凪沙は食器を付けたり風呂を沸かしていた。一通り家事を終えると、ようやく一息つける。凪沙はテレビを見ている母の隣に座った。すると母が思いついたように「あっ!」と声を発する。その様子に凪沙は訝しんだ。

「あ、そういえば最近アレやってなかったわ。出してちょうだい」
「え〜!?またやるの?いい加減子どもじゃないんだからさぁ…」
「いいからいいから!早く〜!」
「…もう!」

 せっかく一息けたと思ったのに。やはり予想通りだった。
 凪沙は渋々立ち上がり、近くに置いてあった鞄を漁ると財布を取り出した。財布の中から取り出したのは、昔から持ち歩いているお守りだ。物心ついた頃から「常に持ち歩くように」と母に告げられていたのである。
 元々綺麗な桜色だったはずのお守りだが、ここ十数年分の年季が入っている事から四隅や表面は少々黒ずんでいる。本当は手入れが出来ればよいのだが、なにせお守りだ。そんなことをすればいつか罰が当たりそうで、結局汚れたままずっと持ち歩いていたのだ。
 凪沙は渋々お守りを母に渡した。

「よーし、やるわよ!」

 母の気合の入ったその声に、凪沙は眉根を寄せた。…一体いつまで続けるつもりなのだろう。凪沙の白い目が母に向けられるが、当の本人は目を瞑りブツブツと何か唱えている。お守りは天に掲げられた。

「むむむ〜…!神様仏様っ!どうか凪沙をお守りください〜!!」

 …はじまった。
 これは、凪沙がお守りを手にした時からずっと続いている、母の謎の儀式だ。
 母曰く「凪沙を悪い事から守る為」だと話していたが、正直こんな子ども騙しなまじないはいつまで続けるつもりなのか、最近はいよいよ呆れ始めていた。
 確かに幼い頃、母が家を空けて留守番をする事が多く寂しさや不安に駆られる日は多々あった。特に今日のような天気が崩れた日なんて、最悪の思い出でしかない。家で隔たれても聞こえてくる雷鳴やカーテンの隙間から入る雷光に身体を震わせ、机の下に潜りお守りを握り締めながら手の甲に爪を立てて難を凌いだのも、未だに鮮明に覚えているほどだ。だが、恐怖と痛みに耐えながらも母がくれたこのお守りをずっと握りしめていたからこそ、幼いながらに彼女の帰りをじっと待っていられたのだ。

「これを持っていれば大丈夫よ」
 
 母にかけられたこの言葉もまた支えとなり、寂しさや不安から逃れる道筋を作ってくれたのも事実だ。その為、幼い頃はこのお守りの存在に随分と助けられた。
 だが今や中学生となり、帰宅後の一人の時間は随分と慣れた。母の帰りを待ちながら夕飯の準備をするのも楽しかったし、今日のように天気の悪い日は友達と電話をして寂しさを紛らわせたりと、自分なりに過ごし方を見いだせたのである。
 故に、このお守りもそろそろ手放してもいいのではないかと思い、以前母にその旨を告げた。だが、予想に反して母は断固反対し、このまま所持することを強いられたのだ。母がそこまで強く物言いするのは珍しかったのでその時は素直に応じたものの、こうしてまじないが始まるとそれを疎ましく思う自分がいる事にも気付いた。
 …一体いつまで続けるつもりなんだろう。早く終わってくれないかな。
 凪沙の表情が徐々にイラつき始めると、ようやく母の声が静かになってきた。唱え事が終わったようだ。

「はい、これでしばらくは大丈夫よっ!」

 凪沙の手の中に再びお守りが戻された。お守りは相変わらず廃れた桜色だ。 

「…ありがとう」
「ちょっとー冷たすぎない?」
「そーですかねー」
「もう〜!凪沙ってば〜!」
「…私、お風呂入ってくる」

 これ以上付き合ってられないよ。凪沙は言葉にこそ出さなかったものの、お守りを再び財布にしまうと脱衣所へ向かった。
 取り残された母は深い溜息を一つつくと、ポツリと呟いた。

「こうしてやれるのも、もうすぐ終わっちゃうのよ…」

 母はふう、と天を仰ぐ。彼女の脳裏には先日見た夢の内容が過った。その内容はここ連日同じであり、昔からこの現象が起きると大抵嫌な未来が待ち受けていた。今回も恐らくそうなのだろうが、今まで感じた“嫌な予感”は群を抜いている。即ち、危険が迫っているようにしか捉えられないのだ。
 …覚悟を決め、色々と準備しなければならない気がする。己の第六感ほど信用できるものはない。
 愛娘―――凪沙と一緒に過ごせるのは、あとどれくらだろう。

「…幻海さんのとこに連絡しなくっちゃな」

 来るべき未来の為に、出来ることをやっていこう。…パパ、見守っててね。
 母は亡き主人へ、誓いを立てた。




 飛影は凪沙が帰宅し、しばらく母とのやり取りを一通り見守った後、ようやく邪眼を静かに閉じた。そして閉じていた瞳をゆっくり開ければ、街を行きかう雑踏が嫌でも目に入る。人間界に来たばかりの頃は目障りで仕方なかったこの光景は、今の自分にとってはある意味心地よかった。心に滞留しているまどろみを溶かし、誤魔化してくれるような、そんな感覚になれたのだ。飛影は閉じた邪眼に包帯を巻きながら今日の事を回想した。

 幽助に招かれ浦飯家へ足を運ぶと、そこで出会ったのは一人の人間の女だった。着ていた制服に見覚えがあり、それは雪村螢子と同じものだったと後から気付いた。学校、とやらに通っているであろう、なんてことのない至って普通の人間だ。
 だが、彼女の容姿が飛影の心をずっとかき乱していたのだ。不覚にも幽助達の前であんな失態を犯してしまった許せない自分がいるが、それ以上に気がかりなのはやはり凪沙のことだった。
 どうしても、受けとめ切れなかった。彼女は、アイツは―――とうに、死んだと思っていたのに。無理やり思いを閉じ込め、自身を諦めさせ、雪菜や氷泪石を追って生きてきたというのに。神様とやらが本当に存在するのならば、ぶん殴ってやりたいところだ。
 何故、今頃になって出会わせたのか。押し殺したはずの思いを、ようやく抑えられたと思っていたのに。

「…チッ。むしゃくしゃするぜ…」

 心を掻き乱す苛々が治まらない。
 舌打ちをした飛影は、再び闇へと消えた。



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