50 仄かな白き光

 蔵馬の手により、遊熟者を倒した幽助達は洞窟の奥へ進んで行った。天沼を最も残酷な弔いをしただけあり、蔵馬の表情は今までに見たことのない程、静かに怒りを露わにしていたが、口調は至って冷静だった。…いや、些細な機で起爆してしまうような、そんな儚ささえ感じるほどであった。
 しばらく一行が歩んで行くと、最奥から光が漏れるのが見えた。御手洗と視線を交わせば、確信する。…仙水の、アジトだ。
 近付けば近づくほど光は大きくなり、やがて入口へ差し掛かると、四人は驚愕した。

「―――ふらふぇふぃい!!」

 小舟に座らされている桑原の口は布で塞がれ、言葉は不明瞭であったが、幽助を呼んでいるのに間違いはなかった。隣には巻原が腰を下し、桑原を監視している。そして二人の背後に迫るのは、漆黒の大きな穴…それはまさしく魔界と人間界を繋ぐ境界トンネルだった。そしてその中から、妖怪達が手を伸ばし狼狽している。
 妖怪たちが声を上げる最中、穴に少しずつ罅が入っていくのを幽助は見逃さなかった。ピシ、と音がする度に妖怪たちの声は大きくなってゆく。

「桑原っ!!」
「…静かにしてくれないか。映画がいいところなんだ」

 幽助の声を遮るように、仙水が呟いた。
 湖の手前真ん中にテレビが置かれ、その画面には映画が流れている。仙水はソファーに腰掛けたまま、幽助達に見向きもせず映画を鑑賞していた。その間にも、漆黒の穴には罅が入り続けていた。

「あと、三十分くらいで終わる。…内容は実に陳腐なものだよ。人間愛を建前にした殺戮がテーマらしい。エンディングがとても綺麗な曲なんだ…そのメロディーが流れる頃、穴は完成される」

 そこまで述べると仙水はようやく腰を上げた。

「(…あと、三十分!?)」

 幽助の目が見開く最中、飛影は御手洗の怪訝な表情に気が付いた。

「…どうした?」
「どういう事だ…?樹が立っている…。ずっとあの小舟の上に座っていたはずだ…今桑原さんが座っているあの場所に…!」

 御手洗の問いに、樹は腕組したまま流し目で答えた。

「穴は既に俺の手を離れた…時が経てば自ずと開く。もう、俺には止められない…」

 樹の言葉がまるで合図かのように、ミシ、ミシ、と音が鳴り、ついに妖怪たちの手が伸ばされた。

「肉ダァ…人間ノ肉ダァ…!!」
「何百年ブリノ肉ゥ…!!」

 高ぶった妖怪達は桑原の身体を狙い、伸ばされた手は首元や肩回りにまとわりつこうとしている。桑原は身体をくねらせ、必死に妖怪たちの手から逃れようとしていた。その傍ら、桑原の隣に横たわる一人の少女を見つけると、次の狙いはそちらに集中した。

「オイ、女ダ!人間ノ女モイルゾ…!!」

 妖怪達の手により、横たわっていた少女の身体が少しずつ持ち上げられそして穴へと近づいてゆく。上半身が持ち上がった頃、幽助達にもはっきりと見えた。
 それは、気を失っていた凪沙の身体だったのだ。

「凪沙…!」

 飛影の目が見開き、こめかみには青筋が出来た。そして咄嗟に刀に手をかけた瞬間、それを遮るように再び仙水が口を開く。

「あそこに群がっているのはC級妖怪だ。食欲が先だって品性が感じられん…」

 そう呟いた仙水は掌に霊気の弾を作ると、穴の方へ放った。光が弾けると妖怪達は慄き、名残惜しみながらも渋々手を下げてゆく。

「C級の妖怪など屑だ。だが、B級になれば人間界でいうところの高い知性と理性を持つ妖怪へと成長する。…飛影、蔵馬。お前たちのようにな…!」

 口角を上げた仙水は、そこで初めて幽助達を見据えた。その笑顔は、今まで何度も見たあの不気味な嘲笑だった。

「そしてそれ以上になると人間界で敬われている宗教や神話の怪物として語り継がれている者もいる。…A級妖怪である彼らはきっと魔界のどこかでこの穴が開くのを静かに伺っているだろう」
「どんな妖怪だろうと、人間界には入れさせねえ!!」

 幽助が声を上げるが、仙水は続けた。

「くっくっく…もう少しで君たちは歴史的な目撃者になれるのだよ?誰もが知っていて、誰もが見たことのない、伝説上の生き物を見ることが出来る!A級妖怪は崇拝すべき真のアイドルさ」
「ごちゃごちゃうるせえよ、てめえ!!」
「…お気に召さんか?」
「あぁ。反吐が出らァ…!!」

 幽助の怒号により、仙水の笑顔が消えた。そして幽助を一瞥した後、巻原を呼ぶ。
 小舟から跳躍した巻原は幽助達の前に立ちはだかった。

「巻原を倒せたら桑原と立花を返してやろう」
「何ィ…!?」
「悪い条件じゃないだろう?本来なら彼等を立てにして君たちの動きを封じることも出来るんだ…」

 仙水の言葉と共に、にやりと口角を上げた巻原はじりじりと幽助達に近付いてゆく。
 幽助は一瞬たじろぐ。

「信用するな、幽助。隙を見て桑原君と凪沙ちゃんを取り返す…」

 蔵馬が静かに耳元で話してくれたおかげで、幽助は少々安堵した。蔵馬が変わらず冷静な判断を下してくれて良かった。…だが、安心するのも束の間だった。
 一定の距離まで詰めた巻原は御手洗を見据え、そして口を開いた。

「御手洗さあ、頭の中桑原と立花を助けることでいっぱいじゃん。でも、妙な真似したら仙水さんの気が変わっちゃうかもしれないぜ?俺を倒したら返すって言ってるんだからさあ…」
「何…!?」
「それから…飛影って人。お前も頭の中、立花の事でいっぱいだな?はははっ。愛するお姫様を攫われた気分はどうだ?まぁ、俺も可愛い女の子は好物だからな。本当は今すぐにでもヤリてえところなんだ。あの子、いい身体してるからな…舐めくり回してえよ。でも、今はお預け。何せあと数年待てばもっといい女になる…そんな匂いがするぜ?」

 挑発するように、嫌らしい笑顔を見せる巻原は舌なめずりしながら話した。彼の脳内では恐らく凪沙を犯す事で満たされているのだろう。飛影も同じ男だからこそ、嫌でも分かってしまった。それは虫唾が走る程の嫌悪だった。

「貴様…!!」

 巻原の言葉に翻弄されそうになった飛影は、刀を握る手に更なる力が加わった。本当なら今すぐにでもコイツを切りにかかりたいところだ。
 …だが、今動けば恐らく敵の思う壺。悔しいが、ここは耐えなければならない。
 また、幽助や蔵馬も、飛影同様感情を抑えるのに必死だった。三人の睨みが巻原を捉える。
 ぎりぎりと刀を握る手を震わせ、必死に耐える飛影が滑稽だったのか、巻原もまた、仙水のように嘲笑した。

「へぇ。意外と冷静なところあるじゃん。てっきり乗ってくると思ったのによ。…そして蔵馬って人さぁ。天沼を殺したこと、そんなに悔しいかい?本当はさぁ…腸煮えくりかえってるんでしょう?」
「…!!」

 巻原の言葉により、蔵馬の目つきが一瞬にして変わった。恐らく、蔵馬の逆鱗に触れてしまったのだ。
 その一方で幽助はふと疑問に思った。何故、巻原は自分たちの心の声をそのまま拾えるのか。…そういえば、仙水を探している最中、前にもこんな事があった。…まさかとは思うが。

「ピンポーン!正解。室田ってやつの盗聴は俺が食っちまった…!」
「…!てめぇ、室田を…!」

 前に一歩出ようとした幽助の肩を制したのは蔵馬だった。幽助が振り返り一瞥する。

「…手を出すな。こいつは…俺が殺る…!」
「蔵馬…!」

 幽助と仙水達がそんなやりとりをしていた一方、妖怪たちの手と巻原の監視から免れた桑原は安堵し、深い嘆息をついた。そして隣に横たわる凪沙の安否を確認しようと、彼女の顔を見やった。…ちょうど、その時。
 ピクリ、と凪沙の眉が一瞬上がったような気がした。気のせいか?とも思い、再度確認するが、今度は動きはなかった。

「…ふぉい!ひっはりひろ!ふぉい!!」

 桑原が必死に呼びかける。どうか少しでも届いてほしい。そんな願いを込めて桑原は声を上げていた。だが、凪沙は変わらず深い深い眠りについている。
 桑原は、悔しかった。幽助、蔵馬、御手洗、そして何よりも飛影が助けに来てくれたことを、言葉で伝えられない―――このどうしようもないもどかしさで溢れそうだったのだ。
 だが、諦めるわけにはいかない。どうか少しでも彼女の意識に…。

 桑原の呼びかけは尚も続く中、凪沙の意識はまるで光の届かぬ深き海底を彷徨っているかのように、沈んで行った。四肢が鉛のように重く、閉じられた瞳には漆黒の闇が染まるだけ。そして遠くで誰かが必死に声を掛け続けてくれているような…そんな曖昧な感覚だけを、彼女の身体は捉えていた。そして遠のく意識の中でふと思い出す。
 この感覚は以前にも経験したような…。そう、身体が覚えていたのだ。そして確信した。…人魚になった、あの時と同じだという事に。

“凪沙…凪沙…!!お願い、目を覚まして…!”

 今度ははっきりと聴覚がそれを捉えた。これもまた、聞いたことのある声色だった。漆黒の闇の中で聞こえたその声に導かれるよう、凪沙はゆっくりと目を開けた。身体は重力に預けたまま、尚沈んでいくような感覚だった。だが、意識がはっきりしてきたためのか、凪沙の身体は自然と地に足がついた。
 …あの声は、一体どこから?
 そんな疑問が過り、凪沙はあたりを見渡す。目を開けているのに、周囲は闇で染まっているため、瞬きをしても景色は変わらなかった。
 そんな最中、後方に一筋の白き光を見つけた。それに導かれるよう、ゆっくりと歩みだす。気付けば、鉛のような重みは消えていた。
 その光は凪沙が近付くと少しずつ形を変え、彼女と対峙する頃になると上半身は人型、そして下半身は魚型になった。そして光が薄れていくうちに、出で立ちが露わになる。
 翡翠色の鱗、白き肌、腰まで伸びている栗色の長髪、そして開かれた瞳の深き蒼。それを目の当たりにした凪沙は息を呑んだ。

“…やっと会えたね。凪沙…”

 優しい眼差しで微笑む、目の前の人物。
 それは、自分と瓜二つの人魚だった。



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