44 始動

「あれー、もう包帯がなくなっちゃった…」
「私、買ってきますね」
「ありがとう。よろしく頼んだよぉ!」

ぼたんと螢子が寝室にてそんなやり取りがされていた中、一行はリビングにて腰を下していた。コエンマが幽助の家に訪れ、そのタイミングで凪沙もリビングに来た。これを機に、コエンマは仙水が霊界探偵だった頃の事を話し始めた。

生まれながらにして強い霊力を持っていた仙水は、邪悪な霊や妖怪に命を狙われながら生きてきた。そんな彼が一転して人間不信に陥った事件があった。それは今となっては、コエンマから最後の指令となった事件だった。指令内容は、“魔界の穴を塞ぐこと”。

「…!今回の俺たちと同じ…!?」

幽助は驚愕するが、コエンマは頷くと続けた。
魔界の穴、と言っても今回と規模は異なり、低級妖怪を召喚するための小型のトンネルだった。それを行っていたのは、全ての生き物を売買の対象としていた巨大密売組織…BBCの仕業だった。そしてその時、妖怪捕獲のスペシャリストとして台頭していたのが左京だったのだ。
山深い山荘で妖怪の巨大な売買が行われる情報が入り、仙水とパートナーである樹を向かわせた。しかし、仙水はそこで見てはならない物を見てしまったのだ。
…それは、この世とは思えぬ悪の宴だった。そこでは人間たちが召喚した妖怪たちを虐殺していたのだ。血を求め、快楽に酔いしれる欲望の宴は、仙水が長年忌み嫌っていた妖怪よりも残酷で醜いものであった。

「…っ、」

凪沙の表情が歪む。コエンマの話しは、恐らく先祖である人魚族も似たような苦しみを味わったはず。それを思うと居た堪れない、なんとも言えぬ気持ちになる。不安を隠すため、テーブルの下で自然とお守りを握っていた。

「…仙水はそこで自分の価値観とはまったく逆のものを見てしまったのだ」
「似てるなぁ…俺たちが垂金の屋敷で見たものと…」
「あぁ…」

桑原と幽助が視線を絡ませる中、凪沙の表情に気が付いたのは幻海だった。

「…凪沙、大丈夫か?」

一瞥した幻海の声の元、一行の視線は凪沙へと集まる。眉が下がり、顔色も悪く表情も曇った凪沙だが、気丈に「大丈夫だよ」と振る舞う。だが、表情と言葉が一致していない事を見ると明らかに痩せ我慢をしてるのが分かる。それを案じたコエンマは尋ねた。

「…不安になるのも無理はない。きっとお前の事だ。先祖…人魚族の事と重ね合わせたのじゃろう?」
「…はい。あと、御手洗くんから話を伺って…それも兼ねて、ですかね…」
「話し?一体何を聞いたんだ?」

今度は幽助が尋ねると、凪沙は事の次第を話した。
全て聞き終えた全員に不安と焦燥が走り、皆の表情が彼女同様曇った。仙水は、凪沙を狙っている。それも、厄介なことに人魚族の血を引いている事も知っているのだ。
眉間に皺を寄せ、冷や汗を垂らすコエンマは思案を巡らせ、ハッと気付いた。

「…そういえば仙水が幽助くらいの歳の頃、任務で妖怪の剥製が飾ってある屋敷に向かわせたことがある。その時の任務は、最後の指令の鍵となったBBCに関連した連中の住む屋敷だったんじゃが…。当時任務が終わった後、仙水が話しておった」
「…一体何を?」

ぴくん、と眉を上げた蔵馬が尋ねる。BBCという言葉、そして妖怪の剥製…。これを耳にして、嫌な予感しかしなかった。
どうか違ってほしいと願うが、それを察したコエンマの表情は蔵馬の意に反して険しかった。そして嘆息をひとつつき、ゆっくりと口を開ける。

「…仙水が見たのは、人魚の剥製だったらしい。そしてワシに尋ねてきたんじゃ。悪しき憎むべき妖怪にも、こんなに美しい種族がいるのですね?とな…」

当時そう話してくれた仙水は、年相応の少年らしい輝かしい瞳をしていた。ほんのり頬を染め、穏やかな表情で教えてくれたその様はまるで恋をしているような、そんな純真さを感じるほどだった。日々妖怪の殺戮と血にまみれた彼の汚れた心は、その人魚の剥製によって少々洗われたのだろう。
だが、当時の淡き恋心に似た感情と、今回の境界トンネルに一体何が関連しているのか。あの時の思いが蘇り人魚族を手にしたかった、と考えるにはあまりにも安直すぎる。

「目的がどうであれ、凪沙が仙水に目を付けられているのは変わらないな」

幻海の言葉に頷くコエンマは続けた。

「あぁ。…いずれにせよ、仙水は人間に罪を償わせようとしている。それが今回の境界トンネルの目的だ。そして走り出した奴はもう止まらない。…そういう人間なのだ、仙水という男は」
「けっ。これだからクソ真面目な奴は…極端から極端に走るからどうしようもねーよなあ」
「そこで今回は不真面目な奴を部下にしようと、幽助を選んだのじゃぞ」
「あぁ、なるほど!」
「…おい蔵馬、納得すんなよ」
「あぁ、いや、そんなつもりじゃ…はは…」

コエンマの言葉に納得した蔵馬。それが不服だったのか、幽助は唇を尖らせた。…その時だった。

「―――ッ!!?」
「!!」

背後に感じた、殺気ともいえる気配。それに気付いた幽助、蔵馬は同時に振り返り、視線はその気配の元へ向けた。
またも、嫌な予感は的中してしまった。視線で捉えたのは紛れもなく仙水と、仲間と思われる青年の二人だった。

「…ッ仙水!!」

幽助、蔵馬が立ち上がると同時に、凪沙をはじめとする他の者も席を立った。
そして仙水の隣にいる青年が掌に何かを乗せ、指先で弾こうと構えている。狙いを定めようとする僅かなこの時間に、桑原はふと気付いた。

「…!!御手洗があぶねえ!!」

桑原がリビングを飛び出し、その数秒後に聞こえてきたのは寝室の窓が割られた音。咄嗟に凪沙が目を瞑り肩を震わせると、コエンマは彼女の肩を抱き自身へ寄せた。

「大丈夫か?」
「あ、…はい、ありがとうございます」
「…あのヤロー、なんかごちゃごちゃ言ってるぞ」

幽助が呟くと幻海、コエンマも窓の方へ。凪沙は一旦コエンマの背に隠れ、状況を伺った。

「…どうやら御手洗は泳がされてたらしい」
「!?、蔵馬、聞こえるのか!?」
「まぁね…」
「唇の動きを読むんだよ…」

蔵馬、幻海が仙水の言葉を代弁した。
どうやら探していた能力者とやらがいるとの事だが、何の事を言っているのかまるで分からなかった。幽助、蔵馬、幻海が怪訝な表情をする最中、様子を伺っていた凪沙がコエンマの背から静かに顔を出すと。

「…っ!!」

目が合ってしまった。窓の向こう…ビルの屋上からこちらを伺う仙水と。そして同時に気が付く。人魚になる前は、こんなに視力は良くなかった。
だが、今はかなり距離のある場でも仙水の表情が読み取れるほど、視界ははっきりしている。まさかとは思うが、瞳の色といい今の視力といい、…自分の身体に変化が起き始めている?そんな懸念が生まれた、その刹那。

「…見ィつけた。僕のマーメイド…」

呟いた言葉…それを読み取れてしまった己の力をこれほどまで恨んだことはない。寧ろ、知らない方が幸せだったかもしれない。
仙水のこの上なき不敵な笑みや、舐めるような視線。凪沙は一瞬にして全身に悪寒が走り、まるで身体中の体温が奪われたようだった。顔面蒼白になり、震える手は無意識に口元へ伸び指で唇に触れる。そして手の震えはじきに上半身へと広がった。
―――あの人が、怖い。その一心だった。身体が、心が、恐怖を訴えている。

「…凪沙、下がってろ」

幽助が促し、蔵馬が凪沙の視界を遮るように立った。彼女の様子を見れば不安や共恐怖心は十分伝わる。…なんとしても、守らねば。
凪沙を除く全員が仙水に睨みを利かす。

「あンの野郎…許さねえ!!」

攻撃が一旦収まったタイミングを見て、桑原は血相を変えて玄関を飛び出した。恐らく仙水の元へ向かうのだろう。
それに気付いた幽助は桑原を追いかけた。

「…俺たちも行きましょう」

蔵馬、幻海、コエンマが視線を絡ませ、幽助の後を追おうとするが、凪沙は足がすくんで動けなかった。恐怖心が彼女を支配しているのだ。
これほどまで彼女を脅かす仙水の意図とは…。コエンマはより怪訝な表情になった。

「…凪沙、お前も来い。ここに残ってはかえって危険だ」
「あぁ。それが良い」
「コエンマ、凪沙ちゃんを頼みます。俺と師範で奴らを…」

御手洗が残るこの家に彼女を置くわけにはいかない。今は行動を共にした方が安全だ。…いや、確証はないのだが。だが、もはや猶予はない。戦いの幕は既に開いてしまったのだから。

コエンマは青ざめた凪沙の手を取り、蔵馬、幻海の後を追い彼女と共に駆けた。



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