43 渦巻く不安

それは、境界トンネルの計画を実行する数週間前の事だった。

「君は今年15歳になる年だったか?」

アジトであるマンションのリビングにて、外の景色を一望していた仙水がふと尋ねた。遠くから東京の街並みを覆うような分厚い雷雲が迫っている。更に稲妻が一、ニ本走っているのが見えた。
尋ねられた御手洗は仙水が何を思ってそのような質問をしてきたのか、まるで分からなかったが「そうですが…」と月並みな言葉を並べ、答えた。

「…俺が君くらいの年齢の時は霊界の元で働き、霊界探偵というものをしていたんだ」
「霊界探偵、ですか」
「あぁ。あらゆる任務を遂行していたわけだが…当時ある屋敷に忍び込んだ時、ずっと憎んでいた妖怪を初めて美しいと思えたんだよ」
「…妖怪なのに美しい、ですか?」
「そう。その頃の仙水少年にとってはとても魅力に感じたんだ」

そう話す仙水の視線は変わらず外の景色を向いているが、声色から察すると嬉しそうだった。当時の淡い記憶を掘り起こしているのだろうか。
御手洗は黙って聞いていた。

「御手洗、君は人魚を知っているかい?」
「人魚って…よく昔話に出てくるやつですか?」

確か、王子様と結ばれず泡となり消えていくお伽話だ。曖昧な記憶ではあるが、幼き頃絵本か何かで読んでもらったような…。
御手洗は覚えている限りの事を話した。

「そう。その人魚が妖怪として魔界に生息していたんだ。ただ、残念な事にその種族は随分前に絶滅したらしい。…だが、当時任務で忍び込んだ屋敷にはその人魚の剥製が置いてあったんだ。まるで今も尚生きているような…今にも動き出しそうな、そんな美しい状態だった…」
「仙水さんをそこまで虜にするなんて…。僕も見てみたかったです」
「それが、あながち夢ではないんだ。小耳に挟んだんだが、どうやら人魚の血を引く人間がいるようでね…」
「人魚の血を引いた人間…ですか?一体どういう…」
「さぁ、俺もよく分からない。まだ情報が少なくてな。…そこでだ。御手洗、浦飯幽助の周辺を調べるついでに、その妖怪の血を引く人間の事も一緒に頼みたい」
「それは勿論ですが…。その人魚とは、一体どんな特徴が?」
「そうだな…強いて言うなら、」

蒼い瞳をした女、かな。

振り向きざまにそう答えた仙水は満面の笑みだった。その瞬間、稲妻が光り轟が鳴り響いた。仙水を取り巻く雰囲気が、味方である己でさえも慄くような闇の深さを感じる。御手洗は背筋に寒気が走ったが表情には出さず、「分かりました」とだけ答え踵を返し部屋を後にしようとしたが。

「…見つけても、殺すなよ?最後のお楽しみは、俺がやりたくてな」

御手洗はギクリとし、背から感じる禍々しい雰囲気に耐えきれず振り向きざまに一瞥した。稲妻の光と轟を背景に、仙水の不敵な笑みは尚も続いていた。

妖怪の血を引く女とは、そしてあの仙水さんを魅了する人魚とは…。御手洗は浦飯幽助を調べる最中、ずっと気になっていた。

そして神様というのは本当に存在するようで、いとも簡単にその特徴に該当する少女を見つけたのだ。―――立花凪沙。それが彼女だった。

「…って事は、仙水に情報が…」
「すまない…。でも、僕も半信半疑だったんだ。人間の世界に人魚なんているわけないって…。でも、君の瞳は仙水さんが教えてくれた色、そのものだった。だからその情報だけは…もう…」

ぼたんの言葉を遮るように、御手洗は頭を下げた。

「…話してくれて、ありがとう」

凪沙はその場に膝をつき、御手洗と視線を合わせた。彼女の眉は下がり双眸は慈悲が伝わるが、口角は上がっていた。その様は心配かけさせまいとする思いが伝わってくる。

「私に危険が及ばないように、話してくれたんだよね?」
「だけどっ…!君のような女の子がもし狙われるような事になったら…僕は…本当にただの屑だ…!!確証のない情報を流して、それが間違いなら良いとも思った。でも…あの仙水さんの事だ…もしかしたら、もう気付かれているかもしれない…!」
「御手洗君は悪くないよ。…最初、仙水のところに情報が行っていたのなら、遅かれ早かれ、きっといつかはこうなることが予想されてたし…」

それは、まさしく幻海や飛影が危惧していた事。それを防ぐためにも修行を重ね、そして飛影からお守りも預かったのだ。それに、今は幽助達と行動を共にしている。
…浅はかかもしれぬが、これ以上御手洗が己を追い込むような言動は避けたかった。

「心配しないで!私、これでも幻海のおばあちゃんのところでずっと修行を重ねてきたの!自分の身くらい、自分で守れる力はあると思うからさ!」

にかっと明るい笑顔を見せた凪沙に、御手洗は微かに緊張が緩み、肩の力が少々抜けた様子だった。表情も心なしかほっとしている。
すかさずその瞬間を見逃さなかった凪沙は安堵し、腰を上げた。

「…でも、今の事はとりあえずみんなに話してくるね。何かあった後じゃ遅いし、早めに伝えないと」
「うん、それが良いと思うよ!御手洗君の傷の手当は、あたしたちに任せて!」

ぼたんがウィンクして魅せると、凪沙は「よろしくね」とだけ述べ、部屋を後にした。

「凪沙ちゃんってば心強いね〜!さすがは幻海師範の孫娘に定評があるってもんだ!」
「…本当にそうかしら?」
「…どうしたの?螢子ちゃん」

静流が尋ねた言葉に、御手洗の包帯を巻き直すぼたんの手が止まる。御手洗もどこか心配そうだったが、螢子は伏し目でぽつりぽつりと話し出した。

「凪沙って辛い事とか心配な事があると一人で抱え込んじゃう時があって…。ああやって笑顔で話してくれたけど、本当は…」

これ以上、螢子は続けなかった。それは、長年友人として付き合いが長いからこそ分かることだった。我慢強く弱音を吐かぬその強さは凪沙の長所でもあるが、逆に言えば短所にもなる。もしかしたら、本当は怖い気持ちを押し殺しているのではないか。そんな疑念が過ったのだ。

「…そうだとしても、今の私達に出来るのは無事を祈る事くらいだよ。あとは幽助君達に任せよう」

螢子の思いを汲んだ静流は彼女の肩に手を置いた。螢子もそうだが、静流やぼたんも、そして御手洗もだが、みんな凪沙が心配なのは同じ思いなのだ。


「(…参ったな、螢子にはバレてたか…)」

寝室を後にした凪沙はすぐリビングには行かなかった。…いや、行けなかったのだ。どうしてもこれ以上足が進まず、寝室のドアの前で立ちすくんでしまった。

御手洗からの言葉が反芻し、それに比例するかのよう不安の念が己を支配し始めている。あの場ではどうにか笑顔を取り繕ったつもりだったが、やはり長年の友人の目からは逃れられなかった。
…仙水に狙われている。もしかしたら次に襲われるのは自分かもしれない。そんな不安から、自然と己の右手…言わば爪先が左手の甲に伸びた。
だが、凪沙はハッとし、廊下とリビングを隔てる扉が目に入ると過去の記憶が脳裏に過った。

“女が自分の身体、傷つけるモンじゃねーぞ”

それは、初めて幽助の家に上がらせてもらった時の事だった。あの時は雷が怖くて、且つ付き合いも浅い幽助にこの事を知られたくないが為に、左手の甲に爪を立ててしまった。それに気付いた幽助がすぐ手当を施し、叱咤してくれたのだ。

…そうだ、私はもうあの時の私じゃない。今は…。

右手は、左手ではなくパンツの右ポケットへと伸びた。ポケットに入っているのは、飛影からのお守り。それを掌に収め、凪沙は目を伏せた。

「(…大丈夫、私には飛影がついてる。他のみんなだって…!)」

計り知れない強き敵に立ち向かうのは誰だって不安だ。でも、やるしかないのだ。
意を決した凪沙はお守りをしまうと、ようやく寝室のドアから離れリビングに続く戸を開けた。

「…あのっ、ゎぶっ!!?」

戸を開けてすぐ、顔が何かにぶつかった。痛みによる熱が鼻の頭に走り、若干涙が出る。一体何が起きたのか解せず、薄ら目を開ければ、視界いっぱいに真っ赤な布が。
そして見上げれば茶髪の男性がゆっくりとこちらを振り向き、その鋭い視線に捕らわれると。

「…おぉ、お前が凪沙か」

視線が優しい眼差しに変わり、そう答えた青年。
…誰だ、この人。何で私の名前を…と疑問に思ったが、どこかで見たようなおしゃぶり、そして額にあるJr.という文字…。まさかとは思うが。

「この姿で会うのは初めてじゃもんな。ワシはコエンマじゃよ、凪沙」

にっこりと笑顔を見せ名乗った青年…それは画面上でしかやりとりをしたことがなかった、コエンマだった。



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