(拍手SS/斎藤)





「…待ってください、さいとおさん、」
「ゆっくりでいいが、あまり遅くなると皆が心配する」

千鳥足で黒衣の着物を追いかけているわたしの頭上には、大きなお月様が居て、それはずーっとわたし達を追いかけてくる。その様はまるで鬼ごっこのようだ。

屯所までの路を歩いて行く斎藤さんを、追いかけるわたしと、それを追いかけるお月様。なんだかとても楽しいことになっている。

本日非番だという斎藤さんと少しでもお近付きになりたくて、思い切って外出にお誘いしてみた。最初は困惑気味な反応だったけれど、わたしが食い下がったおかげで渋々ながら合意してくれた時は、踊るような気持ちだったのを思い出して含み笑い。
ちゃんと土方さんに報告をして、門限は守る約束をし出かけた飲み屋では、静かながら彼も楽しんでいたと思う。一方的に話すわたしの拙い戯言にもきちんと向き合ってくれて、今日という日が宝物になった。
けれど、実はずっと緊張していたわたしは、普段あまり飲まないくせに調子に乗って何杯も酒を口にしてしまった。

その結果がこれだ。

「…んー、なんかふらふらします。道は、真っ直ぐ?それともこっち?」
「こっちだ。あんたはやはり酒が強くないのだろう?何故あんな無茶を、」
「だって、…うれしくて、舞い上がっちゃったんです、よ…」
「舞い上がるにも程度と言う物があるだろう…」
「斎藤さんは、お酒強すぎなんです」

その言葉に足を止めた斎藤さんは小さな声で「普段、あれ程は飲まぬ」と言って、木々の間にぽっかり空いた空間を見上げていた。
良くみると耳の先が少し赤い。先ほどからわたしの覚束無い足取りを振り返り、何やら思案した後声を掛けてくれる斎藤さん。決して触れてはくれないけれど、その気遣いが彼らしくてとても好きだ。

ずっと思いを寄せていて、いつ彼に心を奪われたのかすら覚えていないくらいに心酔しているわたしは、触れられなくとも、今こうして同じ目的地に向かっているというだけで、とても嬉しくて身体が熱くなるのを感じるのだ。
いつか、今じゃなくてもいいから、その手を引いて、頬を合わせて、逞しい腕で抱き締められたい。そんな夢物語を想っているだけで幸せなのだから、もし本当にそんな日がやってきたら、わたしは熱を出して溶けてしまいそう。泣いたら溢れ出す雫は、心が溶けて目から溢れ出てくるからなんだとすら思ったりもする。いい意味でも、悪い意味でもだ。

「…………、」

おそらくわたしが追いつくのを待ってくれているんだろう、夜空を見上げたまま流し見る様にこちらに視線を寄越した斎藤さんに、胸が弾け飛びそうになった。

「…この辺りは足場が悪い、気をつけろ」
「あ、はい…大丈夫、です」
「大丈夫そうにはとても見えぬが、歩けない様だったらおぶることくらいなら、その、できる故…」
「え!?な、いえ、そんな…っ」
「おい、待て、そっちは!」
「え?…あっ!!!」

慌てて視線を逸らした所為か、動揺を隠し切れなかった所為か、後退した踵が踏んだ先にむき出しの木の根があり、盛大に転んでしまったわたし。どすんと言う見っとも無い音が、風に攫われていった。
斎藤さんの前で尻餅だなんて格好悪すぎて顔を上げられない。先ほどとはまた違った意味で身体が熱くなる。でも、頭が正常に働かないから、直ぐに立ち上がる事も、大丈夫だと取り繕うことも出来なくて。

「…全く、だから言っただろう、立てるか」



そのままぼうっと座り込んでいたら、駆け寄ってきてくれた斎藤さんが、わたしに向かって手を差し伸べてくれる。ゆるゆると見上げると、ここに来て漸く視線が交差した。

さっきからずっと横顔か背中しか見えなかったけれど、良く見たら彼もお酒の名残が頬に現れていた。背後に大きな月様を背負った斎藤さん。
お月様との鬼ごっこは、わたし達の負けらしい。お月様は、地面に座り込んだままのわたしと、いつもと違う色っぽい彼を掴まえ、そのまま追い越し、夜空にぽっかり浮いていた。

「…すみま、せん。不甲斐無さで顔が上げられません」
「身体が冷える…」
「は、い…」

差し出された手の平に自分の指先を添えると、きゅとぎこちなく握り返してくれた。
そのまま力が篭められ、自分もようやく思考と力の抜けきった身体を動かさなくてはと身を任せた、その時だった。

予想を反して、物凄い力で引かれ未だ覚束無い酒の回った足は、案の定縺れ彼の着物の裾を踏みつけてしまったのだ。
「な、」と戸惑った低い声が聞えた次の瞬間、わたしの視界は黒に包まれた。

「…すまない。俺もずいぶん酔っている様だ、力加減を…間違った、」
「い、いえ…」
「これでは、あんたの事を言えぬな、」

何が起きたのか分からなくて顔を浮かせたわたしの目に飛び込んで来たのは、斎藤さんの身体を下敷きにしてしまっている己の身体。そして、そんなわたしを困った様に見上げている彼の瞳に映り込んだお月様。
腰に回された腕と「怪我は無いか」という小さな声は掠れていて、先ほどみた横顔よりずっと色っぽく映る。…溶けそうだと、頭の中で自分の声が木霊した。

「…熱い、です、斎藤さんの身体」
「いや…、あんたも充分言える」
「…ふふ、なんだか不思議です。斎藤さんの後ろに土が見えます。わたし、相当酔ってますね」
「いや、地面が程好く冷えている故、酔った身体には丁度いい…。それに、」

弧を描いた口元だとか、お酒の所為で少し伏せ気味の目元だとか、いつもは白いばかりの頬に差した朱色だとか、それら全てが目の前にある。
やっぱり、この方がすき。頭の中だけでは、到底、物足りない。

腰に回っていた腕がゆっくりとわたしの背中を一撫でしたと思ったら、斎藤さんは本日一番楽しそうなお顔でこう言った。


「…あんたのその今にも泣きそうな顔と、あのように見事な月を並んで見上げられるのだ。気分が良くない訳がないだろう」


そう言って、鼻から抜ける様な笑い声と共に起き上がった斎藤さんは、酔いが覚める前に帰りたいと、小さく呻った。わたしの手を取り、着物についた土埃を払ってもらっている最中、わたしが嬉しくて泣いてしまったのは、内緒の話だ。

「また、一緒に夜道を歩いてくれますか…」
「ああ、今度は転ばぬよう、指を絡めて歩こう」



おつきさまと温もり泪




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