ざわめきで目が覚めた。 教師はおらず、教室内はざわついている。寝ていてチャイムが聞こえなかったが、今は休み時間なんだろう。 妙にクラスメートの視線がこちらに集まっているような気がする。いや、見ている。ちらちらと。 そして名前も覚えていないようなクラスメートが怯えながら、かつ少しそわっとしながら俺に話しかける。好奇心が隠せていない。 そいつが指差す方を見れば、桜色の髪を二つに束ねた、驚く程学ランが似合わない先輩の姿があった。 「……霧野先輩」 一学年上で、見た目が派手な先輩はかなり目立っている。異性からも同性からも見られまくりだが、本人は気にせず俺に笑いかけた。 「今日部活ないってさ。神童からの伝言。天馬たちにも伝えといてくれ」 「はい、分かりました。…あの、どうして先輩が…?」 そう尋ねると先輩は不満そうに頬を膨らませた。 そして首を傾げる。あざといアイドルのようだと言ったら多分殴られるので、胸の内に留めておいた。 「俺じゃ嫌か?」 「いえ、いつもキャプテンが来ているから不思議で」 「神童は別の用事があってな。頼まれたんだ。…まあ、もう一つ理由はあるけど」 「え?」 先輩はそこでいったん言葉を切った。俺を見上げる。見据える。にこりと笑う。綺麗な笑顔だ。それなのに、嫌な、予感。 「剣城、一緒に帰ろうぜ」 近くで会話を聞いていた女子がきゃあと騒いだ。 ……今日は兄さんのところに行く予定だったが、こんな人を連れて行くわけにはいかない。ごめん、兄さん。 俺は霧野蘭丸という人が苦手だ。 考えていることが掴めない。よく分からない。狩屋には剣城くんもよく分かんねえよ、と言われたが、先輩ほどではないと信じたい。 あの人との距離の取り方が分からなくて、下手に拒否も出来ず、俺は今こうして夕焼けの下霧野先輩と歩いている。 「どうして、俺と帰ろうだなんて思ったんですか」 考えていても仕方がない。俺はストレートにそう尋ねた。普段はあまり自分から口を開かない俺がそう聞いてきたのに驚いたのか、先輩は大きなターコイズブルーの瞳をぱちぱち瞬かせた。 それから、にま、と機嫌良さそうに笑う。少し、悪戯が成功した時の狩屋の表情と似ていた。 「知りたいか?」 勿体ぶるようなことではないだろう。少しいらっとしたが押し殺し、こくりと頷く。知りたいものは知りたい。 そして、先輩の顔を見た。夕陽で赤く染まった、整った顔。が、すぐ、近く、にーー 桃かなにか、甘い果物の香りがふわりと鼻を擽った。リップクリームだろうか。どこまでも女子みたいだ。 オレンジだらけの道で、くっきりと光る青の瞳の中に俺がいる。映っている。ゆらゆら、揺れる。 今起こったことを理解したくなかった。そのくせ手は勝手に、唇に残る温もりにそっと触れる。 リップクリームで微かにべたついたそれは、さっきの行為が夢じゃないと証明している。 「せん……ぱ、」 ふら、と後ずさる。逃げたい。今、この人に捕らえられたら終わりだ。もう逃れられない、そんな気がする。 それなのにくい、と弱く腕を掴まれて、振り払えない力じゃないのに、何故か動くことが出来ない。 「離して、ください、」 「嫌」 「先輩、冗談はやめてください」 「俺、冗談でキスするほど軽いやつじゃないんだけど」 「……じゃあ、なん、で」 情けないくらい頼りない声だ。先輩は口調こそ軽いものの笑わない。腕を掴む力が強くなっていく。 真っ直ぐな視線から、目が逸らせない。抵抗の言葉も口の中に篭ったまま。呼吸の音だけが鼓膜を揺らす。 「お前が、好きなんだ」 するりと胸に入り込んできたその言葉に、何故だか泣きたくなって、ばっと俯く。顔に熱が集まるのが自分でも分かった。 混乱した頭で霧野先輩の言葉を聞く。 「…返事は、急がなくていい」 じゃあな、と去っていく先輩をただ見ることしか出来ない。どくどく煩い心臓を抑え込むように、胸の辺りを強く握る。 誰もいない橙色の道を見渡して、はあ、と吐いた息は震えていた。 つづき |