いばらの花 最終話2(未完)
2012/08/08 19:57

いばらの花 最終話


蘇芳に与えられた仕事は張り込みだった。江戸の外れにある古びた温泉街に近頃過激派とされる攘夷志士らが集まっているらしいとの噂だった。故に万が一に備えて監察以上に腕の立つ彼女に役が回ってきた。
単身乗り込んだ蘇芳は観光の振りをしながら様子を探る。張り込みを続けるうちにたまたま目を付けたのは寂れた温泉街に似合いのストリップ劇場。簡素な町並みに怪しく光るネオンにつられて中に入ってみれば、蘇芳の予想は的中した。手配書で何度も目にした指名手配犯の顔。残念なのはその日はその男しかおらず、普段は一緒にいるという仲間を逃してしまったことだ。しかし、捕まった男が仲間の居場所を吐いたので残党がお縄を頂戴するのも時間の問題だろう。
帰りの電車の中、蘇芳は久々に帰る頓所の家族のことを思って小さく笑った。高々一週間会わなかっただけなのに、彼らの、あの人の笑顔がひどく愛おしい。
流れる景色を朦朧(ぼんやり)と見つめながら総悟の姿を思い描く。今回の仕事で一人になり、改めて己の気持ちを考えることができた。帰ったらきっと返事をしよう。そう決めた蘇芳の気持ちは窓越しの景色のように澄み渡り清廉としていた。黄金色に輝く稲穂が頭をたれる水田から、一羽の鴨が青空を縫うように飛び立つのが見えた。


かぶき町の駅を出るより早く駆け寄ってきたのは山崎だ。焦った様子の彼をみてこちらまで焦り、嫌な予感めいたものが靄のようにそっと肩を抱き寄せてくる。その予感は少しずつ貌をあらわにして、耳に口元を寄せて何事か囁こうと息を吐く。聞きたくなかった。

「早く頓所に!!」

いつも通りの駅前。いつもの雑踏にいつもの烏の群れと鳴き声。身近なもののはずなのに、それが妙に遠いものに感じる。
肩を抱いた靄の貌はますます具体性を増していく。

「沖田隊長が大変なんだ!!」

嫌な予感は形を悪魔に変えた。



「どういうことですか」

頓所に着くころには息も絶え絶えになっていた。それでも息つく間もなく蘇芳は土方の部屋へと向かう。声もかけずに襖を開けばそこに主の姿はなく、衣紋掛けに下がった隊服がさみしげに蘇芳を迎えた。
込み上げてきたものを飲み下し、蘇芳はすぐに次の場所へと向かった。他でもない総悟の私室である。
総悟の部屋には部屋の主と、なぜか伊東の姿があった。走り回って熱を帯びていた身体が、肝が、急激に冷えていく。
まさか、まさか、
吐き気に似た嫌悪感が胸を占める。

「どういうことですか」

蘇芳は再びその言葉を口にした。総悟は表情なく彼女を見つめかえしてくる。

「……どうもこうも、これから出張でさァ」
「山崎さんから土方さんのこと聞きました。出張なんてしてる場合なんですか?土方さんのこと、」
「ああ、なら心配いらねぇよ。今回はその抜けた穴ふさぐための隊士集めに武州まで行くんだからな」

視界が揺らいだ。足元が形を失い歪み沈みそうで、見えない魔物に呑まれそうになるのを必死に堪え踏み止まる。
あの日の想像が、もし、この人が伊東一派に加わったらという想像が今、現実のものとなってしまった。

「……土方さんを見捨てて、伊東先生につくんですね」
「見捨てるもなにも、土方さんは本来士道不覚悟で切腹のとこを伊東さんの寛大な処置で謹慎処分になった身分でさァ。ほら、わかったら蘇芳お前も準備しな」

もはや彼の言葉は耳に入らなかった。この頃の土方の様子に山崎の忠告、そして今薄ら笑いを浮かべ蘇芳を見つめる伊東とその隣に立つ篠原。今までの経緯を辿れば常の状況でないのは明白であり、土方の謹慎は疑ってかかるべきものである。むしろ伊東はこれが目的だったのだろう。本丸を落城(おと)す為には外堀から。古来より基本とされてきた戦法である。
覚悟を決める時だと蘇芳は目を伏せた。真撰組隊士として、一人の女として全てをここで決めなければならないのだ。
保身するのは簡単である。この場で支度を促す上司の言葉に「はい」と応え、堂々伊東の傘下に入れば済む。
しかしその逆はたやすくはない。拒絶することは、今の立場を失うことである。真撰組副局長の肩書を失った土方を守るには真撰組隊士の立ち位置は足元さえおぼつかず、針のむしろに素っ裸で投げ込まれるようなものだ。
それに、

「沖田隊長」

彼を疑いたくなかった。確かに普段から土方の命を狙う物騒な言動があったが、今回のことはあまりにひどい仕打ちである。山崎の話を思い出せば、二人が手を組み謀を企てていたとしか思えない。
〇〇〇己の心に正直にいうなら、総悟と離れたくない。きっと今まで曖昧な態度をとり続けたつけが回ってきたのだろう。しかし土方と総悟、二人が袂を分かった今、いずれかに師事するということはいずれかと決別することである。

「一つ確認させて下さい。沖田隊長は、土方さんと伊東先生、どちらを支持するのですか?」
「山口くん、それは愚問すぎないかい。僕がここにいる時点で聞くまでもないだろう」
「伊東先生には聞いていません!」

思わぬ大声になり蘇芳はあっ、と思ったが目の前の伊東がそれに対し不愉快さを明らかにしたのでますます語気が強くなる。

「私は直接の上司である沖田隊長に聞いているのです!どちらですか。答えて下さい」

情けないことに感情の高ぶりにあてられ目頭が熱を帯びはじめていた。目の前にいる総悟の顔が揺らいで見えて泣くものかと息を飲み込む。ここで泣いては示しがつかない。

「伊東さんの言うように聞くまでもねぇよ。俺は土方の下にはつかない」

その言葉はまるで鈍器のような痛みでもって蘇芳を打ちのめした。したたかな痛みに堪え、唇を噛み締め強く拳を握った。そうでもしなければ、目の前の男を殴りそうになる衝動を押さえきれない。
蘇芳は震える手を懐に差し込んだ。取り出したのは警察手帳である。ほんの一瞬だけ名残を惜しむようにその金色に輝く紋章を見つめると総悟に突き付けた。

「何のつもりでィ?」
「お返しします。私は土方さんに付きます。だから、沖田さんの指示すなわち伊東先生の指示は聞けません」

これには総悟も黙って話を聞いていた伊東たちも面くらい、言葉を失った。
総悟に突き付けた手帳は受け取られることがなかったので蘇芳自ら手を離した。たくさんの思い出の数だけ重みを抱えた手帳は足元に落ちた。

「話を聞いていれば山口くん、君は何か勘違いしていないか?まるで僕が土方くんに何かしたような口ぶりだね。僕としても土方くんの離脱は非常に痛手に思っているところさ。しかし君のようにそれを不服に思うだけでは前に進めない。だから彼のように優秀な人材を集めにいくんだ」
「白々しい。伊東先生と土方さんの確執は隊内の皆が知っています」
「それだけで僕が何かしたと?」
「そうです」
「感情論だな。話にならないよ。疑いたいなら疑ってくれたまえ。僕は潔白だ。悪いが、列車の出る時間に間に合わないから失礼するよ。沖田くん、きみも早くきたまえ」

蘇芳を一瞥すらせず、伊東は開け放たれたままの襖をくぐった。続いて篠原が含みをもった視線を蘇芳に向けて出ていく。それを見送る総悟の横顔は険しい。

「私、真撰組が好きです。近藤さんがいて、土方さんがいて、沖田さんやみんながいる。誰か欠けちゃイヤなんです。本当に土方さんが武士としてあるまじき姿を見せたっていうなら、私だって武家に生まれた女です。然るべき態度をとるべきだとわかっています。でも、土方さん普通じゃなかったもの!どんな処分が下されたとしてもあのまま放っておいたらだめなんです!」
「好きなようにしろよ。俺は武州に行く」

総悟は視線を反らしたまま、足元の警察手帳を拾い上げた。開けば今より幼い表情の蘇芳が緊張した面持ちで微笑んでいる。
出会ってから今までの毎日毎日が彼女を成長させた。精神的に、肉体的に、そして人間的に。酷な選択や決断を迫られるつらい経験を越えた彼女が今下した決断は総悟の心臓をわしづかみした。
どんなことがあってもあの花のような笑顔で側にいてくれると思ったのは所詮都合の良い幻想でしかないのだ。随分と自惚れていたものだと笑いさえ込み上げてくる。水面に描いた淡い夢は曇天の空から落ちる雨粒に掻き消された。

「……お世話になりました。また、お会いする機会があれば、」

その時には斬り合いになるかもしれない。
それを想像してついに堪え切れず涙が落ちた。一度零れてしまえばそれは関を切ったように溢れて留まることをしない。
蘇芳は逃げるようにして踵を返したが、強く腕を引かれて後ろに倒れ込んだ。畳にぶつかると思った背中は腕ごと総悟に抱きすくめられる。
触れた部分が火傷するようだった。
頬をくすぐる彼の髪の毛が、首筋を滑る熱い吐息が、蔦のように絡み身体の自由を奪うその腕が、全てが蘇芳の心を掻き乱した。素直になれないままとうに熟れきっていた心はじゅくじゅくと痛みを訴える。

「泣くくれェなら俺から離れなきゃいいんだ」

何もかも見透かされたその言葉に蘇芳は身をよじった。彼の言う通り、涙を流す理由は総悟と離れたくない一心。しかしぬるま湯のように曖昧なままここまで来てしまった今、彼の言葉に縋るのはあまりに卑怯だ。
土方を守ると決めたのだ。女であるより私は武士として生きる。
痺れきった心を奮わせ、蘇芳は廻された腕に手をかけて畳を蹴り上げた。突然の動きを追えず離れた腕を捕まえてそのまま捻りこむと総悟の身体が宙に円を描いた。
一瞬、視線が絡む。それを振り切るようにして蘇芳は部屋を飛び出した。畳に打ち付けられた総悟は彼女を目で追うがその四肢に力は感じられず、しばらく彼女の消えた外を見つめていた。

「……俺が土方なんかにつくわけねェだろ」

その声の弱々しいこと。総悟が敬愛し慕うのは今も昔も近藤ただ一人だというのに、彼女は気づかぬまま離れて行ってしまった。
遠くから烏の声が響きあう。間もなく町が赤に染まる。





追記

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