いばらの花 第一話
2012/08/07 13:43

いばらの花 第一話


すっと伸ばした掌に落ちた白が体温でじわりと解ける。風に吹かれた細雪が頬を差し、総悟は肩を竦ませながら軋む縁側を歩いた。足袋越しに感じる床板はまるで氷と変わらない冷たさだ。
氷のような指先にかける吐息は白いもやとなり霧散していった。指先が痛むように温まる。
寒い寒いと呟きながら総悟は着物の袷を押さえ廊下を歩き続ける。寒いのならば部屋に火鉢でも焚いて大人しくしていればいいものを、彼は袢纏も纏わず放浪する。
頭の中はどうして土方のあんちきしょうを貶めようかということばかり。性根の腐った考えを、途中で遭遇した隊士らで実験しては迷惑を撒き散らして本能のままひた歩く。
真選組一番隊隊長、沖田総悟。本日は非番なり。要するに暇でしょうがないのである。

「沖田隊長! こんなところにいたんですかー。探したんですよ」

暢気な声で総悟を呼ぶのは監察の山崎である。彼も非番らしく袴の上に分厚い袢纏をまとい、鼻や耳を赤く染めながら寄ってくる。袖に両腕を突っ込み、完全防備の状態である。

「なんでィ山崎。相手してくれんのかい。ちょうどよかった。暇すぎて死にそうだったんでさァ」
「なんの相手ですか勘弁して下さいよ。それに俺、これでも暇じゃないんですよ」
「んだよジミーのくせに生意気いいやがって……」

と悪態をつく理由は誰も相手をしてくれなくて寂しかったからである。
唇を尖らせて下を向いた総悟の姿は歳相応で、山崎はいつもこうだったら可愛げがあるのにと思う。寂しいならもう少し子どもらしく甘えることをすればいいのにとも思うが、彼が甘えてきたところでそれに応えることは命がけだろうと思って黙っておいた。

「ほら、行きましょう。もうすぐ始まりますよ、キャットファイト。好きでしょう?」
「あぁ?」
「今日ですよ。入隊試験の実技」
「……あぁ。だから人がいねぇのか。みんな道場に出払ってんのか」

納得したように総悟は呟いた。ちなみに女同士の醜い争いは大好きだ。その悪趣味は屯所に住まう者ならば皆知るところである。
毎年この時期の風物詩となっている入隊試験。書類選考を通った人物が道場に集められ、それぞれ己の実力を評価してもらうのだ。五十音順に十人程度ずつ組まされ剣の腕を揮う。
使える物は竹刀と己が肉体、そして知能だけだ。全てを総合したうえで、その場で合否が言い渡される。
誰かと組み、知略で以って他を制するもよし、自分のみを信じて全てを薙ぎ倒すもよし。
よしんば脳天に一撃を食らい、失神したとしても合格をもらうことだってある。とにかく持てる力を十二分に発揮するほかないのである。全ての采配は鬼の副長の気分次第、といううわさも流れている。
総悟が楽しみにしているのは、その試験の中でも女たちの試合である。

「今年は何人集まったんだィ?」
「五人ですね。まー、毎年のことながら勘違いしちゃった感じのばっかりですね。ああ、一人だけまともそうなのがいましたけど、腕が立つかは分からないです。他の四人は副長の大嫌いなタイプですね。試合中もこそこそ喋りっぱなしでうるさいのなんの」
「そういう女の方が見てておもしれぇじゃねぇか」
「おもしろいはおもしろいですけどね。ま、所詮パフォーマンスですよ」

パフォーマンスというのは、つまるところ世の中の男女平等を訴える輩に対しての物だ。このご時世、うっかり「男性隊士募集」などと書けば婦人団体がこぞってやってくることになるのである。その対策である。一度婦人団体の激しい抗議を受け、大々的に女性隊士を募集したことがあったがひどかった。副長さまのお近づ きになりたい、隊長さまの小姓になりたいというような不純な動機での応募が殺到したのである。
もちろん公式の募集なので男女問わず入隊試験は設けられる。当然ひどい有様である。きぃきぃ高い声でわめき散らしながらのキャットファイトは試合でもなんでもないただの女同士の喧嘩である。目をつぶりたくなるような有様だが、それを総悟は喜んだ。
以来、毎年女性隊士を募集するふりをしながら(総悟ひとりが)キャットファイトを楽しみ、採用はしないということを繰り返しているのだ。

「今年も不細工なツラが拝めるかと思うとゾクゾクしやがるぜ」
「いや、ゾクゾクすんのは薄着だからでしょ。鼻水出てますよ」
「マジでか」

にぎわう道場の扉をあけると、中央の四角をぐるりと男たちが囲うようにして壁際に座っていた。道場は妙な熱気に包まれている。誰かが入ってきた総悟に気付き、「一番隊隊長だ」とささやき合うのが聞こえた。
四角の中では土方に合格を言い渡された二人の男が歓喜の雄たけびを上げていた。どちらも上背があり筋骨隆々、いかにもといった風体だ。喜ぶ男と悲しむ男、両極端な彼らと入れ違いに名前を呼ばれた女たちが四角へ入る。総悟は一人ひとりの顔を目を凝らしてよっくと見た。
女は五人。そのうち四人は仲間のようで、何事か耳打ちをして余った女を盗み見ている。おおかた四人で一斉にかかり、一人を倒すという考えだろう。あとは時間まで適当に打ち合うふりをしながら合格を待つ。いかにもその浮ついた足取りと同じように軽い考えである。
浅はか過ぎる見え見えの魂胆にあきれていると、その四人のうちの一人と目が合った。途端に色めきたった歓声が上がり総悟は思い切り顔をしかめて見せたが全く通じなかった。睨むように見られても黄色い声をあげて手を振ってくる。大した神経だと総悟の隣で山崎は思った。女たちは竹刀を手渡そうとしている隊士に気がつかない。

おい、黒髪。頼むからそいつらコテンパンのボッコボコにしてやってくれよ。ついでに土方も。

沖田はあからさまに四人から視線を反らし、腰まで届く髪の毛を縛りなおしている女にエールを送った。冗談半分、本気半分である。
女は名を山口蘇芳と言った。かつての総悟たちと同じように田舎から上京してきた身である。四人が場違いな丈の短い着物を着ているのに対し、蘇芳は地味な稽古着である。化粧っけもほとんどなく、髪を束ねる髪飾りだけが彼女の女らしさを引き立てている。白い頬が寒さに赤く染まっているのが顔を幼く見せるが、恐らくははたち手前と言ったところだろう。
身なりや服装が強さを左右するとは思わないが、見る側の心象は大きく左右する。何をどう、とは誰も口に出して言わないが、おそらく隣にいる山崎も、イライラしながら定位置に女を並ばせている土方も、そして合否を受けた男たちも同じように感じていることだろう。
外界を全く気にした様子のない蘇芳は一人静かに竹刀を構える。乱闘に備えてか、左足を踏み出して竹刀を右わきに寄せるようにしている。

「あの黒髪、どうですかね。構えは完璧ですけど」
「さぁな。まぁ、俺は醜い試合が拝めりゃなんでもいいや」

そう言ってひとつ、大あくび。
正直合否なんてどうでもいいのだ。どれだけ醜い争いが起きるかを楽しみにしているのに、五人中四人が仲間ではそれも期待できないだろう。
蘇芳は四ツ角のひとつに身を置き、四人を見渡す。四人とも立ち姿も構えも全くなっていないがなぜか自信満々といった顔をしている。四対一。確かに頭数だけで見れば人数の多い方が有利である。しかし四人は肝心の事実を知らなかった。見つめる先の女、蘇芳は腕が立つのである。
ややあって蘇芳は静かに陰の構えを解いて、竹刀を下ろした。おや、と周囲の男たちが思う暇もなく試合開始の掛け声が道場中に響いた。四人の女が足音うるさく蘇芳目がけて駆けていく。四人には蘇芳が試合を諦めたように見えたのだ。
構えもへったくれもない四人を見て、さっそく興味をなくした総監督の土方は隣に座る原田と談笑している。興味をなくしたのは総悟も一緒で、よそ見をしたその一瞬に事は起きた。
蘇芳は先頭切ってきた赤い着物の女の横っ面に一撃、続けてその右隣にいた青い着物の女も同様に、それぞれ一太刀にて床へ這いつくばらせたのだ。審判ですらその動きを目で追うことはできなかった。見逃したことに審判は顔を青くして土方に駆け寄る。蘇芳はその場から一歩も動いていない。
皆が呆気にとられ口を開いたまま彼女たちを見つめていた。仲間をやられた女の叫び声にはっとして、直後男たちの雄たけびが空気を震わせる。誰もが想像し得なかった見事な一撃を目撃し、男たちの気分は高揚を極めた。
みっちゃん、エリりん、大丈夫?!
ねえ、やだ鼻血でてる!
起きてよ、ねえったら!
テメェ、何してくれるんだよ!
顔狙うとかありえない!
ふざけんな!!
二人のそんな叫びは歓声にかき消されて届かない。蘇芳はそんな二人をじっと見ているが、何を考えているか分からない目の色をしている。しかしその瞳には一遍の曇りもなく、まっすぐに光を称えていた。

「沖田さん、今の見てました?」
「いんや。クソ、よそ見しなきゃよかった。鼻っ面潰された瞬間の醜い顔、見っぱぐれたぜ」
「いやいやそっちじゃないから見るべきは! 黒髪の彼女ですから!」

すっかり興奮した山崎が肩に手をまわしてきて鬱陶しかったので、とりあえず掌底を噛まして黙らせる。総悟は近くにいた男に声をかけた。隊長格に声を掛けられ男は一瞬びくりとしたが、その顔にはすぐ興奮の色が戻った。

「あの黒髪の名前、知ってるかい」
「ええ。たしか山口蘇芳と言ってましたよ。いやぁ、俺は落とされちまったんですけど、ああいうの見るとスカッとしていいですねぇ!」

なるほど、確かに周囲の男たちが妙な連携プレイで山口コールをしている。ちょっと気持ち悪い。
気絶した女二人に駆け寄って、無事な方AとBが半べそでわめいている。何を言っているかさっぱり聞こえないが、顔を真っ赤にしてわめき散らす姿に総悟は一人にやついた。お前ら、すっげぇ不細工だぜ。
微動だにせず暴言を聞いていた蘇芳がおもむろに動いた。と、動かした腕は竹刀を持つ方ではなくがら空きの左腕である。そしてそのまま口元に人差し指を持っていくと、にこりと笑って山口コールをする男たちを見廻した。今しがた目の前の二人に容赦なく竹刀を打ち付けたとは思えない、実に愛くるしい笑顔である。
男たちはその笑顔に阿呆のように口をあけたまま固まった。道場に響くのはもう女の悲鳴だけだ。聞くに堪えないような言葉で蘇芳を罵るが、彼女は顔色一つ変えない。

「最初は胴を狙うつもりでした」

鈴音のようなその声は道場に響いた。涙で化粧の落ちた化け物二人は彼女に構わずわめき続ける。

「でも、やっぱり我慢ならなかったんです。浮ついた気持ちでこの神聖な道場の敷居をまたぐことが。ここには涙を飲んだ人だってたくさんいるのに、そんな人たちに思いやりのひとつも持たないで誰それが格好いいなんて騒いでる。ぶっちゃけて言いますけど、あなた達みたいな人と一緒にされたくないんです。こちとら田舎からわざわざ出てきたのに、手合わせの相手が構えもならないような人物だなんてがっかりしました。顔を狙うな? 相手が真選組の敵である攘夷志士だったらどうするんですか? 攘夷志士相手にそんな言葉……」

彼女は竹刀を持つ右手に力を込めた。

「そんな言葉通じるわけないでしょうがァァァ!!」

怒り心頭、蘇芳は目にもとまらぬ速さで二人に斬りかかって行った。その機敏な動きにあちこちからどよめきが起こる。竹刀のぶつかる高い音が道場に響き渡り、男たちは目を見張った。
果たして女二人は無傷だった。蘇芳の振りかぶった竹刀は別の竹刀によって受け止められている。その竹刀を持つのは、総悟だった。総悟に気付いた蘇芳に一瞬の隙ができたのを彼は見逃さない。力を込めて押し返してやれば彼女は素早く身を退いた。その目が鋭く細められる。

「ちょっとォォ!! 総悟、テメー何してんだァァ!!」

傍観に徹していた土方が椅子を転がし立ち上がる。もっともな言葉である。試験に一番隊隊長が乗り込み、しかも女相手に竹刀を引っ張り出してきた。嫌な予感しかしない。
総悟に庇われる形になった化け物AとBはさっきまでの汚い言葉はどこへやら、全身で媚を売り総悟さまァと甘い声を出す。

「総悟さま、あたしたちを助けて下さるんですね!」
「そんな蛮族、やっつけちゃってください!」

女ってのは怖いねェ。総悟は背中に座り込んだ二人を振り返ると、いやらしく口角を上げた。

「勘違いすんじゃねぇ。俺ァな、テメェらみてェな厚化粧よりナチュラルメイク派なんじゃァァ!!」

一瞬だった。蘇芳がしたように総悟はAとBの顔面を的確に打った。小指の先ほどの情け容赦もない渾身の一撃である。土方が真っ青な顔をして四角に入ってくる。総悟の胸倉を掴んで、もはや試験どころではない。
蘇芳はもちろん、周囲の男たちも呆気にとられて二人のやりとりを見た。真選組最強との呼び声高い一番隊隊長。女相手にも容赦はない。

「テメェ何してんだコラ!! なんでお前が出てくるんだよ! つーかどうすんだコイツら!! 今の若者の親はなぁ、職場に上がり込んでくるモンスターなんだぞォォ!!」
「嫌だなァ土方さん。見るからにモンスターなんですから、親もモンスターに決まってんでしょう」
「見てくれの話じゃねェェェ!!」
「うるせぇなぁ。俺がやったのが問題なら、そこのお嬢さんがやったってことでいいじゃねぇですか。なぁアンタ」

総悟は蘇芳を振り返った。ついでに近くに座る男に声をかけて、すっかり気絶してしまった四人を運ぶように頼む。
蘇芳は少し困ったような顔をして、でも間違いなく微笑んで頷いた。

「どうせ私も顔面に打ちこんでやろうと思ってましたからすっきりしました。どうせ倒れる直前の事なんて覚えてないでしょうし、私がやったってことで問題ないです」
「ハーイみんな聞いたねー! このお嬢さん、末恐ろしいや。女のネチネチしたやりとりのなかで四人も殴り飛ばしたぜー!」
「総悟ォォォ!!」
「総悟さんって、あの一番隊隊長の沖田総悟さんですか? 名前だけはうかがったことがあります」
「そうそう。それ。いやぁ、俺ぁ毎年この女同士の戦いを楽しみにしてやしてね。なぜなら女同士の戦いほど泥沼なモンはないでしょう。不細工なツラでわめく姿だけ楽しみにして今日も覗きに来たんですが、今年は違げぇや。アンタに興味が湧いたんでさァ。一本手合わせ、どうだい」

さりげなく土方の顔面に拳を食らわせながら総悟は蘇芳に竹刀を突き付けた。道場が再びざわめく。先の剣さばきで蘇芳の腕が立つのは間違いないが、皆が一様に「一番隊隊長に勝てるわけがない」と思った。まして今さっき、容赦なく女二人を倒したような男である。歪んだ見方を口走るこの男にかかれば蘇芳もどんな目に あわされるか、容易に想像できた。
男たちの頭の中にはその可憐な花びらをもがれて土に汚れた姿が浮かぶ。果たして直視できるだろうか。

「俺達真選組ァ男所帯だ。女は取りたくねぇのが本音だが、勝っても負けてもいい相手になってくれたら合格くれてやるぜ」
「何勝手に進行してんだテメェ!」
「うるせーなァ土方さんは。今度マヨネーズ驕るから見逃してくださいよォー」
「なにその甘え方! 気持ち悪っ!」
「ねぇ土方さん、あんたも俺と同じで女は男に劣ると思ってるタイプの古い人間だ。けどよォ、この際腕が立つならなんでもよくね? つーかむさ苦しい野郎より可愛い女の子のほうがよくね?」
「よくねぇよボケェェ!!」
「まぁ、要は手合わせしてみたいんでさ。チャイナ娘以来だぜ。久々に背中がゾクゾクしやがる」
「それは鼻水たらしてるからだ。薄着してっからだよ」
「マジでか」

二人のやり取りをあんぐりと見ていた蘇芳は、ハッとしたように懐から懐紙を取り出した。やわやわと揉みほぐしてどうぞと総悟に差し出す。総悟は当然のようにそれを受け取り、鼻をかみながら土方を促した。女らしい気遣いに、道場の端々からおぉと声が上がる。

「ほれ、野郎とは違う気遣いだってできるんだぜ。蛇の道は蛇。女テロリスト来島また子の考えるこたァ女に聞くが一番ってね。いたらきっと役に立つぜー。多分」
「……おい、山口。てめぇ死ぬ覚悟はあるか?」

冗談でもなんでもないのは土方の目を見ればすぐに分かった。しかし彼女は意気揚々と竹刀を構えなおし、上等ですと笑う。

「死ぬ覚悟がなきゃ田舎から出てきません。それに、一番隊隊長になら殺されたっていっても格好つくと思いません?」
「大したキモの座りようだなオイ……総悟、ちったぁ手加減しろよ」
「さぁね」

サディスティックな笑みを浮かべる総悟は実に楽しげで浮かれている。彼にとって蘇芳は戦うに値する人間なのだ。
深々とため息をついた土方は四角から出ると、道場中に響き渡る大声で言った。

「テメェら野郎共の合否は出てンだ、興味ねぇ奴は帰っていい! 山口を合格とするかは一番隊隊長、沖田総悟との戦いにおいて判断する。文句ある奴はいるか!」

不満を言う者はいないし、道場を後にする者もいなかった。なぜなら誰一人として蘇芳の姿に勝利を見いだせなかったからである。
土方は頭を抱え煙草に火をつけると、深く煙を吸い込んだ。二人の立ち位置を決め、互いに構えさせる。蘇芳の目は真剣そのものである。蘇芳色の瞳には力強い光が輝いている。その光は最後まできらめくのか、はたまた途中で光を失うのか。

「気楽に行こうぜ。どうだい。俺が一本取られるか床に足以外ついたら負け。アンタは一本取られたとしてもギブアップするまで負け判定ナシ」
「本当ですか? わぁ、助かります」
「まぁ、腹減るから七時になったら仕舞いな。七時になると飯の準備ができるんだよ」

総悟は鼻水をすすりながら蘇芳を正面から見据える。総悟が上段に構えるのに対し蘇芳は正眼に構えを取る。
土方が審判となり、「始め!」の声で蘇芳が身を屈めて斬り込んで行った。速い。先ほどの太刀を見ていなかった総悟は油断して彼女の動きを追い切れない。しかし、目の前で風を斬る音がして即座に後ろに跳んだ。すぐにそれを追うように蘇芳が突きを入れてくる。容赦なく喉仏を狙ってくるあたり人斬り集団に向いていると総悟は避けながら思う。小柄故のスピードも予想以上に総悟を苦しめた。
しかし総悟が押されていたのも最初のうちで、次第に彼女のスピードに目が慣れてきた。少しずつだが癖も見えてくる。蘇芳が脳天を狙って振り下ろした竹刀を総悟は受け止めた。その瞬間息が詰まる。彼女の振り下ろした一太刀は予想をはるかに上回り重い。骨が軋む勢いに、竹刀に鉛でも仕込んでいるのではないかと疑うがこれ は屯所のものなのでそれはない。となると彼女の腕力だ。先ほどの化け物に向けた一振りとはまるで違う重みに、それだけ彼女が本気であることを知らされる。
いよいよ暢気に手加減をしている場合ではないと、総悟は彼女の足を払うと竹刀を横に薙いだ。肩透かしを食らいよろけた蘇芳の脇腹にその一撃は決まった。あっ、と実に間抜けな声をあげて蘇芳の身体は吹っ飛び大口を開けて見守っていた男たちに突っ込んでいった。
男たちが驚いて避けてしまったものだから、蘇芳の身体は直に壁に叩きつけられた。激しい音が道場に響き、男たちはごくりと唾を飲む。力なく床に落ちた身体が恐ろしく小さく見える。
内心やっちまったと思いながら総悟は彼女に歩み寄った。蘇芳のそばでは、反射的に避けたことを後悔する男が一人、二人。青い顔をして彼女を起こそうか迷い、手が宙を泳いでいる。

「おーい。生きてるかー」

総悟の問い掛けに返事はない。
周囲の男たちが「死んだんじゃないか」なんて不吉なことを口走るから一睨みきかせるとその男は情けない声をあげて肩をすくませた。
やはり一番隊隊長の相手をして無事であるわけがない。まして華奢な少女だ。自分達だって敵わないだろう相手に挑んでいった勇気は称賛されるべきだが、所詮無謀なことだったのだ。男たちは間違っても自分が勝負を挑まなくてよかったと一様に思った。
しかし、やっちまったと思いつつも当の総悟はこれしきのことで彼女が負けを認めるとは思っていない。仮に気を失っていたとしても、彼女がギブアップしなければ試合は再開されるだろう。
それに、

「おいコラ狸寝入りしてんじゃねぇぞ。言っとくけど、テメーのリーチ圏内にゃはいらねぇぜ」
「……全っ然、容赦ないですね」

むくり。起き上がった蘇芳に男たちは悲鳴を上げた。まるで生き返った死体を見るようなその叫びと視線に蘇芳は少しばかり不快そうな顔を見せる。壁に強かに打ちつけた頭を押さえながら彼女は立ち上がった。その拍子に足がたたらを踏む。竹刀を杖にどうにか転ぶのを免れた。

「言っておきますけど、べつに狸寝入りしてたわけじゃないです! さすがに今のはキツかったんです!」
「そいつぁどうも」
「短期決戦でいかないとダメですね」

床を蹴りあげて総悟を飛び越えるとあたりから拍手が湧く。おおよそ人間業とかけ離れた跳躍から着地の勢いをばねにして再び斬りかかるが、正面きっての攻撃はもはや意味がなくあっさり受けとめられる。
受け止めた瞬間、蘇芳は先ほどの総悟がしたように彼の足を払った。総悟はあっさり態勢を崩したが、右横から薙いで来た竹刀を感じ取った。自分の手法を食らうものかと総悟が構えたのをみて蘇芳が笑う。気付いた時にはもう遅い。竹刀は蘇芳の手を離れ、惰性でわずかな衝撃を総悟に与えたに過ぎない。虚を突いて蘇芳は総悟の 腕を取ると肩に担ぎあげた。
ひやりとした浮遊感も一瞬で、天地が回ったと感じた時には背中を床に叩きつけられた。無音の道場に響くのは二人の切れ切れの息遣いだけである。掴んだままだった腕を離すと、蘇芳はその場に崩れ落ちた。
直後沸き上がった天井を突き破らんばかりの雄たけびに、総悟は自分が負けたのだとゆっくり悟った。彼はこの試合が剣技以外の体術も評価対象に入っていることをすっかり忘れていたのだ。その結果が自分の横で息を切らす少女の勝利だと知ると、妙な気分だった。こんな大勢の前で自分より小柄な女に負けた。しかも自分から吹っ掛けた勝負だ。大恥をかかされたはずなのに、不思議と嫌ではない。なぜならどうして負けたのか、全く意味がわからないからだ。
剣の腕は間違いなく総悟のほうが上だった。蘇芳もかなりの腕だが、その素早さで相手を惑わすだけで剣筋は荒いし攻撃も単調だ。腕力はかなりのものだが、その腕力に頼るところが多すぎる。荒削りもいいところだった。
というのは負け惜しみでもなんでもなく、実際に試合を見ていた土方も同じような感想を持った。しかし、勝ちは勝ち、負けは負けである。
しこたま打ちつけた頭を押さえて床に手をつき上半身を起こしていた蘇芳だが、そのうちこてんと横に倒れた。胸元がせわしなく上下している。なんだ、胸ねぇなぁと思ったのは男の性である。

「土方さん」

総悟は倒れたまま土方を呼んだ。

「こいつ、一番隊で貰いまさァ」

総悟はにやりと笑って横に転がる蘇芳を見やった。蘇芳はその疲れ切った目を見開くと、先の輝きを再び取り戻して顔一面に喜びを浮かべた。





<その後のどーでもいいはなし>

「つーか、」

大の字に寝ころび、天井を眺めていた総悟がむっくりと起き上がる。横で同じ格好をしている蘇芳を見下ろして、

「投げ技とかズルくね? この展開で」

ええぇぇー。
試合を見ていた男たちは皆一様の表情を浮かべて、「それを言うか」と内心突っ込んだ。散々竹刀を振り回し、ちゃんちゃんばらをした末の投げ技。たしかにそこは剣で勝負をつけろといってやりたい。しかしこの状況で言うか普通。
蘇芳は少し頬を膨らませて起き上がった。その瞬間また頭を抱える。投げつけられたダメージが相当残ってるらしい。

「だって、勝てるわけないじゃないですか!」
「言いきるのかよ」
「でも腕力なら勝てるかなーって思って。私、もっぱら体術のほうが得意なんですよ。一通り武術は習ったんですけど、どうにも剣は苦手で。それにあちらの方くらいになるとともかく、沖田さんくらいの身長なら投げ飛ばした方早いなって思ったんです」

ちょっと、アンタ十八歳の男子に身長のコト言っちゃダメェェェ!!!
総悟の額にうっすら青筋が浮かんだのを見て、あちらの方こと原田は顔を青くした。
悪気がないのは分かってるけど、それ言っちゃダメェェ!!!

「……仕方ねぇ。原田のドタマブチ抜けば俺の方がデカくなるよな」
「なんでそうなるんだよ!! あんた俺になんか恨みでもあるワケ?!」
「俺ァ紳士だから、女にゃ手をかけねぇんだよ」
「それさっき顔面打ちつけたあいつらの目の前で言ってみろコラァァァ!!」
「ちょうどいいや。おい山口。ちっとあのハゲ投げ飛ばしてみろ」
「なんでですか」
「隊長命令。聞けねぇなら合格ナシな」
「ちょっと行ってきます!」
「なんでだァァ!!」

迷わず蘇芳は原田のもとに駆けだし、目の前でじっくりと彼の体格を確かめた。身長差目測20センチ。体重差目測40キロ。
アレ? ちょっとムリそうじゃない?
そんな気持ちを精一杯視線に込めて総悟を振り返るが、彼は顎を突き出し「やれ」と言い放つ。
いや、だからどうやって投げ飛ばせと…………。
その間にも原田はじりじりと後退する。それを追うように蘇芳が間を詰める。二、三歩動いたところで蘇芳の目が輝いた。
やべっと口から零して、原田は本格的に逃げようとしたがなにしろすばしっこい蘇芳である。原田の右襟首を両手で掴むとそのまま足を払った。面白いくらいあっさりと原田の身体が沈んでいく。重たい音を立てて原田が地面に叩きつけられた。

「いってェェェ!! 本気?! 今の本気だろォォ?!」
「だって隊長命令……」
「ねぇ俺の頭見た?! 俺スキンヘッドだから!! 衝撃モロだからァァァ!! あっ、やべ、脳細胞死んでくのかんじるゥゥゥ!!」

またも技を決めた蘇芳にあちこちから拍手が沸き起こる。なんつーか、さっきの顔面やられた女が可哀想に見えてきた。
総悟が満足そうににやつきながら蘇芳のそばに寄り、わざとらしく彼女の頭を撫でた。それはもう、力を込めて首が回る勢いで。

「上出来じゃねぇか。こりゃ驚いた。幻の必殺技で倒すたぁ、さすがに想像しなかったぜ」
「痛い痛い!! 沖田さんやめて痛いです!! 頭! さっきぶつけた頭が痛いです!!」
「え? もっと撫でてほしいって? なんだ山口、お前甘えたなんだなぁ」
「痛い痛い痛い! どう聞いたらそうなるんですか!!」
「まだ足りねぇ? 仕方ねぇや特別サービスだ。抱きしめてやらぁ」
「ちょっ、まって、ぐっ、締まって、」

何も知らずに総悟の言葉だけ聞いたなら、彼に憧れる女は皆蘇芳をうらやましがることだろう。蘇芳は総悟の腕の中にいるが鼻がしらは彼の胸に押しつけられ、首はがっちりとホールドされて抜け出せない。ヘッドロックが完全に決まっていた。たしかに抱きしめられていることには変わりないが、なんのときめきもうらやましさも起こらない姿である。
すでにダメージを受けている頭に再び技を食らい、蘇芳は手足を暴れさせて悶絶する。男たちは哀れな蘇芳の姿に顔を青くするが、嬉しそうに頭を締め付ける総悟の顔をみてついに色を無くした。

「そういや、俺、沖田さんはドSだって聞いたことある……」

誰かが呟いたその言葉に、道場は静まり返った。外で振り続ける雪の音が聞こえそうなくらいだ。響き渡るのは猛獣の罠でもがき続ける子うさぎの叫び声だけだ。

「いつまでやってんだボケェェ!!」

え、と声のした方を振り向いた総悟の顔面に土方の蹴りが決まった。蘇芳ごと倒れ込んで行くが、その腕が緩んだ隙に転がる様にして抜け出した。頭を抱え込んで小さく唸ったまま突っ伏している。あれだけしっかり絞められてよく落ちなかったものだと感心するが、いや、それより、

「さっそく何してんだテメェはァ!! アホか?! 女相手に何さらしとんじゃァァ!!」
「いや、コイツがどうしても抱きしめてくれって言うから……」
「どこにそんなやりとりがあった? さっきの一本背負いでもともとバカな頭が更にバカになったのか?」
「冗談ですよ。土方さんの怒涛のツッコミ待ちしてたんでさ。言っときますけど、俺がボケなら山口もボケだぜ。突っ込みがいなきゃいつまでもボケの応酬が続くんでさ」
「山口はしっかり突っ込んでただろうがァ!」

頭を抱えたまま蘇芳は必死に頷いた。
うずくまる蘇芳と蹴倒されたままだらりとしている総悟を見て土方は深々とため息をついた。
総悟の勝手に決めたことだが、蘇芳の採用に関しては土方は文句を言うつもりはなかった。荒い剣技はこれからいくらでも磨くことができるし、あの巨漢原田を投げ飛ばす力は即戦力として非常に有効だからだ。
しかし、

「山口、こいつのいうこと一々真に受けてたら身体もたねぇからな」

未だ回復の兆しのない蘇芳に一言投げかける。彼女はくぐもった声で「はい」とだけ返事をした。


追記

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