きり丸連載 6
2013/03/21 22:41


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「そーいや、さっきの六年生の戦いすごかったよな!」

なんて同じ一年生が興奮したように言っているのを聞いたのが放課後が始まってすぐのことだった。
忍術学園の六年生と言えば、授業の中で厳しい実践を潜り抜け、そこらの下手な忍者よりよっぽど実力があると噂される精鋭揃いだと聞いたことがある。なぜなら弱者は途中で切り捨てられていくからだ。
きり丸と乱太郎、しんべヱはお互い顔を見合わせると、その名も知らぬ同級生のもとへ駆け寄り、どこで六年生が戦っているのか問いただし、聞き終わるより早くその場所へ向かって駆け出した。
場所は、六年長屋前の広い庭である。


長屋前に着いてみれば、同じように噂を聞きつけたのか他学年の忍装束が何人も見学をしていた。
白墨で囲われた狭い四角の中で今戦っているのは、眼の下に酷い隈を作っている短い髷の男、潮江文次郎と、一見女のような整った顔に余裕の笑みを浮かべた男、立花仙蔵だ。

大木の下には同じ深緑の制服を着た六年生たちが何人か、やれ負けるな潮江、立花なんぞこてんぱんにしてしまえと、やけに文次郎の肩を持った応援をしていた。その顔はみな破顔しており、もっと刺々しい雰囲気の中で戦いが行われているものと思っていたきり丸は拍子抜けした。

きり丸はそのなかにふたつ、まるで新緑にぽつりと咲いた花のように鮮やかな桃色の制服を見つけた。
刀を胸の前に抱きしめながらなにやらぶつぶつと呟いている女はくのいち教室の六年生、北条初音であった。眉間にはしわが寄せられて、文次郎が攻撃を受ける度にぴくりぴくりとその秀麗な眉がひきつっている。
もう一人は木の幹に足を掛け、逆さ吊りになりながら興奮したようにその戦いを眺めている。驚くような赤色の髪の毛をした、見たことのない女だった。時折初音に話しかけているが、その度に億劫そうにあしらわれているように見えた。しかし、女は気にする様子もなく始終にこにことしている。

きり丸は、目の前で繰り広げられている鮮やかな攻防戦に唖然としている乱太郎としんべヱを置いて、初音の方に駆け寄った。

「初音姉ちゃん! なんで男子長屋にいるの?」
「きり丸……」

はっとしたように視線を落として、きり丸の名を口にする初音は彼が近寄ったことに気がつかなかったらしい。優秀であるはずの六年生がたかだか一年生の気配すら読めない、気付かないということはないだろうに、初音は決まりの悪い顔をした。

「学園の中では先輩と呼べ。歳上にはそれ相応の言葉づかいをしろ」
「……初音先輩。なんでここにいるんですか」
「くのいち教室六年生は私しかいないんだ。もともと人が少なかったしな……必然と男子に混ざらざるを得なくてな……放課後にちょっとした余興があると聞いたから、ひとつ参加しようかと思って……」
「ふぅん……こっちの人は?」
「ん? あたし?」

見上げてくるきり丸の視線を感じて、逆さ吊りになっていた女は自分の事を言われていたと気付いて、くるりとひと回りすると地面に着地した。
遠目からは分からなかった、髪の毛と同じ色をした赤赤とした瞳に見つめられて心臓がどきりと鳴る。まるで今まで見たことがない、不思議な雰囲気をした女だ。

「五年の、猫桜朱喜」
「ねこ……ざくら先輩?」
「そっ。猫桜先輩!」

犬歯をのぞかせて朗らかな笑みを浮かべながら、よろしくな、と朱喜はきり丸に右手を差し出す。きり丸はその手を握り返しながら、誰かさんより優しそうな先輩だな、と隣でまた呪文を唱え出した初音の顔をちらりとみた。

「ねえ、猫桜先輩。さっきから初音先輩、なにブツブツ言ってんの?」
「ああ、あっちの髪の毛長い方がさ、立花仙蔵先輩ってゆーんだけど、初音先輩と犬猿の仲らしいんだよ。これ、一対一の勝ち残り方式で、負けた方が次の選手と交代するわけ」
「それで?」
「短い髷の潮江文次郎先輩が、昨日委員会で貫徹したらしくて、調子悪いせいか立花先輩が有利みたいで、次立花先輩が勝ったら当たるのが初音先輩。戦うのすらイヤみたいで、ずーっと「立花負けろ立花負けろ」って呪詛送ってるんだ」
「怖……」
「なー、怖いよな」
「そこ二人うるさいぞ!」

ぎろりと初音がふたりを睨みつけた直後、派手な爆発音と爆風が砂埃を巻き起こした。
きり丸の軽い体が爆風にのまれ、ふわりと浮きかけたのを初音が慌てて抱え込む。刀と一緒に抱きかかえられ、頬に触れた鞘の冷たさにきり丸はまたも心臓を強く鳴らした。鞘に収まっているとはいえ、本物の刀に触れたのは初めてだ。

もうもうとした煙がようやく収まったころ、爆発の発信源に人影が見えた。立花仙蔵だ。
一方の潮江文次郎がどこにいるかというと、

「このバカタレィ!! 殺す気か!!」

との怒号で、きり丸は自分の立っている木の真上にいることを知った。いつの間に、ときり丸は目を見張った。確かに白線からすぐのところに立つ大木だが、文次郎の座る枝ははるか一丈分も高いところだ。

「馬鹿とは何だこの阿呆め。武器制限一切なし手段問わずの勝ち残りを提言したのは貴様だろうが。文句があるなら過去の自分に言え」
「たかだかお遊びで焙烙火矢を使うやつがどこにいるか!!」
「たかが遊び、されど遊びだ……ふん、白線を飛び越えたんだ。お前の負けだ文次郎」
「くそっ! おい、北条! 俺の仇を取ってこい!!」

上からそう言われ、初音は実にいやそうな顔をして文次郎を見上げた。いやそうな顔、というよりは絶望的な顔と言った方が正しいのだろうか。ひどく落ち込んでいるように見える。今まで見たことのない百面相に、きり丸は妙な気持でその顔を見ていた。

学園に入学して早三か月。くのいち教室に遊びに行っても初音はたいてい実習でいなかったり、所用があるとかで出かけていたりで、こうしてまじまじと顔を見るのは久々だったりするのだ。
初音はしばらく思いつめたような顔をして胸に抱えていたきり丸を下ろすと、深くため息をついた。そして一言、

「この役立たずめ……」
「うるせぇな。寝不足だったんだよ」
「夜中まで委員会なんかやってるからだ阿呆め。……ああ、いやだいやだ。立花なんぞと戦いたくない。かといって敵を目の前にして逃げるのもいやだ。ああ、本当にいやだ……」

いやだいやだといいながらも、足は仙蔵のいる方へ向かっていく。
あの初音が、だだをこねるなんて珍しい。いや、ひょっとしたら普段は先輩ぶって大人っぽくふるまっているだけでこれが素なのだろうか。いろいろと思考を巡らせながら、きり丸はだらだらと歩いていく彼女のうしろ姿に声援を送った。

「初音先輩、がんばってください!」
「そーだそーだ! 初音先輩が勝ったら、潮江先輩が団子ごちそうしてくれるって!」
「誰がそんなこと言った!」

振り向きもせず、適当にひらひらと手を振りながら、初音は白線を超えて中に入った。その瞬間、彼女の目つきは鋭いものに変わり、手にしていた刀――忍者刀を腰に下げるとその刀身を抜いた。
その鋭い刀身を見て、きり丸はごくりと唾をのんだ。それはその場にいた他の一年生も一緒だったようだ。その場の雰囲気がわずかに凍りつく。

仙蔵は焙烙火矢の残骸を一通り集め、線の外へ投げ捨てると改めて初音の方を見やる。そして、ふむふむと一人納得すると、近くにいた別の六年生から初音がもつものと同じ刀を借り、代わりに焙烙火矢を手渡した。

「お前のその雪白の肌を焦がすのは惜しいからな……対等に刀といこうじゃないか」
「ああ気持ち悪い。気を使わんで結構だ」
「気を使っているのはお前だろう。得意は飛び道具じゃなかったか? 刀は苦手だったろう」
「馬鹿言え。苦手だからこそ刀なんだ。第一、この狭い空間で飛び道具が何の役に立つか……お前みたいな細身の奴は刀の方がやりやすいんだ」

気がつけばふたりは間合いを詰め、耳に痛い音を立てて鍔迫り合いをしていた。
一瞬なにが起こったのかわからないきり丸は、目を白黒させている。いつの間にやらまた木上の人となった朱喜が頬を赤くしながらすごい、と呟いた。

初音は仙蔵を細身だからと言っていたが、やはり男と女ではそもそもの力の差があるようだ。対等に迫合いをしていたように見えたが、いつの間にか初音の方が後ろへと押されている。当然仙蔵がここぞとばかりに体重を掛け、追い込んでくる。初音の眉がきつく寄せられる。

周りの六年生たちはさてどちらが勝つか、ひとつ賭けといこうじゃないかと盛り上がっている。やはり仙蔵だろうと誰かが言えば、それに賛同する声が聞こえる。言われて仙蔵の顔を見れば、初音とは違い釈然たる態度を一貫している。急にきり丸は心配になって、文次郎の隣で興奮してふたりの様子を見ている朱喜に声をかけた。

「ね、猫桜先輩。アレ、初音先輩大丈夫かな? 大けがしたりとか、しない?」
「大丈夫だって。授業ならともかく、こんなの毎日のようにやってる遊びだし。六年生にもなりゃ手加減ってのを知ってるから、せいぜい薄皮の一枚二枚切る程度じゃない?」
「でも……」
「死なない死なない。大丈夫」

初音は押されるがままだったが、押し切られる前に仙蔵の足を払った。あっ、という顔をして仙蔵の体が斜めに浮く。その隙に初音はごろごろと転がる様にして横に逃げた。ほっと一息吐く間もなく、仙蔵の方が早く態勢を立て直して懐に手を入れた。黒々とした手裏剣がようやく態勢を整えた初音目がけて容赦なく飛んで行くが、 それをどうにか刀で打ち落として彼女は大きく跳躍した。

しかし、相手は先へ先へと手を打っていく。次に仙蔵の手から放たれたものは一本の鎖だった。初音の得意と言っていた飛び道具だ。鎖の先には分銅がつけられていて、その重みで初音の体にくるくると巻きついていった。そしてその分銅が初音の腹を打つ。さすがに初音があっ、と声を上げた。刀を持っていた右腕もろとも封じら れ、どうにか左腕は逃がすが均衡を保っていた身体はその攻撃でぐらりと揺れてきり丸の目の前に落ちてきた。

ひっと息をのんだきり丸は慌ててそばに駆け寄ると初音の身体を揺さぶった。まさか普段から訓練を積んでいるだけあり気を失うという失態は犯さなかったが、地面に叩きつけられたせいですぐには起き上がれないようだ。身体を締め付ける鎖も邪魔をしている。
六年生はみな仙蔵の勝ちを、またこのまま初音が負けを認めることを確信した。同じような訓練を受けてきたから、初音がすぐに起きれないだろうと踏んだのだ。

勝ちを確信したのは仙蔵も同様だ。ゆっくりとその間合いを詰め、初音の転がる手前で刀を大きく振り上げた。ひゅんっと空気を切る音がする。

この時仙蔵は間違っても彼女を傷つけようというつもりはなかった。あくまでもこれは六年生同士の実力試し、ちょっとしたお遊びなのだ。だからこの場の空気を盛り上げるために、すこし余興を添えようと思ったに過ぎない。みなが楽しめるように、初音の身体に巻き付いた鎖だけを切り落とそうとしたのだ。

初音も、互いに嫌い合っている仲ではあったが、仙蔵が自分を切りかかることがないと思ってそのまま地面に伏していた。今までもこのような戯れ合いをして真剣を交えたことがあったが、怪我をさせることはあってもさせられることはなかったからだ。それに、足掻いたところで好転を見出すことは到底できそうになかった。

仙蔵の詰めた間合いは完璧なものだった。初音の着ている忍装束を裂くことのない、確実に鎖だけを断ち切る、一寸の狂いすらないものだ。しかし、思わぬ形でそれは崩れる。

何を思ったか、きり丸は初音を守ろうとふたりの間に飛び込んだのだ。仙蔵の顔ににわかに驚きの色が浮かぶ。それは初音も、また周りでふたりの戦いを見ていた者も同様だった。すでに刀は振り下ろされている。止めることはできない。白刃が夕日にきらめき、きり丸は不思議とその落ちてくる刀の軌跡がひどく緩慢なものに見え た。眼前に刃が落ちようとした時、くるりと視線が引っくり返った。

鎖が切り落とされる金属の音に、耳をふさぎたくなる肉を裂く音がした。周りからいくつも上がる叫び声と、多くのざわめき。きり丸は庇われたと気付くと同時に、さっと血の気が引いていくのを感じた。

「北条!」
「初音先輩!」

文次郎の野太い叫び声が響いた。次いで朱喜の慌てた声がする。初音の腕の中に抱えられながら、きり丸はもうすでに泣きそうな顔をしていた。

事が起こってから、きり丸は自分のした浅はかな行為を悔いた。守ろうとするだなんて、なんて傲慢なことであろうか。今、自分をかばったせいで苦しそうな呻きをあげている初音はもうずっとまえから忍としての色々を学んでいるのだ。守られるような弱い存在ではないはずだ。
それに比べて、自分はどうだ。まだまだ子どもだし、なによりようやく忍とは何たるかを知った程度だ。そんな子どもが、あの状況でかばったところで無駄死にするだけに決まっていただろうに、勝手に身体が動いてしまった。忍に大切な自制するということがまったく利かなかった。

「バカタレ! そこをどかんか!」

と、文次郎に半ば投げ飛ばされるように初音から引きはがされたのを朱喜が受け止める。六年生の文次郎が騒ぐくらいだ、起こっただろう悲劇は見るより明らかであった。きり丸はどうしよう、どうしようと呟きながら震える手で朱喜の忍装束をきつく握りしめた。

「おい北条、大丈夫か?」
「……痛い。たまったもんじゃない」
「それはこっちの台詞だ。白けた。くそ……こんな後味の悪い思いをするならもう刀なんて使わん。せっかく楽しく事が進んでいたというのに」
「阿呆。お前は伊作を連れてこい」
「言われんでもわかってる。おい、北条。死ぬなよ。毎夜枕元に立たれてはたまったもんじゃない」
「誰が死ぬか……ああ、くそ。背中の傷だなんて情けない……」

おそるおそる初音を見れば、文次郎に支えられどうにか上半身を起こしているところだった。初音が座り込んだ地面には真っ赤な染みが出来上がっている。ゆるい風が吹いて、生臭い臭いが鼻孔に届く。うっとむせ返るようないやな臭いだった。

初音は上着を脱がされて、夕日のもとにその背を晒す。その背中は右肩から袈裟斬りされており、腰のあたりから袴の尻までとろとろと血を流していた。その傷痕の下には広い範囲にうっすらとした瘢痕があり、それを見てきり丸は数カ月前、焼け落ちた村から初音に助け出された日のことをまざまざと思い出した。あの日、崩れた 家から自分を救いだしてくれたときに負ったやけどのなごりだ。
ふたつとも、自分のせいで初音の身体に負わせた傷だった。まして今度は刀傷。その夥しい血の量に、きり丸の頭の中には「死」という言葉が渦巻いた。

「初音姉ちゃん……あの、おれ……」

震える声で初音の名を呼べば、抱え込んでいた頭を起こして彼女はきり丸を見つめた。ぐらつく足でどうにか地面に踏ん張り、一歩、一歩と近づく。手を伸ばしたら初音の肩に触れられそうなところまで近づくと、左の頬をこぶしで殴られて身体が飛んで行くのを感じた。
受け身なんてとることもできず、右頬から思い切り地面に叩きつけた。皮膚の擦れた感覚と、口の中に血の味が広がった。

殴り飛ばしたのは言わずもがな、初音である。
普段から白い顔は、その出血のせいか青白くさえ感じられる。怒り心頭といった様子だった。きり丸は後悔と、痛みと、初音への畏懼でその両目からぼろぼろと涙をこぼして嗚咽をあげた。
初音がひときわ大きな声を上げる。

「私を助けようなどと思ったのか? 忍同士の戦いに助けなどいらん! 弱者は死ぬのがこの世界だ、他人を助けようだなんて思うな!」

初音は肩で息を整えながら続ける。やはり出血が響いているようだった。
きり丸は溢れて止まらない涙を何度も何度も袖で拭う。ただ初音を守りたい、怪我をさせたくない一心でしたことを真っ向から否定されては何も言えなかった。
そして、初音の言うことはもっともだった。

「今のが忍務のさなかの実戦だったら私は殺されていた。しかしそれが当たり前なんだ。私の方が弱かったんだから。仮にお前が仲間だったとしても、私の命なんて構っている暇はない」
「おい、北条。もういいだろう。一年の子ども相手に」
「駄目だ。いい機会だから教えておかなくては」
「すこし落ち着け。出血が増えるぞ」
「……きり丸。前にも言ったはずだ。忍にとって大切なのは忍務の遂行、殺されずにいることだ。お前、それを承知でここに来たんじゃなかったのか……?」

寒々とした寺で囲炉裏を囲み、あの日の初音は確かにそうきり丸に言った。命を諦めないお前だからこそ、忍に向いているのだろうと。

「せっかく生き延びたんだ、あんなくだらない戯れに巻き込まれて死んでどうする? いいか、これからは自分の命を一番に考えろ。それができないなら今のうちに学園から去るんだ。お前が思っているより、現実は残酷だ」
「北条! 何してるの! 説教してる場合じゃないだろう!」

初音の言葉を遮って、慌てて駆け寄ってきたのは仙蔵が呼びに行った善法寺伊作だ。手には救急箱を持っている。
まだ血が止まらない背中の傷を見て、顔をしかめる。伊作は、顔にあざをつけてむせび泣くきり丸を目ざとく見つけたが、その傷が大したものではないことと、そばに朱喜がいるのを確認してすぐに初音の方を向きなおした。

「ああ、まったく……なんでこんなに怪我ばっかりするんだ」
「したくてしてる訳じゃない……」
「そりゃそうだろうけどさ。切れ味のいい刀で良かったね、綺麗に切れてるよ」
「私が斬ったからな。尚更だろ」
「仙蔵、自慢にならないよ。もう。どうする、北条? 医務室行く?」
「いやだ。遊んでて大怪我したなんて新野先生に知れたら後が怖い」
「一回くらい怒られた方がいいんじゃない。とりあえず、砂埃ついてるから流して綺麗にしてから止血だね。文次郎、背負ってやって。僕の部屋連れていくから」
「ああ? なんで俺が」
「仙蔵が背負うわけないだろ。僕が背負ってもいいけど、」
「お前の不運に巻き込まれるからいやだ」
「…………ってわけさ。文次郎、よろしくね」
「いいよ潮江先輩。あたしが背負うから」

きり丸をなだめるように背を優しく叩いていた朱喜がはっと顔をあげて言った。だが、初音が首を横に振る。

「いい。制服が汚れるだろう」
「それは潮江先輩も一緒じゃん」
「こいつは男だから上着を脱がせればいいさ。それより悪いが朱喜、ここの血を流しておいてくれないか。このままじゃ気味が悪いだろう」
「……それはいいけど」
「うん。頼んだよ」

そのやり取りに文次郎はひとつ舌打ちして上着を脱ぐと、それを伊作に持たせて初音を背中に担いだ。その姿をきり丸は遠いところの出来事のようにぼやけた視界で見ていた。大きな背中に乗せられた初音の身体は文次郎と比べるまでもなく華奢で実に軽そうだ。そんな彼女を守りたいと思ったのに、二度も守られてしまってきり丸 は臍を噛む思いだった。しかし、いつまでも後悔ばかりしてはいられない。込み上げてくる悔しさを押し殺して、きり丸は強くならなくてはと思った。
村が襲われた時も、初音が斬られると思った時も、力があればきっと何かが変わったはずだ。せめて家族は助けられたかもしれないし、初音を別の方法で守ることだってできたかもしれない。そのためにはこの学園で学び、仲間とともに切磋琢磨し己を強くするほかない。

「ほら、一年坊主。お前も一緒に来い。まったく、いつの間に殴られたんだ? ん? 可哀想に、避けることもできない一年生を殴るなんて女のくせになんて野蛮なんだ」

仙蔵がきり丸の腕を掴むと、そのまま担ぎあげて三人の後を追う。きり丸にいろいろ語りかけるが、それはからかうような口ぶりで実際は初音に向けられた台詞だとわかる。

「やかましい。黙れ立花」

と、どこに隠し持っていたか、小さな鉄球のようなものを振り向きもせず仙蔵に投げつける。初音の狙いはぴったり仙蔵に向いていたが、あっさり避けられる。何気ない動作だが、これをできるかと考えて自分にはむりだときり丸は思った。

「初音姉ちゃん」
「きり丸」

文次郎に背負われてすっかり脱力しきった身体をぴくりとも動かさず、囁くような声で初音は言った。

「私を守りたいと思うなら、もっと強くなることだ」

それきり初音はなにも口にしなかった。きり丸もその言葉に返事をすることはない。ただ、何度も何度もその言葉をこころの中で反芻した。今はまだ、到底初音を守るなんて出来やしない。しかし、守れるようになるための勉学や業に努力することならいくらでもできる。
乾き始めた赤茶色の背中を見つめながら、きり丸はこの日自分のせいで起きた悲劇を絶対に忘れまいと心に決めた。前を向くことを決めた瞳からは、もう涙は流れていない。



100505
きり丸の中で、初音が特別な人になった日。
友情出演で朱喜ちゃんを勝手にひっぱりだしてみました。おつかれ朱喜ちゃん!





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