プリズムの魔法
雪が舞う曇り空。一歩校内に足を踏み入れると、そんな天気などお構いなしな浮き足立った空気を感じた。そんな空気を他所に、紅は自分の鞄に入っている箱を思い出して、つい、溜め息を吐いた。
一昨日のことだ。かごめと紗耶に拉致られる様にしてかごめの家に連れ込まれ、なすがままにバレンタイン用のチョコレートを作らされたのは。作るとは云っても、市販の板チョコを融かしてまた固めただけなのだが。
「渡しなさいよ」と云われ、渋ったけれど、折角作ったのだから、どうせなら渡そうかな、と思って持ってきたのだが。

「…はぁ…」

どうやって渡せば良いのだろうか。だって、そんな、このあたしが告白なんて、絶対にアイツは冗談だと思うだろうし、第一甘いもの嫌いじゃなかったか。
はっとそれに思い至ったと同時に、下足箱に凄まじい程多くの人がいることに気付いた。
原因は一体何だ、と思い、背伸びをする。そして見つける。綺麗なプラチナブロンドの頭を。
アイツかよ、と思うと同時に、不安になる。もしかして、朝から好きな女から告白されて付き合うことになったのではないか、と。そう考えて気が滅入り、溜め息を吐いて人混みを掻き分けて、漸く自分の下足箱に辿り着く。
上靴のコーティングの色から、後輩であると分かる。その女子生徒に向かい合うようにして、玲がいた。玲の眸がこちらを向いて、面倒臭そうな表情から、助かった、とでもいうような色に変化する。玲は一言二言その女子生徒に告げると、足早にこちらに向かってきた。まだ何か云いたそうなその女子生徒はこちらを向いて、紅に気付くと眉を顰めて睨んでくる。何という勘違いだ。勘弁してほしい。

「紅、ちょうど良いところに」

「…あんたあれ告白だろ。ちゃんと話つけろよ。あたし睨まれてんだけど」

「気にするな」

「…」

玲はあたしの腕を取り、ここから一刻でも早く立ち去りたい、とでもいうように早足で歩き出した。その反対側の手には、誰かに貰ったのかプレゼントが山のように突っ込まれている袋を持っていた。あたしはつい、薄ら笑いを浮かべた。

「モテる男は大変だねえ」

そう揶揄するように云うと、玲は眉を顰めた。

「迷惑極まりないだけだ」

と憎々しげに告げて、あたしの腕から手を離して行ってしまった。何だかやり切れない気持ちになって、額に手をやった。

「…あたしがあげても迷惑なだけだよな…」

そう呟いた声は、生徒の喧騒に掻き消された。










今日がバレンタインデーであろうがなかろうが、時間は何時も通りに流れる。
放課後の生徒会室。部活をする生徒の声だけが遠くに聞こえるこの時間の空間は、割りと好きだ。二月になっても未だ陽は短いため、既に外は暗闇に包まれている。
――早く帰ろう。

そう思って、置いてあったペンを持ち直して。その時、ドアが開いた。
玲が入ってきた。目を見開いて玲を見つめた。何でこんな時間に、ここに。驚きで何も云うことが出来ないあたしを見て、玲が口を開く。

「今年度のまとめか?」

玲の視線はこちらの手元に移り、そう尋ねられた。それに頷いて肯定する。

「来年度の予算の見積りも兼ねてな」

そう云った。動揺して、声が震えるのではないかと懸念したが、そんな心配はいらなかった。
すると数秒黙っていた玲が、不意にこちらに近付いてきた。どきりと跳ねる心臓を自覚しながらも、何なんだよ、と何時ものようにふてぶてしく云って、玲を見上げた。

「手伝う」

そう云って隣の椅子を引いて座ってきた。動揺して胸が高鳴るのを自覚しながら、それでも手伝って貰うのはありがたいので、その申し出を無駄にはしなかった。




玲が手伝ってくれたお陰で、思っていたより早く終わらせることが出来た。

「…あのさ、…ありがとな、手伝ってくれて」

素直に礼を云えば、その端正な顔を何とも奇妙に歪めた。それに対して、何だよ、と云えば、玲は「そんなに素直なお前は珍しすぎて気持ち悪い」なんて云いやがった。この野郎。
玲の失礼な発言を無視して、帰り支度を整える。振り返ると、いつの間に用意したのか既に玲の帰る準備は完璧で、あたしを待っていた。窓の鍵が閉めてあるかを確認して、電気を消す。そうしてドアを引いて開こうとした。

しかし、それは叶わず、戸は開ける寸前に後ろから伸びてきた手によって、押さえられて閉ざされてしまう。驚いて振り返ろうとするが、玲は「そのまま黙ってろ」と抑えた声で囁く。逆らえずに躯を強張らせた。
背後でゴソゴソと何かをしている音が聞こえ、次いで腕を回された。動揺して「え?」と声を出すが、玲は反応せずにそのまま何かを紅の首に回した。ひんやりとした感触とシャラ、と云う音から、それがネックレスであることを悟る。
ネックレスを着け終わると、玲はあたしの躯を反転させて自分の方に向かせた。
夜空に浮かぶ月の仄かな光だけが、この部屋を照らす。どこかロマンチックなこの空気と、玲との距離の近さに戸惑っていると、目の前の唇が動いた。

「イギリスのバレンタインを知っているか」

そう玲が問う。イギリスは確か、玲の父親の出身地だったな、と思い出すが、問われたことについては知らなかったので、首を横に振る。

「イギリスでは、男が好きな女にカードや花やプレゼントを贈るんだ」

玲は呟くような声音でそう云って、あたしの首に着けたネックレスを、そのスッと伸びた指でなぞる。

そうして悟った。玲が自分に対して、どう想っているのかを。
肩に掛けている鞄からラッピングされた箱を取り出し、無言で差し出した。しかし、玲はそれを受け取ろうとしない。不安混じりに玲を見上げると、玲はニヤリと笑った。

「こういう時、何か云うべきなんじゃないのか」

そう性悪な表情で云うもんだから、つい憤慨して突っかかる。

「…あ、あんただって何も云ってねえだろ!」

途端に玲は真剣な顔をして、こちらを見つめ始める。何もかも見透かすようなその眸に捕らわれ、居心地が悪くなる。何だよ、と、そう云いかけたとき。

「好きだ」

まさか云ってもらえるとは思わなかったので、チョコの入った箱を落としそうになった。それを察したのか、箱を持った手ごと、玲の掌に優しく掴まれた。

「あたしも、好き」

驚いたことに、意図せずそんな言葉が口をついて出てきた。自分で云ったことに驚いていたが、玲も驚いたように瞠目していた。
しかし、その驚きからは直ぐに脱したようで、掴んでいる手を引っ張られた。よろめいて玲に倒れかかると、更に強く抱き寄せられる。
肩に腕が回されたまま、プレゼントの箱が玲の手に渡る。包装紙を取り除き、チョコを口に入れようとする。その寸前に悪戯心が働いた。

「それ、カカオ99%」

そう告げると、一瞬固まった玲だが、不敵に笑うとチョコを口に入れる。食べる前には嘘吐いたとバレたのかな、と思う暇も与えられなかった。
次の瞬間には唇を塞がれた。味わうように唇を啄まれ、口にチョコの甘みが広がった。
唖然としていると、玲は唇を離し、こちらを覗き込んできた。

「99%だと?これが?」

「…嘘だよ」

そう云うと、玲は再び顔を近付けてくる。思わず身を引くが、直ぐ後ろはドアである上に、玲の腕ががっちりと頭を固定し、躯を抱き締めているので、意味をなさなかった。

「カカオをお前のキスで緩和しようと思ったが…余計甘くなっただけだな」

赤くなる頬を隠すために掌で口許を覆う。苦し紛れに小さな声で「うるせえな」と云うが、その覆った手さえも退けられた。
噫、もうどうにでもなれ、と投げ遣りになって、玲の首元に顔を埋めた。


取り敢えず、「悪くない味だ」と云う玲を軽く殴っておいた。仕返しは倍以上だった。




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