いつも通りの日常というものは、ひょんな事がきっかけでたやすく崩れ去るものである、まる。






「いぃーざぁーやぁああああ!」

「ちょっとシズちゃんさあ…今日やたらしつこくない、うざいんだけど」


ほぼいつも通りの鬼ごっこ、イン池袋。標識を手に追いかけるシズちゃんと、逃げる俺、折原臨也。
俺が池袋でシズちゃんに見つかったときの、いつも通り。
いつも通りでないことをあげるとすれば、シズちゃんがいつもよりしつこかった事と、昨日の雨で滑りやすくなったところがある、ということだけだった。


簡潔にこの後の事を説明すると、その二点がとんでもないことを招いてくれました、っていう事です、まる。



「ほんとしつこいなあ…」


シズちゃんのしつこい追走にいい加減イラついた俺は、確実に逃げ切るために高校時代から修得していたパルクールという技術で、ビルをかけのぼった。


「じゃーね」

「あっ、てめ、逃げんな!」


一歩、二歩、三歩。
四歩目を踏み出したとき、昨日の雨のせいか、案の定俺はビルの壁で滑った。まあ、すこし滑ったくらいなら地上に落ちる頃には受け身の態勢になれていたんだろうけど。


「いざ、っ」

「は、シズちゃ、」


すぐ後ろに、シズちゃんがいた。

そうして俺たちは二人そろって不様にドスーン、と派手な音を響かせて路地に倒れこんだ。










どれくらい、時間が経ったのだろうか。





僅かに残る雨の匂いを感じつつ、俺はゆっくりと目を開けて、驚愕した。

視界が、青い。

目をやられてしまったのか、と絶望にうちひしがれていたのだが、しばらくして異変に気が付いた。

青、が、ずれる、?

思わず眉間に手をやると、何かに触れた。それはシズちゃんのかけていたサングラスだった。なんだ良かったと思いつつ、俺は新たな異変に気が付いた。動作の途中で手元が見えたのだが、俺はなぜかカッターシャツを着ていたのだ。なぜだ。着替えた覚えはない。立ち上がって全身をよく見るとー…


「ーっ………」





人は、あまりに驚くと声が出ないっていうのを、身をもって味わった。




俺はシズちゃんのバーテン服を来ていた。上だけじゃなく一式、全部。
それだけではない。これだけなら、なにこれ、なんで、きもーい、しね、で終わらせられたのだが。


視界の端に、俺、が転がっている。


もう一度言おうか、俺が視界の端に転がっている。
俺を見ている俺も、転がっている俺も、折原臨也だ。だが、俺を見ている俺はシズちゃんの服を来ている。
嫌な予感が体中を駆け抜ける。まさか。あり得ない、と笑う。いや、まさか。まさかまさかまさかまさか…嘘でしょ?
水溜まりにはシズちゃんが映っているが、それは俺の目が映しているものだ。俺の脳が笑えと命令すると、水溜まりの中のシズちゃんがきもく笑う。
…嘘でしょ?
背中に流れる冷や汗を感じながら転がっている俺を優しく起こす。中身はシズちゃんでも外身は俺、中身は俺でも外身はシズちゃん、だから迂闊に手荒に扱えない。中身シズちゃんの俺はうーんとうなった後、目を開けて、俺を見て、すごい顔をした。


「…は?」


…俺のこんなアホ面、みたくなかったな…


「シズちゃん…驚いてるのは俺もだから」

「な、俺が喋った!」

「シズちゃん、落ち着いて、聞いて」

「あ?つか何で俺がノミ蟲の服着て…手前はなんだ?俺のそっくりさんか?」

「俺の話聞けよバカ」

「んだと手前…ノミ蟲みたいな喋り方しやがる。まったく不快だな」


まったく噛み合わない会話に殺意を覚えるが、さすがに俺は殺せない。仕方なく、先ほど中身俺のシズちゃんを映した水溜まりを指差した。


「シズちゃん、見て」


中身シズちゃんの俺…ああもうめんどくさいなあ、シズちゃんでいいや。全然良くないけど。
シズちゃんはその水溜まりを覗き込んで、さっきよりアホくさいアホ面をした。少しは俺の気持ちも考えてほしい。


「…ん……だこりゃ」

「たぶん現実。中身だけ入れ替わったんだと思う。よくわかんないけど、夢じゃないっぽい。あ、頬っぺたつねるの止めてね。それ俺の身体だから」


シズちゃんは俺がてきぱきと状況説明してやってるにも関わらず、ぼーっと水溜まりを見つめていた。かと思えば、いきなりうわあああ、と叫び声をあげてうずくまった。


「…やめてくれよマジで…俺生きていけねぇ」

「ちょっと、冗談でもやめてよ!くれぐれも俺の体で死なないでね。シズちゃんと違って、俺はナイフも刺さるし銃も貫通するんだから」


シズちゃんはびっくりしたように目を見開いて、え…どういう…刺さる?ナイフが…とぶつぶつつぶやいた後、身体の持ち主である俺に最高級にバカな事を聞いてきた。


「なんだよそれ…じゃあどうしたらいいんだよ」

「…このバカ!普通に避けてよ!…ああもういやだー…シズちゃんの身体ってだけでもすごい嫌なのに、こんなバカが中にいる俺の身体の心配もしなきゃいけないなんて…繊細な俺の身体なら絶対お腹痛くなってた」


シズちゃんの身体はとくに何も起こらない。体内で摩訶不思議なことが起こっていることを省けば健康そのものだ。俺の身体なら、転がっている俺を見た辺り…いや、シズちゃんの服を着ていると気付いた辺りで頭痛やら腹痛やらしてもよさそうなものだが、まったくその気配すらない。かといってタバコを吸いたくなるわけでも、むしゃくしゃしてその辺りのものを破壊したくなるわけでもないので、おそらく性格や嗜好などは元のままで、外見や健康状態は相手のもの、という仕様なのだろう。


「あー、うぜーうぜーとは思うがこんなやわっちい身体じゃなんも殴れねぇ…ああイライラする…おい、胸ポケットにタバコ入ってるからよこせ」

「なんでよ、やだよ。俺の健康が損なわれる」

「あぁ?…いいからよこせって」

「ちょっと、どこ触ってんの、はなし………え」


少し。
シズちゃんの力を考えて、すこし力を込めてシズちゃんの胸を押しただけだった、のだが。
シズちゃん、もとい俺の身体は数メートル後ろにふっ飛んだ。


「っいってぇー!」

「いやいや…うそうそうそうそ…、俺全然力出してないんだけど…なにこれ、シズちゃんいつも力加減とかいったいどうやってんの」


あわてて駆け寄り、シズちゃんの腕を引っ張っておこそうとするが、勢いあまりすぎて俺の胸に抱き寄せる形になってしまう。うわ、吐き気がする。吐き気がするのはシズちゃんの身体でも同じなんだ。シズちゃんもきっと吐き気がしてるんだろうな、そう思って目をやると、俺が吐きそうな時にする表情とは違う顔のしかめ方をした。おそらくあれがシズちゃんの『吐きそうな時にする表情』なのだろう。


「とにかく…あんまあてにならない気もするけど新羅んところ、いくしかないよ…」


この状態をどうにかしなければならない。

とにかく、できるだけ早く元の身体に戻る事が今の俺たちにとって、最重要、かつ不可欠なことであったのです、まる。









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