引き返した玄関には、さっきまでソファーに座っていた森厳さんが立っていた。まるで俺が戻ってくるのを待っていたみたいだ。
革靴の踵を直そうと伸ばした手をひっこめてトントンと爪先を叩く。腕を組み、壁にもたれかかった森厳さんに向き直り、俺は本題を口にした。


「どんなに危険でもいい、元に戻る方法があるなら教えてください」

お願いします。そう言って頭を下げると、森厳さんは腕を組んだまま少しうなだれ、渋るようにううんと唸った。



元に戻る方法。


森厳さんは脳移植だの何だのと言ってはいたが、「元に戻る方法はない」と明言してはいない。
もしかしたら、元に戻る方法はあるのかもしれない。そんな一縷の望みを託してもう一度聞いてみたが、悩むということはどうやら正解らしい。
森厳さんは黙ったままだったが、俺は構わず続けた。

「臨也と面識、あるんすよね。それならわかると思いますけど、今のアイツはだいぶおかしいんです」

こうなってから四六時中、ずっと一緒にいたから、俺にはよくわかる。

臨也はおかしくなっている。
変化は少しずつ、だが確実に。



「……たぶん、俺の体だから」
「どういう意味かね」
「俺にとってのキレる、みたいなもんだと思うんですよ。臨也のヒステリーは」
「……ほう」

仮説を話すと、森厳さんから興味深そうなため息が洩れた。組まれていた手はいつのまにか解かれて、ガスマスクのあごのあたりを撫でている。

「しかし、折原くんの精神状態がどうなろうと君には関係ないだろう。君は折原くんを憎んでいるとばかり思っていたが。やはり、自分の体だから、なのかい」

森厳さんはじっとマスク越しに俺を見た。

ああそうだ。もちろん、自分の為でもある。

「……俺は」

臨也の体はなにかと不便だ。今まで「当たり前」にできていたことができないし、思うようにいかない事も多い。トムさんにも迷惑をかけているし、出来ることなら早く戻りたい。

「……俺、は」

でも、それだけじゃない。

俺は目を閉じて、ゆっくりと紐を解くように、臨也と過ごしたこの四日間の事を思い出しながら口を開いた。


「今までは臨也とまともに会話した事なんかなかったんです。顔を見た瞬間にアイツは逃げるし、俺はいろいろぶん投げちまう。……でも、臨也と一緒にいなくちゃならない状況になって、臨也を殴れない状況になって、臨也と話して……知らなかったことをたくさん知りました。あいつのするくしゃみは何かイラつく。やたらと風呂にこだわるし、ワガママだし、タバコ吸おうとするとギャーギャーうるせえ。思い通りにならなかったらヒストリー起こすし…めんどくせえ。……ほんと、めんどくせえ奴。……なんすけど……」

臨也の舌は回りやすかった。
俺なら数回噛んでいただろうが、すらすらと淀みなく喋れたことで余計な事まで話してしまった気がする。

一度深く息を吸い、呼吸を整えると同時にごちゃごちゃしていた頭の中も整理する。俺の中で、結論はとっくに出ていた。

「……放っては、おけないです。アイツが俺を守ろうとしてくれたように、俺も、アイツを守りたいんです」


まあ、あいつにとっちゃ自分の身を守るためだとは思うんすけどね。
照れを隠すように付け足して頭を掻く。


しばらくの沈黙の後、静かだった部屋にぱちんと手を叩く音が響いた。森厳さんはぱちぱちとスタンディングオベーションでもするかのように大仰な拍手をしながら、何に同意したのか、何度も何度も頷いていた。

「いやはや、素晴らしい」

頷きながら、俺の両肩に両手をのばし、ポンポンとつよく叩く。

「君なら大丈夫だな」

ガスマスク越しの目はきっと細められている。
森厳さんは笑顔で、こう言い放った。

「入れ替わったままでも、これからも折原くんとやっていけるさ」

俺はしばらく固まって、呆然と森厳さんの顔を見た。

言っていることがよくわからない。


「……いや、戻る方法を」
「ん、そんなものがあるなんて言ったかな?すまないが都市伝説に関しては専門外でね」


いきなり話し始めるから何かと思ったが、面白い話が聞けてよかった。仲良くなったみたいだし、いっそ本当にキスでもすればいい。

と、まあ、大体そのような事を言った森厳さんのそのセリフを、俺はどこまで聞いていられただろうか。

脱げかけの靴も気にせず部屋を飛び出し、エレベーターのボタンを連打する。こんなことをした所でエレベーターが来るスピードは変わらないのだろうが、それでも、エレベーターが来るまで矢印のボタンを押し続けた。









ようやく到着したエレベーターで地上に降り、空気を吸い込む。心地よい夜風が上気した頬を撫でていった。
疲れたと勝手に口からため息がもれて、吐き出された二酸化炭素を追うように視線を上げると、目の前のガードレールに俺の姿の臨也が腰掛けていた。

「おかえり」
「……おう」
「なんとか、なった?」
「……あー、まあ……あの、」
「まあ、ああなるとは思ってたよ」

言葉を濁す俺にヘラリと笑いかけ、臨也は足をおおきく振って反動をつけてからぴょんと勢いよくガードレールから離れ、俺の隣に飛び降りた。
二人で並んで歩く。いつの間にか、「当たり前」になった光景。


「でもさ、……その、ありがとう」


ぼそぼそとつぶやくような声は小さかったが、当たり前に隣にいたから、聞こえた。









続き


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