新羅のマンションに着いた俺と臨也を出迎えたのは、白衣で全身を真っ白に上塗りするだけでは飽き足らず白いガスマスクのようなものを装着した謎の人物だった。 あまりの出で立ちに俺は思わず後退りしたが、臨也は表情ひとつ変えず「この人、岸谷森厳さん」と、白ずくめの男を指差してなんとも簡易な紹介をし、ずかずかと部屋に上がり込んでいった。 「やあ、平和島静雄くん。話は聞いてるよ。まあ座りたまえ」 「あ、はあ……どうも」 勧められたソファーに座る臨也に倣い俺も腰を下ろす。仕事が忙しいセルティだけでなく、新羅の姿も見当たらない。新羅がわざわざ森厳さんを呼んでくれたのだと、ここに来るまでの間に臨也が言っていたから、新羅に礼のひとつでも言ってやろうと思ったのに。 キョロキョロと辺りを見渡していると、臨也にわき腹をつつかれた。 「……なんだよ」 「ちょっと、俺の体でそんな大股開きするのやめてよ」 ひそひそ声で囁かれ、慌てて目線を下にやると、股を開いた臨也の脚があった。隣を見ればきっちりそろえられた俺の脚。なるほど、すげえ変な感じがする。 「手前こそ、俺の体で女みてーに脚ピッタリ閉じんの止めろ」 「行儀が良いと言ってくれないかな。はやく閉じて」 「チッ、めんどくせえ」 臨也がチクチクチクチクと脇腹をつつくのを止めないので仕方なく膝と膝をくっつけてみたが、慣れていないからか、意外にも結構筋肉をつかう。十秒ともたず膝が離れるのを見て、臨也は小さくため息をついた。 そんな俺達の様子を観察するように眺めていた森厳さんがここでようやく、口を開く。 「なるほど。にわかには信じ難いが、本当に入れ替わっているようだ」 表情をはかり知ることはできないが、ガスマスク越しの森厳さんの声はどこか嬉しそうに聞こえた。 そんな森厳さんとは対照的に、臨也は森厳さんに向き直り、重い調子で口を開く。 「……あの」 「なにかね」 「……単刀直入に聞きます。俺が元の体に戻る方法は無いんですか」 「……おや、不便なのかい?平和島君のパワーは便利だと思うのだが」 「それ以前に、俺がこいつの体でこいつが俺の体だって事が堪えられないんです。考えてもみてください。あれだけ嫌っていたやつと、今じゃ一日中一緒にいなきゃいけないんですよ」 堰をきったように話しだす臨也は、すこし興奮しているようだった。 さっき臨也がやったように脇腹をつついてみるが、臨也は何も反応を示さない。わずかだがテーブルに身を乗り出して、ひたすら口を動かし続けた。 「俺の知らない間に、俺の体で妙な事されたら困るんです。シズちゃんがどうこうって訳じゃなく…仕事、そう、仕事もあるし、取引だってたくさん」 「……臨也、落ち着けよ」 「俺は落ち着いてる、」 すこし荒くなった、臨也の呼吸だけが部屋に響く。 あまりの剣幕に、俺は声をかけた体勢のまま固まってしまった。 たっぷりと間をとった後、森厳さんが「とにかく、聞きたまえ」と言って、臨也は乗り出していた体をようやくソファーに下ろす。ちらりと横目で見ると、自分が信じられないといった表情でうつむいていた。 森厳さんはそんな臨也の様子など歯牙にもかけないような口調で話しだす。 「君は都市伝説と言うものを知っているか?」 臨也は答えない。代わりにと俺が、「知っているも、何も」と言いながら、今はおそらく仕事中のセルティがいつも座っている、新羅の仕事机の隣の椅子をちらりと見た。 「そう。君らのそれも、都市伝説のひとつだよ。首無しライダーよりもずっとずっと前からある話だ。全てが相反する二人が同時に事故や何かにあった時に――」 森厳さんが肩の高さまで両手を上げ、離れていた右手と左手を真ん中でぱちんと合わせる。 「入れ替わる、とね」 ガスマスクの向こうはどんな表情をしているのだろうか。 少なくとも、冗談を言っているような声では、なかった。 臨也は相変わらず黙ったままだ。仕方なく、俺が臨也の質問を引き継いでやる。 「元に戻る方法はあるんすか」 「脳移植なら今すぐにでもできるが?まあ、成功するかは置いておいて」 ゴクリと思わず喉を鳴らした俺に向けて「冗談だ」と言いながら大げさに手を広げながらも、森厳さんは「しかし、落胆することはない」と続けた。 「科学的な根拠はないがよくある話じゃないか。ありがちというか、王道というか。ためしにキスでもしてみるといい。ひょっとすると元に戻るかもしれない」 森厳さんは豪快に笑って、ぱちぱちと手を叩いた。 確かに、笑うところなのかもしれない。 しかし、俺には簡単に笑い飛ばす事などできそうにかった。元に戻りそうなことで試していないことなんて、正直、あとそれくらいしか考えつかない。 「……臨、也」 おそるおそる声をかける。 と、俯いて押し黙っていた臨也は跳ねるように立ち上がり、ソファーの間を縫って玄関へ逃げるように走り去った。 「おや」 「お、おい、臨也」 あわてて臨也を追いかける。 急いで開けっ放しの部屋の扉をくぐり、廊下を走りぬけ、靴のかかとを踏みながら玄関の扉を開ける。 そこにいた臨也はこちらを見ようともせず、ひたすらエレベーターの回数表示のパネルを見ていた。 「…………帰る、のか?」 臨也は何も答えなかった。 ず、とわずかな機械音を響かせようやく到着したエレベーターに乗り込もうとする。俺はエレベーターの前まで行って、閉まろうとする扉に脱げかけの足を引っ掛けた。 閉まりかけた扉が、再び開いて、「閉」のボタンに指を置いたままの臨也が、ゆっくりと顔をあげた。 俺の顔だ。 俺の顔の、はずなのに。それはひどく儚げで、弱々しく、不安げな顔だった。 俺は乗り込むつもりだった鉄の箱から足をゆっくりと引き、閉まっていく扉の向こうの臨也に言った。 「……俺が、なんとかするから」 なんとかなる保証なんかないけれど、なんとかしてやりたい。相手は臨也だとかそういう事は俺の頭にはなかった。 エレベーターの扉が閉まる。臨也は俺の目を見たまま、ゆっくりと地上へ降下していった。 続き |