「う……」

鼻の奧がつうんと痛い。ああ、頭も痛い。身体はギシギシと軋んでいるようだ。こめかみに手をあて半身を起こしながら、ぼんやりとした思考を冷やしていく。

ここはどこだ。
なぜ俺はここにいるのか。
記憶はひどく不鮮明で、何一つわからない。

「……ふう」

パニック状態に陥りかけた混乱する頭の中を深呼吸でいったんリセットし、まずは自分の置かれている状況を把握するところからはじめてみる。

視線を左右にと動かすと、コンクリートの打ちっぱなしの壁に、何か文字のかかれた紙が貼り付けられていることに気が付いた。目を細めて見ると、それには見覚えがあった。
プリントアウトされて壁にはり付けられている文書。それは、まちがいなく、俺が甘楽として出したメールだった。

「かん…ら……」

チカチカと頭に警告の灯りがともる。

甘楽。
そう、俺は今日甘楽として―出会い系サイトで知り合った男と待ち合わせをしていて―屋上からその無様な顔を観察してやろうと―オペラグラスを覗いて……それから…

それから。


「……!」

俺は完全に意識を取り戻し、堅い簡易ベッドから飛び退いた。はず、だったのだが。

「痛っ」

ガシャン、俺は派手な音を響かせて、マットレスに体をしたたかに打ち付けた。飛び退こうとベッドを蹴った足に枷が嵌められていたのだ。片足ずつ、鎖の長い足枷がベッドヘッドに繋がれている。衝撃でホコリがぶわっと舞い、ゲホゲホと咳き込む。物音に気が付いたのか、軋んだ音を響かせて簡素なドアがゆっくりと開いた。
少し太った体に緑のチェックのシャツと茶色のズボンを纏った男。甘楽と待ち合わせした、捜し求めていた男に違いなかった。
部屋に入ってきた男は観察するように、舐めるように俺を見る。乾燥した唇が開いた。「甘楽ちゃん」


「……アンタ、人違いしてない?誰、甘楽って」


我ながら苦しい言い訳だとは思う。

もう少し上手に言い逃れればよかった、と猛省すると同時にポケットの携帯電話が震えた。メールの着信を告げるのは、甘楽用の携帯。

「ほら、やっぱり甘楽ちゃんだ」

にやり。携帯を手にした男の口角が気持ち悪い位に上がる。
三日月を回転させたようなそれは、俺の背筋に汗を垂らすには充分すぎた。じりじりと後退ると、申し訳程度に引かれたシーツに皺が寄った。足になにかが引っ掛かる感覚に、不意に視線を下げる。その瞬間に男は間合いを詰めた。まるで獣のような速さ。それは一瞬だった。反射的に手で頭を守る。するとベッドに飛び乗った男は俺の手を一まとめにし、ベッドに縫い付けた。ガチャガチャと派手な音を響かせながらポケットから取り出した手錠が絡み付く。
その体のどこから、そんなパワーとスピードが生み出されるんだ。混乱する俺を尻目に、俺のインナーがぐいと胸上までたくしあげられた。

「ちょ、ちょっ…!?」
「甘楽ちゃん、甘楽ちゃん」

ハァハァ、生ぬるい呼吸が肌を湿らせる。気持ち悪い。まるで犬がのしかかっているようだった。
ざらついた舌が腹を撫でる。自由のきかない両手両足が恨めしい。必死で体を捻ると、男は腹から顔を上げた。

「ボク、甘楽ちゃんの事がすきなんだ。ねえ、甘楽ちゃんもボクのこと、好きだよね?メールで、好きだよって言ってくれたもんねえ」

そんな事を言った記憶は無い。

確かに、こいつに好きだと言われた事はあったが、それに対する俺の返答は「ありがとう、うれしい」だ。これはテンプレだから間違いない。

「言ってない」そう言おうと口を開いた瞬間。

ぶちゅう。

ねっとりとした舌が咥内にねじ込まれた。れろれろと好き勝手に歯列をなぞり、溢れた唾液が唇から零れる。俺はあまりの気持ち悪さに目をきつく閉じて呻いた。
抵抗を諦めたとでも思ったのだろうか。男は唾液を零しながらニヤニヤと笑った。

「両思いだね甘楽ちゃん。ねえねえ、甘楽ちゃん、ボクの子供を産んでくれるよねぇ」
「……は?」

男は俺の反応を見て、にっこりと笑った。俺が訝しげに眉を寄せるよりも早く、部屋に嫌な音が響く。
ジョキン、ジョキン。
まるで、空気が切り取られるような音。そんな比喩はあながち間違いではなく、俺の下半身は冷たい空気に晒された。ズボンが、大きなハサミで切り裂かれている。ジョキン。ハサミが股上まで迫り、肌があわ立っているのがわかった。

「ちょっ、やだ…!やめろ、やめろってば!」

震える声で叫ぶと、男はあからさまに不機嫌な顔をして手のひらを振りかぶった。

「暴れちゃだめだよ」

きっと頬をひっぱたかれるのだ。顔を背けた俺を置いて、男の手は腰に伸びた。くるっと世界が反転すると同時に、

ぱしん。

「いっ」

なにが起こったのか。
わけのわからないまま、部屋に乾いた音が反響する。

ぱしん、ぱしん。

「イケナイ子には、おしりぺんぺんだよ」

尻を叩かれているのだと気が付いたのは、尻がじんじんと熱を帯びてきてからだった。
痛い。まるでムチか何かを振り下ろされているかのように痛い。叩かれる度に、肉が切り裂かれそうだ。

「っ、いや…!」

慌てて腰を引くが、男は抱え込むようにがっちりと腰をホールドしている。
背中に冷たいものが流れた。――逃げられない。

「ハァ……ハァ…、甘楽ちゃ、甘楽ちゃんの、おしり…」

ぱしん、ぱしん。

荒い息が尻たぶにかかる。時折垂れる生ぬるい液体はきっと唾液だ。俺は屈辱のあまり、堅い枕に顔を押しつけた。




数十回は叩かれただろうか。

感覚が無くなってきたころ、ようやく男は叩くのを止めて名残惜しそうに尻たぶを撫でた。円を描くように、数度。
「やめろ」などと言っても聞かないとはわかっていたけど、それでも言わずにはいられなかった。

「も、やめて……」

情けない声だ。
弱々しく、か細い、俺の知らない俺の声。けして流すまいと堪えていた涙が零れそうになるのを必死で我慢する。それは最後の砦みたいなものだった。

殺風景な部屋を沈黙が覆う。

あれだけうるさかった男が静かになっていた。
断続的に聞こえていた荒い呼吸すら、聞こえない。一体どういうことだ。

不審に思って振り返ると、俺の打ったメールを背景に、男は部屋に入って来たときと同じ笑顔を浮かべて立っていた。

「…ねえ、ねえ、挿れる、よ?」

その手で、猛りきった汚らしい己の陰茎をもてあそびながら。








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