「シズちゃん、無事でよかったよ」

俺にもこんな表情があったのか、というくらいの清々しい顔で、俺の顔の臨也が笑う。縄の跡が痛々しく浮かぶ俺の白い腕を見て眉をひそめながら、臨也は俺に手を差し伸べた。

ようやく、俺と臨也の逃亡生活は終わりを告げたのだ。








―一時間前

俺―頭のやられた臨也と勘違いされ殺されそうになっている平和島静雄―は、のたいそう広々としたマンションの一室に監禁されていた。監禁とは言うものの、けして自由のじの字もない訳でもない。手錠や縄などで縛られてはいたが、波江という女に目的を告げれば、臨也臭いマンション内という範囲ではあるが、自由に歩き回れた。波江がなぜ俺を監禁するのかは知らない。臨也によると波江は臨也を殺したがっているらしいのだが、波江は臨也のようにナイフを持ち出したりはしなかった。それどころか、飯の準備など、かいがいしく世話してくれるのだ。
わけがわからねえ。
波江は俺の見るかぎり、淡々と仕事をしているように見えた。てきぱきと書類の山を片付けるのを待って、一段落ついただろうタイミングを見計らって声をかける。

「なあ…アンタ、何を考えてる」
「……私かしら?…別に、何も」
「俺を殺さないのか」
「あら、殺されたいの?」
「いや、違う、が」
「じゃあ、黙っておき…」

ぴんぽん。

緊張という名の布のようなものをビリリと切り裂いた、たいそう間抜けな音は、どうやら玄関のチャイム音らしい。波江はインターホンを確認して、忌々しげに舌を鳴らした。

「何の用かしら…泥棒猫が」

首をめいっぱい伸ばしながら、この間幽が出ていたドラマでヒステリックな女が叫んでいたのと同じ単語を呟いた波江の肩ごしにディスプレイを見る。ニットの帽子をかぶり、制服のような格好に身を包んだ少女には、僅かに見覚えがあった。以前会った時はかなり怯えたような表情をしていたが、インターホンのディスプレイ越しに見る彼女は酷く焦っているように見えた。波江は整った顔を歪ませながら受話のボタンを押した。

「お義姉さん!大変です!!誠二が!」

インターホンからわりと距離があるにも拘らず、耳に痛い高音俺のところにまで届く。甲高い少女の声は酷く震えており、事態の重大さを物語っていた。

「…誠二が、どうかしたのかしら」
「誠二が!誠二が大変なんです!家族の方が必要って!お義姉さん!!」

波江は一瞬ハッと息を呑み、開きっぱなしのパソコンへ走った。カチカチとマウスを操作する。あまり見えなかったが、黒い背景のそれはダラーズのサイトのようだった。しばらくパソコンと向き合った後、噛み付かんばかりの剣幕でスピーカーに向かって畳み掛けた。

「あなた、誠二の傍にいたのよね!?どう責任を取ってくれるのかしら!?それと何度も言うけど貴女如きが誠二を呼び捨てに」
「今はそんな事を言ってる場合じゃないです!早く!」

冷静な少女の言葉に、波江はちらとこちらを一瞥し、「おとなしくしておきなさい」という一言を残して、小さなバッグを肩にかけながら玄関へ走った。

入れ違いのように、髪を明るい色に染めて耳にピアスをした、人のことを言えた義理ではないが、どちらかというとまだあどけなさを孕んだ顔に似合わず、なんとなく派手な出で立ちをした少年が入ってくる。

「…静雄さん、ですよね」
「……ああ。…ええと、竜ヶ…なんつったっけか、あいつの離してた……」
「はい、紀田です」
「紀田?紀田……正臣?あれ、誰だっけ」
「あ……あの時はすみませんでした」
「ん?いや…どうせノミ蟲野郎のせいだろ」
「まあ……臨也さんから話は聞きました。急ぎましょう」

紀田はそう言ってしゃがむと、俺の腕に巻かれた縄を解き始めた。何時間かぶりに自由になった腕はなんだか自分のものではないように思えた。いや、確かに自分のものでは無いが。
……しかし、俺の記憶が正しければ、確かこいつは臨也とあまりいい関係になかったはずだ。臨也といい関係を築く事のできる人間は大概臨也に利用されている事に気付いていない奴が大半なんだろうが。臨也の事を知っているであろうこいつが、臨也に従う理由は何だ?

「なあ、……何で協力してんだ?」
「臨也さんに、頼まれましたから」
「臨也の事は恨んでないのか」
「……もちろん、許せないです。――でも」

やり方なんて、色々あるんですよ。
そう言って、少年は何ともいえない笑いをこぼした。









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