▼ 夏あたり
ざくり、鋤を地面に突き刺す。心地よい抵抗を手に感じながら土を掘り返し、流れてきた汗を乱雑に拭った。
暑くなってきた。季節は今年も違えることなく夏に向かっているようだった。濃い土色のこの空間から這い上がれば、鮮やかな、眩しすぎるほどの色が広がっていることだろう。
「あーやべ」
そう、まるでこの人のような。
夏が似合う人だ。日焼けして傷んだ髪も、しなやかに鍛えられた獣のような身体も、何より、顔全体で笑うような、笑顔が。
「おはようございます。」
「おー、おはよ。またタコ壺か?」
「はい。」
今日は暑いからほどほどにな、といいながら穴の縁に胡座をかく先輩は、どうやらしばらくここにいてくれるらしかった。それがわかって、わずかに口許が緩む。この人はいつも忙しい。五年生で委員長代理ともなればやることはたくさんあるだろうに、さらに個人的に後輩の世話を焼いているというのだから。いつも学園中を駆け回っているこの人は滅多に捕まらないし、かろうじて捕まったとしても周りの五年生に止められる。休ませてやれ、という意図が含まれた視線に従う義理はないが、この人が倒れるかもしれないと考えたら捕まえておくこともできはしないのだ。
自分たちはいつも一緒にいれるくせに、と口を尖らせることもあったが、今日はその必要はないのだ。多分、彼からは緩んだ口許がよく見えていることだろう。笑みを深めた彼は、そのままひょいと修理中であろう虫籠を取り出した。
「竹谷先輩、委員会は?」
「こんな暑い日はあいつらも参っちまってるよ。」
うそ。まだ盛りではない暑さに、毒虫どもが弱るわけがない。むしろ、いま周りで喚いてる蝉なんかはこれからが本番だろう。それを知らないわけがないのに、バレバレのうそをついたのは自分を安心させるためなのだと、自惚れてもいいのか。
「綾部こそ、バテないようにな。」
「そうなったら、竹谷先輩よろしくお願いしま〜す。」
「何を?!」
からからと笑うひとに、少しむくれながら言い返す。けれど、それもいい。自分の体調管理が出来ないつもりはないけど、竹谷先輩に世話を焼いてもらうのは好きだ。俯いて笑ってしまわないよう気をつけながら突き立てた鋤を手に取って、蛸壺掘りを再開した。
ぽつりぽつり、なんでもないような言葉を交わしながら掘り進めて、固めて。
ひと段落ついたところで踏子ちゃんを地面に突き刺して、汗を拭う。その一瞬、地面がわからなくなるような感覚とともに、たたん、とたたらを踏んだ。
ふと空を見上げれば、お天道様は随分てっぺんに近いところにいる。いつの間にこんなに時間が立っていたのか。ふらついたのはつまり、ろくに暑気中りだろう。本来なら涼しいところで休んだほうがいいのだろうけど、出来ればこのままがいいなあ、と思うのだ。なにしろ、学園内の涼しいところなんて人が多い。そうすれば、誰にでも慕われるこの人はすぐにとられてしまうだろう。
だけれど、見逃してくれないからこそこのひとはこのひとであるわけで。
「綾部?」
「……なんですか?」
「どうかしたのか?」
「いいえー」
せめてもとしらばっくれてみる。そうすれば訝しげな顔をした先輩が、音も立てずにすぐそばに降り立った。のびてくる手を拒まずにいれば、その手はやんわりと泥のついた頬をつつんだ。
いつもは体温が高いはずの先輩の手が珍しくひんやりとしていて、頬を触ってきた手に思わず懐く。そうすればいつもはそのままその手は頭に移るというのに、今日はその手はあっさりとはがれる。追うように顔をあげれば、少し顔をしかめた先輩がいた。
「先輩?」
「ったくしらばっくれやがって。とりあえずこれ飲んで。」
先輩の腰にくくりつけられていたであろう竹筒を差し出されて、仕方なく受けとる。
「飲んだか?」
「はい。」
「んじゃ穴掘りは終わり。出るぞ。」
「ええ〜。」
小さな抵抗など意も介さず、さっさと穴から出てしまった先輩は、くるりと振り返ると手を差し出してにかりと笑った。それだけで、渋っていたこの腕を差し出してしまうのだから、まったく太陽とは厄介なものだ。
「拗ねるなって。いいところに連れていってやるから。」
「いいところ?」
「裏山のな、生物委員の生物を放し飼いにしてるところの近くに、小さい川があるんだ。そこで涼もう。」
な?と首を傾げるそのひとに、ほころぶ口許はやはり見えているのだろう。仕方がない。夏にあてられたのだから。
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