◎ 秋雨
「私が好きって言っても、信じないでしょう?」
なんでもないようになされた問い掛けに、即答できないのは初めての経験だった。
*
そもそも跡部景吾という人物は、線引きが非常にはっきりとした性質だった。自分の判断で、信用できるか否かを決める。風評などには頼らず、会って、見定めて、対応を変える。それが、跡部なりの処世術であった。
だからこそ、この問い掛けに珍しく困窮したのだ。何しろ目の前の少女とは初対面で、たった数分前に現れた少女の第一声がそれだった。
見目麗しく、また勉強でもスポーツでもトップクラスの跡部は、当然今まで話したこともない女子に愛の言葉を告げられたこともあった。むしろ両手の指では足りないほどだ。今までその言葉には、跡部なりの彼女らに応えられない理由も添えて断ってきた。
けれど今回は違う。愛の言葉に応えろと要求されたわけではなく、ただ問い掛けられただけだ。「信じないでしょう?」と。
いくら跡部の洞察力をもってしても、たった数分で少女を信じられるかどうか、という判断をすることはできなかった。
そして、本当に珍しく跡部が口ごもった一瞬の間に、少女はあっさりと背中を向けて去ってしまった。
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跡部景吾は線引きが非常にはっきりしている、ということを、少女はよく知っていた。
跡部景吾という人は、他人の能力を見定めるのが上手い。その上で、信頼した人間にはその能力に応じた態度を取る。主にテニス部に対する傍若無人な振る舞いは信頼の証だ。
例えば、その辺の女子、まあ言いたくないが私なんかが跡部景吾に迷惑をかけるようなことをしたとしよう。跡部景吾は私に怒らない。ただ嫌なことがあったと、テニス部かどこかで笑い話にするだけだ。
信用できるかどうか見定める必要すらないからだろう。そんなことがあったとしたって跡部景吾にとって私はその場かぎりの人間で、わざわざ線の中に入れるかどうか判断する必要もない。
だからこそ、敢えて問いかけて見ることにした。そうすれば、跡部景吾は一瞬であれ、私のことを見なければならない。
信用できるかどうか、見定めるため。
声を張ることに慣れている、よく通る声が呼び止めるのを無視して笑みを浮かべる。一瞬だけ、ほんの刹那の執着だというのに。
あの美しいひとに見てもらえるのが、こんなにも嬉しいなんて。
*
授業合間の休み時間の廊下の人混みを、するすると抜けてゆく後ろ姿を見つけた。追う理由はない。少女はあの問い掛けに答えを求めていたわけでは、なかったと思う。ただ、一瞬の夕立のように、こちらの惑う様を見て、笑ってすぐいなくなるような意地の悪さだった。けれど。
「……おい。」
「……私?」
「お前を信じるかどうかは俺様が決める。お前に決めつけられるのは、気に入らねえ。」
夕立の季節はそろそろ終わりだ。このまま夜通し降り続けてしまってもかまわない。
ちーちゃん、ハッピーバースデー!
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