◎ 雪果つ
先程から絶え間なく百均ビニール傘を叩いていた雨が、だんだんと白っぽく形を成していることに気がついた。
「プリッ」
「…あ、忘れ雪!」
斜め前の傘を叩いてそれを示してやれば、ぱぁ、という効果音がつきそうな笑顔で空を指さす彼女に苦笑いする。デジャヴ。デジャヴというか。
「お前さん、それ何回目じゃ」
少なくとも今年入って3回は見た。国語か何かで習ったばかりで使いたいのはわかるが、雪が降る度にそう言って騒ぐのを見ていると微笑ましさより呆れのほうが強くなる。
「だいじょぶですよぅ。立春過ぎましたし、昨日お天気お姉さんが、『今年最後の雪です』って言ってましたから!」
自信満々に語る彼女に、ほーかほーか、と適当に返事をしても、よほどうれしいのか気にする様子もなく空を見上げてる。
だから、面白くない。
「『忘れ雪』、好きか?」
「好きですよ〜」
「なんで?」
「え?」
そんなことを聞かれると思わなかったのか、驚いたようにこちらを振り向く。羽織っていたモスグリーンのモッズコートが揺れた。
「なんで…。うーん、なんでですかね?」
「冬が終わるから?」
「…そうなのかな?っていうか冬ってもう終わってるんじゃないですか?冬の『忘れもの』でしょ?」
違う。咄嗟に否定しようとして、思いとどまる。理由を聞かれても、こいつにだけは言いたくないから。
春など来て欲しくはない。春が来てしまったら、ひとつ年下の彼女と俺は、校舎が分かれる。
浮気の心配だとかなんだとか、そんな明確な何かがあるわけではない。ただ、漠然とした不安が、ある。
たとえばそれは、移動のときにちょっとすれ違ったり、昼休みに待ち合わせしてふたりで弁当食べたり。
そんなことができなくなってしまうことで、何かが、変わってしまうのではないかと。
それが不安なのだ。
女々しいな、とは自分でも思うから、彼女に話すなんてできるわけない。
ただ、ひたすら。
春が来なければいい、なんて。ひそやかに願い続けるしか。
部活の奴らに聞かれようもんなら爆笑必至じゃのう、と思いながら斜め前の彼女を見ると、傘の外に手を差し出して一心に空を見上げていた。
………って、
「ぎゃあああ何やっとるんじゃ!」
「え、いや、集めたら雪玉できないかなって」
「こんな雨になりかけの雪でそんなことできるわけなかろ!やめんしゃい!」
ひとりで感傷に浸って目を離した自分がバカだった。放っておけば何をしだすかわからないのに。慌てて適当な店の庇の下に連れ込んで、外に出していた手をとる。
「あーあー、びしょびしょナリ」
窪めた手の中に空から降ってきた雪を集めようとしたらしいが、温度が下がりきらないせいで水分を多量に含んだそれは、ただ彼女の小さなてのひらやコートの袖をぐっしょりと濡らしただけだった。鞄の中からタオルを出して、ゆっくりと水を拭き取る。
「うわぁ、におせんぱいの手、あったか」
「お前さんの手が冷えとるだけじゃ。アホなことしよって、はよ帰らな風邪引くぜよ」
「大丈夫ですよぅ。におせんぱいが拭いてくれたじゃないですか」
えへへ、と先程の笑顔とはまた違った風に笑った彼女は未だぺたぺたと俺の手に触っている。その手をやんわりとほどいて彼女の腕に掛かっていた少し大きめの傘をとれば、意図がわかったのか嬉しそうに俺のビニール傘をとって隣に並ぶ。
「行くぜよ」
「はーい!」
音を立てて彼女の傘を開けば、春に咲く花を連想させる薄紅と白のストライプが広がった。すかさず傘を持った左腕に、細い右腕が絡んでくる。
「風邪引かない保障がないわけじゃないからの。ちょい急ぐぜよ」
「りょーかいでーす」
「いい返事じゃ」
ああ、変わらん。慣れたペースを少しだけ早くしながら思う。
たとえ校舎が変わって、すれ違ったり、一緒にお昼が食べれなくても。
目を離せないとハラハラして、バカなことをすれば叱って。
笑いながら一緒に帰って。
そんな関係は、雪が終わって、春が来ても、変わらないと思うのだ。
雪果つ春の季語:忘れ雪
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