学アリ夢

1

 高熱に魘されたら、前世の記憶……経験? が甦って、更に高熱が出た。元から病弱だった身体はガチのマジで死にかけたみたいだけど、前世が蘇ったことでも関係してるのか、はたまた臨死における火事場の馬鹿力というやつか、とにかく覚醒した自身の『アリス』に助けられたらしい。
 病室の窓から覗く景色を眺める。柔らかい風に揺らされて、そよそよとそよめく木々の葉。病室に隔離された人々に、せめて視覚だけでも彩りを、と植えられた色とりどりの花が楽しげに『歌っていた』。輪唱している。花が。文字通り、『歌っている』花の中、窓の縁を歩き、ちょこん、とお辞儀をする二足歩行の股割れ大根。

「あ、また来たの」

 そう、お辞儀をする大根である。生まれ変わったらしいこの世界では、『アリス』と呼ばれる特殊能力を、一部の人間が有しているらしい。なんとも非現実的ではあるが、実際わたしもそう、アリスを所持している。……す〜っごいファンタジー。駆け寄ってきた大根が、一輪のお花を差し出してくれるのを受け取った。このお花は歌わない普通の……普通の? 顔はあるけれど、まあ比較的普通のお花だ。この世界の普通がわからん。
 というのも、生まれ変わったこの世界の『わたし』は、それはもう大層病弱だったようで、記憶のほとんどが病室の白で埋められていた。思うに、たぶんなんだけど、この世界の『わたし』は死んじゃったんじゃないかなあ、な〜んて思うわけである。だってねえ、蘇ってから一週間と経っていないけど、前世の人格の方がバチくそに自我あるんだもん。今世のわたし、どこいったん? レベルだ。
 じゃれついてくる膝の上の大根を撫でながら、暇な時間を謳歌する。なんと、この世界にはまだスマホがない。携帯はあるけど、九歳のわたしは所持していないのだ。パソコンもない。本はある。けど体力のない身体のせいで、長時間読むと疲れるんだよねえ。まだ微熱の残る身体ではすぐに熱がぶり返してしまうので、主治医の先生に大人しくしているように言いつけられていた。なので大人しく懐いてくる大根と遊ぶのである。

「大根くん、そういえばこのお花どこから持ってきてくれたの?」
「……、……!」
「あっち? ……あ、へえ、温室があるんだ」
「……! ……!」
「ああ、そこ出身なの? すごいねえ」

 この大根、流石に喋ることはしないけど、器用にも文字まで書けるんだよね。決してわたしが一人で意思のない大根と話しているわけではない。暇すぎて狂ったんかと思われそう。大根と会話してる時点でまあまあの狂いではあるが。
 ボディランゲージと文字で一生懸命話してくれる大根が微笑ましくて、ふ、とはにかむと大根一つ分開いた窓から、柔らかい風が差し込んだ。

「……あ」
「あ、いや、すまない」

 頬を撫でる髪を掬って、窓へと目を向けると見知らぬ男性がそこにいた。背の高い黒髪のその人は、少し驚いたようにこちらを見つめている。知り合いかと記憶の中を探るけれど、……たぶん知らない。と、思う。いかんせん、今世のわたしの記憶は微妙に曖昧なのだ。とはいえ、今世のわたしは家族か病院関連の人としかほぼ関わりがなかったから、そこまで困ることもない。

「え、なに? どうしたの……わっ」

 ぴょん、とわたしの膝から飛び降りた大根が、その人の元へ駆け寄った。窓枠に立って、男性へと手に当たる部位を伸ばしている。ごく当然に大根を抱き上げるその人は、大根の知り合いかなんかなんだろうか。

「こんにちは」
「……ああ、こんにちは」

 挨拶をすれば、一瞬の戸惑いの後返される。

「お兄さんは、大根……くんのお知り合いですか?」
「知り合い、といえばそうだな。俺が作ったんだ」
「ああ、なるほど」

 めちゃくちゃ真面目そうな見た目だけど、こんな大根を作るくらいだから意外と結構ファニーな感じなんだろうか。

「夜野、さんはコイツと仲が良いのか?」
「……あれ? ごめんなさい、お知り合いでしたか?」
「あ、あー、いや、すまない。一度だけ合ったことがあるんだが、覚えていなくて当たり前だ」

 ? と少しだけ首を傾げたけれど、お兄さん……岬さん、と言うらしい彼は、丁寧に説明してくれた。なんでも岬さんはアリス学園の初等部の先生らしく、その関係で一度この病室へ来たことがあるらしい。とはいえ、わたし自身の意識が朦朧としている時だったみたいなので、当然記憶にもないわけだ。な〜るほど。
 説明をしてくれた岬さんが、ちらりとわたしを通り越してベッドの脇を見た。大根が先程くれたお花がすやすや眠っている。

「悪い、それを回収してもいいか?」
「え、ああうん、はい」

 大根の製作者ということは、おそらくだけどこのお花も岬さんが作ったものだろう。で、たぶん許可もなく大根くんが持ってきたんだと思う。なんかむしろごめん。なぜ!? と言うようにポカポカ大根に岬さんが殴られているが、落ち着けといなしている。少し迷った岬さんは、悪い、と言いながら窓から病室へと侵入してきた。おお、意外とワイルド。

「この花は眠っている時はいいんだが、起きると睡眠剤をばら撒くんだ」
「え、こわ!?」
「なのですまないが回収させてもらう」
「それはもう、そう、どうぞどうぞ……」

 爆弾みてぇな花じゃん。怖。いや、不眠症の人とかにはちょうどいいのかもしれないけども。使い用による、って感じかな。大根は? みたいにない小首を傾げていた。かわいいけど恐ろしいな。とりあえず、瑞々しい頭の葉っぱを撫でてあげると喜んで手にじゃれついてくる。う〜ん、かわいい。

「君はコイツと仲が良いのか?」
「ええと、はい。お友達……だよね?」
「……! ……!」
「ふふ、です」
「そうか……」

 大根の方も仲良しを主張してくれている。ワンチャンこの世界のわたしの友達が大根しかいないけど、まあいいか。岬さんはちょっと不思議そうに頷いた。

「俺以外に懐かなかったんだが、まあ、乱暴されていないならよかった」
「ええ、乱暴するの、君」
「結構な暴れ物だぞ、コイツは」

 手を焼いていたんだ、と岬さんが言うと、それほどでもと照れるように鼻の下を擦る。大根に鼻の下はないが、なんか概念だ。概念。

「ん〜……この子、この前少し弱ってて」
「? ああ」
「岬さん……先生? は、わたしのアリス知ってますか?」
「……癒しのアリスだと聞いてる」
「そ〜、それ。それで、アリスで治してあげたからかなあ」

 っていうか、たぶんそう。指を伸ばせば、暴れん坊らしい大根はすりすりと指先に擦り寄ってくる。ふふふ、かわいい。かわいいし、なんかぼ〜っとしてきた。

「君のアリスでは、植物も癒せるのか」
「ん……あんまり、詳しくないけど、そうみたいだねえ」

 実際できたし。自分の力がどこまで強力なのかとかは、実はあんまり分かっていない。今世のわたしは寝込んでばかりだったし、前世が蘇ってからも高熱の影響が続いていたし、そもそも力を発揮する場所がなかった。こほっ、と小さく咳が漏れる。なんとなく、呼吸が苦しい。久しぶりにいっぱい喋ったからだろうか。視界の端では岬先生が、ナースコールを押している。

「悪い、無理をさせた」
「んーん、……いっぱい喋れて、嬉しかった」

 こほこほと咳が続く。ぼんやりする頭、ああまた熱がぶり返してるらしい。本当に、この身体は病弱だ。病室の扉が開き、駆け込んでくるお医者さんたちを眺めながら、離れていきかけた岬先生に腕を伸ばした。きゅう、と掴んだ裾に、岬先生が振り向く。

「……先生、またここ、来てくれる?」

 たぶん、わたしは寂しいんだろう。お医者さんたち以外で、話をしてくれる人は少ない。だから、大根のお客さんも、その飼い主……? の岬先生とも、話せたのが嬉しかった。屈んでわたしと目線を合わせてくれた岬先生は、しっかりと見つめたまま穏やかに微笑んで。

「ああ、また来る」

 その顔は、確かに先生らしいなあ、と思った。


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