dream | ナノ


act.019


「散歩は楽しかったか?」

薄暗い館へ足を踏み入れると、皮肉っぽく声を掛けられた

懐かしさの残る低い声は、じくじくと耳にこびり付く
声の方へ視線を向けると、腕を組んで階段横に佇む人影

ばきん、と木の割れる音が響いた

「っあ」

取り上げられていた借り物の杖が、彼の手の中で割り箸のように圧し折られ
指の隙間からは芯材と混ざったそれが落ち、ゴミのように扱われる

「……っきょ」

「連れて行け」

思わず声を上げたが、それは背後の死喰い人に放たれた命令で途切れてしまう
こちらに顔を向けることなく、そのまま階段の手すりに凭れているだけ

―――普段と違う、静かな怒りだった

ぴりぴりと肌でそのプレッシャーを感じてしまうくらい
静かに怒る卿に、私の身体は鳥肌を立てて反応していた



「さ、あちらでお召し替えを……」

死喰い人に連れられて階段を上がってくると、見覚えのある顔が私を呼び止めた
ふかふかした大判のタオルを手に持ち、いつもの血の気の無い顔で微笑む

「ルシウスさん」

声を掛けられた事で、ようやく自分の状況が見えてきた
ガラスに反射した自分の姿は、酷いなんてもんじゃない

―――全身ずぶ濡れだったの、忘れていた

少し時間が経ったせいで、乾いた泥があちらこちらにくっ付いていて
髪も鳥の巣みたい、じっとりと水分を含んで重くなったローブがうっとおしい

「すいません、こんな格好で……」

「大丈夫ですよ、お気になさらず。湯浴みの準備も出来ておりますので」

そう言って奥の客間へと通される
古びた蝶番を鳴らしながらゴシック調の扉が開かれると、部屋の中には先客がいた

「待ちくたびれちゃって先に失礼してるよ〜」

「ベラトリックス!此処は貴女の部屋では……!」

ソファに深く腰を落とし―――と言うよりも寝転がってソファから落ちかけているのだけど
たっぷりとした黒髪を掻き揚げながら、体勢を整え直している

「貴女様が噂の?囲われお嬢ちゃん?」

高めのヒールを鳴らしながら真っ直ぐこちらに向かってきた彼女は
口を開いたかと思うと、勢いよく話し始めた


「口を噤んで頂けませんか、この方は……」

「なんだい、ルシウス?この子には甘々なのか」

睨み合う2人はなんだか険悪で、口を挟みにくい
一応は親戚同士のはずなのだが、親交が深いというわけではなさそうだった

ふと2人から視線を逸らすと、テーブルの上で何かが動いていた

白いソレはとぐろを巻いて喉を鳴らしながら、酷く憤慨したような目でこちらを見ている
呆れたような―――そんな声を出して舌をちろちろと動かすのであった

『私を置いていったな、馬鹿が』

「『あ、ご、ごめんなさい』……返す言葉も無いよ」

あの館に置いてきぼりにしたのを怒っている白蛇
顎を広げて口を大きく開け、威嚇まじりにそう言われてしまう


『次は噛むぞ』

『う……配慮します』

『阿呆め』

まるで舌打ちのように威圧感たっぷりに舌を鳴らした蛇は、するすると這って椅子の下へと潜っていった

暫く言い合いをしていた二人は、ルシウスさん側が折れてしまったようで
大きく溜息を吐いてベラトリックスから視線を逸らすと、口を開いた

「申し訳御座いません、お召し替えのお手伝いはこのベラトリックスに……」

「ざーンねんながら、今此処に同性は私しかいないものねぇ」

持っていたタオルの山をベラトリックスにぶつけるように投げ渡すと
ルシウスさんはまた冷淡な表情で彼女を見据えて、軽いお辞儀をした

「何かありましたら、お呼び下さい」

がちゃがちゃと賑やかな音を立ててドアが閉じられる
恐らく前回の脱走を考慮して、鍵を掛けられたのだろう

部屋には私と、ベラトリックスだけ
彼女は白いタオルを抱えて、にんまりと笑う

「さぁ……とっととその泥を落とさなきゃね?」

途端、襟首を掴まれる

まるで猫を捕まえたように彼女はけたけたと楽しそうに笑い
バスルームのある方向へ一直線に進んでいく

「っあ、歩けますって!」

「さっさと湯を浴びて人の形に戻んな!」

―――服を着たまま、浴室内に放り込まれてしまった

そのまま蛇口を捻って頭からお湯を被ると、茶色く濁った水が排水溝へと流れていく
少し熱いお湯が、冷えた身体を内から温め直しているように感じた

「……っ」

お湯の温かさで、ついついほっとしてしまったのか
急に気が緩んだせいか、涙腺が緩んでくる

私がもっと上手く立ち回っていれば、レギュラス君は無事だったのではないか

私がもっとしっかりしていれば
私がもっと頑張れば

私がもっと……

思いがぐるぐると頭の中を駆け巡っていく
自責の念が心を掴んで離さない、考えれば考えるほど深く深く沈んでいってしまいそうで……

頭からお湯を被るのをやめた頃には、すっかり身体の泥は落ちきっていた



バスルームを出ると、綺麗に畳まれた大きなバスタオルと着替えが置いてあった
濡れた髪にタオルを乗せて部屋へ戻ると、退屈そうな顔をしたベラトリックスが窓の外を眺めていた

「着替え、ありがとうございました」

「そこ、座んな」

彼女が顎で示した場所は、鏡台
促されるまま椅子に腰掛けると、新しいタオルが頭に乗せられる

「っえ、と」

「……大人しくできないのかい?」

少々乱雑な手付きだが、しっかりと髪の毛を乾かしてくれるベラトリックスに緊張しつつも
誰かに頭を触られるなんて久しぶりで気持ち良くて、少しだけ顔の筋肉が緩んでしまう

「……変な奴」

「そう、ですかね」

湿った髪に櫛を通しながら、ベラトリックスが少しだけ笑った

―――そんな顔も、するんだ

原作ではそのサディストっぷりを発揮して良くも悪くも印象に残る強烈なキャラクターだった
呆れたようなちょっとした頬笑みだったけど、女性らしさの垣間見えるような……そんな笑い方

皆が皆、生まれた瞬間から悪に染まっているわけじゃない
なんだかこの場所にいると、そんな事を考えている自分が馬鹿らしくさえ思える

「―――あんたが逃げてから、そりゃあもう大騒ぎだったよ」

ふと、ベラトリックスが口を開く
私が屋敷から逃げ出したのを知っていたのか、溜息混じりにそう言った

「馬鹿な従弟は死んじまったみたいだけど、ねぇ」

含ませ気味に、そう呟いた

10も年の離れた2人に、親交があったかは分からないが
”親族の一人が死んだ”と思っている彼女は、感慨深げにまた窓へと視線を戻す

「それから、あの御方のご機嫌取りも大変さ」

「……でしょう、ね」

先程のやり取りで、相当機嫌が悪いのは目に見えていた

ここでその相手をしていた死喰い人の方々の心労は計り知れない
顔色の悪いルシウスさんを筆頭に、皆疲れているようにも見えたし

その原因が私だという事も、分かっている

「あんた一体、あの方の何なんだい」

ベラトリックスは面白くないと言うように、呟いた
腕に篭った力が櫛へと伝わり、ぎちりと頭皮に突きつけられる

私と卿の関係は、複雑そのもの

実験体、預言、ペット、どれも当てはまらない

「何なんで……しょうね」

鏡に映った自分に問いかけるように、言葉が漏れる
虚ろ気で、無気力で、つまらなさそうな顔が私を見ている

「貴女みたいに魅力があるわけでもない、元々頭が良いわけでもない」

平凡な世界から来た平凡な私が、どんどんと人にはない力を持つようになって
でも中身は全然変わってない、ずっとずっと、平凡なままの自分がいる

そんなアンバランスな心と身体は、どんどん自分を見失っていく

「私は一体何なのか、解らなくなります」

そう言葉を発すると、虚ろだった瞳が熱くなるのを感じた
―――鏡の中の私は酷い顔と暗い瞳のまま、こちらを見ているだけ

何なんだろうね、私

「……ごめんなさい、なんでもないです」



日が暮れてからは、客間のベッドの中で小さくなる
柔らかく身体を包む毛布に気を緩めつつ、暗い部屋で思考を巡らせる

「なんなんだろう」

ぽつりと小さく呟いた声は、毛布に吸い込まれるように消える

いくら考えても答えが出ない問題を、頭の中で反芻させていると
枕の方から、耳ざわりの良い蛇語が聞こえてきた

『変なやつだなお前は』

『……変だよね、本当』

白い身体をくねらせて、冷たい肌を腕へと走らせる
月明かりもない部屋では視線を合わせることも出来ないが、そのまま会話は続けられた

『今考える事に意味はあるか?』

『無いだろうね』

魔法の効かない身体は関係無い
預言者や盾、ペットだとも思っていない―――数年前に、そう言われたのを覚えている

何処にも行けないように、彼の手の中だけに存在する為の監禁も
それを邪魔する者、妨害する者への容赦の無い制裁も……卿なりの考えだと理解は出来る

それを拒絶するような真似をしたのは、私だ

『今も必要とされている』

『そうなのかな』

ずっと此処に居たい、平和に暮らしていたい
この世界では誰も悲運を選んで欲しくない

二つの気持ちが混ざり合って、混沌を産み落としていく

『変だな、お前達は』

『本当、そう思うよ』



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