ド ド、レ レ、ミ ミ、レー


風に乗って聴こえてきた、幼稚園か小学校かの鍵盤ハーモニカ。あわせて口ずさみながら 河原の石の一段高いところを一歩、また一歩。この曲知ってる。わたしも小学校のときに習ったような。十何年経っても同じ歌やるんだ。

曲が終わると同時に足もとのバランスも崩れて、下に飛び降りれば ぎゃっ と不かっこうな声が漏れた。そのままいきおいで土手を下り、草の中に座りこむ。いい天気だ。寒いけど。陽ざしもちょっとまぶしすぎるけど。日なたの温度と風のつめたさに おもいきり伸びをして、ぐるぐる巻きにした毛糸のマフラーに顔をうずめながら 置いたばかりのビニール袋をたぐりよせる。
銀色をした缶のプルタブを引くとぷしゅっと気もちのいい音がして、ごくごく飲みほせば この瞬間のために生きてるぅなんて言いたくなる。全然そんなことないのだけども。


こんな小春日和の平日に 真っ昼間から河原でお酒が飲めるなんて、仕事も学校もないひとのすばらしい特権だ。
そして、特権はやっぱりフル活用しなくては。


ごろんと横になりかけたそのとき、むかって左、川沿いのほうからざぶざぶ、ざぶざぶと水を鳴らす音が聴こえた。
周りにひとは見えなかったはずなんだけど。
まさか桃太郎の桃かな。あれはざぶざぶじゃなくてどんぶらこだっけ?どうでもいい自問自答の結論より先に、好奇心にそそのかされてよっこいしょと立ち上がる。


片手にビール、片手にコンビニの袋を持ったまま、ざぶざぶと音のするほうへ向かう。距離をつめるたびにざぶざぶは大きくなり、少し高い草をかき分けて水面が見えたそこには、

なんと上半身はだかの子どもが、一心不乱に上着を洗っていた。


「…なにしてるの?」


おもわずかけてしまった声に、ようやくこちらに気づいたのか、子どもはびくっと肩を揺らすと 驚くほど機敏な動作で数メートル離れたところまで一気に飛びのいた。
わ、すごい運動神経。呆気にとられていると、子どもは ああっ と大声をあげる。

子どもの視線の先、さっき洗っていた上着がどんどん流されていくではないか。


「ま、待てー!」


急に駆け出した子どもを、弾かれたようにわたしも追いかける。
走る子どもの頭の先に見える黄色と青緑の上着は、しかしけっこうな速さで流されていく。

反射的に落ちていた木の枝をひろい、流れていく上着を引っかけようとするも 待ってはくれずにどんどん川下のほうへと行ってしまった。


「…あー、もうだめっ」


ひさしぶりにこんなに走って、膝に手をついても荒い呼吸はおさまらない。
だいぶ先まで追いかけていた子どもは、急に立ち止まると川幅の中腹あたりを進んでいく上着を呆然と眺めていた。


「…っ、だいじょうぶ?」


余力をふりしぼって子どもに追いつき、薄い肩に手をかけると 子どもはおそるおそるこちらにふり返った。
ちいさな目が不安そうに揺れて、こちらをじっと見つめかえしている。


さっきまでのんびりお酒飲んでたはずなのに なんという超展開だろうとおもいながら、いちばん上に着ていた緑のジャージをぬいで子どもに羽織らせる。いくら河原とは言え、こんな街中で上を着てないなんて。けっこうまずいよ。

子どもは困惑しきった表情のまま固まってしまった。仕方ないので腕を通させて、口もとまでチャックをあげる。


「…とりあえず、座ろっか」





「なにしてたの?」
「……上着を、洗ってました」
「…川で」
「どうしても、きたないのがいやだったんです」


こんな水で洗ったらもっときたなくなっちゃうんじゃない?とはこの際言わないことにした。
隣に座る子どもは つぶらな目に涙をいっぱいに貯めて、それでも泣かないようにくちびるをきゅっと結んでいた。
長い髪をポニーテールにしていたのでおんなのこかとおもったら、どうやらおとこのこのようだ。

ロングスカートで体育座りをして川のほうに向きなおり、すっかり気が抜けてぬるくなったビールをひとくち流しこむ。
あ、そういえば。忘れていたビニール袋の中をごそごそ探れば、あった。


「食べる?」


さっきおつまみといっしょに買っていたマーブルチョコ。筒ごと差しだすと、子どもはちいさな手でおずおずと受けとったものの、いろんな角度にして眺めるばかりで ぜんぜん開けようとはしない。

するすると包装をむいてふたを開け、やはりちいさな手のひらの上に何粒か落としてあげた。子どもがはっと息をのむ。


「、これ!」
「ん?」
「食べものですか!?」
「お菓子だよ」
「すごい…きれいな色…」


物めずらしそうに、手のひらの上のチョコを見つめる子ども。いまどきマーブルチョコ見たことない子なんているんだなあ。遠足のお菓子の定番だとおもってたのに。


「名前は?」
「…えっ」
「きみの名前は?」
「…あんまり、余所のひとに自分のことは言えません」


お家のしつけの方針とかだろうか。それともわたしが不審者だとおもわれてる?どちらにしろ厳しいな。


「…えっと、じゃあ太郎くんって呼んだらいいかな」

子どもは不満を顔中で示しながら、しぶしぶという感じに口をひらいた。


「二郭伊助です」
「い、伊助ちゃんかあ」
「あの、できれば くん で…」
「わたしはなまえです」
「なまえさん…」


難しくてあんまり聞きとれなかった苗字はスルーしてしまった。でも、ポニーテールだし なんだかちゃん のほうがしっくり来るし。


「じゃあ伊助ちゃん、帰ろっか」
「ほ、ほんとですか!」
「うん。送ってくよ。家どこ?」
「河内の国です」



「……えっと、ここは日本国なんだけど…」





とうとうなにかを観念したらしい伊助ちゃんは、誰にも言わないでくださいね と前置きしてから、ぽつりぽつりと話をはじめた。

自分は忍者のたまごで、忍術を勉強する学校の一年生、十歳。秋休みに 実家に帰る道を歩いていたらいつのまにかここにたどり着いていた、とかなんとか。

子どもの想像力ってやっぱりすごいんだなあ。わたしには忍術の学校とか、そんな発想とてもじゃないけど ない。おもえばつまらない大人になっちゃったものだ。


「そっか。それで家はどこ?」
「…もう!いまの話聞いてましたか!?」


聞いてましたとも。


「こんな、変な建物いっぱいの場所に来てしまって、帰り方なんてわかりません…」


いよいよ伊助ちゃんは、ぐしぐしと目をこすりはじめた。なす術もないし、まあまあ とマーブルチョコをお酌する。

家出して迷子になって、帰りたいけどまだ微妙に気まずいなって感じなのかな。わたしも小さいころよく家出したし。とりあえず、


「寒いし、帰るね」
「…え、えーっ!」
「伊助ちゃんもいっしょに来るんだよ」
「ほんとですか!」


ぱあっと顔を輝かせる伊助ちゃん。十歳ってもっと冷めてるかとおもってたけど、表情がころころころころ変わっておもしろい。おもしろい生き物だ。


「だって、わたしの服返してもらわないと」
「……あ…」


110921



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