おはよう!おもったよりも大きな声が出てしまい、ちょっと気まずくて教室を見回す。よかった、まだそんなにひとも来ていないし、みんな読書なり宿題なりをしてて気にしてないみたい。窓際の席に座っていたえっちゃんと目が合うと、彼女は心底おかしそうにわらった。


「ふふ」
「…そんなにへんだった?」
「だって朝から元気だなぁっておもったとたん、急におどおどしだすから」
「えー」


何がそんなにおかしいのやら、くすくすわらい続けるえっちゃんを見ていたら、はたと思考が止まった。あ、もしかして今日ってまさか。嫌な予感が背筋を走って、鞄のなかにがさがさ手をつっこみ、今度は机の中を覗きこんだら、あった。


「ねぇえっちゃん!今日の音楽って歌のテストだっけ?」
「うーん、そう言われればそうだったかも」
「わ、どうしよう!わたし何にもしてないよ!教科書も置きっぱなしにしてた」
「私もぉ」


ちょっと間延びしたような、高くてほがらかな声をしたえっちゃんは歌がとっても上手だ。だから、練習なんかしなくたって 楽譜すら見なくたって、今日のテストは心配ないんだろう。わたしは歌うのなんかぜんぜんすきじゃないし、歌のテストなんてやる意味もわからない。身体じゅうの力がへなへな抜けていくのを感じながら、教科書で顔を隠す。

冷房がついてるくせに窓が開けっぱなしの朝の教室。流れこんでくる湿気に当たっていると、諦めと無駄な抵抗をしてみたい気もちが綯い交ぜになる。ガラス窓をぴしゃりと閉めて、席に戻って机に伏せた。


「えっちゃーん…」
「なぁに」
「教えて…」
「ふふ、いいよ。楽譜ここからだっけ、」


ぱらぱらとページをめくるえっちゃんの白くて細い指の先には、桜貝みたいな色をした きれいな楕円の爪がお行儀よく乗っている。たどたどしくメロディーをなぞる声を聞いていたら、とうとつに、なぜかとうとつに きのうのお昼、ふたりで非常階段のいちばん上でごはんを食べていたことをおもいだした。お母さんが丁寧に作って詰めたであろうお弁当を、水色のお箸できれいに食べているえっちゃんが とてもきれいに見えたのだ。そのとき、放課後ひさしぶりに数馬の家に藤内と行くのがたのしみで すこしばかり浮ついた気もちでいたせいもあったかもしれない。そしてその帰り道、


「…えっちゃん」
「…え、なに、どうしたの」
「…、わたし、」


なんだか、今になって ようやく生きた心地がした。えっちゃんの顔を見て、何てことはないふつうのことを話してふつうのことをして、彼女はきのうと同じだというだけで言葉にならないくらいの安心感があふれて わたしは許されたような気がした。


「どうしたの、なまえどうしたの」


どこか歌うような調子で、うなだれるわたしの頭のうえに 白い魚のような手のひらが乗る。



藤内はどうして、あんなことをしたのかな。えっちゃんはどうおもう?





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